第12話 アイツは宇宙人だからな 1


「……襲われるのかと思った」


 現れたのが和泉いずみだと気づいた切通きりがよいは、今度は安堵して泣き出してしまった。そんな切通の瞳にはまだ涙が浮かんでいて、ようやく会話らしい会話ができるようになったのは、五分ほど和泉が謝り倒した後だ。


「いや、マジで悪かったって」


「……それはもういいわ」


 驚かせる気はなかったけれど、すごく申し訳ない。


「それより、なんで和泉君がこんなところにいるのよ?」


 切通はようやく和泉を見据えて口を開くが、和泉にはその理由を答える気になれない。


「……切通だって、なんでこんな時間に忍び込んでんだよ?」


 問いを問いで返したことに切通は口を尖らせたが、


「お互い様って言いたいけれど、それもブーメランね。なら、私から答えてあげる。私は、とても大切なものを失くしてしまって、それを探していたの」


 やっぱりそうかと思いつつ、もうひとつ聞いてみる。


「どうして、明日まで待てなかったんだ?」


 明日の朝なら、こんな苦労をせずとも見つけることができただろうに。


「……我慢なんて、できなかったわ」


 こちらを真っすぐ見つめる切通の瞳は、吸い込まれるような力に満ちていた。


 その瞳はとても力強くて、不思議な力を宿しているように、和泉には思えた。


「私にとって、それは何よりも大切なモノで、あれを失ってしまうと、私が私ではいられなくないの。失くしたことに気づいてから、いても立ってもいられなくて……でも、やっぱりこんな時間に来るのは危ないわよね?」


 眉を寄せて苦笑いする切通に、和泉は頭をかく。


 バイト中にも思ったことだが、


「そんな大事なもんを落とすなよ」


「わ、わざとじゃないんだから仕方ないじゃない!」


 食って掛かる切通に、和泉は尻ポケットに入れていた文庫本を差し出した。


「切通の探し物は、これか?」


 差し出された文庫本を前に、切通の瞳が見開かれる。


「どうして、和泉君が?」


 嘘をついても仕方がないと思い、和泉は文庫本を手にした経緯を口にする。自分がバイトしている店に忘れ物があり、それが切通のものだと分かったから返すことにした。


 単純明快な成り行きだ。


「でも、どうしてこんな時間に、それも下駄箱に返そうと思ったのよ? それこそ明日、私に返せば良いじゃない?」


 切通の不思議そうな顔に眉を寄せ、仕方なく答える。


「これは返したかったけど、また宇宙人だって騒がれたら困るからな」


 和泉の答えに、切通は百歩譲ったというぐらい不服を露にした顔で口を開く。


「薄々気づいていたけれど、やっぱりそうなのね?」


「……」


「和泉君は、本当に宇宙人じゃないのね?」


「そうだ」


 そして、和泉は頭を下げた。


「軽はずみで答えて、嘘を言って、本当に悪い!」


 結局のところ、ことの始まりはあの問いに和泉が嘘をついてしまったことに他ならない。和泉は結局のところ、切通がそこまで真剣だったということを知らなかったのだ。和泉が最初からそれに気づいていたのなら、もっと普通に、切通とも仲良くなれたかも知れない。


 和泉の謝罪がどこまで効果があったのかは分からない。


 それを確かめるために顔を上げた瞬間、パトカーのサイレンが耳に届いた。


 音のする方へ視線を向ける。


 ドップラー効果によって音程を変えるその響きは、校舎の南側から外周をぐるりと回り、北側の正門前で停まった。下駄箱のある昇降口前から顔を出せば、サイレンは消えたが、赤く回転するランプの光がここからでも確認できた。


「事件かしら?」


「事件……か?」


 後ろから顔を出す切通の声を聴いて、和泉はひとつの答えに辿り着いた。


 切通に振り返り、口を開く。


「深夜の校舎から女の悲鳴が聞こえたら――切通は事件だと思うか?」


「嘘でしょ?」


 和泉の言葉に、切通も合点がいったらしい。


 つまり、先ほどの悲鳴を聞いた誰かが、警察に通報したのだろう。


 考えてみれば、あれからすでに十分近くたっている。あの瞬間に誰かが通報したのであれば、警察が辿り着くにはちょうど良い時間だと思う。


 その通報はもちろん善意だろうし、理想的な市民の行動に他ならない。


 しかし、


「やべぇ」


「ど、どうするのよ!?」


 切通の挙動は明らかに焦っており、まるで役に立つとは思えなかった。


 二人でそうこうしている間にも、パトカーの扉が閉まる音が小さく届いた。


 人数まではわからないが、複数の足音と、正門を開こうとしている物音も聞こえてくる。


「隠れるぞ」


「え!? ちょ、ちょと待って!」


 時間が惜しく、和泉は切通の手を握って、食堂の方へと走り始めた。


 もし捕まったとしても、大事には至らないかも知れない。


 子供の悪ふざけとして、厳重注意で終わる可能性もある。


 しかし、それは希望的観測に過ぎない。署まで連行されて親を召喚されれば家族に迷惑がかかるし、それどころか、こんな時間じゃ本来は禁止されているバイト先に迷惑がかかる可能性もある。そうなれば、和泉は今まで通りにバイトを続けることはできないだろう。


 それは困る。


 和泉は今年中に、30万円を貯めると約束したのだから。


 二人で食堂と校舎の間をすり抜けて裏手に回り、今は使われていない焼却炉を脇目に、校舎とブロック塀に挟まれた僅かな空間を駆ける。


「こ、ここから、どうするの?」


 校舎裏の端までたどり着いたところで、切通が口を開いた。


 肩で息をする切通を見て、もっとゆっくり進めば良かったかと和泉は思う。


 そして、和泉は今更ながら、勝手に切通の手を握ってしまったことに気づいた。


 改めて意識すれば、それは小さくて綺麗な手だった。


 そんな切通の手が、和泉の手を強く握り返している。


 そこに拒否の色がなくて安心したけれど、和泉は女子の手を握るなんて――自分がそんな大胆な事ができるような男だったのかと、今更になって驚く。


 そんな和泉の心中など知らず、切通は眉を寄せていた。


 この感覚は、口にしても伝わらないかも知れない。


 和泉は頭を切り替えて、目の前の建屋を視線で示した。


「あれに隠れるぞ」


 二人の前にあるのは、運動場の隅に建てられた部室棟だった。


 部室棟は二階建ての細長い建屋で、その個室は様々な運動部毎の部室となっており、一階には体育の授業で使うハードルやらサッカーボールやらの物置にされている部屋もある。


 和泉は校舎裏から顔を覗かせ、運動場を挟んだ向こう側、正門へと視線を向けた。


 正門はすでに開かれていて、その先でパトカーの赤いランプがくるくると回っている。サイレンは聞こえてこないが、まだ警官たちは校内を探索しているらしい。懐中電灯の光が二つ。下駄箱に向かって揺れていた。


 ここから部室棟までは十メートルほどしかないが、代わりに遮蔽物は何もない。


 運が悪ければ、ここを渡る間に気づかれるかも知れない。


「どこまで捜索されるのか分からないけど、部室棟の中に隠れれば見つからないと思う。悪いけど、あと少し辛抱してくれ」


 和泉がちらりと視線を向ければ、切通は頷いてくれていた。


「急ぐよりも、音を立てない方が良いかもね?」


「……そうだな」


 同意して、二人で慎重に最後の十メートルを進む。


 わずか十メートルの距離が、物凄く遠く思えた。


 闇に目が慣れているとはいえ、この暗さでこの距離ならば、直接懐中電灯で照らされでもしない限り見つからないハズだ。……焦る気持ちが、握り続けている切通の手を意識して持っていかれる。手から伝わる感触で、緊張が二倍に膨れ上がっていた。


 少し走って、体は汗ばんでいる。


 手にも汗をかいていると思うし、気持ち悪がられていないだろうか?


 そんなことを思いながらも、和泉は切通が手を握り返してくれていることに気恥ずかしさを感じる。切通は和泉の手を、和泉よりも強く握り返してくれていた。


 ……。


「鍵、持ってるの?」


 無事に部室棟の前まで来たところで、切通が不思議そうに和泉を見つめていた。


 和泉は緊張をほぐすために、薄く息を吐いてから答える。


「この窓の鍵、壊れてるんだよ」


 和泉はそう言って窓を開ける。


 室内は、どこか埃と土の混じったような臭いに満ちていた。


 暗くて見通すことは難しいし、足元にハードルが乱雑に並べられているが、気を付ければその先のマットに足が届くだろうし、音を立てずに侵入できるだろう。


「先に入るぞ」


 和泉は窓枠に手をやろうとして、切通と手を繋いだままだということに気づく。


「とりあえず、離してもいいか?」


 和泉の問いに、ようやく切通も手を握り続けていることに気づいたらしい。


「ご、ごめんなさいっ!」


 切通は恥ずかしそうに顔を反らして、急いで手を放した。

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