第72話:ライバル対決




「……昨日は、本当にすみませんでした……っ!」

「まだ言ってるの、モニカちゃん……。気にしないでいいって言ったでしょ?」


 朝、こちらの部屋にやって来て早々、そう言って頭を下げるモニカちゃんに苦笑する僕。全く、律儀というか何と言うのか……。


「気にせずにはいられませんっ! 仕事を完遂出来なかった事は……メイドとして恥ずべきですっ! 先輩にまで手伝って頂いたのに……、巻き込んだ挙句に終わらせられなくて……! 結果、ご主人様のお手まで煩わせる事になるなんて……、わたしは……!」

「……君の仕事に対する熱意は十分に伝わったから! なら、こう言えばいいのかな? その事に関しては咎めるつもりは微塵もないから、そんな泣きそうな顔をしないでくれっ! これは命令・・だよ……!」


 彼女のプロ意識の高さに僕は思わず命令という形で告げる。僕としても女の子を泣かせる趣味はない。

 こうなった原因は何かと言うと……、やはり昨日の出来事だ。あの後、僕はシェリルの温もりに包まれながら仲間たちに見守られる形で寝入ってしまっていた。気が付いたのが夕方だった事から、自分も相当疲れていたのだろうか……。兎に角、気分はスッキリした僕が部屋に戻ってくると……、そこには半泣きになりながらブーコさんに手伝われる形で奔走していたモニカちゃんの姿があった。


(僕の目には十分綺麗になっているように思えたんだけどね……。彼女達からすれば、全然ダメだったという事なのかな?)


 問題ないといくら言っても被り振って否定するモニカちゃんにそれならば自分も手伝うからと話し、何をすればいいと尋ねた僕に慄き困惑する彼女達。自分達の不手際に主人が手伝うなど聞いた事がないというブーコさんを制し、何だかんだと押し問答を繰り返しつつも作業を完遂させたのだったが……、彼女はずっと恐縮していたままだった。とりあえず昨日はそれで帰したが、朝にやって来るなり冒頭のやり取りとなった。


「……優しいんですね。やっぱり、今までの人達とは違う……」

「優しいというより……僕の感覚が他の人と異なるのかもしれないね。軽く話していたかもしれないしアナウンスも何度もされていた通り、僕は他の世界から召喚された転移者なんだ。だから……」

「いいえ、違うと思います。最初にお会いした時から何となく感じてましたけど、これが他の人だったら多分……」


 そう言ってモニカちゃんは何かを思い出すようにして首を軽く被り振った後、僕の方を見つめ、


「……ご主人様、わたしはまだ満足に仕事をこなせない新米ではありますけれど……、どうかこの先もわたしを使って貰えませんか? きっと仕事を覚えて、今回のような事はないようにしますから……!」

「それは勿論……、君から他の人に頼むつもりなんて……」

「いえ、ここにいる間の事ではなくて……、ご主人様がお帰りになる時もそのまま連れて行って貰いたいんです……。専属の、メイドとして……」


 これはまた……思ってもみなかった話だ。でも、彼女は本気みたいだし、適当には答えられない、か……。僕は彼女に向き直ると、


「それは……ストレンベルク王国に連れて行って欲しい、という事かい? それならユイリあたりに頼んで……」

「違います! ご主人様についていきたい、という事です! 仮にご主人様が別のところに行くというのなら、ついていきたいんです!」


 ……どうやら、そういう事らしい。それなら……きちんと伝えておかなければならないかな……。


「そうか……、だとしたら、間に合っているかな? 本来、僕にはメイドの子が付くような立場にはないからね。それに、君だって勝手に国を離れるなんて許されないだろう?」

「それはご主人様が了承して貰えるなら、今日シャロン様にお会いする際に話してみます……! だから……」

「だとしても駄目だよ。君……まだ13歳なんだろう? 確かこの世界では成人と見なされるのが早いとか聞いているけど……、いくら何でもモニカちゃんの年齢ならばご両親の許可は必要になる筈だ」

「……お父さんとお母さんは……わたしを……」


 僕の問いかけにモニカちゃんの顔に影がさす。……正直、シェリルのメイド候補としても考えていたけれど、ブーコさんを専属のお付きとして迎える事となったとユイリから聞いている。僕のメイド云々は恐らくこの国にいる間の一時的なものであるだろうし、先程も言った通り大人びた雰囲気を醸し出していたモニカちゃんはまだ子供だ。そうとわかった以上、尚更所属を変えさせるなどという事をする訳にはいかない。両親の事を話に出され、どこか悲し気な雰囲気を見せていた彼女だったが……、すぐに気を取り直したようにして、


「わたしは既にシャロン様の預かりになってますから、シャロン様が許可を出して下されば問題ありません! ブーコ先輩は既にシェリル様の専属メイドとして転籍になると話してましたし、どうかわたしも……っ!」

「……そもそも、僕は本来メイドさんに付いて貰うような立場に無いんだ。勇者候補としてこの世界へとやって来た訳だけど、僕は元の世界に戻るつもりだから尚の事、君を僕の専属メイドにする訳にはいかないんだよ……」

「わたし、何でもしますから……! もし、ご主人様が望むなら……わたしを好きなようにして貰って構いません! だから……!」


 何やらとんでもない事を言い出した彼女に僕は慌てて、


「な、何を言ってるんだ!? 軽々しく何でもする、なんて言っちゃ駄目だよ! ……それに、僕は子供に手を出すつもりはないよ。君の為にもならないし、僕自身の為にも、ね……」

「な……なら、将来大人になるその時はどうか……! わたし、この時を逃したら取り返しがつかないような気がするんです……! ご主人様、お願いします……っ!」


 必死に懇願してくるモニカちゃん。……彼女に裏がない事はわかってる。純粋に、僕を慕ってくれているのも……。この純粋さも、ある意味シェリルとよく似ている。だけど、彼女の願いを聞いてあげる訳にはいかない。それは、シェリルの想いに応えて彼女と一緒に元の世界に連れていく以上に有り得ない事だ。未成年者に手を出すなどと……、ダメ! ゼッタイ! いくら異世界だといっても許される筈もない……!


「悪いんだけど……、多分君が大人になる頃には僕は自分の世界に帰還してる。出来ない約束をする訳にもいかないよ……」

「そ、そう……ですか……」


 僕の言葉にモニカちゃんが俯いてしまう。何処か暗い雰囲気になってしまったのを振り払うように、僕は殊更明るい声で彼女を励ます。


「大丈夫さ。モニカちゃんくらい可愛かったら、大人になる頃には僕なんかより立派な人が現れてるよ。今、慌てて自分を安売りする必要なんかないさ!」

「…………多分、大人になる前には……わたしは、きっと……」


 消え入りそうな声でポツポツ呟くモニカちゃんを見て、僕はハッと目を見張る。彼女の瞳には涙が浮かび始め……、


「モ、モニカ、ちゃん……!」

「さっきお話した通り……わたしにはもう、両親は……いません。お父さん達は……わたしをシャロン様に……」


 モニカちゃんがポロポロと泣き出してしまうのを目の当たりにして、僕は動揺してしまう。お、女の子を……本気で泣かせちゃった!? どうしよう、と僕があたふたしている間にも、彼女の独白は続く……。


「先日のように……、男の人がわたしに迫ってくる事は1度や2度ではありません……。初めてメイドの仕事についた際も、仕事はいいから自分の相手をしろ、と……。掃除をしている時に身体に触れられて俺の女になれ、と言われた時もありました。またある時は不手際を指摘されて体で払えと襲われそうになった事もあります……。シャロン様や他の先輩が助けに入ってくれなければ、今頃は……」


 ……彼女くらいの美少女ともなると、そういう事も珍しくないのか……? それとも、この国の秩序が地に落ちているだけ……? 確かに子供の体付きではないとは思うけれど……。特にその胸元は……。今だって正直、そちらを見ないよう目をそらしているんだ……。雰囲気だって大人びて見える……が、少し接すれば歳相応のあどけなさもわかってくる。でも、それがかえって男の目を惹きつけてしまうのだろうか……? いずれにせよ、このまま女の子を泣かせたままにするのは僕にとって沽券に関わる。涙を流し続けるモニカちゃんをどう慰めるか必死に考えていると、モニカちゃんはざめざめと泣きながらも自嘲的に笑みを浮かべると、


「……ご主人様に、否定されたらもう……っ! 将来のことなんて、わたしには……! ヒック……自分の、意思なんて関係なく……! グスッ……、連れていかれて……誰かの、モノに……っ!」

「…………そこまで思い詰めていたんだね。ゴメンね、モニカちゃん……」


 ポン……と頭に手を置くと、慰めるように撫でる……。こんな事をされるのは嫌だと思う子もいるかもしれないけれど……、抱きしめるのは論外だし、こうする以外には思いつかなかった。……まるで中学生に告白された教師になった気分だ。その気持ちに応えられる訳もなく、かといって手を出す訳にもいかない……。でも、このまま放っておく訳にもいかない、この何とも言えない感情を噛み殺しながら、彼女の気持ちに寄り添うように接する。

 急に頭を撫でられ少し驚いた様子のモニカちゃんだったが、目を瞑り僕にされるがままになると、やがて嗚咽も止み落ち着いてきたようだった。


「ユイリには話しておくから……。僕の専属として……というのは約束できるかわからないけど、帰国する際に一緒に連れていけるようにとは伝えてみる……。ストレンベルク王国向こうでは、この国のようにやりたい放題にはさせない。きちんと君の人権が配慮されるようにする。だから……もう泣かないで……」

「ご主人、さま……」


 ユイリが認めるかどうかだけど……、恐らくは大丈夫だろう。彼女の事だ、既にモニカちゃんの背景は調査済みだろうし、だから彼女を僕の専属メイドに推したのだと思う。モニカちゃんを気に入ったから、とでも伝えたら、あっさりと許可も下りるかもしれない。……まぁ、色々と面倒な手続きはあると思うけど……。


「ただ、シャロンさんだけでなく、やっぱりご両親にも伝えておかないといけない。大事な娘が預けているところから居なくなったら、心配されるだろうからね」

「……でも、先程も言いましたけど……お父さんたちはわたしを……。わたしの家は名家の人たちとまではいかなくとも、そこそこ大きな商家でしたから、食べるものなんかは困らなかった筈なんです……。それなのに、急にシャロン様に奉公に出される事になって……、学園も辞めさせられちゃったんです。そんなこと、普通は有り得ません。わたしの事が要らなくなったからとしか、思えないんです……」

「だとしたら……、何か事情があった筈だ。少なくとも、君の言うようにもし本当に両親に捨てられたというのなら、シャロンさんに預けられる事にはならなかったと思うよ。……言葉は悪いけど、屑揃いの名家が多い中で彼女は数少ないまともな人だ。君の危惧するろくでもない男たちからも守ってくれている事からも、ご両親はやむを得ずシャロンさんに君を託すしかなかったんじゃないかな?」


 例えば……ある名家がモニカちゃんを差し出すように強く求めてきて、それを跳ね除ける為に更に影響力があり、それでいて娘を託すのに信頼のおけるシャロンさんに委ねた、とか……。モニカちゃんは良くも悪くも目を惹く子だ。初めて出会った時のような事もあるだろうし、その辺りは本当にシェリルに重なるところもある。そんな彼女に目を付けて、強引に自分のものにしようとする輩がいたとしても決して不思議ではない。むしろ、この国の有様を見た限りでは、起こって当然の事のようだとも思える。


「……わたし、ずっと思っていました。どうしてわたしは、こんな顔で生まれてきてしまったんだろうって……。だからわたしはお父さんとお母さんに捨てられちゃったのかなぁって……。この容姿のせいで男の人に言い寄られ、迫られて……。先日だってご主人様たちが来てくれなければブーコ先輩は殺されていたかもしれません。わたしなんかを庇ってくれたせいで……、わたしの、せいで……」

「君のせいなんかじゃない……。悪いのは手を出そうとする男達のせいだ。権力なんかを持ち出して、自分の欲望のままに人を喰いモノにする屑共が悪いんだ。君のような年齢の子供が、本来ならば学校に通っている筈の子が、奉公に出されるような環境を作り出しているこの国がおかしいんだ。……今までずっと我慢していたんだね。気付いてあげられなくて、ゴメンね……」

「……っ! ご主人、さま……!」


 ……しまったな、ますます泣かせてしまった……。まぁ、先程の悲しみの涙ではないし、今まで我慢していたものが溢れてきてしまっているんだろう……。縋り付いてきたモニカちゃんを僕は慰めるようポンポンと労りながら、暫くそのまま自分の胸で泣かせてあげるのだった……。











「どうかなさいましたか、コウ様?」

「いや……、何でもないよ」


 本日の対戦の為に試合会場へと向かう際中、シェリルからの問いかけに僕はそう答える。先程のモニカちゃんとのやり取りもあり、僕の様子に違和感でも感じたのであろうか……。女性はそういう機微に敏感だと聞いた事もあるし、もしかしたら何となく察しているのかもしれない……。怪訝そうなシェリルに何か複雑な気持ちになるも、別に悪い事をしている訳でもない。隠さなければならない事でもないが……、何となく彼女に話す事は憚られた。尤も……ユイリなら僕が報告する前に状況を把握しており、それとなくシェリルに話してしまってる可能性もあるか……?


(いや、モニカちゃんの今後にも関係するデリケートな問題だ。ユイリの事だし、それを風潮するような真似はしないだろう……)


いずれにせよ、あんな事を言われた以上、モニカちゃんを保護する必要はある。彼女が色々と危ない目に遭ってきたのは事実。この国に居ては、いずれはモニカちゃんの言っていた通りになる可能性もあり、この件についてはユイリと相談する必要がある。ご両親についても、僕の想像通りであれば心配している筈だ。兎に角、ユイリには報告しないと……。そう決心して彼女に声を掛けようとした時、『趣味部屋休憩処コレクションレストスペース』内でぴーちゃんが外に出たそうに反応しているのを感じ取った。


「ぴーちゃん? どうし……」


 どうしたの、と外に出してあげるやいなや、バサバサと勢いよく飛び出していくぴーちゃん。一体何が……、そんな事を思いながらぴーちゃんのあとを付いて行くと、やがて目的の場所についたのか、小さく旋回するように飛び回っていた。


「ピュイッ! ピィ―ッ!!」

「……! あれは……!」


 いち早くシェリルが何かに気付き、サッと駆け寄っていく……。見ると小さな生き物が蹲り、その周りをピーちゃんが飛んでいるようだった。


(……燕、なのか? この世界ファーレルの……?)


 駆けつけたシェリルが地面に這いつくばっていた燕を抱えるのを見て、一瞬「鳥獣保護管理法」が脳裏を過るも、すぐにその考えを振り払う。ここは異世界、僕の基準は当てはまらないし、その法律で問題になりそうな事も大抵解決できそうだと思い至った。何より……ぴーちゃんを始め、モンスターであるシウスすらも助けた自分が言う事ではないかと苦笑してしまう。シェリルの下へと駆け寄ると、既に神聖魔法を試みているようで……、


「その燕の具合はどう……?」

「……とりあえず最悪の事態は避けられると思いますわ。ですけど傷だらけで……、何かと争ったのでしょうか……?」


 確かにボロボロといった印象を覚える。どこかシクシクと泣いているようにも見えるけど……。


「……状況を見たところ、人為的な跡が見られるわ。その野鳥、レルツバメよね。巣が切り取られた跡もあるし……、いくつか割れた卵も見て取れる事から誰かに襲われたとみて間違いなさそうね」

「この世界では……野鳥も狩りの対象になったりするのかい?」


 もしもそうならば僕がとやかく言う事ではないけれど……。そう尋ねる僕にユイリは首を振り、


魔物モンスターでもない動物を狩る事は原則禁止されているわ。家畜として飼っている動物でさえ、国によっては殺傷する事を禁じているし……、ましてレルツバメは渡り鳥よ。魔物が蔓延る大空でも上手く切り抜けてやってくる貴重な生き物でもあるのに、それを狩るなんて有り得ないわ」

「……恐らくは、この子の番……が狙われたのかもしれませんね」


 ユイリの説明に、大方僕の世界の見解とほぼ同じかと納得していると、シェリルが少し悲しそうにそう告げる。


「シェリル? どういう意味だい?」

「この子は雄のようですけど……、レルツバメの雌は極稀に子安貝を卵と一緒に産み出すとされています。子安貝は安産を象徴とする極めて貴重なお守りとなるので……、それを産む雌は狙われると聞いた事がありますわ……」

「そうね……、それを闇商人が狙った、というところでしょう。ついでに燕の巣も高級食材として扱われる国もあるわ。確かイーブルシュタインも、そうだったわね。卵も狙われ、番も連れていかれそうになり、抵抗した結果……死にそうになっていたという事でしょうね……」


 ……もう何が起こっても驚かないけど、またイーブルシュタインか。まぁ、この国の闇商人がやったのかはわからないけど、いい加減ウンザリしてくる。最早、この国要らないんじゃね……と何度そう思ったかわからない。大分回復してきたのか、僅かに身じろぎする燕を見つつ、


「この燕……、どうする? そもそも、僕らが勝手に保護していいの?」

「本当なら『動物の知識』を所持する医師か僧侶に託したいところなのだけど……、この国では誰が持っているかもわからないわね。私も流石に『動物の知識』の能力スキルは持ってないし……」

「……わたくしが持っていますわ。ある程度なら言葉もわかりますし……、助けてあげられるなら連れていかれたこの子の番も取り戻してあげたいですし……」


 シェリルはそう言ってユイリを見る。見つめられたユイリは小さく息を吐き、頷くと、


「ちょっとこの国に駐在させた者に確認をとってみます。場合によっては『暗黒の儀礼』にも聞いてみましょう。向こうにはイレーナを向かわせていたし……、いえコウ、貴方もニックに確認をとって貰えるかしら?」

「……ん、わかったよ。……僕もちょうどニックに聞いておきたい事もあったし、ね……」


 蛇の道は蛇……と言う訳ではないけれど、彼ならば裏で開催されているであろう闇市ブラックマーケットについてもある程度は顔が利くだろうし。モニカちゃんの事情も聞いて、改めて人身売買の事や以前に伝えていた事についても話しておきたい事もあった。そして、とりあえず燕の保護には僕の『趣味部屋休憩処コレクションレストスペース』を利用する事とする。ある程度動けるようになったレルツバメをぴーちゃんと同じところに入れてあげると、まるで世話を焼くようにぴーちゃんが色々してあげているようだ。最近、お気に入りの『五色の卵』を一緒になって温めるよう促している。そんな様子に苦笑していると、


「……コウ様、少し宜しいでしょうか……?」

「シェリル? どうかしたかい?」


 意を決したようにシェリルが声を掛けてくる。いつにない様子に少しドキッとしてしまうも、少し躊躇いつつシェリルは口を開く。


「本日の夜、ちょっとお時間を頂けませんか……? 恐らく次の試合で当たる方について、お話しておきたい事があるのです……」

「次の試合って……、まだ今日の試合も終わってない内から話す事じゃないんじゃない……?」


 今日の相手について、負けるつもりはないが、絶対に勝てると思える相手でもないんだけど……。僕がそう答えると、シェリルは軽く微笑みながら左右に首を振って、


「わたくしはコウ様を信じておりますから。それよりも次のお相手は……気を抜くとお生命いのちを落とす事にも繋がりかねないのです……」

「もしかして……またこのイーブルシュタイン関連、という事かい?」


 自分の命を狙ってくる相手となると……色々限られてくる。しかしシェリルはすぐに否定すると、


「いえ、コウ様を殺すべく仕掛けてくる訳ではありませんわ。ただ……あの方は例えればグラン様と同じくらい、まさしく英雄と称えられた方なのです。ですから……」

「グ、グランと同じくらいの強さだって……!? そんな人がどうして……。いや、それよりもどうしてシェリルがそんな事を知っているの?」

「昨晩、色々とあったのよ。その件については貴方からの話を聞いた後で……簡単に教えてあげるわ。詳しい話は姫から聞きなさい?」


 意味ありげにユイリからそう伝えられる。……そこまで言われたら、もう何も言えないじゃないか。まぁ、今日の試合はある種、身内同士の戦いだ。お互いに身の危険が及ぶ、という事にはならないだろう。師匠なら大丈夫ですよ、などと言ってくるアルフィーにも曖昧に笑いながら応えつつ、本日の対戦相手の事を思い浮かべる。そう……、今日僕が戦う相手は……。






『……大変長らくお待たせ致しました! それでは本日の最初の対戦カードを発表致します。まずは……昨日の試合で優勝候補であるシームラ選手を打ち破るという大番狂わせを巻き起こしたコウ選手の入場です!』


 大会の司会進行役のアナウンスに従い武舞台へと歩を進めていく……。アウェイだからか、はたまたイーブルシュタインの英雄とされたシームラを破ったからなのか、ブーイングのようなものが響く中、武舞台へ上がると続けてアナウンスが流れる。


『続けて……同じくストレンベルク王国出身であり、新米ながらも冒険者として目覚ましい活躍を見せているというジーニス選手です! こちらは一回戦、相手をほぼ完封するという形で勝ち上がりました! 果たして今回はどういう試合展開を見せるのか……、目が離せません!』


 そんな紹介の中で同じく武舞台へと上がってくるジーニスと目が合い、お互いに笑う。訓練の際に模擬戦として手合わせする事はあっても、このような場できちんと対峙する事は無かったかもしれないな……。


「コウ、本気で来いよ! 手加減なんかしたらぶっ飛ばすぜ!?」

「ああ、君とはそろそろどっちが強いか白黒つけたいと思っていたんだ。模擬戦では有耶無耶にしてきたけど、今日こそ決着をつけよう……!」


 彼の言葉にそう返すと、僕は持っている左文字をぎゅっと握りしめる。もとより手加減をする気など毛頭ない。正々堂々とぶつかり合い、雌雄を決してみせる……! 常日頃、時間があれば共にガーディアス隊長による訓練指導を受けていたが……、彼とは別に地獄の特訓も叩き込まれているのだ。負ける訳にはいかない……! 尤も、ジーニス達も独自で冒険者ギルドの共同任務ジョイントミッションで他のパーティやクランと一緒に依頼クエストを凝らすなどして経験を積んできたようではあるが……。


『……なお、シームラ選手ですが、今では意識を取り戻し、徐々に回復に向かっているとの事です。心配されたファンの方々や我々にとっては朗報ですね。次回開催時には彼には是非とも戻って来て貰いたいものです……!』


 ……アイツ、意識を取り戻せたのか。こちらから提案したという聖女ジャンヌさんの派遣が断られたとの話だったから、一生意識は戻らないと思っていたんだけどな……。そんな簡単に精神の復帰を果たせる程、『景王幻魔剣』はぬるくない筈だけど……、余程イーブルシュタインの治療技術が整っているのか、はたまた相手を再起不能にする覚悟が足りず、技が中途半端に決まってしまったのか……。まぁひとつ言える事は、再び僕を殺そうと襲ってくるのなら、返り討ちにしてやるという事だ。相手が『景王幻魔剣』の本質を見抜けない限り、何度でも同じことが繰り返されるだけ……。それに『景王幻魔剣』は秘匿されてきた禁断の秘技だ。過信する訳ではないけど、そんな簡単に全てが解析される程、先代勇者の編み出した天神理念流は甘くはない。

 どうやら大会予想ブックメイカーも落ち着き、長ったるかったアナウンスもいよいよ終わるようだ。人知れず『評定判断魔法ステートスカウター』をジーニスに対して唱え、最低限の情報と位置は特定できるようにしておく。そして試合開始の声が掛かり……、それと同時にジーニスがこちらに向かって突進してきた。相手の『疾風突きチャージスラスト』からの一撃を受け止め、キーンと金属同士の甲高い接触音が響き渡る……!


「いくぜ、コウっ! 気を抜いたら一瞬で終わっちまうぞ!!」

「そっちこそ……! 勝負は一瞬の中にこそ神髄があるんだ! それが……天神理念流の極意でもあるっ!!」


 僕が刀で払いのけるも、すぐさまジーニスがバックステップから再び袈裟懸けに剣を振り下ろしてくる。今度はパリィで剣を弾き、回し蹴りを繰り出す……が、蹴りが当たるのと同時に飛びのいて威力を殺しつつも距離を取った。僕はすぐさま追撃するように詠唱破棄にて『掃射魔法エネルギーショック』を撃ち込むも、ジーニスはそれを抵抗レジストして受け止めた。……魔法に関しては自身の魔力を活性化させてダメージを少なくするという防御法がある。全然効いていないという訳ではないだろうけれども、魔力を衝撃に変換して撃ち出したというのに戦闘の継続には何ら問題はない様子だ。


「……大気に満ちたる水の粒子よ、周囲を覆う目眩ましと化せ……『濃霧魔法デンスフォッグ』!!」


 ジーニスが短い時間で魔法を完成させると、周りを濃い霧が覆ってくる……! 視界が悪くなり、目の前のジーニスの姿も霞が掛かり見えなくなっていくが……、


「……! そこだっ!」

「やっぱりお前の隙は突けねえかっ!!」


 霧の中の僅かな変化を見極め、ジーニスからの奇襲に対応する。僕と同様に彼も常日頃より『重力魔法グラヴィティ』を掛けて鍛えている。その為に常人に比べてより素早い動きが出来るようになっているが……、それでも目に追えない程ではない。速さだけなら右に出る者は居ないというユイリが身近にいるのだ。まして『評定判断魔法ステートスカウター』も掛けている以上、彼を見失う事はない。

 そのまま剣閃が飛び交い、拳打に体術が絡み合う乱打戦となり、絶えず互いの攻防が入れ替わる展開が続く……。相手の体勢を崩す為の細かなやり取りに加え、移動しながらも繰り広げられる技の応酬に一時たりとも気が抜けない。詠唱の隙なども与えない為、すぐに魔法を放てる分、僅かに僕の方が形勢が有利だろうか? 体力についてもジーニスが肩で息をし出しているのに対し、僕は少し息を乱し始めているに留めている為、その点でも状況は良くなっているといえるだろう……。


「……ふぅー、流石にやるなぁ、ジーニス! こんな風に真正面からぶつかって白熱する戦いは初めてだから……ちょっとだけワクワクしてきたよ!」

「ハァハァ……、お前の方は随分と、余裕があるな! ……ハァ、流石にコウ相手では、一筋縄ではいかねえか……」


 するとジーニスは大きく深呼吸をして、今まで以上に集中し出した。……何か仕掛けてくるつもりか? 僕は警戒するように刀を正眼に構えると、


「…………俺のとっておきを披露するぜ、この……『憧憬の幻』をなっ!!」

「憧憬の幻……?」


 それは……能力スキル名か? ジーニスがそう呟くと……その姿が掻き消える。


「なっ!? 消え……っ」


 次の瞬間、ピピピッという警戒音が脳内に響く。それが『評定判断魔法ステートスカウター』の位置情報であるという事を認識する間もなく咄嗟に前に飛び出すと、すぐ後ろをジーニスの剣閃と思わしき閃光が瞬いた。な、なんだこの速さスピードは……!? 少なくとも、先程までとは雲泥の差だ。もしかしなくても、僕より早いかも……。ニヤリと笑みを浮かべながら、霧が立ち込める武舞台に悠然と立ちはだかるジーニス。その姿は心なしかオーラすら立ち上っているような錯覚も覚える……。驚愕する僕に対してジーニスは無造作に剣を構えながら口を開いた。


「……さっきも言ったろ? 気を抜いたら……一瞬で終わるってよっ!!」

「……クッ!! これは……っ!!」


 その言葉が終わると同時に地面を蹴る音がしたかと思うと、再びジーニスの剣先が急速に迫ってくるのだった……。



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