第9話 ♂食われる少年


「まっ、いいや。昼休みに、また」


 急に俺と一樹の元にやってきた地葉はそう告げて、自分の席へと戻っていった。

 しかも昼休みに呼び出しまでされてしまった。

 おいおい、またギャルにカツアゲされちゃうの俺?


「お前、いつの間に地葉と接触したんだよ……やっぱり気になってんだろ?」


 一樹に肩で小突かれる。

 勝手な推測をしているのかニヤニヤとしていやがる。


「昨日の塾帰りにヤンキー達に囲まれているところを助けただけって」

「ヒーローかよお前は。そりゃあの地葉も接触してくるわけだ」


 一樹から絶賛されて嬉しくなる。

 救い方はダサかったが、端的に昨日の状況を伝えると俺さん凄いことしたんだなと自画自賛。


「もっと褒めて。まじで恐かったんだから」

「イケメンかよお前は。普通の男はみんな見て見ぬふりするだろ」

「いいぞいいぞ~」

「異世界転生ものの主人公かよお前は。あいつら序盤でヒロインがガラ悪い連中に襲われているとろをここぞとばかりに助けすぎだろ」

「いいね、もっと欲しい」

「面倒くせーな。ゴミかよお前は。お前の実家きっとゴミ屋敷だろ」

「評価百八十度変わり過ぎだろ!?」


 しつこいと相手は怒ってしまうので、ほどほどにしておきましょう。


「でも、ギャルが苦手なのに助けたのか?」

「……人を助けるのに理由なんていらないだろ」

「かっけーなおい。きっと地葉はお前に助けられて惚れちまったんじゃねーか?」

「そんなわけないだろ。きっと脅迫してカツアゲしてくるに違いない」

「あの様子は俺には何か話したいことがあるように見えたけどな」


 一樹はポジティブに考えているようだが、それは一樹がギャルの恐ろしさを知らないからだ。

 ギャルは自分のためならなんだってしてくるからな。

 たとえ相手が子供でさえもな――



     ▲



「そういえば、最近はもう方言が出なくなったな」


 給食の時間になり、一樹から珍しく方言の話題を出された。


「流石にもう東京に来て四年くらいになるからな。家ではたまに出ちゃうけど、もうすっかり標準語に慣れちゃったな」

「そうなのか。中一の時は時折出ていたイメージがあったけど、最近聞かなくなったなと思ってな」


 小学五年生までは福岡の田舎町にいたため、一樹と出会った中一の時までは方言が時折出てしまっていた。


「どんなこと言ってたっけ?」

「どういう意味をどげな意味と言っていたのは驚いたな」

「うぉおなついな、どげな」


 久しぶりに聞いたワードにほっこりする。

 方言が少し恋しくなってきたな。


「向こうの友達とかいないのか?」

「そもそも同い年の奴が少なかったしな……幼馴染はいたけど」

「男? 女?」

「女の子だよ。しかも正式ではないけど許嫁だった」

「許嫁!?」


 俺には城木翼という幼馴染の女の子がいた。

 鈍くさくてドジっ子で世話のかかる妹みたいな存在だった。

 でも、たまに俺を守ってくれたり、周りに意見をはっきり言ったりと頼れるお姉さんのようなところもあった。


「漫画とかアニメの見過ぎなんじゃないのか?」

「いやこれがまじなんだって」

「許嫁とか、この時代にあんのかよ」


 確かに、許嫁なんてこの時代ではほとんど聞いたことない。

 俺のパターンも、互いの父親が飲みの席で勝手に口約束しただけだからな。


「今でも連絡取ってるのか?」

「いや、もう連絡は取れない。田舎だったこともあってスマホとかお互い持ってなかったしな」

「田舎に帰る機会は?」

「両親が離婚して引っ越したから帰ることはない。九州に戻ることはあるけど」

「……そうだったな。失礼なことを聞いた」

「別に気にしてねーけど」


 元父親が不倫をしたとかどうとかで、俺の両親は小学五年生の時に離婚をしてしまった。

 おかげで母に連れられて大都会の東京に引っ越したこともあり、俺にとってはそこまで悪い話ではなかったんだけど。


 まぁ幼馴染と会えなくなったり、母が仕事に追われて俺が家事をやらなきゃ生きていけなくなったりと、デメリットもたくさんあったが……


「その幼馴染が大学生とかになって上京してきたらどーすんだ?」

「どうにもこうにも、俺のことなんて忘れてるだろ。きっと今ごろ彼氏でもできてんじゃないのか?」


 きっと社会人になって同窓会で再会し、結婚したとか報告受けて軽くショックを受けるパターンになることだろう。


「許嫁なら七渡のことは忘れないだろ。それとも妄想だったか?」

「現実だよ……俺はな、もう女性のことは何も信じられないんだ。好きって言ってくれても、その三日後には嫌いって言ってくる。そういう生き物なんだ。あとお年玉も全部持ってく」

「……須々木のこと、相当根に思ってるな」

「だからその名前は出すなって」


 俺には忘れたい記憶がたくさんある。

 でも、ぜんぜん記憶は消えてくれない。

 いったいどう過ごせば、嫌なことは忘れ去って楽しく生きられるのだろうか――



「もうそろそろ昼休みだな」


 時計を見て嬉しそうにしている一樹。

 こいつ、他人事だからって楽しんでやがるな。


 ふと地葉の方を見てみると、俺を凝視していた。

 ヤバい……あれは食べる気満々の目だ。食われる。


「おい一樹、昼休み一緒について来てくれるよな?」

「は? 俺は無関係だから一人で行ってこいよ」

「鬼かよお前はっ」


 どうやら一樹はついてきてくれないみたいだ。

 親友のピンチにかけつけないなんて、薄情なやつだぜ。


「頼む、死にたくない」

「殺されないから安心しろ」

「どーすんだよ、お金とか請求されたら」

「むしろ逆だろ。助けたんだから改めて礼でも言われると思うが」


 あの地葉がわざわざお礼を言いに来るとは考えられない。


「お人好しの七渡に一言忠告しておこう」

「なんだよ」

「……人の頼みを断るのも大事なことだぞ。自分にとって荷が重いのなら引き受けない方がいいこともある。何かに手を突っ込んだり頼みを引き受けたりし続けると、責任が増えていって、いずれ大変なことになる」

「そーかい」


 この時の一樹の忠告は軽く聞き流していたのだが、もしかしたら一樹はこれから訪れる災難を予見していたのかもしれない――



     ▲



 遂に恐れていた昼休みが訪れ、地葉が俺の元に向かってきた。


「こ、ここじゃ周りの目や耳があるから、人気ひとけの無い所に行くよ」

「お、おう」


 人気の無い所で何すんだよ……

 やっぱり俺を脅迫して下僕にでもするつもりなのだろうか。


「どこか良い所ある?」

「うーん……屋上の入り口前のスペースとかか? 少し埃っぽいけど、屋上が解放されていないから人が寄り付かない」

「なら、そこで。案内してよ」


 俺が歩き出すと地葉は後ろをついてくる。

 遠回りしまくって昼休みを終わらせる作戦もあるが、バレたら血祭りにされてしまいそうだ。


「人のいないところで何するつもりだよ」

「あ、あんたまさかエッチなことでも期待してんの? はぁ……これだから男子は」

「残念ながら俺はあまりお金を持っていないぞ。お金が欲しいのなら二組の田島君とかに声かけろよ、あいつの一軒家にエレベーターとかついてたから」

「は? お金なんていらないし」


 良かった……どうやら金銭を要求されるわけではなそうだ。


「残念ながら俺を下僕にしてもあんまりメリットないぞ。下僕が欲しいのなら四組の小林君とかに声かけろよ、あいつイケメンの癖にドMだからリンスタ映えするぞ」

「さっきからあたしのこと何だと思ってんの!? しかも誰だか知らない男をオススメしてくんな!」


 地葉は俺に詰め寄って吠えてきた。


「違うのか? ギャルはそういうもんだと思っていたが……」

「偏見の塊ね」


 どうやら俺の悪い予感は見当違いだったみたいだ。


「もしかしてだが……」


 金銭でも脅しでもないということは、まさかあの時のように……


「あっ、あたしの相談内容に気づいちゃった? 授業中もあたしのこと見てたし、わかりやすかったか」

「絶対にスカートの中を見せてくれるとか言うなよな」

「言うわけないでしょ! 何であたしがあんたなんかにパンツ見せんのよ!」


 怒鳴ってきた地葉は溜息をついている。

 どうやら最悪のパターンではないようだ。


 屋上入り口前の人気の無いスペースに着いたので、恐る恐る地葉と向き合った。


「それで、何の用ですか?」


 足が少し震えてしまっているが、顔は平常心を頑張って保つ。


「……勉強得意だよね?」

「えっ、いや、別に」

「は? 昨日、塾帰りだったんでしょ」

「まぁそうだけど」


 どうやら塾に通っている姿を見て、俺が勉強得意だと推測されたみたいだ。


「じゃあ得意じゃん」

「塾に通っているからといって勉強が得意なわけではない。ちょいできるぐらいだ」

「そうなの……」


 少し肩を落として残念そうにしている地葉。

 勉強が得意の人でも探しているのだろうか。


「志望校は?」

「駒馬高校一択だけど」

「あたしもそこ行きたいっ!」


 俺の志望校を聞いて前のめりになった目を輝かせた地葉。


「なんだ、やっぱり頭良いんじゃん。しかも志望校一緒なら都合が良い」

「あそこ偏差値63ぐらいだから、そこそこ頭良いぐらいだろ」

「あたしの中では偏差値60超えてたらエリートなの」


 正直、俺はこれから努力を続けることを想定して駒馬高校に合格できそうなレベルだからな。

 エリートなんてたいそれたものではない。


「地葉も駒馬高校なのか……まっ頑張れよ」

「お願いっ! 勉強教えて! そして受験対策もして!」

「え? はぁああ?」


 地葉のまさかの要求に驚く。

 相談内容ってまさかの勉強かよ……


「何で俺なんだよ」

「と、友達どころか知り合いもいなくて頼れる人もいないの。塾にも行けないし。あんたならあたしのこと見捨てないでくれるかなと思って」

「そうは言ってもな……」


 俺に人の勉強を見てあげられる頭の良さもなければ、自分のことで手いっぱいで面倒を見る時間の余裕もない。


「最近、熱心に勉強していたのはそのためだったのか」

「そう。少しでも偏差値の高い高校に行きたくなって……駒馬高校は理想なの。でも、一人で一生懸命やってても何にも身につかなくて、さっぱりわかんない。勉強方法とかも何を勉強すればいいかすらわかんないから、がむしゃらになってて」


 深刻な表情を見せる地葉。

 真剣に悩んでいるのはその姿から伝わってくる。


「そうは言ってもな……俺だって余裕があるわけじゃないし、他にもっと成績優秀なやつもいるだろ? 地葉なら男子にお願いすれば喜んで聞いてくれると思うぞ」

「嫌だ! 男子キモいから一緒に勉強とか無理!」

「俺も男なんだけど……」

「あんたは害が無さそうだから。下心とかも無さそうだし」


 助けてあげたからか、無意味に信頼されてしまっているようだ。


「お願い! あんただけが頼りなの……」


 ギャルと一緒に勉強とか無理に決まってんだろ。

 精神をすり減らすし、俺の受験も失敗に向かうこと間違いなし。

 やってられるかっつーの。


「……しょうがねーな」


 そう、俺は人の頼みを断れない性格なのである。

 自分で自分の首を絞める大馬鹿野郎なのである。


「ありがと! 嬉しい、助かる! まじ感謝! えーっと……あなとだっけ?」

「天海七渡だ。名前ぐらい覚えといてくれよ」

「天海ありがと! 本当に頼りにしてるから!」

「へいへい」


 まぁちょっとアドバイスするくらいでいいだろ。

 向こうも本気でずっと俺に執着したりしないはずだ。


「受験失敗したらどうなるかわかってるよね? 途中でやめられても困るからね? ちゃんと引き受けた責任とってよね?」

「ひぃい」


 おいおい、ヤバいなこれは……

 失敗したら命は無そうだぞ。

 逃げ道を塞がれており、中途半端は許されないという脅しが含まれている。


 ……まぁ、受験が成功すればいいのか。

 ここはポジティブに考えよう。


「ちなみに地葉の偏差値ってどれくらいなの?」

「頑張って40ぐらい」


 終わった……

 偏差値40のギャルをそこそこ優秀な進学校に合格させるとか無理だろ。

 敏腕教師によるマンツーマン指導とかじゃないと無理なやつだ。


「頑張らなくて40であれよ。めっちゃ馬鹿じゃん」

「うっさい! 今まで勉強とか世の中に必要無いと思ってなんにもやってこなかったの!」


 自分の怠惰という過ちを俺に当たられても困る。


「でも、受験成功したら、あんたのこと一生感謝して生きていくから」

「一生とか、簡単に言わないでくれ。そんなつもりもないくせに」


 一生一緒とか、一生好きでいるとか、そんな話あるわけがない。

 ずっと一緒だと思っていた翼は引っ越して離れ離れになった。

 元カノの須々木は一生好きでいるとか言ってたのに三日でフってきた。

 ……一生ってのはもう、俺の中では嘘の代名詞なんだ。


「確かに、少し大袈裟だったかも」

「もっと具体的なことを言って、俺のモチベーションを上げてくれよ」

「じゃあ、あんたのためになんだってしてあげる。それでいい?」


 おいおい、何でもしてくれるとか正気で言ってんのか?

 いや、これはギャルトラップだ。

 エッチなお願いでもすれば、最低と罵ってどっかへ去っていくパターンだ。


「例えば、どんなことしてくれるの?」

「だから、なんだってするって言ってんじゃん」

「俺が実は悪人だとして、その約束を利用してエッチなこととか要求されたらどーすんだ?」

「そんなこと言われたらムカつくけど、あたしが何か言える立場じゃないから受け入れるしかないっしょ」


 どうやら何でもというのは本気みたいだな……

 それだけ本気で勉強を教えてほしいというか、そのためなら何だってする覚悟があるみたいだ。


「まっ、俺はそんなこと言わないから安心してくれよ。でも、やっぱりギャルはビッチだな」

「ビッチじゃないし」

「じゃあなんなんだよ」

「えっ? ちょっとエッチな感じ?」


 まったく……何でギャルはこんなにもエッチなのか。

 俺では手に負えないな。


 地葉の言葉に少し興奮してしまったが、トラウマを思い出してすぐに気持ち悪くなってしまう。


「俺も地葉が賢くなれるように努力はするけど、大事なのは自分の努力だぞ」


 絶賛後悔中だが、引き受けてしまったのならやるしかない。

 もう過去には戻れない。


「うん、頑張る」


 一樹の忠告を無視して安請け合いなんかするから、こんなことになってしまったのだ。

 本当に大変なことになった。

 ただでさえ、俺の受験すら余裕が無いというのに……


 でも、まぁ俺が二倍頑張れば何とかなるかもしれない。

 不可能じゃないなら、死ぬ気で努力して乗り越えればいいだけだ。


「そうだっ」


 何か思い出したのか、地葉は真っ直ぐに俺を見つめてきた。


「あーっと……昨日は助けてくれてありがとう」


 恥ずかしそうに微笑みながら感謝を述べてきた地葉。

 思わずその微笑みに見惚れてしまった――


 普段は怒っている姿しか見ていないので、そのギャップに可愛さを感じてしまったのだろうか。

 苦手なギャルとはいえ、地葉の容姿は可愛くて男子からは人気がある。

 一度も見たことのなかった地葉の笑顔に、俺の心は酷く動揺した。


 ……どうやら、思っていたよりも嫌な奴ではなさそうだな。

 ギャルということで危険なやつとフィルターがかかっていたが、口が悪いだけで少し素直で可愛い人というイメージになってきている。


 もしかしたら、地葉と過ごしていれば俺はトラウマを克服できるかもしれない。

 ふと、そんな気がしたんだ――

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