第25話 ♂慣れている少年


 夏休みはあっという間に終わってっしまった。


 志望校への受験をどうしても成功させたい俺に遊んでいる余裕はなかった。

 だが、応援してくれる地葉や週一で俺に励ましのメッセージをラインで送ってくる一樹のおかげで、折れることなく勉強に集中することができた。


 その成果もあってか、試験テストの過去問の正解率も合格レベルに達していた。


 そして九月が始まり、新たな季節が始まろうとしていた。



「CuOは?」


 休み時間に地葉へ理科の化学式の問題を出題する。


「酸化銅」

「正解。KOHは?」

「水酸化カリウム」

「また正解……凄いな」

「元素記号とか化学式は夏休みの間に全部暗記できたから。問題集やっても間違えることはないと思う」


 地葉の学習スピードは異常だ。

 最初は頼もしいと思っていたが、今では恐ろしさを感じるほどだ。


「何でそんなに早く覚えられるんだ?」

「あたしって今までどーでもいいことはすぐに忘れるようにしてたの。でも、人生どーでもいいことばかりで、記憶がほとんど空っぽだったんだよね。知識とかは大事なことだと思って覚えるから、まだまだいっぱい詰め込める」


 ちょっと凡人の俺には理解できない説明をしている地葉。

 言葉ではそう解釈しても、それを実行しているのは凄いとしか言えない。


「これはまさか……瞬間記憶能力!?」


 いつの間にか隣に立っていた一樹が地葉の記憶力に関して推測をしている。

 瞬間記憶能力なんてのは漫画とかアニメでたまに聞くこともあるが、実際にあるのだろうか……


「写真とかを一瞬見ただけで詳細な部分まで書き写せたりするやつ?」

「そうだ。映像が詳細に記憶されるから、その映像を思い出せば何でも答えられる」

「チートだろそんなの」


 俺は地葉を見つめる。

 気怠そうにしている表情からはとてもそんな能力があるようには見えないが、人は見かけによらないというやつだろうか。


「どうしたの天海?」

「一瞬見ただけで何でも覚えられたりするのか?」

「いや無理でしょ。ちゃんと一度書いて一度読んで暗記してるよ」


 さらっと一度読み書きすれば覚えられることを口にしている地葉。

 瞬間記憶能力ほどではないが、それに近い才能を有しているみたいだ。


「まだかな~まだかな~」


 何かを待ち望んでいる地葉。

 顔を左右にぶらぶらとさせ、こっちを見ている。


「何を待っているんだ?」

「元素記号とか化学式とか全部覚えたんだよ?」

「あ、あぁ……」


 どうやら地葉は褒められ待ちをしていたようだ。

 一樹が会話に介入してきたため、途中で流れが変わってしまったから褒め忘れていたな。


「凄いな地葉は。よく頑張った、立派だよ」

「えへへ~」


 先ほどまでの気怠そうな表情から一気に嬉しそうな表情に変わる地葉。


「何のやり取りだよそれ」


 一連の流れを見てちょっと引いている一樹。


「地葉は褒められて伸びる子なんだよ」

「そーかい。傍から見るとめっちゃ仲良しだぞお前ら、バカップルみたい」

「ほんと!?」


 一樹の言葉に嬉しそうに反応する地葉。

 急に飛び上がったのでビックリしてしまった。


「ああ。でも、二人は苗字呼びだから、実際にはまだ距離はあるんだろうけど」


 一樹の言う通り、俺と地葉は仲の良さの割には苗字呼びが続いていた。


「確かに仲良いのに苗字呼びは変だな……麗奈って呼んでいいか?」


 俺は地葉に確認を取るが、地葉は顔を真っ赤にして硬直してしまい反応が無い。


「麗奈?」


 再び名前を呼ぶが、地葉はさらに目を見開くだけで何も返してくれない。


「一樹、麗奈に無視されてショックなんだが?」

「返事が無いってことは良いよってことだって先生が言ってたろ?」

「そうだったな。じゃ、これから麗奈って呼ぶから」

「あっ……か……」


 念のためもう一度確認したが、声にならないような声を出しているだけで返事は聞こえなかった。


「麗奈も俺のこと名前で呼んでいいからな?」

「なっ」


 俺の提案にビックリした麗奈は、真っ赤な顔で頭を抱えている。

 まさに混乱状態というやつだな。


「天海の名前知らないです」

「前に言っただろ。というか一樹がいつも言ってんだろ」

「覚えてない……」


 俺の提案は拒否されて軽くショックを覚える。


「おいおい自慢の記憶力はどうしたんだよ。一樹これはどういうことなんだ?」

「単に恥ずかしがっているだけだろ?」


 名前で呼び合うのは恥ずかしいか……


 小学生の頃には幼馴染の女の子がいて、いつも名前で呼んでいたから俺には名前呼びにあまり抵抗が無かった。


 さらには中学生になってからは須々木や大塚のことも名前で呼んでいたからな。

 今は距離を感じて苗字で呼んでいるけど。


 そんな経験があるからか俺は特に恥ずかしい気持ちは湧かないのだが、麗奈にとっては顔を真っ赤にするほど恥ずかしいようだ。


「ごめん、麗奈のこと考えてなかった。やっぱりやめるか?」

「絶対にやめないで!」


 麗奈に気を使ったが、やめないでと止められる。

 麗奈は素直じゃないところがあるので、たまに何を考えているのかわからない時がある。


 今も恥ずかしいから止めてほしいのかと思ったが、本人は続けて欲しいと言った。


「じゃあ、麗奈って呼ぶから」

「う、うん……わかったよ、な……な……」


 七渡という俺の名前を呼んでくれようとしているのか、最初の文字だけ口ずさんでいる。


「や、やっぱり無理! あたしは天海って呼ぶから」

「そ、そうか……」


 まさかの俺だけ名前呼びになってしまった。

 もしかしたらまだ麗奈は俺と距離を感じているのかもしれない。


「嫌われちゃったかな一樹?」

「別に嫌われてはないと思うぞ。嫌ならそもそも七渡に名前で呼ばせないだろ?」

「そっか……ならいいんだけど」

「お前が平気でも、人によっては時間が必要なこともある」


 客観的に見てくれている一樹がそう言うのなら問題はないのだろう。


 だが、名前で呼んでくれないのはちょっと寂しさを感じてしまったな――

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