第68話:本戦前のひととき




 ――大会会場、救護室にて――


「……大丈夫かい?」

「ああ……、おかげで助かったよ。随分楽になった……」


 大体の応急処置をしてその容態を伺うと、カートンさんはそう言って弱弱しく笑う。


「無理すんなよ……、針に仕込まれていたのは麻痺と猛毒を誘発する仕様だった合成毒ブレンドポイズンだったそうじゃねえか。毒の方はコウがその場である程度和らげたとはいえ……、暫くは身動きすらもままならない程強力な麻痺症状が出てたんだろ? 今だって相当きつい筈だぜ」

「ジェニーちゃんが『麻痺治療の奇跡アンチパラライズ』を掛けたとはいえ……、暫くは身動きもままならないだろうよ。毒まで回っていたとあっては……、どうしょうもなかったんじゃねえか?」


 あれからすぐに救護室へ駆けつけてきたカートンの仲間たち、セカムとシクリットがそんな軽口を叩く。彼らはユイリ達と共に現れたのだが……、黄色の髪をストレートに背中まで棚引かせた少女が真っ先にカートンさんの傍に駆け寄り、介抱した後ぞのまま付きっきりになっている。そんな様子を苦笑しながら見ていたセカム達に少し遅れてやってきたクインティスさんが、


「相変わらず騒がしいねアンタ達は……。仮にもここは病室だよ、煩くするなら出ていきな」

「いやいや姐さん……、俺らはただ話していただけだぜ? 煩くなんて……」

「そういうところが煩いんだよ。有無を言わせず叩き出されたいかい?」

「……止めとけよ、セカム。気が立っている姐さんに何を言っても無駄だぜ」


 ……確かに何処か機嫌が悪そうだ。イライラしているようにも見える彼女だったが……、ジェニーさんの事をチラリと見た後、僕の方に向き直り、


「……コイツが世話になったね。今こうしてカートンが生きているのは間違いなくアンタのお陰だよ」

「とんでもないっ! むしろ……僕のせいで彼が巻き込まれてこのような目に遭ったというか……」


 今回の件は客観的に見なくても、僕が狙われたのは言うまでもない。大会中の事故と見なして暗殺を試みてきたのが、あの毒針攻撃だ。幸い僕には通じなかったから良かったものの……、そのせいでカートンさんは生死を彷徨う事になってしまった。……これでは本戦への出場も厳しいだろう。


「……先日のダンジョンでの出来事と同じです。また……僕が騒動に巻き込ませてしまった。まだ首謀者はわかっていないんですけど……、僕が狙われたのは確かです」

「それでも選んだのはカートンだよ。アンタを支援する事を選んだのはね。そして……不覚をとったのもコイツの責任さ。アンタが気に病むことはない……。それに、アンタがあの場でカートンを助けなかったら、こうしてここで寝てる事も出来なかっただろう。……他の参加者たちのように、ね」


 ……ユイリより他の参加者がどうなったのかは聞いている。積極的に僕の抹殺に関わって毒針を受けた連中は全員の死亡が確認された。攻撃には参加せず付かず離れずに様子見に徹していた連中も、強風に吹き飛ばされ発見された何人かは残念ながら亡くなった者もいる。そして今もなお、見つかっていない人も多い……。


「アタイはアンタに教え込んでいた筈だよ。決して気を抜くな、とね……。如何に不意を突く攻撃だったとはいえ、冷静に対処できただろうに……。わかってるのかい!? アンタ、危うく死んでたんだよ……っ!!」

「…………ゴメン、クインティス……さん……」

「クィンティス様……っ! お気持ちはわかりますけど、せめて今は彼を休ませてあげて下さい……!」


 項垂れるカートンさんを見て、ジェニーさんがそう抗議する。それを見て肩を竦めるクインティスさんだったが……、


「……無事でよかったよ。危うく……アタイは旦那様からの言いつけを守れないところだった……」

「…………姐さん、らしくないんじゃ……」

「バカッ! 黙ってろ、シクリット! 聞こえるだろっ……!」

「…………聞こえてんだよ、馬鹿共がっ!!」


 そのように吐き捨てて二人に制裁とばかりに拳骨を落とす。そんなやり取りを尻目に僕はユイリに問いかけた。


「それでユイリ……、結局針を飛ばしてきた実行犯は確保できたのかい?」

「……一応確保には成功したわ。ただ……」

「……残念ながらその身柄は抑えられなかった。だから手掛かりは掴めていないというのが正しいわね」


 言いよどむユイリを引き継ぐ形でロレインがそのように続ける。


「……? どういう事? 確保したのに身柄を抑えられなかったって……」

「言葉通りの意味よ。確保した瞬間に消えてしまったのよ。まるで溶けるように、ね……」


 ? ……一体ユイリは何を言っているんだ? 要領を得ない回答に疑問符が浮かんでいると、


「……錬金魔法。聞いたことはないかしら? それによって産み出された人工生命体……ホムンクルスだったのよ」

「ホムン……クルスだって……?」


 ――錬金魔法。それは所謂僕が知っていた錬金術という、自分の居た世界では空想上の学問とされた技術を特殊な魔法として確立しているらしい。等価交換といった概念も存在するらしく、もしかしたら賢者の石なんてのもあるのかもしれない……。


「証拠隠滅の為とはいえ、取り押さえさせた瞬間に消滅させるなんてね……。これは一筋縄ではいかないわよ……」

「……錬金魔法の使い手となれば国の上層部で管理されるはず。……恐らくは関連があると思う。残念ながら……根拠はないけれど」

「まぁ……いずれわかるだろうさ。あの皇太子の息が掛かっていないというのは、今までの流れ的に無いかな……? 僕を紹介された際の煽り方といい、内情を知っていないと出来ない事だと思うから……」


 まさかの錬金術、ホムンクルスという内容にこの世界、最早何でもアリだな……と内心思っていると、例の子兎を抱いたシェリルがこちらへやって来る。部屋に入ってきてからも会話には加わらずに、ずっとその子兎をあやしているようだったシェリルだが、カートンさんの傍にやってくると胸に抱いた子兎が彼のもとへと飛びついた。


「シェリル、急に何を……? 確かその子兎、フレイ……って言ったっけ?」

「フ、フレイだって!? ま、まさか……この子兎が……!?」


 いきなり飛びついてきて、自分のところから離れずに泣いているその子兎に戸惑っていたカートンさんだったが、その名前を聞いて目を見張る。


「そ、そう言われれば……あの化け物カオスマンティスの気を引いてくれた……! あの時の兎かっ!?」

「じゃあ、転移に巻き込まれた小動物がたまたまあの場に迷い込んでたんじゃなくて……、ピンチになった俺をフレイちゃんが助けてくれていたのか……」


 ……この子兎、カートンさん達の仲間だったのか。という事は……、今の子兎の姿は本来のものではない……? その疑問に答えるかのようにシェリルが続ける。


「……わたくしには少しですが動物たちと意思疎通を諮る事が出来ましたので、彼女のおかれた事情はわかりました。兎耳バニーレイス族には『ラビット化』という種族独特の能力スキルが備わっているようですが……、どうやら強い恐怖に襲われた後遺症で元の姿に戻れなくなってしまっているみたいですね。ですが、貴方が傷つき倒れる姿を見て、居ても立ってもいられなくなったようですわ」

「そう……だったのか。でも、無事でよかった……。有難う、君たちが彼女を保護してくれていたのか」


 カートンさんが子兎フレイを愛し気に撫でながら此方に向かって礼を言ってきた。そしてクインティスさんも……、


「生きていたかい、全く……ドンくさいアンタが生き延びていたのは奇跡に近いね」

「…………ヴィー……」

「ク、クインティスさんっ! フレイさんが生きていたんですよっ!? そんな言い方……っ!」


 そんな物言いにジェニーさんが抗議するように詰め寄るも……、それを柔らかく制した彼女は、


「いいんだよ、ジェニー。それで……この子は元の姿に戻れそうなのかい?」

「……トラウマから来ている恐怖を癒すには聖女様にお願いするのが一番です。ただ……ご存じかと思いますが、現在聖女様は教国の関連で色々お忙しいので……、面会には暫くかかってしまうでしょうけど……」


 ……シェリルの言う通り、今ジャンヌさんはイーブルシュタイン内にある教会にて掛かりきりになっているようだ。勇者関係はストレンベルク王国であるが、聖女関連は教国ファレルム総本山の預かりであるという……。


「……そうですか。なら……」

「ブイ……?」


 シェリルの話を聞いたカートンさんは納得するように頷くと、自身に縋り付いていたフレイを優しく撫でた後、そっと抱きかかえて、


「フレイを……このままお願いしてもいいですか? 僕はこの様で暫くは動けないでしょうし、セカム達同様クインティスもまだ例の後遺症が完全に抜けた訳じゃない……。今の僕たちじゃ仲間を、この姿になったフレイを守れないでしょう。幸い、フレイは貴女方に懐いているようです。僕らが完治するまで……どうか彼女をお願いします」

「アタイ達じゃ教国に伝手がある訳でもないしね……。今のアタイ達にドンくさいこの子を見ていられる余裕もない。…………ま、生きてくれてて良かったよ。死なれてたのは、夢見が悪かったからねぇ……」

「……ヴィッ!!」


 口は悪いけど、クインティスさんなりにフレイの事を心配していたようだね。フレイもそんな彼女の言葉を聞いて驚くもののどこか嬉しそうにもしてる。……シェリルがカートンさんからフレイを受け取り、


「わかりました、貴方方のお仲間は責任をもって預からせて頂きますわ」

「もう聖女様の方へは話は通しているから安心して。このコが元に戻れたらまた連絡するわ」

「……何から何まですみません。この御恩は忘れません。その代わり、僕自身はそこまで影響力はありませんけど……」


 申し訳なさそうにしながらも、カートンさんがそう口にして……――











「『パートン家』が名家として後ろ盾になってくれる、かぁ……」


 カートンさん容体を見届けて救護室を後にした僕は彼からの言葉を反芻する。


「この国の権力者にはどいつもこいつもウンザリしていたけど……、もし本当に後ろ盾になってくれるとしたらどうなの?」

「私達にとっては有難い事ね。見ての通り、イーブルシュタインという国はストレンベルクと比べても技術力、経済力共に上回っているわ。名家はストレンベルクにおける貴族と同等の存在で、そのひとつが協力的になってくれるだけでもかなり違ってくるわね」

「どういう事? 別に戦争を仕掛ける訳でもないだろうに……。情報云々だったらユイリが諜報に出しているストレンベルク側の人間もいるだろうし……」


 事実ユイリはそれらの諜報員を束ねるような立場にいるみたいだし、別に何も変わらないような気もするけれど……。向こうだって少し力になってくれる程度で、国を裏切ってまで僕達を助ける気はないだろうし……。そんな僕の疑問に答えるようにユイリは、


「イーブルシュタイン連合国において名家が他国の人間に力を貸す事は許されていない筈よ。……そうよね?」

「……ええ。共和制を謳ってはいるけれど、実質は皇室の力が大きいの。名家は皇室に絶対の忠誠を誓わなければならない……。今回の件がバレたら只ではすまないでしょうね。……パートン家は姉が嫁いだ家よ。恐らくは私に起こった事情も彼経由で伝わっているでしょう……。貴方が受け取ったソレはただの紙切れじゃないわ……。あの子カートンがパートン家の恩恵を受けられる証明書のようなものよ」


 彼なりの覚悟の証なんでしょうね……とロレインが呟く。僕がカートンさんがくれたその用紙を見ていると、


「確かにイーブルシュタインは同盟国であって、決して敵対している訳ではないわ。でも、国力の違いからイーブルシュタインは対等だとは見ていないでしょう。それはこの国に入国してきた時からの対応で貴方もわかった筈よ。まぁ、合併と称して国をどんどん大きくしてきたから、我が国もいずれそうしようと思っていたのかもしれないわね……」

「そういえば……、レイファニー王女も色々と驚いていらっしゃいましたわね……。この国の皇太子様との婚姻がまだ水面下で続いていらっしゃった事は特に……」


 ……成程ね。世界同盟という形で同胞ではあるけれど……、その内容は決して一枚岩ではない、という訳か……。


「だから、他国にも諜報員を入れる必要があるのよ。特にこのイーブルシュタインには……ね。それでも調べきれない内容が多いわ。その王女殿下の件も然り……、シャロン嬢があんな理由で皇太子妃候補から下ろされていた事も把握できていなかったのよ。それだけこの国の防諜技術が高いというのもあるけれど……、基本的に名家も皇室と結びついていて中々手出ししにくかった……」

「……恐らくそのパートン家の保証書は皇室が気付かない限り、中々の効力を現すと思うわ。……テディーレット家のように、実質名家の資格を凍結されない限り……最低限の恩恵は預かれるとでしょうね」


 すぐにそれを感じられるところがあるわ……。そう言うロレインに付いていった先が……、


「『カプセル屋』……?」

「確かにここなら手軽に感じられるでしょうね。……コウ、入るわよ」


 ユイリに言われるままに店に入ると……、


「いらっしゃい、早速だが身分証を見せて貰えるかい? 規約により、国から証明されている物がないとお売り出来ないのでね……」

「……これを。貴方たちは先程の用紙を見せて」


 カートンさんから預かった用紙を見せると店主の顔が一瞬にして朗らかなものに変わる。


「おや、パートン家の方々でしたか。それなら全てのカプセルが購入できるよ。持ち出しならば参類までの物となるがね。……そちらのお嬢さんは肆類までしか売れないが、この方々の連れであるなら問題ない」

「……有難う。私は買わないから問題ないわ。……案内はそうね、貴女たち、お願いできるかしら?」

「わ、わかりました! 任せて下さいっ!」


 そう意気込んでモニカちゃんが答えるも、それをブーコさんが上手くフォローしながら教えていってくれる。店内は一面同じ商品が取り扱われている。『収納カプセル』と呼ばれるもので、それがそれぞれの用途で分けられ陳列されていた。


 壱類から伍類までに分けられたソレは、必要な時に取り出す事が出来る専用の道具で、伍類は食べ物や小物の道具アイテム等が収められているらしい。その中でも時間経過や状態を保存する作用がある高等なカプセルは、それ自体が弐類に分類されている。

 肆類は容量が少し大きくなりそうな道具アイテムや家具といった物が挙げられている。家具も椅子やテーブルといった簡易な物と決まっているようで、特殊な魔法等が掛けられたり特別な技術で施工させた物は含まれない。

 参類からは簡易コテージや携帯型カプセルハウス……、謂わばアウトドア用品といった冒険者にはあったら便利と呼ばれる物ということで、武器や防具のメンテナンスも兼ねた特殊な機能を備えた物もあるという……。この辺からは生活魔法である『収納魔法アイテムボックス』の効力を上回ってくる……といったところか。


「弐類は……先程も出てきました時間を調整したり、状態をそのまま保存出来たりする機能が使われているものとなります。ここからは国から持ち出すこと自体許されていません。空のものにそれぞれ『魔法工芸品アーティファクト』や宝物を収納したり、さらに改良したカプセルには生物もそこで生活できたりも出来るといわれています。カプセルによっては魔法や火や雷といった形のないものであっても収めることが出来るみたいですよ! ……わたしも見たことないですけど」

「そんなの本当に上の人しか使ってないでしょ。……壱類に関しては殆ど秘匿されています。わかっているのは弐類で出てきた用途として使用されていたり、イーブルシュタインの秘蔵技術をふんだんに使われたものとして伝わっているみたい……です。だからこの店で買えるものは実質参類までで……、弐類以上となると置いてないと思います」

「おやおや心外だねえ……。カプセル自体は置いてあるよ。それこそ壱類で使用する最新式のカプセルも、ね……。ま、売るなら管理を含めて極めて厳しいものになるのは間違いないが……。それに弐類以上に分類されている魔空車やシュタインズハウスも収納された状態で置いている……。自慢じゃないが、皇都で一番のカプセル屋だと自負しているんだ。滅多な事は言わないで貰いたいね、お嬢ちゃん達……」


 モニカちゃん達の説明に苦笑したように店長さんがそのように補足する。カプセルの説明は……わかった。高度な技術が使われているのは間違いない。言ってしまえば某漫画にあったホ〇ポイカプセルだ。便利な物には違いないし、元いた世界にも当然そんな技術はなかったが……、僕の中で一つ疑問が生じる。そんな疑問を解消させるかのようにロレインが小声で、


「……ユイリさんが既に説明しているかもしれないけれど、イーブルシュタインでは必ずしも魔法を使える人ばかりがいる訳ではないのよ。むしろ……使えない人の方が多いでしょうね。ほぼ当たり前のように生活魔法を使いこなすストレンベルクの人からすれば物体を収納する技術なんて当たり前のものに思うかもしれないけど、ね……」

「そういう事か。確かに『収納魔法アイテムボックス』や『物品保管庫』の能力スキルがなければ必須なレベルのアイテムではあるけど……」


 尤も、こんな物がひとつでもあれば元の世界においては革新的な発明として、文明を一段階進化させる事になるだろうけれど……。ん? 待てよ……、『神々の調整取引ゴッドトランザクション』を使えば何時でも取り寄せられるんじゃ……? そう思って内緒で能力スキルを発動させてみるも……、


(えー、収納カプセルは、と……!? な、何だ!? 制限が掛けられている……!?)

『……秘匿魔法コンフィデンションが掛けられているからニャ。元々特別な世界として扱われるファーレル自体に掛けられたものだったのニャけど……、魔法として確立させた事によって個々の物にもその作用が掛かるようになったようだニャー』


能力スキルを起動させた段階で女神の眷属たるニャーニャーが補足するようにしゃしゃり出てくるも……、僕は表示された情報を確認していく。ニャーニャーの言う通り、制限が掛けられている収納カプセルは価格が表示されているだけで、購入することは出来ないようだ。……尤も、『神々の調整取引ゴッドトランザクション』での表示額は高く、買えたとしても店で購入する方が安く済みそうだけど……。


『確か兄さんが考案したっちゅう魔札作成魔法カードクリエイション魔札召喚魔法コールカード秘匿魔法コンフィデンションが掛けられてるんじゃなかったかニャ? だから兄さんの意図する所属の人間しか扱えなくなってるはずニャ!』

(ああ……、だから例の皇太子サマがこちらに認めるよう言ってきてた訳か……。自分たちはこうやって厳重に管理してるというのに……、全く勝手な……)


 話が出てくるたびにその自分勝手さが伺えるアーキラに、やっぱり仕掛けてきてるのはアイツらだろうと思わざるを得ない。まあ、今そんな事を言っていても仕方がないか。


「……コウ?」

「ああ、ごめんユイリ……。とりあえず……購入してみた方がいいかな? といってもあんまり高いカプセルを買うと国に睨まれるんだっけ?」

「……そうね。厳重に購入者を通して管理されるから、先方パートン家の事を考えるなら参類以上のカプセルの購入は見送った方がいいと思う」


 僕はロレインの意見に従い、伍類に区分される食べ物や飲料水のカプセルと肆類相当の空の収納カプセルを一つ、それぞれケースに入れてもらって購入する。購入に当たり簡単な書類を記入して店を後にすると、


「さてっ……と、メシにしようぜ! メシッ! イーブルシュタインのメシは格別だからなっ」

メシって……レン、貴方ご飯の事しか頭にないの?」


 購入したカプセルを収納魔法アイテムボックスに整理していると、そんな事を言い出すレンに向けて呆れたというように視線を送るユイリ。


「当たり前だろ? 俺のような大食漢の人間にとってイーブルシュタインは聖地みたいなモンだからな。コウ、お前も興味あんだろ?」

「聖地って……大袈裟なんじゃない? 何か名物とでもいうべき食べ物でもあるのかい?」

「名物も何も……食文化はストレンベルクは足元にも及ばねえよ。こっちじゃウチの国とは違い、フールで飢えや栄養を補う事が出来ねえ民族が結構いるんだ。いわば……生活魔法も満足に使えねえ人種がな……。だからだろうな、飲み食いする事に意義を見出し、食に対する果てなき挑戦心が……」

「はいはい……その辺にしておきなさい。まぁ、今レンが言った通りよ。イーブルシュタインはその名の通り、様々な国々を合併した連合国だからね……。魔法よりも科学の発展に特化しているから、その分食糧問題が出てきているし、貧富の差も激しい……。その認識で合っているかしら?」


 ユイリが話が長くなりそうなレンを制し、その事情を説明してくれたのち、そう言ってロレインに問うと、


「……ええ、イーブルシュタインでは魔法は当たり前に使えるものではないわ。彼の言う通り生活魔法に至っても同様ね。……私は『魔女』としての力に目覚めたから、様々な魔法を使用する事が出来ているけど……、家族は魔法を発現させられなかった」


 ……ようはイーブルシュタインの人々は元の世界と同じように科学の進歩が進んだという事か。車が空を走り回る、何処か近未来的なこの光景を見れば納得は出来る。まぁ……完全に僕の居た世界よりも発展しているとまでは言い難いけど……。


「そう言う訳だからよ……、早く行こうぜっ! 俺は今回のイーブルシュタイン行の任務でそれを楽しみにしてたんだからよっ……!」

「はぁ……わかったよ。ユイリ、レンもこう言ってるし、食事にしよう。店に関しては……」


 折角だから詳しく知っていそうな彼女たちに聞いてみようか。そう思った僕がチラリと視線を向けると、すぐにその意をくみ取るように、


「それでしたら『リレーション・チアーズ』がいいと思います! ですよね、ブーコ先輩っ!」

「……そうね。あそこだったら他国の方でも大丈夫でしょう。ただ、モニカ……アタシ達は……」

「あ……そ、そうですよね……」


 うん? 何かあるのか……? 言葉に詰まったモニカちゃんは申し訳なさそうに僕達に向き直ると、


「あの……、わたし達は先に戻ってお部屋を整えておきます。先輩は問題ないとしても、わたしは初めて専属に選ばれたので……、多分時間がかかっちゃうと思いますし……」

「シェリル様の部屋を整えたらアタシも手伝ってあげるわ。そういう事ですので……お先に失礼させて頂いてもいいですか? 本来ならば最後までお供しなければならないのですが……」


 ……侍女、いや……メイドとしての仕事、か……。何だか申し訳ないな……。


「なんかゴメンね……。そんなにキチンとやらなくていいから気軽にやってよ」

「いえ、そういう訳にはいきません! 埃ひとつ無いようにしておきます! どうぞ試合の疲れを癒してごゆっくりしてきて下さい。……ご主人様、かっこ良かったですよっ!」

「ホラホラ……、行くわよ、モニカ。それではアタシ達はここで……」

「あ……ブーコさん、少しだけよろしいでしょうか……?」


 そんな戻ろうとする二人を呼び止めるシェリル。どうしたんだろうと思っている間に、彼女は少し恥ずかしそうにしながらもブーコさんに話しかける。……そんな何気ない仕草もちょっと可愛いな、と思ったのは内緒だ。


「あの、ブーコさん……。お願いしたい事があるのですけれど……、少しで構いませんので後ほど時間を頂けませんか……?」

「……別に構いませんが、アタシの事は呼び捨てでいいです。気を使って頂く必要もありませんから、そのまま命じて貰えれば従いますので……」

「……ええ、それはわかっているのですけど、こちらがお願いする立場でしたので……。その事につきましてもお話し致しますから……」


 深刻な話……という訳ではないようだけど、いったい何だろう? 尤も、僕に関係する事だったらシェリルは話してくれると思うけど……。とりあえずそれで納得したのか、ブーコさんがモニカちゃんを伴い、一足先に戻っていった。


「さて、そろそろ行きましょうか? ……そうしないとレンも五月蠅いし」

「五月蠅いって何だよ!? まあいい、とっとと行こうぜ! ほら、コウ!」


 はいはい、わかったよ。先導するレンに付いていく形で、僕達は彼女たちがお薦めしてくれた『リレーション・チアーズ』へと向かう……。都会といっても差し支えない立派な街並みを眺めつつ辿り着いたそこは飲食店というよりも『清涼亭』のような宿泊も兼ねた設備のようだ。……ただその規模は大きく、宿屋というよりもホテルといった方がいいくらいの建物だったが……。


「え? この建物全部が『リレーション・チアーズ』って事?」

「……違うわ。ここは複合施設『フィレンシュホテル・フリーダム』。様々なお店が集まっている集合体と想像してくれるといいわ。『リレーション・チアーズ』はその中にあるお店の一つ……。どちらかと言えば高級店というより、リーズナブルな価格で他国の冒険者や旅人をターゲットに経営してるわね」

「…………ストレンベルクにはこんな大きな施設はないからね。初めて見る人は圧倒されるかもしれないけれど……、以前に映像スフィア越しに見た貴方の世界の様子から察するに、似たような施設があったかしら?」


 ロレインとユイリの解説に成程と頷く。わかってはいたけれど、イーブルシュタイン連合国はストレンベルク王国と比べて文明レベルが明らかに違っていた。……悪いところばかり見せられて国としての評価は最低レベルにまで落ち込んではいるけど……。


「おっ……、ここだここだ。いやーイーブルシュタイン自体、『獅子の黎明』にいた頃以来だから本当に久しぶりだぜ……! さ、食うぞ……っ!!」


 そう言ってレンが小洒落た扉を開き……店内に入るとほぼ満席という中々の繁盛ぶり。すぐにウェートレスさんがやって来て空いている席にと僕達を案内してくれた。


「さーて、肉だ肉! それと酒だ! えー……、すまねえがメニューのここからここまで持ってきて?」

「ち、ちょっとレン……! 貴方ねえ……!」

「これって一応任務でやって来てるんだし、経費でおりるんだろ? ああ、心配しなくていいぜ? 食いきれなかったら俺が何とかするからよ」

「あ、大丈夫です。自分もいますし、師匠も食べますよね? いやー、どれも美味しそうだ。あっ、レンさん! 『じゃんぼすてーき』というのは頼んで下さいっ! シーザーさんからこれは美味いって言われてるんです!」


 ……遠慮なく頼みまくるレンにユイリが声をかけるも、ジーニスまで便乗してしまう始末。メニューのレパートリーから見ても様々なものが見られるし、レンたちがはしゃいでしまうのもわかるような気もするけど……。後、これって経費扱いなのか? いいのか、それで……? レンが遠慮しないで食べまくったら結構な金額になるような気もするが……。


「……貴女には『フルーツサラダ』なんてどうかしら? あまり食はとらない種族と聞いたけど、これだったらよろしいのでは?」

「有難う御座います、ロレインさん。そうですね……、ではそれをお願いしますわ」


 ロレインの言葉にシェリルも笑顔で答える。僕は……まぁレンが大量に注文したものから頂くとするかな。ユイリも呆れながらも自分の注文をし……、待ち時間の間に僕は店内を眺めてみた。


(出来ればお米のご飯があれば嬉しいんだけど……。ん? あれは……米俵か?)


 厨房の前に積み重ねられた俵に目を遣ると、それに気付いたユイリが、


「ああ、あれは豆俵よ。イーブルシュタインでもあまりお米はメジャーではない筈だから……、残念だけど貴方の好きな『お米』は食べられないと思うわよ?」

「豆俵? 豆を集めているって事?」

「……ええ。年貢で集めた『満豆まんず』をああして纏めたものを言うの。『満豆まんず』は聞いた事がない? イーブルシュタインにおいて主食となっているものなんだけど……」


 ロレインが言うには……、『満豆』はそこそこの満腹感と栄養素を含んだ成分があるという事で、パッと聞くとまた某漫画の一粒食べるだけでどんな傷も治療し、初期設定では10日間分もの食糧にもなったという仙〇せ〇ずを思い浮かべてしまった。


「お待たせしましたー! ご注文の品々になりまーす」

「きたきたっ! じゃ遠慮なく……」


ウェイトレスの女性が持ってきた料理の数々に、レンがすぐに喰らいついていった……。す、すごい量だな……。取り合えず僕は皿に盛られた『満豆』が気になりスプーンで掬い……、


(……枝豆に似た味がして美味しいな。一粒が枝豆よりも大きくて結構食が進むし……、それでどんどん満腹になっていく、という訳か)

「……『満豆』ばかり食べているとすぐにお腹いっぱいになっちゃうわ。ストレンベルクでも『満豆』は取り寄せているし、そこまで珍しい訳ではないでしょう?」

「コウが和の国の『お米』が食べたいと言って聞かないから、『満豆』は出した事が無かったのよ。……ロレインの言う通り、他のものも食べなさい、コウ」


 ……僕は枝豆も好きなんだよ。まして、ここにお米のご飯があったらそれをかきこみたいところだけど……。僕の様子を見てクスクスと笑うシェリルを尻目に、呆れてるユイリ達の言う事も聞いて、レンが主に注文した肉料理の方へと向き直り……、


「あっ、師匠! それ、オレの注文した奴ですよっ!」

「べ、別にいいだろ!? こんなに沢山あるんだし……」

「駄目ですっ! その『じゃんぼすてーき』はオレのですっ!」

「今俺が手を付けている奴は全部食うから、お前も別に頼めばいいだろ。あ、おねーさんっ、肉追加でっ! 後、酒も持ってきて!」

「フフッ……あ、レン様? シウスに持っていってあげたいので、少し取り分けて頂いてもよろしいですか?」

「勿論です! いくらでも持って行って頂いて大丈夫です! ……ああ、あの犬っころ……、シェリルさんに気にかけて貰えるなんて幸せな奴め……」

「ちょっと! 経費だからって……少しくらい遠慮しなさいよっ! 後で追及されるのは私なのよ!? ああ、もうっ……!」

「…………俺達も頂いていいみたいだし、注文するか?」

「…………うむ」

「ジーニスとウォートルは慎みを持ってね? あれはレンさんだから許されるようなものだから。……あ、ロレインさんも注文されます?」

「……私はいいわ。そんなにお腹も空いてないし、ね……。ありがとね、フォルナ」


 ……こうしてやや混沌とした昼食となってしまったが、ひとつ分かった事がある。イーブルシュタインの食事はレンの言う通り……、本当に美味しかった……。






「全く、どれだけ食べる気なのよ……。少しは遠慮ってものはないわけ……?」

「遠慮も何も……、まだ腹八分目にもなってねえぞ? 折角のイーブルシュタインでのメシなんだ、ちょっとくらい羽目を外してもいいだろ?」

「……これでまだ満足しないって……、この人の満腹っていったい……」


 あっけにとられるロレインさんを尻目に、僕もチビチビと檸檬レモンを使った果物地酒ブランデーをあおる。それにしても……、イーブルシュタインの食事は素晴らしい。


(こちらの食に関しては僕の世界にも匹敵するかもしれないな……。肉ひとつとってみても、豚肉や牛肉、鳥肉とも異なる味わい……、もしかしたら、食べた事もない動物の肉なのかもしれないな……。いや、魔物の肉、か……? いずれにしても、ストレンベルク王国の食文化よりは数段上だな)


 僕は様々な肉を詰め合わせたと思われるハンバーグを摘まみつつ、再びお酒を口にする。満豆もまた、酒のつまみにも最適だ。お腹も膨れるし栄養もあるみたいだし……、一石二鳥とはまさにこのことかな? 後はお米のご飯でもあれば完璧なんだけど…………と、このままじゃグルメ番組になってしまうな。そろそろ本題に入るか……。

 ユイリが呆れつつレンに言い募っている中、僕は精神を集中させてある能力スキルを発動させる。すると、ワイワイと賑やかな店内の雑談が理路整然と僕の頭に入ってくる……。


『ああ……看板娘のパルプンティースちゃん、今日もカワイイなぁ……。早くコッチ来ないかな~』

『ぷはぁっ! 仕事終わりの一杯は最高だねっ! この為に生きているって言っても過言じゃねえ。ま、後の人生はオマケみてえなもんだよなーっ!』

『ねーおかーさん、どうしてこどもはこの「みるく」しかのめないのー?』

『……坊やだからよ。大人になったら色々わかるわ』

『そういえば、今度結婚するんだって? 相手は幼馴染の彼かな?』

『はい……! 漸くですけどね。実は明日届けを提出しに行くんですよ』

『おい、知ってっか? また行方不明だとよ……。やっぱおかしいぜ、この国……』


 ……うん、これならちゃんと聞き取れる。発動させた『聞き耳』……、これは文字通りある一定の範囲内の音や声を鮮明に聞き取ることが出来る能力スキルだ。そして『聞き耳』を使用した訳はただ一つ……、先程から僕達を意識している、恐らくは刺客であろう連中の動向を探る為だ。そいつらの方へ特に意識を集中させ、何を話しているかを聞き取ろうとする……。


『な、なんだと……! パ、パルプンティースちゃんが……け、結婚だと!? 俺たちの、パルプンティースちゃんが……!? ま、まさかココ、辞めたりしないだろうな……!?』

『おかーさん、いったいどうしたらおとなになれるのー?』

『ここの料理を好き嫌いしないで食べられたら何れなれるわよ? だからお野菜も残さずに食べましょうね?』

『そうか、遂に……か。まぁ店を辞める訳じゃないんだろうけど……、この店のアイドルだったパルプンティースちゃんも遂に人妻かぁ……! 狙ってた奴も多かったから、それを知ったら大騒ぎだろうなぁ』

『そんな私なんか……! もう、揶揄わないないで下さいよぉー』

『おい、聞いたか……? また行方不明者が出たそうだぞ? しかも……、例によって婚姻届けを出して、そのまま消息がわからなくなったそうだ……』

『ああ、この間相手と思われる男の方が半狂乱になりながら探してたからな……。そもそもの話、何でそんな決まりがあんのかがわっかんねーよな。如何に色々進んでいる国といっても、なんか胡散臭いからな……。俺達平民に人権はないっていうか……。尤も、あんまりこんな話もしない方がいいんだろうが……』


 クッ……、肝心の奴らの声が聞こえてこない……。明らかにこちらを意識している筈なのに……! それでも何とか聞き取ろうと集中させようとして、誰かにポンと肩を叩かれた。


「…………彼らの事を探ろうとしているのなら止めておきなさい。気にするだけ徒労に終わるわよ」

「ユイリ……」


 いつの間にかユイリが僕の傍までやってきていて、そう話しかけてくる。僕が彼女に振り返ると、


「貴方も気付いていたのね。そうよ……、彼らはまず間違いなく昼間の襲撃者同様、ホムンクルスでしょうね。だから意識するだけ無駄よ、何も有益な情報は得られないわ」

「……それはアイツらがホムンクルス、人工生命体だからかい?」


 実際、ホムンクルスというものがどういう存在なのか、いまいちピンときていない。あくまで空想上の存在であり、見たところ普通の人間と変わらないようではあるけれど……、それがどうしてユイリの言った通りの事になるのか……。それが僕にはわからなかった。


「ホムンクルスにも色々種類があると聞いてはいるけど、あれだけ精巧なものは私も見たことがないわ。身柄を抑えたと同時に消失させるような代物しろものなんて、ね……。この事からもっわかるように……、彼らは無駄口を叩くことはないでしょう。尤も、彼らを操っている規模にもなると防諜処置もしっかりしているでしょうから、それを施していない時点で連中からは何も得られないと考えた方がいいわ」

「……むしろ下手に意識して刺激しない方がいい、という訳か……」


 そういう事よ、とそのように言い残してユイリはそのまま支払いの為に席を離れる……。確かに今のところ、そいつらからは雑談すらも聞こえてこない。本当にただ黙々と食事をしているだけ……、といった感じか。この分ではこれ以上詮索しない方がいいか……、そう思って能力スキルを解除したところ、


「おー、コウ! お前ちゃんと飲んでるか~? 何をチビチビとやってんだよ……、それ何だ? 果実酒か? 男なら黙って麦酒エールだろぉ~!?」

「また君は……、随分出来上がってる感じだね。いいんだよ、僕はこっちの方がいいんだから……」


 肩を組みつつ絡んできたレンに僕は苦笑しながら対応する。このシチュエーション、飲み会とかで絡んでくる面倒くさい奴のノリだな……。なんか懐かしい感じだ。


「お前は何もわかってねえ……、いいか? ここの麦酒エールは本場、地底国シュヴァルツァーで作られたもんなんだぜぇ? まさに産地直送の酒の美味さはイーブルシュタインでしか味わえねえんだ。お前は人生の楽しさを半減させるような事をしてるんだぞ?」

「……僕が飲んでいる果物地酒これも、その地底国で作られたものなんだろ? むしろ、こっちの方が僕には飲み慣れているんだ。前に飲ませた事があっただろう? 僕はサワー系というか……、ハイボールとかの方が合っているんだよ」


 度々僕の元へやってきては、ラーメンやら何やらを食べさせろと言ってくるレンに『神々の調整取引ゴッドトランザクション』経由で取り寄せた際に、合わせて檸檬やグレープフルーツといったサワー酒を出した事がある。レンにはあまり興味を引くようなものではなかったらしいけど……。あ……、一応『神々の調整取引ゴッドトランザクション』で食べさせたものについてはきちんとお代は貰ってる。


「だからお前はわかってねえと言ってるんだ……。いいからお前も呑んでみろって! あ、パルプンティースちゃーん、こっち~っ! また麦酒エールを追加で……」

「……もう支払いは済ませてきたから、これ以上注文する分は自分で払いなさいよ、レン」


 いつの間に聞き出したのか、ウェイトレスさんの名前を呼んで新たに注文をいれようとするレンに、戻ってきたユイリがそのように釘をさす。


「あー、もう会計してしまったのか? 俺はまだ飲み足りないぜ?」

「私たちは一足先に戻ってるから、飲み足りない人たちでやってなさいよ。ああ、先程も言ったけど、ここから先は自分たちのお金でやってよね。……全く、これ、ちゃんと経費で落ちるのかしら……」


 ユイリは色々と諦めたようで、レンの大食いについては黙認する事に決めたらしい。まぁ……、気付けば結構時間も経っているし、そろそろ戻る頃合いではある。


「仕方ねえな、じゃあ俺はコイツともう少しやっていくわ」

「……いや、僕はもう戻るつもりだけど?」

「いいから付き合えよ、ここは俺が奢ってやるから。どうだ? お前らも残るか?」


 そう言ってレンはジーニスたちにも声を掛ける。しかし、彼らは……、


「残りたい気持ちは山々なんですけど……」

「レンさん、すみません……。ジーニスは明日もありますし、私たちはここで失礼します」

「……うむ」

「そうか、フォルナちゃんがそう言うなら仕方ねえな。じゃあ、アルフィー。お前は残れ」

「え”っ!? じ、自分はもうこれ以上食えないっすよ!?」


 とはいえ、殆どは戻るつもりのようだ。ロレインさんもウォートルについていくみたいだし、シェリルも確かブーコさんと話したいことがあるとか言っていたし。……残念ながら僕とアルフィーはレンに付きあうしかなさそうだ。

 それにしても……、レンはまだ食べるつもりなのか……? ロレインさんも呆然としていたけど、コイツの腹八分目って一体どこなんだ? 大食い選手も吃驚の大食漢だ……。


「なら好きになさい。あとは…………レン、わかっているわね?」

「……ああ、酒は飲んでも呑まれるな……ってね。問題ねえよ」

「それではコウ様、わたくしたちはお先に失礼させて頂きますわ」

「……うん、まあ僕達も程々で切り上げるから……」

「…………レンさんがどこで満足してくれるかにもよりますけどね」


 ……全くだ。まぁこうなった以上、適当に合わせるしかない、か……。僕はそんなにお酒に強い訳ではないんだけどなぁ……。同じく苦笑しているシェリル達を見送ると、アルフィーとともにレンの相手をするのだった……。











 ……あたしの聞き間違いだろうか。自分の耳にも信頼が置けなくなってきたあたしは、目の前の高貴そうな女性に再度問い返していた。


「もう一度……、仰って下さいますか?」

「……わたくしに世間一般の家事技能をご教授頂きたいのです。貴女の身に着けていらっしゃるメイドとしての技術……、どうかわたくしに教えて頂けないでしょうか……?」


 ……どうやら聞き間違いではなかったらしい。突拍子もない事を言い出したこのお姫様(?)に心の中でため息をつきながら、


「伺っていたところ、貴女はストレンベルク王国の貴賓で、何処かの国の貴族……なんですよね? どうしてそんな方が、平民の暮らしなんかに興味があるんですか? ましてアタシ……ごほん、私の技術を習得するなどと……。貴女は侍女やメイドに仕えさせる立場の人間で、誰かに仕えるような必要なんてないじゃないですか」

「……現在は貴賓として、かの国の預かりとなっておりますが……、最早わたくしはそのような立場にはありませんわ。既に故郷も滅亡している状態ですし、いわばお情けで保護されているようなものなのです。……そんなわたくしに仕えさせてしまっている貴女には申し訳なく思いますが、どうかお願いできないでしょうか?」


 どうやら真面目に言っているようだ。……いくら国が滅びていようとも、ストレンベルクが貴賓として扱っている以上、平民として生きていく状況には無いと思うが……。それ以上に、彼女のその溢れんばかりの美貌があれば、いかようにもなるだろうに。……不味い、自分の中で何かこう、嫉妬のような黒い感情がモヤモヤと湧き上がってくる。


「…………そんなの、貴女だったらどうとでもなるでしょう!? 貴女なら男なんて微笑むだけで虜にさせられるでしょうし、少し撓垂しなだれかかったらどんな男でもイチコロでしょうに……」

「……いえ、もしそれで手を出してくれるのであれば……、今わたくしはここまで悩んではいませんわ。……あの方は、恐らく容姿だけで惹きつける事は出来ないでしょうし」


 ……あの方、というのは多分あたしを助けてくれたの事を指すのであろう。何を悩んでいるのか知らないが、今日一日傍から見た限り、二人はお互いに想いあっている。初めて自分を拒絶しなかった男性は……、やっぱり見た目麗しいお姫様のような人に持っていかれてしまうんだ。……不味い、如何ともし難い感情が自分では抑えられなくなってきた。


「それでも……、貴女が家事などの技能を身に着ける必要などないでしょう!? 貴族は貴族の、平民には平民の領分がありますっ! 貴女の事情はわかりませんけど、少なくともストレンベルクでは貴族としての生活を保障して貰っているじゃないですかっ! ……自分が何を言ってるのかわかってます!? それとも……アタシの技能すらも全て自分のものにして、存在価値をも奪ってしまいたいんですかっ!?」

「そんなつもりはありませんが……、貴女を傷つける意図はありませんわ。ご気分を害してしまったのであれば謝ります。ですが、わたくしは軽い気持ちで申し出たのではありません。……必要な事だと思い、こうしてブーコさんにお願いしているのです」

「だからどうして必要なんですか!? さっきも言いましたけど、領分があるんですよっ! そのご自分の容貌……! 容姿端麗、スタイル抜群……、おまけに才色兼備の貴女だったら、何不自由なく生きていけるじゃないですかっ!! ……アタシなんてあまりに醜悪すぎる、ブスすぎてこんな血を残すのは世界に対し遺恨を残すことになると殺されかけた事があるんですよっ! 貴女も見ていたでしょう!? その美貌の100分の一でもあれば……、せめて普通に暮らしていけるというのに、それを貴女はっ……ってすみません、少し興奮してしまいました……」


 高貴な身分の方に対する言葉使いではなかったと気付き、慌てて謝罪する。いくら彼女が許してくれているとはいえ、下手しなくても自分のしている事は不敬ととられてもおかしくない。自分の発言の通り、これまで何度も殺されそうになった事から目立たないように生きるのが私の処世術だったというのに……。コンプレックスの塊である容姿の事を刺激されて、彼女への嫉妬もあり、柄にもなく自ら非難されてしまう事を言ってしまうなんて……! 気が変わってやっぱり処刑……、なんて言い出す名家も多いというのに……!

 ……そんな事を考えて戦々恐々としていた私に対し彼女は、


「……本当に申し訳御座いません。貴女の劣等感を刺激してしまったようですね。わたくしにとって自分の容姿など煩わしいものでしかありませんが……、それをわたくしが漏らしても余計に溝が深まるばかりという事も理解してます。そこで提案なのですが……、わたくし達、入れ替わってみませんか?」

「………………はい?」


 ……この人、今なんて言った? 何か意味不明な事を宣いだしたような……。彼女は私の困惑を説明するように続ける。


「……わたくしの能力スキル、『とりかへばや物語ソウルチェンジ』を使用致しますわ。これは『伝承の系統者レジェンド・クオリファイダー』としての……コホン、一言で言ってしまえば人類の秘技とも云われる特別な能力スキルでして……、簡単に説明しますとお互いの人生を入れ替えることができるのです。最初に対象の人物が辿ってきた人生を一瞬で体験でき、その後で本当に入れ替わるかどうかを選ぶことができます。決定権はお互いが望むことが条件で、文字通り姿や能力、魂までも取り換えることが出来るのですが、わたくしの『伝承の系統者レジェンド・クオリファイダー』とそれに付随する力は自分に紐づく事になると思います。……これはわたくしの人生を体験して頂ければ恐らくわかって下さると思いますが……」

「え、ちょ、待って下さい……! 言っている意味、わかっていってるんですか? アタシの人生と、姿と入れ替わるんですよ!? そんなことしたら……」

「わたくしは構いませんわ。先程も申し上げた通り、わたくしは自分の姿や立場に執着はしていないのです。むしろ、煩わしいと思っているくらいで……、まあこの事も体験して頂ければおわかりになる事でしょう」

「いや、わかってないでしょう!? 命の危険もあるんですよ!? この姿が原因で殺されかけたことだって一度や二度じゃない……! 貴女だって見ていたでしょう!? あの人が通りかからなかったら、下手すると殺されてたんです!! 貴女はそれを……っ」

「……勿論、わかっております。貴女の辿ってこられた境遇も、しっかりと体験させて頂きますわ。ですので……、わたくしのこれまでの人生も見てきて下さい。その上でよろしければ……、そのまま体を交換致しましょう。では、行ってらっしゃいませ……」


 そんなの、出来るんだったら交換するに決まっている……! そう思っていたら彼女の言葉を最後にどんどん自分の意識が遠くなっていくのを感じた……。











 ……。…………。………………! ……………………!!


「――――はぁっ!! はぁっ、はぁっ……」


 永い白昼夢のような出来事を一気に体験させられ、私は膝から崩れ落ちて激しい脱力感に襲われる。今は……ブーコの身体に戻っているみたいだ。彼女の言葉通り、気が付けば私はシェリル姫の身体に意識だけが移り……今までの追体験をまるでスフィアの映像のように見せられていた。


(な、何なの……この人が辿ってきた壮絶な人生は!? 本当に王国……いえ、公国のお姫様だった事にはそんなに驚かなかったけど、何不自由ない生活を送ってきたのかと思いきや……どうして、こんな……!)


 容姿、スタイル共に恵まれ、誰からも愛されるお姫様……。苦労をした事もなく、世間知らずでぬくぬくとした……、私とは真逆な人生をしてきたんだろうと思っていた。そんな彼女が私に歩み寄ってこようなど片腹痛い……。仕事で仕える事になろうと、心までは許すまい……そう考えていたというのに……!


「……確かに実際に体験しなければ、わからないものですわね……。わたくしにとっては忌むべき容貌も、貴女は喉から手が出るほど渇望していた……。そんなわたくしに心を閉ざす事は当然かと思います。貴女の人生、思い、そして辛さ……。しっかりと受け止めさせて頂きましたわ」


 同じく私の人生を体験してきたのか、気だるそうな姿も何処か色っぽい彼女の声が聴こえてくる。先程まではそれさえも自分を苛立たせるものだった。だけど、今は……私と同様、いやもしかしたら自分以上に壮絶な人生を送ってきたのかもしれない……。そう畏怖してしまうくらいに、私は思い知らされていた……。


 ――既に魔族たちによって滅ぼされてしまったメイルフィード公国……。父親は討ち取られ、母親には『認識阻害魔法コグニティブインヴィテイション』の魔法を掛けられて、逃がすと言えば聞こえがいいが、押し付けるものだけ押し付けて実質放逐するような真似をされた……。いや、それだけだったらまだいい。それ以外にも、姫である事を証明できるようなものや、彼女シェリルが後天的に受け継いだ『伝承の系統者レジェンド・クオリファイダー』の力までも一緒に封印してしまったのだ。敵の手に落ちる事を考えた処置なのかもしれないが……、それをしなければ囚われる事無く逃げ切れたかもしれないのに……!


 『伝承の系統者レジェンド・クオリファイダー』を得た時だって、決して順風満帆の就任とはならなかった。何でも数百年の周期で選ばれるというその『伝承の系統者レジェンド・クオリファイダー』は、ちょうど受け継がれる時期だったとして、二人の候補者が擁立していた。メイルフィード王国であった頃、フローレンス公爵家の令嬢であった彼女シェリルと、ダークエルフで彼女の幼馴染でもあったティタニシア公爵家のアーシュ……。結局はシェリルが継承する事になったのだが……、それを境に彼女の周りは大きく変わっていく……。


 同じ候補者であったアーシュはある日突然失踪して行方がわからなくなり、エルフ族とダークエルフ族で諍いが起こるようになった……。そして……、王国が公国へ変わる切欠となったある事件が起こる。彼女シェリルが……ダークエルフの下位貴族の子息たちによって拐かされそうになったのだ。その時の様子は彼女シェリルが初めて貞操の危機に見舞われた事もあり、強い心的外傷トラウマとして残っているようで……、体験しただけの私でも容易に思い出す事が出来る……。






『上手くいったな! 後は手筈通りに頃合いを見て抜け出せばいい』

『クックック……、これで俺も高位貴族の仲間入りって訳だ。他の国ではどうか知らんが、体面を気にするエルフの公爵家なら穢された令嬢をそのまま嫁にやるって事はせんだろうからな。いやー、肝心な時にじゃんけんに勝った俺を褒めてやりたいね。何より……あのいけ好かないセレントの野郎よりも先に頂けるんだからな……! ざまあみろだぜっ!』


 寮でちょっとした騒動が起こっていると知らせを受けて自室にて待機していたところ、突然ダークエルフの男子生徒たちが押し入ってきて……、抵抗するも空しく彼らによって連れ出されてしまった。……ここは掃除用具などが置いてある備品室。連れ込まれたシェリルは両手を後ろ手に縛られ、下卑た視線で全身を嘗め回すかのように見られていた……。


『チッ、何でオレはここぞという時に……っ! くそっ……、まあいい、遠くから見ている事しか出来なかったあのシェリル嬢を好き放題にできるんだ。こんなチャンスは二度とないだろうしよ』

『そうだな。それにフローレンス家の当主については、はらませた奴のモンだろ? それよりも、シェリル嬢の最初の男になれる方が重要なんだよ。エルフの女には処女を捧げた相手に大小あれど祝福を得られると言われてるんだぜ? 学園始まって以来の才媛としてアーシュ姫と共に騒がれたシェリル嬢の祝福……! そっちの方が大事だろうよ』

『それよりもよ、むしろこんな美人を指定された娼館に売らなきゃならねえってのがな……。流石に上からの指示だから逆らう訳にはいかねえとはいえ、リスクを冒した俺達で共有する事も出来ねえとは……。引き渡すまでの間にたっぷりと俺たちの種を受け止めて貰わないとならないんだから、ここで少しヤっちまおうぜ? 俺はもう我慢できねえよ……!』

『そうだな、それじゃ早速拝ませてもらおうか……高嶺の花、深窓の令嬢と謳われたシェリル嬢の裸をさっ!』


 彼らの事は学園でも見かけたことがある。いつも自分を嘗め回すかのように見てきた人たちだ。尤も、それは彼らに限った話ではなかったが……。話がどう考えても自分にとって最悪の方向に向かっているのが嫌でも理解させられてしまう……。恐怖を与えるかのようにじりじりと近づいてくる彼らに対し、抵抗を封じられた自分にはどうしようもなかった……。


『イヤ……! 来ないで……!』

『いいねえ、その恐怖におののく表情! 何時もの澄ました顔が俺たちの手でグチャグチャに歪むのが見れるんだ。たっぷりと愉しませて貰おうぜ……! 折角クスリも用意してるんだしよ』

『ああ、そうだな。兎に角シェリル嬢をモノにしちまえばこっちのもんだ。場合によっては俺達でバックレちまえばいい。資金なんざ彼女を上手く使い回せば何とでもなるだろ』

『スフィア、ちゃんと回しておけよ。それで撮れば暗幕ブラックアウトも取り払って、ちゃんとシェリル嬢だとわかるだろ? ずっと俺たちを悩ませていた豊満なカラダ……、その衣服の下に隠されている裸も、俺たちに輪姦されてる可愛がられてる様子も全て余すことなく残しておけよ。それが後で役に立つ事もあるだろうしな』


 そう言って彼らは襲い掛かってきた……。一人は見張りも兼ねて、その様子を撮影し……残りは思い思いに彼女の身体を弄び始めたのだ。


『いや……! お願い、やめてっ! 誰かぁ、助けてェェェッ!!』

『助けを呼んだって無駄さ。大人しくしな……。人生諦めが肝心だからな……』

『さあ、お愉しみの時間だぜ……! アンタもちゃんと気持ちよくさせてやるからよ……! とっておきの媚薬でなっ!』







 ……彼らの魔の手が着崩させた制服を脱がし始めたところで、異変に気付いた婚約者が雪崩込み、大事に至る前に助け出されたが……、この事が彼女の心に深く刻まれている。少しでも助けにくるのが遅かったら、間違いなく彼らによって穢されていたのだから無理もない。目を掛けているモニカが言い寄って来られるのを辟易していたのを見て、所詮はモテる者の傲慢、自分のように居るだけで嫌悪される立場から見れば、それは寧ろ甘んじて受けるべき……などと密かに思っていたものだったが、実際に体験する事でそれまでの考えが完全に打ち砕かれてしまった……。


(まさか……、まさか無理やり襲われる事が……あそこまで恐ろしいものだったなんて……! 殺されるよりはマシだろうなんて考えていたけれど、自分が他の人物によって尊厳を奪われ……、心を殺されて、自分の体を、意思を、生死すらも他人に握られる……! アタシよりも不幸な女なんていないと思っていたのに、この人の辿ってきた境遇は……っ!!)


 もしかしたら、いや……もしかしなくても彼女の人生の方が壮絶だ。実際、その事件が切欠で王国から公国へと変わり……、国にいたダークエルフ族がほぼ追放されるかのように出奔する事となったのである。……彼女の父、メイルフィード公爵が拉致未遂事件に国の上層部も関わっていた事を突き止め、仕えていたダークエルフの王に対し革命を起こしたのだ。そしてそのまま彼女の父が公王となり……、国が亡びるまでその座に就き、シェリルは姫として扱われる事となった。原因となった学園の関係者も纏めて粛清し、下位、高位と分かれていた学生寮自体も取り壊しとなり……、やがて学園も閉鎖。ある意味で自分の存在によってここまでの事態となってしまった事も、彼女を傷付ける一因となった。


「……っ! うっぷ!」

「……大丈夫ですか? 自分で言うのも何ですが……、わたくしも今まで順風満帆といった人生ではありませんでしたから、一度に体感させてしまった事は少し配慮が足りなかったかもしれませんね……」


 申し訳なさそうに塞ぎこんだ私に寄り添ってくるシェリル様。彼女は彼女で私の人生を追体験した筈なのに……、吐き気を催す自分とは違い、こちらを気遣ってくる余裕があるみたいだ。それは即ち……自分の体験は彼女にとっては耐えられるものであった、という事なのか……!? 尤も、シェリル様の人生はこれからが本番であるというかのように、様々な苦難が待ち受けている……。


 公国となり時が過ぎて……、遂にその時が来る。突如として魔物に襲われ、国が滅ぼされてしまったのだ。父王は討たれ、王妃となった母も先述の通り、彼女に呪いのような封印を施し、使命だけを負わせて城から逃がした。しかし、多くの有用な能力スキルを封じられた状態で、逃げることなど出来る筈もない……。


 結果奴隷狩りに遭い、他のエルフたちと同様に奴隷にされた彼女……。いくら姫である事はわからなくされていても、元々の高貴な佇まいや抜群の容姿までは隠せない為、高値で落札されるだろうと、ある種VIP対応のように別室に監禁されていた彼女だったが……、幾度となく貞操の危機に晒される。……実際に純潔を保てたのは、取り仕切っていたのが他種族との繁殖活動をしないハーフリング族で、高値で売る為に商品の品質に徹底していたのが功を奏しただけだ。闇商人の妻である人物も協力し、身の回りの事や彼女の具合の確認、着付けに至るまで世話をして、競売が始まるまでに徹底的にシェリルを隔離していた。結果として、身元がわからない奴隷としては過去に類を見ない高値で売買される事となるも……いずれにせよ、購入された先で彼女がどういう目に遭うのか……それは言うまでもない。


 ……だからこそ、彼女があの人に対し妄信的ともいえる程、思慕を募らせている事は理解できた。確かに、彼女は奴隷として売られた事は事実だが、コウに買われた事でその後の人生は大きく変化させた。慰み者として可愛がられる運命ではなく、奴隷から解放され、秩序あるストレンベルク王国に保護される事となったのだ。最初は感謝と興味から彼に付き従っていたのが、その人柄に惹かれ始め、やがて愛するようになるのにそう時間はかからなかった。奴隷にされ、これからの人生に絶望し、心を閉ざしていた彼女は、これまでの彼の行動と人柄によって、徐々に心を開いていき……そして今に至っている訳である。


「お辛そうなところ申し訳ありませんが……、お聞かせ頂けますか? お互い追体験した時点で元の身体に戻っておりますが、貴女さえよければこのままシェリルわたくしとしてその姿で生活して頂く事が出来ます。最初に説明しました通り、『とりかへばや物語ソウルチェンジ』を始めとした『伝承の系統者レジェンド・クオリファイダー』に付随する力はブーコさんの姿となったわたくしに紐づく事になると思いますが、後で取り消すという事はありませんからご安心下さい。それが真実な事は……わたくしの体験からお判りになっているとは思いますが……」


 ……言われるまでもない。彼女が本当の事を話しているのはわかっている・・・・・・。最初、彼女が入れ替わりの提案をしてきた時は、もしかしたら自分の事を揶揄っているのかもしれない……、そんな事も脳裏を過った。女性で1番と言っても過言ではない容姿を持つ女性が、これ以上ない醜女である事に疑いようがない自分に希望を持たせて落とす……といった事を身分の高い人の戯れといった感じで言ってきているのかと、そう思っていた。でも……、彼女の今までを体験してきた私はそれを否定することが出来る。彼女が話している事は、全て真実だと・・・・・・


「如何致しますか? このまま『わたくし』として過ごされますか? それとも……」

「アタシのままでいいですっ! その身体の人生は……嫌ですっ!」


 少し前の自分であれば考えられない選択だ。夢にまで見た、喉から手が出るほど欲した理想の容姿、その女性と入れ替われる機会が与えられたというのに、それを拒絶してしまうなど……。


「そうですか……、残念ですが仕方ありませんわね。それでは術を解きますわ」

「っ! …………すみません」


 これも本当だ。彼女は、本気で自分の体と入れ替えられたらと思っている。どうでもいい人を惹きつけ、大切な人を巻き込んでしまう自分の容姿を彼女は心底嫌悪しているし、それに……こんな自分の体であっても、コウは自分を拒絶しないと信じているんだ。そして恐らく、彼は拒絶なんてしないだろう。拒絶するのなら、そもそも自分を助けている訳がないし……、万に一つ、拒絶されたとしたらそのまま彼女は自分の生きている理由はなくなったと考えている。……とてもこの人には、敵いそうにない……。


「……自分自身に思い悩んでいらっしゃる貴女を見て、どこかわたくし達は似ていると思いました。美醜の差はあれど、お互いにコンプレックスを持っているところなどは特に……。ですから貴女とは分かり合いたかったのですけど……、拒絶されていらっしゃったのでこのような提案をさせて頂いたのです。勿論、もしわたくしの境遇に満足して頂けるのであれば……、そのまま入れ替わって構わないと……そう思っておりましたわ」

「…………それはよく分かりました。貴女にとって、コウさんが全て……。誰もが羨むようなその美貌も、貴女からすればそれが原因で彼に迷惑をかけてしまう要因のひとつと考えておられる……。アタシは今まで貴女はおろか、目を掛けているモニカに対してさえも……嫉妬していました」


 ……美人の立場にたって、初めて美人にも悩みがあると知った。まぁ、彼女は境遇からして普通ではなかったから、モニカのような美女とはまた違うのかもしれないが……、モニカだって決して平坦な人生を送ってきている訳ではないだろう。シャロン様から聞いた話だと、ほぼ身売り同然に親元から預かったという話だったし、少なくともアタシだけが悲劇の中心にいるという訳じゃない。今回、彼女との入れ替わり体験を経て、その事だけは十分に理解できた。


「別にそれは普通の事ではありませんか? わたくしも貴女の境遇を体験させて頂いて、醜いからという理由だけで命を狙われるのだと分かりました。わたくしとはまた違う理由で、自分の容姿を隠さなければ生きていくことさえ難しい……。貴女の仰る通り、その立場を実際に味わってみなければわからない事でしたわ。有難う御座います」

「お礼を言われる事じゃないです。アタシの方こそ今まで失礼な態度を取り続けてしまって……申し訳ありませんでした、シェリル様」


 謝られる事ではありませんよ、と笑って応える彼女へ謝罪するとともに静かに負けを認める。アタシはこの人には敵わない。彼に対する想いも……覚悟も。初めて自分を助けてくれた男性であった為、彼女には特に対抗心を持っていたけど……、想うこと自体が身の程知らずであったのだと理解する。……諦めよう、彼女シェリルの事を追体験してわかったが……、彼は間違いなく伝説とされる勇者だ。とても私なんかが想う事は許されない……。


「……ブーコさんのコウ様に対する気持ちもわかりました。貴女もわたくしと同様にあの方に助けられましたし、だからという訳ではありませんが、そこから慕う事もあるでしょう。わたくしがそうであったように……。ですが、その想いを諦めることはありませんよ」

「…………どういう意味ですか?」

「あの方は決して人を美醜で判断なさる方ではありません。ヒューマン族の方々はわたくし達エルフ族とは異なり、男性が複数の女性を囲ったり、逆に優秀な子孫を残す為にあらゆる殿方に囲われる女性がいると聞いております。既にお一方、ソフィさんの願いも聞き届けているようですし、ブーコさんの事も受け入れて下さる事でしょう」


 シェリル様はそのように言うけれど……、私でも知ってる高名な歌姫様とじゃ立場も何もかも違う。そう反論しようとして、


「先程も申し上げました通り、人の美醜はおろか立場などで態度を変える方ではありません。現に盗賊だった女性からのアプローチは排除なさいました。異世界から召喚された方が皆そうなのか、それとも勇者としての力がそうさせたのかはわかりませんが、いずれにしても貴女が心からあの方に事情をお話すれば、きっと応えて下さるでしょう」

「……シェリル様はそれで宜しいのですか? その、ソフィ様の時も全てを納得された訳ではないのでしょう? それなのに、アタシにそのような事を提案なさるというのは……。そりゃあ、アタシとしても恐らくこの先自分を受け入れてくれそうな相手なんていないでしょうから、願ってもないお話なのはわかってますけど……」


 私の言葉にシェリル様は苦笑しつつ、それでもしっかりと向き合って答えてくれた。


「勿論、女としてわたくしだけを見て欲しいという思いはありますわ。ですが、わたくしにとって一番大切な事は彼の傍にいる事なのです。ですのでわたくしの感情はどうであれ、コウ様が受け入れるのであれば尊重します。……ただ、あの方はわたくしが彼の居た世界へ連れていくことは良しとは考えていらっしゃらないようですが……。尤も仮にお許しが頂けなくとも、その時は奴隷としてでもいいのでお傍に置いて頂けるようお願いするつもりではありますが……」

「……シェリル、様……」

「ですからブーコさんにはその想いを諦めて貰いたくないのです。むしろ、同じくあの方に助けられた者として……。そして、わたくしと同様に彼を想っている者として……貴女とは分かり合いたい……。だから、公の場でなければ畏まった敬語も要らないと申し上げました。もし先に子供を設けられたなら……、その、先輩としてわたくしに教えて頂きたいし、場合によっては乳母になって貰いたいとも思っております……」


 少し顔を赤らめながらそう話すシェリル様に、モニカとは別に自分の妹であるような感情が生まれてきた。こんな可愛い一面があったのかと思い、苦笑しつつも私は彼女に向き合い、静かに宣言する。


「……改めて貴女様の思いはわかりました。こんなアタシ、いえ私でよければシェリル様にお仕えさせて頂きます。口調については許してください。でも、人の目がない時はできるだけ希望に沿うように致しますので……」

「有難う御座います……、いえ、有難うブーコ……。こちらこそ宜しくお願いしますわ」


 見惚れるような笑みでそう話す彼女に、私はシャロン様以外に忠誠を捧げる事になる。自分を雇い、今まで良くしてくれたシャロン様を裏切るつもりはない。だけど、シャロン様に言われたから彼女に仕える……という事ではない。きちんと、自分の意志でこの人にお仕えする事に決めたのだ。尤も、シャロン様は許してくれるだろう……。私の知る限り、あの方はイーブルシュタインの良心のような人物だ。


(シェリル様とシャロン様が敵対なさるような事はないだろう……。むしろ、シャロン様の置かれた境遇をこの方たちならば救って下さるかもしれない……)


 いずれにしても、後でシャロン様にはちゃんと申し出ないといけないな……、彼女と話しながら私はそう考えていたのであった……。



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