第31話 査定額


 会計を済ました和泉いずみは、たちばなさんと切通きりがよいの二人と別れてリサイクル・パラダイスへと向かった。


 勝高の裏山を超える近道を使えば一五分ぐらいの距離でしかなかったし、日が暮れて涼しい時間帯ということもあったが、走ったせいで辿り着いた頃には汗をかいていた。


 リサイクル・パラダイスの駐車場で息を整える。


 走っている間は考えないようにしていたけれど、五十嵐いがらしに会う前に、ちゃんと気持ちを固めておかなければいけないと思う。


 万が一の可能性ではあるけれど、五十嵐が自分のことを好きだったら、どう答えるのか。


 正直に言うと、和泉は今まで、心の底から人のことを好きになったことがなかった。切通のことだって、もしかしたら同情の延長線上にあるだけの気持ちなのかも知れないし、自分の気持ちというのが、どうしても信じきれない。


 言ってしまえば、決定的な理由があったわけではない。


 でも、和泉はいつの間にか、間違いなく――切通に惚れていた。それに気づかしてくれた切通のことは大切だし、嬉しいとも思う。


 しかし、和泉は別に五十嵐のことが嫌いなわけでもなかった。


 だから、例え断ったとしても、五十嵐とは友達のままでいたい。


 男女の友情は成り立たないと、どこかで聞いたことがある。和泉の出した答えは中途半端かも知れないし、そう上手くいく話ではないのかも知れない。五十嵐だって、もしかしたら、こういう曖昧なバランスが崩れるのを恐れていたのかも知れなかった。


 そこまで考えたけれど、結局のところ、本心を聞くしかないだろう。


「行くか」


 和泉は気合を入れて顔を上げ、リサイクル・パラダイスの入口に向かい、


「あら、和泉さんじゃないですか?」


 リサイクル・パラダイスの店内から、予想外の人物に声をかけられた。


伊知子いちこさん?」


「こんばんは」


「こ、こんばんは」


 頭を下げあって見てみれば、伊知子さんは当然のように宇宙服ではなかった。


 薄手のTシャツにロングスカートとブーツといった出で立ちで、カジュアルながらも控えめな姿だ。髪は後ろにまとめられていて、ナチュラルな薄い化粧も伊知子さんに似合っていると思う。


「その、こんなところで奇遇ですね」


「ですね」


 伊知子さんとは本当に縁があるのかも知れない。


「和泉さんは、よくこのお店に来られるんですか?」


「えっと、俺、ここでバイトしてるんですよね」


 和泉の答えに、伊知子さんは少し考えて口を開く。


「……もしかして、これから夜勤ですか?」


「いや、今日は私用で用事がありまして。それに、高校生は法律で十時までしかバイトができなかった気がします」


「あっ、それもそうですよね!」


 伊知子さんはどこか抜けているところがあって、そんなところも魅力かも知れない。


「でも、和泉さんが店員さんなら、少し迷惑をかけるかも知れません」


 伊知子さんの言葉に引っ掛かりを覚えて、和泉は言葉を聞き返していた。


「何かあったんですか?」


「実は――先ほど、結構な数の品物を持ち込みまして。急ぎではないために査定結果も後日でいいとは伝えてあるんですが、あれだけの数を捌くのは大変かも知れません」


 そこまで言われて、ようやく納得する。


 リサイクル・パラダイスはどんな商品も取り扱う中古屋であって、そこに来た伊知子さんの目的が物を売ることだというのは考えてみれば妥当だ。


「うちの査定は店長頼みなんで、バイトの俺はあんまり関係ないかも知れないです。でも、うちの店長は綺麗な女性には軒並み弱いんで、他の店より高く売れると思いますよ?」


「あらあら。こんなオバサンを褒めても何もでませんよ?」


 和泉の言葉は本音だったけれど、伊知子さんは御世辞だと受け取ったらしい。


 実際のところ、伊知子さんは高校生の娘がいるようにはまるで見えなかった。何も知らなければ大学生ぐらいにしか思えないし、くま店長が色を付ける可能性は高い。


「それじゃ〝マーズレイド〟はしっかりと保管しておきますね」


「はい! よろしくお願いします!」


 和泉は伊知子さんと手を振って別れた。


 そのまま店内に入ると、いつものパンク調のインディーズ感溢れるBGMが出迎えてくれる。勢いもノリも良いけれど、リサイクル・パラダイスの店内の雰囲気のせいか、どこか安っぽいように思うのは作曲者に失礼だろうか。


 店内を軽く見渡してみたが、閉店間際ということもあってお客さんの姿は見えない。


 閉店後に五十嵐と話すために急いで来たが、少し早く着きすぎたらしい。でも、そろそろBGMを切り替える時間なのは間違いないし、和泉はレジのあるカウンターへと向かった。


「和泉じゃん。どしたの?」


 レジには五十嵐が一人で暇そうに立っていた。


「今日は一人か?」


 和泉の言葉に、五十嵐は頷いてくる。


 リサイクル・パラダイスは店の規模の割には従業員が少ない。


 客足が少ないことも理由の一つだが、基本的には熊店長が一人で業務の全てをこなしていて、バイトのシフトだって熊店長が外出するなどの忙しい時に限り二人体制になることが多く、いつでもバイトを入れている五十嵐が一人でカウンターに立っているのはよくあることだ。


「とりあえず時間だし、蛍の光、流してくるよ」


 和泉は五十嵐にそう言ってバックヤードに入った。


 扉を開けると、目の前に段ボール箱が積まれている。


 和泉はただでさえ狭い通路に置かれた段ボールを避け、店内放送用の機械を弄り、蛍の光を流したところで熊店長の姿に気づいた。


「お疲れ様です」


「お疲れ――って、和泉か。今日は客か? うちは社員割とかねぇからな」


「何も買わないんで安心してください」


 冗談交じりの言葉に、熊店長は笑った。


「冷やかしなら早く帰れ」


「へい」


 和泉は熊店長の言葉に甘えて戻ろうと思ったが、バックヤードにうず高く積まれた段ボールがあるのを見て足を止めた。ちらりと見えた熊店長の手元には〝切通様見積もり分〟と殴り書きかれた紙が複数あって、それを段ボールに張り付けて整理しているらしい。


 その段ボールのうちのひとつ。それの上部が開いていて――何気なく覗いたその先に、和泉は信じられないモノを見つけた。思わず体が硬直し、鼓動が早くなる。


 どうして、こんなモノがここにあるんだ?


「和泉? どうした?」


 和泉のそんな様子に、熊店長が眉を寄せている。


 和泉はようやくソレから視線を外し、頭をかいた。


「いや、その……伊知子さん、本当に沢山持ち込んだんですね」


 それは和泉にとって話を変えるための言葉でしかなかったけれど、熊店長にとってはそうではなかったらしい。


「和泉っ!」


 熊店長は作業をほっぽり出して和泉に迫ると、両肩を掴んで口を開く。


「切通さんと知り合いか!?」


 熊店長の背丈は2メートルに近く、その名の通り目前に立たれると熊のような威圧感がある。その眼はどこか血走っており、嘘をつくことは命の危険を孕んでいた。


「えっと……と、友達のお母さんっすね」


 そんな和泉の言葉を聞いた熊店長は――それはもう、物凄く、


「既婚者かぁ……あれだけ美人なら、旦那さんもいるよなぁ」


 そう両肩を落として落胆していた。


 つまり、和泉の言葉に、熊店長は伊知子さんの立場を初めて知ったのだろう。


 そして、それを見て、和泉は大切なことに気づいた。


 熊店長は綺麗な女性客が好きで、査定に色を付けることが多いが――それはもちろん、その女性客に良いところを見せたいからである。ある時、査定を受けた時に女性客が持ってきたために高めに値段設定をしていたが、後にその女性客が彼氏と一緒に査定結果を聞きに来た時、その査定額が変わったのを横で見ていたことがある。


 だからこそ、和泉は焦った。


 なぜなら、和泉の不意に口にした言葉のせいで――伊知子さんの受け取る金額が目減りする可能性があったからだ。でも、実際のところ中古屋なんてものは買い叩くことが大前提だし、伊知子さんに本当の相場が分からないだろう。


 そこまで理解はできるのだが、先ほど高めに買い取ってくれると話してしまった手前、それはどうにか避けたかった。


「あ、あの熊店長?」


「なんだよ?」


「伊知子さんは、今は独身みたいですよ」


「そうかっ! しかも子持ちってことは、同年代かもな!? あんなに可愛いのに……もしかするかも知れねぇ!」


 熊店長の顔に笑みが蘇る。


 和泉は単純な大人代表みたいな熊店長を見ながら眉を寄せた。


 伊知子さんが独身であるのは間違いないだろうが、それと熊店長にチャンスがあるかどうかは全くもって別問題である。そもそも、和泉にとって熊店長が女性に好かれる可能性は宇宙人が地球に攻め込んでくるぐらいの確率にしか思えないし――さらに言えば、和泉は伊知子さんの娘である切通と付き合っている形だから、伊知子さんと熊店長が付き合った場合、熊店長が和泉の義理の父になる可能性も微粒子レベルだが含まれている。


 ……。


 想像して、げんなりした。


「良い情報をありがとな!」


 背中をばしんばしんと叩かれて、その痛みに顔を歪めた。


 ……断っておくが、熊店長は悪い人ではない。


 むしろ見た目よりも話は通じるし、人情深くて人間的には好きだったりする。


 でも、熊店長が身内なのは――なんとなく嫌だった。


 和泉がもやもやとした気持ちを抱えながらバックヤードから出ると、すでに五十嵐は外の商品棚を店内に片付けており、自動ドアの電源を切って店を閉める準備に入っていた。


 和泉の渋い顔を見て、五十嵐が口を開く。


「どしたの?」


「いや、熊店長とあの人が釣り合うようには思えなくてさ」


「ああ、さっきの綺麗な人ね?」


 和泉の言葉は説明不足極まりないが、五十嵐は伊知子さんと接客したのかも知れない。頷く和泉を見て合点がいったらしく、笑って言葉を続けた。


「わかる」

 

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