第21話 交換条件 2


 和泉いずみはその条件に眉を寄せた。


『マーズ・レイド』は、和泉がこの一年間をバイトに費やしてでも観たいと思った映画だ。それは間違いないし、まだ貯められたのは二十万円ぐらいで、学生である和泉にとっての三十万は、それなりの大金だということも分かっている。


 それが、すぐ、手の届くところにある。


 しかし、和泉は『マーズ・レイド』に手を伸ばさなかった。


「俺には――切通きりがよいを否定することなんて、できません」


 まっすぐ答えた和泉に、伊知子いちこさんも視線を外さなかった。


「そのお気持ちはわかります。そう思う人だからこそ、咲希さきが心を開いたんだというこうことも、想像に難くありません」


「だったら!」


「でも、このままでは、咲希は前に進めないんです!」


 困惑する和泉の前で、伊知子さんはさらに言葉を続ける。


「咲希が宇宙人に囚われているのは、あの子の父がいなくなってからでした」


「切通のお父さんが?」


 和泉の問いに、伊知子さんは頷く。


「五年前に行方不明になった私の夫こそが、この映画を作った張本人、鷲崎わしざき建作けんさくです」


「……鷲崎さんが、切通のお父さん?」


「そうです」


 和泉の疑問に、伊知子さんは丁寧に言葉を答えてくれた。


「苗字が違うのは、鷲崎が私と離婚してから姿をくらましたからです。現在、私と咲希はこことは別の家に住んでいます。本当はこの家は鷲崎のモノですが、おばあちゃんが〝咲希が高校を卒業するまでは使っても良い〟と言ってくれていて、それに甘えているに過ぎません」


 伊知子さんは〝宇宙人の生き血〟を一口飲み、言葉を続ける。


「鷲崎が失踪してから、私はその行方を捜しました。私は鷲崎が仕事のトラブルで事件に巻き込まれたのだと思い、映画関係者や出版関係者に顔を出し、鷲崎のパソコンに残ったアカウントも使って交友関係も調べていました。元を辿れば、私が和泉さんと連絡を取ったのも、鷲崎の行方の手掛かりになるかも知れないと考えたからです」


 いろいろなことが、繋がってくる。


「そして、私がそうしている間に、咲希も自分の方法で、鷲崎の行方を捜していました。その方法は宇宙人について調べることだったり、宇宙人がどこにいるのかを探すことだったり、宇宙人を儀式で呼び出すことだったり――咲希がああなってしまったのは、鷲崎のせいなんです」


 切通の顔が浮かんで、和泉は気づく。


 切通が、どうして必死になって宇宙人を探しているのか。


 その理由が、ようやくわかった。




「切通は鷲崎さんが失踪した理由を、宇宙人に誘拐されたからだと考えているんですか?」




 和泉の問いに、伊知子さんは頷いた。 


 それは、現実的に考えれば、あり得ない答えの出し方だと和泉は思う。


 しかし、


「鷲崎は日本でも屈指の宇宙人マニアで、宇宙人が地球に来ていると信じて疑わない人でした。週末には宇宙人を呼び出す儀式を行うほどでしたし、それを近くで見ていた幼い咲希が、鷲崎の失踪の原因をそう捉えてしまうのは仕方のないことだとも思います。それに小学生や中学生である咲希が、そうやって考えているのを頭ごなしに止めるなんて、私にはできませんでした。そして、その結果、咲希は宇宙人を第一に物事を考えるようになってしまいました」


 伊知子さんの話を聞いて、切通の気持ちも理解できる気がした。


「でも、このままじゃ――咲希は幸せになれないと、私は考えています」


 そして、和泉には伊知子さんの気持ちも、よくわかった。


「咲希は苦しんでいたと思います。女の子の友達もできないで、ずっと一人で怪しい儀式を毎日やって、時には変人だと陰口を叩かれて。それを見てきた私は、咲希に普通の女の子に戻ってほしいんです。だから!」


 伊知子さんが身を乗り出して、和泉の手を握った。


「だから、咲希に近い和泉さんにお願いしたいんです。宇宙人なんて、地球には存在しないんだって、鷲崎の失踪は宇宙人とは無関係なんだって、あの子に、教えてあげて欲しいんです! あなたは普通に生きて良いんだって、幸が、幸せになれるように!」


 伊知子さんの必死な表情に、胸が締め付けられるようだった。


 和泉の目には、伊知子さんの想いが間違っている様にも、到底思えない。


「俺は――」


 どうするべき、なんだろうか。


「……」


「……」


 切通のために、何をするのが正解なのか。


 まるで正解が、わからなかった。


「……急に迫ってしまって、すみません」


 伊知子さんは目を伏せて遠慮がちに笑った。


「お礼が足りないというのであれば、なんでも言ってください」


 和泉は机に置かれた『マーズ・レイド』をちらりと視界に入れる。


 あれほど欲しかった『マーズ・レイド』が、切通の抱えるモノの大きさに霞んで見えた。


 それに、


「お礼とか、そういう話ではなくて、俺には……」


 思わず目を反らした和泉に、伊知子さんは眉を寄せた。


「すぐに答えを出す必要はありません。でも、私のお願いを聞いて下さったら嬉しいです」


 控えめに笑う伊知子さんは、伊知子さんなりに本気で切通のことを考えているんだと思う。そのために出した答えは自分とは真逆だったけれど、その気持ちは同じ方向だった。


「……その、約束は出来なくて、すみません」


 和泉の答えに、伊知子さんはため息をついて手を放した。


「なら『マーズ・レイド』は三十万円のままですね」


 さも残念そうに口にした伊知子さんの言葉は、そこで終わりではなかった。


「……実は、もう一つお願いがあって、それを聞いてもらってもいいですか?」


 人差し指を立てる伊知子さんを見ながら、まだ他にも切通は問題を抱えているのかと思った。


 身構える和泉に向かって、伊知子さんは悪戯っぽく笑う。


「この服、一人では脱げないんですよね」


「……え?」


「宇宙服を脱ぐの、手伝ってもらえますか?」


 かくして、和泉は伊知子さんが宇宙服を脱げるように手伝うことになった。

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