第10話 不審者
それは、夜の間に
これならば切通に文庫本を返せるし、和泉が直接切通と接触することもない。親切な誰かが落とし物を届けたという事実だけが残るわけで、そうなればすべてが丸く収まるだろう。
そして、和泉はその作戦を実践するために、一緒に帰っていた五十嵐を家まで送ってから、とんぼ返りして勝高の閉じられた正門前に立っていた。
すでに目が慣れているとはいえ、辺りは暗闇に包まれている。
ちらりとスマホの時計に目をやれば、すでに時刻は二十三時を回っていた。
さっさと目的を果たして家に帰ろう。
和泉は文庫本をズボンの後ろポケットに入れて正門をよじ登る。可動式で遊びのある正門に登ると思ったよりも音が響いたが、仕方ないので無視することにする。ニメートルはある正門の上に股をかけると、体験したことのない視線の高さにどきりとした。暗くて地面への距離が上手く掴めない。門の上から飛び降りることは辞め、足をつけてゆっくりと降りた。
たかがニメートル、されどニメートルだ。
ニメートル以上の高さは高所作業であると聞いたことがあるし、足首をひねれば帰り道に支障が出るかもしれない。
和泉は無事に地面に降り、ようやく校舎へと視線を向けた。
いつもは何とも思わないコンクリート製の校舎も、暗がりに佇む姿はどこか不気味だ。
高校生にもなって学校の七不思議やら幽霊やらを信じている訳でもなかったが、暗闇に何かが潜んでいるかも知れないという潜在的な恐怖はすぐそこにある。例えば、丸腰の自分は野良犬やら変質者に襲われたらひとたまりもないだろう。そんな話を近所で聞いた記憶はないが、用心するに越したことはない。
しかし、誰かに見つかると困るから、スマホのライトは点けないと決めていた。
……もしかしたら、それがいけなかったのかも知れない。
和泉は下駄箱に差し掛かろうとしたところで、謎の光に気づいた。
その光は校舎前の、下駄箱の並んでいる場所から漏れていて、小さく方向を変えている。
光量から考えるに、スマホか何かの簡易的なライトだろう。
――誰かがいる。
それに気づいて、和泉は足を止めた。
ここまで慎重に歩いてきたが、和泉は門を超えるときにそれなりに大きな音を立てていた。誰かがいるのであれば、あの音に気づいていないのは不自然だろうし、自分の存在にこの光の持ち主は気づいている可能性は大きい。
自分の高校に当直の先生がいるのかどうかなんて知らなかったが、もしかしたら自分のように忍び込む生徒を捕まえるために誰かがいる可能性はある。仮にそうで無かったとしても、この時間に校舎に忍び込むような奴がまともであるとは言い難く、不審者で間違いないハズだ。和泉は自分のことなど棚に上げて、そんなふうに思った。
今日は諦めて帰ろう。
そう心を決めたところで、切羽詰まった声が聞こえた。
「どうして、見つからないのっ!」
……。
聞き覚えのある、透き通るような声だった。
こんな夜中に、彼女は苛立ち交じりに何かを探している、らしい。
和泉は警戒したのが馬鹿らしくなって、ため息をついた。
そのままゆっくりと下駄箱へ向かい、中を覗いた。
切通は、こんな時間にも関わらず制服姿だった。
こちらにスカートの尻を向け、もそもそと地面を這っている。探し物は恐らく文庫本だろうし、下駄箱の下の隙間には滑り込まないと和泉は思う。
そんな姿を見下ろし、不意に自分だけが気づいているのがアンフェアに思えた。
声をかけるために口を開く。
「きりが――」
タイミングが、悪かったのだろう。
和泉が言葉を発する寸前に、切通が四つん這いのまま振り返った。
その顔は驚愕に満ち溢れていて、すでに、手遅れだった。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」
切通は、特大の絶叫をあげた。
ひとたまりもなかった。
不意打ちというのが、それほど怖いのだと和泉は生まれて初めて知った。
気付けば、和泉も釣られてか細い悲鳴をあげていた。
そんな自分は、すごくかっこ悪かっただろうと和泉は思う。
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