extra.2 ♀翼の決意
「はぁ……」
深い溜息をつきながらバスに乗った。
数時間に一本しか訪れない田舎の路線バス。
私以外の乗客は一人しかいない。
このまま二十分ほどバスに揺られると中学校へ辿り着く。
私はこの寂しくて退屈な通学の時間が一番苦手だ。
……だって本当は、好きな人と一緒に通学できるはずだった時間だから。
窓から見える変わらぬ景色を見て寂しさだけが募る。
七渡君がいれば、きっとこの通学の時間も幸せな時間だったのにな――
▲
「城木さんおはよー」
教室に入るとクラスメイトの
「おはよ」
「相変わらず死んだ魚の目みたいな顔しとんね」
「えっ、そうかな? ははは……」
桃坂さんの言葉に乾いた笑いしか出なかった。
幸薄そうな顔してるとか、存在感無いよねとか、幽霊みたいだとか……
みんな私のことをそんな風に例えてくる。
でも、そんな言葉も納得してしまう。
実際に生きている実感が無いというか、活力が湧いてないから。
無気力に夏を渡って、秋を巡り、冬を越えて、春を迎える。
ただ時間が過ぎていくのを待っているだけ。
充実とは無縁の空虚な日々……
まるで砂漠の町にでも住んでいるかのように、心が乾ききっちゃっている。
「昔はもっと元気というかイキイキしとったじゃん」
「そ、そうやっけ?」
「うん。ほら、いつもあの活発な男の子と一緒におってさ……」
桃坂さんとは小学校も一緒だったから七渡君のことを覚えているみたいだ。
「あれ? 名前なんやったけかあの男の子?」
「なんやったけね……」
私は忘れたことがない七渡という名前。
いや、忘れることができないと言った方が正しいのかもしれない。
だって今でも一切、色褪せることなく大好きだから……
「あっ、ちょっと元気な顔になっとるよ」
そう言って他のクラスメイトの元に歩いていく桃坂さん。
七渡君のことを考えたからか、生気が戻ったみたいだ。
そんな些細なことが私は嬉しかった。
それぐらいしか、今は幸せを感じることができないんだもん――
▲
落ち込んだ時は手帳に挟んでいる七渡君とのツーショット写真を眺める。
七渡君の顔を見ると、思い出がたくさん蘇って幸福な気持ちが私を包んでくれる。
「そういや、
「えっ?」
隣に座っていたクラスメイトの女子二人の会話が聞こえてくる。
「野球部の田中と付き合ってたじゃんか」
「あぁ……あいつのことなんてもう忘れとったわ」
私は七渡君のことが頭から離れない。
もう会えなくなって四年は経っているのに。
だって本気で大好きだったから。
きっと摩理さんは相手のこと本気で好きじゃなかったんだと思う。
だから簡単に忘れられるんだ。
「あたしぶっちゃけあいつのことあんま好きやなかったんよね。なんかいけ好かないというか、ウザいというか。今まで摩理には言えんかったけどさ」
「そうそう。今思えば、あいつダサいし偉そうなとこムカつく。同じ気持ち」
あたしは七渡君に嫌いなところなんて一つもなかったな……
ちょっと変なところがあっても、それも含めて好きになっちゃう。
七渡君のこと誰よりも好きだったから。
「じゃあ何で付き合ったの?」
「告白されたからノリで」
「あ~そのパターンね」
七渡君のお父さんは不倫をしてしまい、奥さんと別れたという話を近所のおばさんに聞いてしまった。
隣の家には七渡君のお父さんがまだ住んでいて、今では再婚して別の奥さんがいる。
最低なことをしてしまった父親と、それを許せなかった母親。
きっと二人とも本気で相手を好きではなかったからこんな結末になってしまったのだろう。
もしくは好きな気持ちが風化してしまったか……
不倫する父親も理解できないし、それを頑なに許せない母親も私には理解できない。
おかげで七渡君は遠くに行ってしまい、私は絶望を突きつけられた。
だから七渡君のお父さんとは、あの件以降は挨拶をするだけで関わっていない。
私の両親とも食事をすることは無くなっていた。
さらに七渡君の両親は離婚しちゃったから、許嫁の約束はうやむやになってしまっている。
許嫁の約束は無かったことになったという空気感が私の両親からは漂っているけど、はっきりと破綻になったとは告げられていない。
だから私は今でも七渡君のことを許嫁だと思っている。
けど、七渡君は破綻になったと思っているに違いない。
でも、今はそれでいいの。
嫌いにはなっていないと思うし、あたしがずっと好きでいたよって伝えれば、もう一度やり直すこともできるかもしれないから。
不安なのは七渡君が私の知らない相手と結婚してしまうことだ。
まだ中学生だからその心配はないんだけど、七渡君が他の女性と結婚しちゃう前に会いに行かないといけない。
高校生になったらアルバイトを始めてお金を貯めて、東京の大学に進学する……
でも、そのプランじゃ後四年は七渡君に会えない。
そんなの耐えられないよ……
▲
「お母さん、スマホ欲しい」
「高校生になるまでダメって言ってるでしょ?」
家に帰ってお母さんにないものねだりでお願いしたけどやっぱりダメだった。
「スマホあったら七渡君と連絡できるかもしんないから」
「翼……まだ七渡君とか言ってるの? いい加減忘れなさいよ、子供じゃないんだから」
「忘れられるわけないじゃん! 私、本気で七渡君のこと好きやったんやよ……」
お母さんの言葉に反応して、つい声を荒げてしまった。
「いつまでも引きずっていても辛いだけよ。忘れたら楽になるから」
忘れたら楽になるってみんな言うけど、その言葉の意味が私には理解できないの。
好きな人のことを忘れちゃったら、そんなの悲しいだけだよ……
「そんなに思い詰めなくても、これから色んな素敵な人が見つかるわよ。この世界には七渡君以外にも男はいっぱいいるんだからさ」
「七渡君は一人しかいない」
「七渡君より素敵な人はたくさんいるはずよ」
同じ中学校の男子を見ても好きにはなれない。
どうしても七渡君と比べちゃうし、比べてしまうと誰も勝てない。
そもそも私は許嫁だから他の男子のことなんか気にしてたら浮気になっちゃう。
「何でそこまで固執してるのよ」
「だって初めてできた恋人なんやもん。幼馴染でずっと大好きやったんだもん。物心つく頃からずっと傍で一緒にいたし、思い出もたくさんあって、許嫁にもなって……」
「小学生の時の付き合うなんて、お遊びみたいなものでしょ? 中学でも高校でも、背伸びして大人の真似事してるだけで、本気の恋愛じゃない。子供の遊びでしかない」
「もういい!」
お母さんには私の気持ちなんてわからない。
いや、そもそも誰も私の気持ちなんてわかってくれないか……
部屋にこもってベッドで枕を抱きしめる。
寂しい気持ちと悲しい気持ちが募って涙がこぼれてしまう。
七渡君と離れ離れになってから、いったい何度目の涙だだろうか……
「まーたお母さんと喧嘩したんか~?」
部屋に珍しくお姉ちゃんが入ってきた。
最近は大学の受験勉強で忙しかったみたいで関わっていなかった。久しぶりに話す。
「だ、だって七渡君のこと……」
「また七渡君か〜いつまで経っても変わらんねー翼は」
「お姉ちゃんも馬鹿にするの?」
「しないよー私は翼のこと誰よりも凄いと思ってるもん。翼は凄いの」
お姉ちゃんは何故か私のことをいつも凄いで称賛してくれる。
お姉ちゃんの方が頭良すぎて天才と言われているのに……
「凄い?」
「うんうん。そんな一途に誰かのこと好きでいるなんて、私には真似できないもん。しかも東京へ引っ越して離れ離れになってるのに、その思いが一切色褪せることないとか凄すぎでしょーが」
「お姉ちゃん……」
「翼が羨ましいよ~、あたしもそんな恋してみたいしてみたいな~」
私のことを馬鹿にせず、凄いと褒めてくれるお姉ちゃん。
「へ、変じゃない?」
「うん。ぜんぜん変じゃないよ〜。それに私も七渡君のこと知っとるし~確かにあの子は優しくて面白い子やったし、そこまで好きになるのも頷けるよ。きっと私が翼の立場やったら同じく好きになっとったと思うし」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん……」
「例え話だよ!? 別にお姉ちゃんは七渡君のこと好きやないから睨まんといて~」
お姉ちゃんを警戒したら笑われちゃった。
他の女性から七渡君のこと好きとか言われると、やっぱり嫌だもん。
「翼の気持ち本気なの~? 諦められないん?」
「本気だよ。許嫁って決まった時から、もう七渡君と結婚すること考えてるの。そもそも諦めるっていう選択肢が無いからさ」
「ガチなんやね……七渡君に彼女でもいたらどーすんの?」
「お母さんがさっき言っとった、中学生も高校生も遊びで付き合っとるだけで本気やないって」
確かに学校で摩理さんもノリで付き合ったって言っていた。
みんなは遊びで付き合うのかもしれない。
でも、私は違うの。
「確かに学生時代に付き合ってもすぐに別れるし~結婚とかもしないやろうけどね」
「だから別に七渡君に彼女がいたっていいの。きっと相手は本気じゃないだろうし、私とは本気で付き合って結婚してくれればさ」
「七渡君のこと好き過ぎやん……」
「許嫁やもん」
好き過ぎて当然だ。
七渡君はそれだけ好きになってしまうような素敵な人なんだもん。
「私は先に東京行ってるから〜七渡君を調査してきてあげるよ」
「私も一緒に行きたい! ズルいよお姉ちゃんだけさ~」
「ふふふ……じゃあさ~翼も東京来る?」
「えっ?」
お姉ちゃんは受験に合格すれば来年から東京の大学へ通うことになる。
一足早く東京へ行けるなんて羨ましいとは思っていたけど……
「絶対に行く!」
「うんうん。どうせ翼も東京の大学受験して引っ越すつもりやったっしょ〜?」
「それは、まぁ……」
「だったら、もう一段階前に行ってみないん? 七渡君にも早く会えるしさ~」
「でもいいの?」
「翼、七渡君と離れ離れになってからずっと心ここにあらずみたいな感じでお姉ちゃん心配だよ~ここに一人置いてけない。このままじゃ壊れちゃうじゃないかってさ」
流石はお姉ちゃんだ……
私のことちょっと理解してくれている。
「まぁ本音を言うとね~私さ、東京の一人暮らしがちょっと怖いっていうか、生活とか一人じゃできんかも。翼がいてくれた方が心強いんよ~もちろんアルバイトとかして、生活費は出してほしいけどさ」
七渡君に会える。
そのチャンスがあるのなら、私は迷わず飛び込む。
「あ~でもでも~お母さんにダメって言われちゃうかー」
「そうだね、絶対に言われるだろうね」
お姉ちゃんの言う通り、お母さんは反対してくるだろう。
「やっぱ諦めるん?」
「何言ってるの? もう荷造りしてるけど」
「早過ぎでしょ!?」
お母さんがどう言おうと関係ない。
どの道、反対を押し切らなきゃいけない道だしさ。
七渡君のことを想う気持ちは私にしかわからない。
きっと誰も私のことは理解してくれないだろう。
ばかげているだとか、周りが見えていないとか、後先考えていないとか……
でも、それでもいい。誰にどう思われようが関係ないよ。
もう私はそうするしかないんだから。
だって私は、七渡君を諦めることを諦めているから――
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