第35話 赤字覚悟の社員割
たった一週間の間に、鷲崎さんの家は綺麗に片付いてしまっていたのだ。玄関にあった客人を威嚇するエイリアンのフィギュアもなければ、傘立てにはライトセーバーはなくて普通の傘しか置いていない。様々なポスターは姿を消して、シンプルな壁に違和感がある。
それは廊下や玄関だけではなく、居間も同じ有様だった。
ガラスケースは中身が空だし、本棚も中身がきれいに片付いていた。ほぼ空になった本棚にはぽつんと一つだけ〝マーズレイド〟のDVDのパッケージがあるだけで、他に残ったモノと言えば、和泉が持ってきたピンク色の丸いぬいぐるみがソファに置かれているだけだ。
唖然とする和泉に、
「こうするべきだと、私は思ったんです」
伊知子さんは吐き出すように、その心中を口にする。
「私は、
そこまで聞いて、リサイクル・パラダイスに置かれた段ボールの山を思い出す。
「リサイクル・パラダイスに行ったのは、鷲崎さんのコレクションを売るためだったんですね」
「そうです」
「……なんで、そんなことを――」
思わずこぼれた言葉は、そのまま失速してしまう。
「私はそれが、咲希のためになると思ったんです」
伊知子さんは、目に涙を貯めていた。
「咲希も、最初は戸惑っていたんですけれど……私が話をしたら、ちゃんと納得してくれました。ここにある品物はもちろん鷲崎の私物になるんですが、お婆ちゃんも〝咲希が前を向くために必要なら〟と頷いてくれましたし、処分することに同意してくれたんです。だから、これには何の問題もないハズで、これで、咲希は前を向けると、思ったんです」
でも、切通が本心で、どのように感じたのか別だ。
なぜなら、理解と納得は、別問題なのだから。
切通はその一件で、家出してしまったのだろうか?
「切通の友達の家とか――どこか行きそうな場所って心当たりありますか?」
伊知子さんはふるふると顔を横に振った。
切通に高校で親しい友達がいないのだろうことは想像がつくが、昔の友達とか、そういう人もいないんだろうか?
「その、切通の連絡先って分かります?」
伊知子さんははっとしたように顔を上げ、携帯を取り出して通話を試みる。
携帯を耳に当てた伊知子さんの様子を窺うが、その眉は下がったままだ。
「……出ません。どうしましょう?」
伊知子さんは傍からでも分かるほどに狼狽していて、夜の学校で慌てていた切通の姿によく似ていた。
だから、自分だけでも、冷静にならないといけないと思う。
切通は、どこにいて、何をしている?
和泉は一つの可能性に思い当たって、スマホを手に取った。
番号をタップして呼び出し音が鳴ると、相手はすぐに出た。
「
『どうした和泉?』
「この前〝宇宙人の生き血〟を買っていった女子高生って、お店に来てませんか?」
切通が鷲崎さんのグッズをリサイクル・パラダイスに売ったことを知っているなら、それを取り返すために向かったかも知れないと考えたのだ。
しかし、熊店長は唸る。
『今日は見てねぇな』
当てが外れたかと落胆するが、熊店長に話したいことは別にもある。
「伊知子さんが売り払った品物――取り置きしておいてもらえませんか?」
和泉の言葉が意外だったのか、熊店長はまたしても唸る。
『……これでも俺は商売人だからな。もう切通さんからは購入済みの品物だし、すでに店に陳列もしてある。しかも、あれだけの数でプレミア品もあるとなると、結構高いぞ? 和泉にそれを買うだけの金はあるのか? それだけ、和泉にとって大切なモンなのか?』
熊店長の正論に言葉が詰まる。
自分はただの学生で、貯金だってそんなにない。
でも、和泉にとってもあのコレクションは、
「今、手元に二十万円あります」
和泉の言葉に、熊店長はどう思ったのだろうか。
「足りなければ、残りは働いて返します」
和泉の続けた言葉に、熊店長は何かを察してくれたらしい。
『……仕方ねぇな』
熊店長は笑っていた。
『二十万で契約だ。これでも赤字覚悟の社員割だから喜べよ?』
昨日までは無かったハズの新制度に、和泉も笑った。
「ありがとうございます!」
『あ。でも、さっき〝エイリアン2〟のナイフだけは売れちまったぞ。あれはやっぱ人気あるのな。あれは無いけど問題ないか?』
電話するのが一歩だけ遅かったらしい。
でも、あのナイフは正確に言えば鷲崎さんのコレクションじゃないから問題ないだろう。
「それは諦めます。ありがとうございましたっ!」
『おう。分割でもいいから、ちゃんと払えよ?』
「うぃっす!」
和泉は熊店長と通話を終えた。
とりあえず、これで鷲崎さんのコレクションは無事だ。
切通の家出の理由がコレクションの有無なのであれば、これで連れ戻すことも可能だろう。でも、どちらにしろ、今度は切通がどこにいるのか見つけなければならない。
しかし、和泉はまだ本当の意味で焦っていなかった。
なぜなら、切通は変わっているけれど、現実的に物事を考えられる奴だし、宇宙人という言葉さえ除けば一般常識もある。危険なことをするようには思えな――いや、待て。
和泉は脅迫状を、受け取っている。
もしも、万が一にも、切通があの犯人に捕まっていたら?
……。
切通が、危ないかもしれない。
「あの、今のって?」
和泉の内心をよそに、伊知子さんが口を開いていた。
さきほどの通話の節々から、色々と思うところがあったのだろう。
和泉は虚勢を張って笑った。
「伊知子さんが売った鷲崎さんのコレクションは、俺が全部買い取ります。赤の他人の俺が買い取ることに、文句はないですよね?」
和泉の言葉に不当な部分は無かったハズだけれど、伊知子さんは眉を寄せたままだった。
「でも、その、そんなの、いけません!」
歯切れの悪い伊知子さんの様子に、和泉も眉を寄せた。
どこか会話が成り立っていない気がする。
「……マーズ・レイドを借りるお金がなくなってすみません」
和泉は二十万を使ってしまったから、もう〝マーズ・レイド〟を伊知子さんに借りることはできないだろう。そこに疑問を持っているのかと思ったが、伊知子さんは首を横に振った。
「そんな事は……その、実はお金さえ用意して頂ければ、その覚悟だけで〝マーズ・レイド〟はお渡しするつもりで、お金を受け取る気はありませんでした」
「……そ、そうなんですか?」
新たな事実に驚くけれど、伊知子さんの言葉は続く。
「だから気になさらないで結構なんですけれど、それよりも、鷲崎のコレクションを二十万円というのは、その、あまりにも……」
伊知子さんは、何が言いたいんだろう?
「何か、問題あります?」
和泉の問いに、ようやく伊知子さんはソレを言葉にした。
「鷲崎のコレクションなんですが、和泉さんの言葉通りに、すごく高く買い取って頂いたんです。さすがにその……私としても、見過ごす訳にはいきません」
伊知子さんの様子に少しだけビビる。
熊店長は二十万円で応じてくれたけれど、買い取り価格がその比じゃないってことか?
「……ちなみに、いくらで売れたんですか?」
和泉の問いに、伊知子さんは意を決したように口を開く。
「五十五万円です」
和泉はそれを聞いて、少しだけ、いや、かなり後悔した。
熊店長は曲がりなりにもリサイクルショップの店長で、プロの商売人だ。素人なんかよりも遥かに金銭感覚が優れているに違いないし、和泉には適正価格なんて分からないけれど、場末のリサイクルショップでの買取価格がそれなら、普通の市場での売値はとんでもないものになるだろう。熊店長は買取価格に色を付けすぎだと思う反面、社員割もしすぎだと思った。
これで〝商売人だ〟なんて、笑わせる。
でも、こういうところが――
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