第41話:大公邸への訪問と……




「……凄い家だね。ここがグランの……?」

「ええ、アレクシア家の本邸よ。大丈夫、話は通してあるから」


 僕の言葉にそう答えるユイリ。だけど僕が聞きたかったのは、こんな馬鹿でかい家にグランは住んでいるのかという事だ。

 お金持ちや有名人の邸宅というのはテレビ等で色々見た事はあったけれど、これは小さなお城という感じだ。どっちにしても自分には関わる事のない家、そう信じて疑わなかったのだけど、まさかこうしてお邪魔させて貰う時がこようとは……。


「……お待ちしておりました、ユイリ様。そちらが……コウ様にシェリル様ですね」


 大きな門の前で出迎えてくれるかのように一人の壮年の紳士みたいな方が軽く一礼した後で話しかけてくる。温厚な様子で接してくれているが……片眼鏡モノクルから覗く眼光は強く些細なものも見過ごさないというような鋭いものであった。恐らくはグランの執事さんなんだろうな、と納得している間に、ユイリはその人と軽く話し込むと、


「それでは中にお入り下さい。旦那様がお待ちで御座います」


 そう言ってこの広いお屋敷を案内してくれる執事さん。ここに一人で来たら絶対に迷子になる……、僕がそのような事を考えていると、やがてグランの待つ大広間のようなところに通された。


「……よく来てくれたね、コウ」

「グラン……」


 そこには既に来ていたベアトリーチェさんやレンに加え、グランの後ろには侍女の方達に付き添われている美しい女性もいた。……一目で僕は、彼女がグランの奥さんである、オリビアさんだと確信する。


「……本来ならもっと早くお祝いに来なければならなかったんだろうね。結婚おめでとう、グラン」

「有難う、コウ。何、構わないさ。……彼女が僕の妻のオリビアさ」


 グランが、彼が話していたコウだよと促し、その声にオリビアさんが前に出てくる。


「……お初にお目にかかります、コウ様。私は主人の妻で、オリビアと申しますわ……」

「此方こそ初めまして、オリビアさん。グランには何時もお世話になっております。この度はご結婚、おめでとう御座います」


 微笑をたたえながらそう挨拶してきたオリビアさんに返事するも、彼女が何処か怯えているように感じた。


「……無理はなさらなくていいですよ。あの男が貴女にしでかした蛮行、到底許されるものではありません。それはわかっているのですが……、それでも同じ世界の出身者としてお詫び致します。誠に、申し訳御座いませんでした……っ!」

「そ、そんなっ、頭をお上げ下さい!!主人から伺っております!貴方は、コウ様はご立派な方だと……っ!勇者に相応しい人物であると……っ!!」


 慌てた様に伝えてくるオリビアさんだったが……、僕は彼女を制して、


「いえ……、僕が中々決断できなかった事で、あの男を増長させてしまったんです。だから今日は謝罪と……、その前にこれだけはお約束致しましょう……。あの男が今後、勇者に選ばれる事は絶対にありません。勇者の特権を振りかざして貴女に何かを強制する事は勿論、グランを害するような事も起こり得ない事は……、僕の全てをかけてでもお約束致します」

「あ……」


 僕の言葉を聞いて、オリビアさんは口元に手を当てて驚いたように此方を見ていた。今言った不安もあったのだろう、みるみるうちにその瞳には涙がたまってゆき、彼女の侍女の方たちが労わる様に集まってくる。その様子を見ながら僕は『収納魔法アイテムボックス』を唱え、先日購入しておいた2つの魔法工芸品アーティファクトを取り出すと、


「……ベアトリーチェさん、お願いしていたアレ、2枚程頂けますか?1枚はシェリルに渡したいので……」

「……わかったわ、ちょっと待っていて……」


 ベアトリーチェさんは『水晶操作魔法スフィアサイト』と呼ばれるものの、『静止絵抽出魔法ピクチャーズ』を使用してトウヤの写真のようなものを2枚抽出してくれると、それを僕に渡してくれた。それをオリビアさんとシェリルに渡し、説明してゆく。


「……そんなもの見たくもないと思いますが、お許し下さい……。僕が今、手にしている鋏は『縁キラー』という魔法工芸品アーティファクトです。この鋏で人物の絵を切ると、それ以降その人物と関わる事が無くなるとされています……」


 その『縁キラー』をシェリルに渡すと、彼女はそれでトウヤの絵を切ってゆく……。そして切り終わった後でどうぞと、『縁キラー』をオリビアさんにも渡した。


「ただ……、『縁キラー』にも限度があるようです。魔法や特殊な能力スキルを用いて接触を果たそうとしてきた時は、その限りではないとありました。……グラン、あれから彼女に対してトウヤからのアクションはあったの?」

「……この屋敷には、外からの干渉を受けないように出来ている魔法の部屋がある。妻にはこの屋敷に来て貰って以来、その部屋に匿っているんだけど……、既に2度程、何らかの干渉があった事は確認している。恐らくは……」

「多分あの男ね……。私に確認してきた事があったわ。もう彼女には手を出さない約束でしょ、って言ったら出してねーよ、だなんて言っていたけれど……」


 その話を聞いて顔色を失うように青ざめるオリビアさんに、奥様!と侍女の方たちが支えていた。少し非難するように僕を見る侍女の人たちに一礼し詫びると、


「なら、これも使わないといけないだろうな……。これは『忘却思草』……。忘れさせたい内容を念じて対象に嗅がせる事で、それを忘れさせる事が出来るらしい……。今回は、オリビアさんとシェリルの事を忘れさせれば……当面手出ししてくる事は無いと思うんだけど、問題はどうやってトウヤに使うかなんだよな……」

「……それなら、私が何とかするわ。私ならアイツの『危険察知』の能力スキルをかわして接触出来ると思うから……」


 それなら……と僕はベアトリーチェさんに『忘却思草』を託す。彼女の話し方がこの間と変わっているようにも思ったが……、もしかしたらこれがベアトリーチェさんの素なのかもしれない。

 オリビアさんもシェリルと同じようにトウヤの絵を『縁キラー』で切ったようだった。僕にそれを返してきたが、すぐに『縁キラー』をユイリへと渡し、


「……それ、王宮で保管しておいてくれ。もしかしたら、今後も使う事になるかもしれないし。ああ、その『忘却思草』もね……」

「これ、貴方が『神々の調整取引ゴッドトランザクション』で手に入れたものでしょう?まぁ……何時もの事だし、深く聞こうとも思わないけど……」


 やれやれといった感じで話すユイリ。……僕があまり物に執着しない事を云っているのだと思うけど、それに対しては僕にも考えがあっての事なんだけどな……。弁明しようかとも考えたが……、そうする事を諦める。


「……あまり僕個人が使う様な性質のアイテムじゃないと思ったからさ。色々お世話にもなっているし、王家に寄贈しようと思ってる」


 ユイリはそう、と短く返事すると『縁キラー』を自身の『収納魔法アイテムボックス』に収納する。そして……その後はそのまま、僕たちを歓待するお茶会が開かれる事となった。


 事情が事情であり、グランとオリビアさんが結婚した事はあまり大々的にはされていなかった為、彼らを祝福しに訪れる人も殆どいなかったのだ。グランにとっても気心のしれた同僚、仲間という事もあって、アレクシア家の執事、使用人の方々からも好意的に接してくれた。

 改めてオリビアさんと話してみたが、その美しさもさることながら、とてもお淑やかな女性で旦那であるグランをたてる魅力的な人であった。その人柄から侍女からも愛されているようで、彼女の危害を与えようとするものは許さないと公言する程である。


 だから僕はレンと話し、ユイリ達には引き続きオリビアさんとのお茶会に参加して貰って、自分たちはお暇する事にした。女性陣に可愛がられているぴーちゃんや、借りてきた猫のようにシェリルの傍で大人しくしているシウスは置いていき、今日はレンとトウヤ対策に鍛錬するとグランに告げる。まだ異性に対し恐怖感を抱いているオリビアさんに気遣ったという事がわかったのだろう、グランからは軽く謝られると、もしトラウマになっているようなら『忘却思草』を使ってみるのもひとつの手段であると伝えた。


 こうして、僕とレンは大公邸宅を後にするのだった……。











 ――某時刻、カジノにて――


「くぅ……、それにしてもトウヤのヤロォ……、ほんとに許せねぇぜ」


 王宮内にある修練場での鍛錬の後で、何故かカジノに行こうという事になり……、今はこうしてレンと共にカジノにあるバーになっているところでお酒を飲んでいたのだが……。


「レン……、ちょっと呑みすぎじゃない?もうずーっと飲んでいるし、呂律も少し怪しい感じだけど……」

「なーに言ってんだよ!こんなん何時もの事だろーが!お前だって、こんくらいで俺が参る訳ねえって事は知ってんだろぉ!」

「……その割にはさっきから同じ話題ばかりだけど?グランの結婚祝いでいつも以上に飲んでいるっていうのはわかるけどさ……」

「そこまで分かってんなら野暮な事を気にしてんじゃねぇって」


 ガハハと笑いながら背中を叩かれ、口にしていた麦酒エールを戻しそうになる。……駄目だ、今のレンに何を言っても聞かないだろう。溜め息を吐きながら諦める僕に、


「だからよ、オリビアさんってな、俺が王宮に入った時から知ってんだけどよぉ、貴族とは思えねえ程、俺みたいな叩き上げの平民にも優しく接してくれてさぁ……」

「はいはい……、それはさっきも聞いたよ……」


 オリビアさんに対して密かに憧れていたと口にした後で、そんな彼女に乱暴するなど絶対に許せねえと激昂する……。よっぽどトウヤがやった事を腹に据えかねているのであろう、鍛錬においてもいつも以上に激しく僕を攻め立てていた。その場にいた元レンの同僚であるヒョウさん達も、誰にも公言しないように伝えて事情を察してくれた。最も、レンの言葉からある程度分かっていたようであったが……。


「ほんとーに分かってんのか?どうもお前はその辺の事、わかってねえように思えんだよなぁ……。シェリルさんの事もよぉ……」

「……シェリルがどうかしたって?」


 再び麦酒エールを口にした時、急にシェリルの話題が出てきた為、訝しげにレンへと問い返すと、


「……お前、彼女の事どう思ってんだよ?」

「どうって……、とても大切な女性だと思ってるよ」


 ……それこそ、彼女が誰かと一緒になるって聞いたら……、間違いなく取り乱すくらいにはなっている。そんな僕の返答にレンは一息吐くと、彼の心の内を打ち明けてきた。


「今だから言うけどよ……、俺、最初に彼女を見た時は一目で心を奪われちまったもんだぜ?まぁ……彼女がお前に惹かれてる様子見て、入り込む隙間はねえなと諦めたけどな」

「そうなんだ。今は兎も角……、あの時だったら応援したんだけどね。だけど、シェリルだって最初は僕を警戒していたんだよ?最も、当たり前の話だけど、ね……」


 そう……、初めて会った時のシェリルは……、誰にも心を許さず、生きてゆく目的すらも感じられなかった様子だったのだ。心に傷を負った彼女を何とか癒してあげたくて……、せめて生きる希望だけでも見つけて欲しくて、自分が出来る精一杯の事をしたつもりではあったが、正直決定的な何かをしてあげれたかと言われると肯定できないものがある。

 でも、今では精神的にも立ち直り、僕や仲間を信頼してくれているシェリルに僕は安心していた。そして、彼女は……。


「へっ……、とてもそうは見えなかったけどな。だけどよ、実際のところどうなんだよ。お前、彼女の気持ちに応えるつもりはねえのか?」

「……無理だよ。シェリルの気持ちに応えるという事は……、取りも直さず、彼女を不幸にする事と同義だからね」


 僕が元の世界に戻る事を諦めない限り、シェリルと一緒になる訳にはいかない。そしてそれは……、元の世界に戻るのを諦めるという事は、僕にとって考えられないものであった。


「……わからねえな。前にお前が話していた通り、そこまで大切に想っている彼女を別の男に託すなんて言葉が出てくる事もそうだけどよ、なんでお前と一緒になったら不幸になんだよ?」

「……僕は元の世界に帰るつもりだ。その事は……わかっているよね?」


 頷くレンを見て、僕は話を続ける……。


「元の世界の僕は特別な人間でもなんでもない、ただのいち市民という話をしたと思うけれど……、僕はこれでも家の跡取りみたいなもんなのさ。別に仕事を継ぐとか、そういうものはないけれど……兄が死んでしまったからね」


 一瞬、急な病で亡くなってしまった兄の顔が頭を過ぎるも、黙って僕の話を聞いているレンに対し、続きの言葉を紡いでゆく。


「……あの世界では、僕が両親を含めて家族を見なければならない立場にあるんだ。仕事をしているのは僕だけだったし……、ああ、弟も働き出したから僕一人ではなくなったか……。とはいってもまだまだ新人であるだろうから、実質収入を支えていたのは僕だけだったんだよ。だから……あの世界から僕がいなくなる訳にはいかないんだ」


 既に起こってしまった事に「もしも」はないが……、もし正規の『招待召喚の儀』が行われ、王女殿下が直に僕に対して勇者として赴くよう請われていたら……、僕は間違いなく、断っていた。運命の女性だろうと何だろうと……関係なく。


「……お前がその世界に帰りてえってのはわかったよ。ずっとお前と接してきて、その事を大事にしてるってのもな……。だがよ、それとシェリルさんの気持ちに応えられねえってのはどういう関係があるってんだよ?」


 少し焦れたようにそう聞いてくるレン。その返答に対し、僕は……、


「……色々理由はあるけれど、仮に彼女の気持ちに応えたとしようか?すると、どういう事になると思う?」

「どうなる……だと?そりゃあ……」

「……僕は元の世界に帰らなければならない。だから、彼女とそういう関係になるのは、元の世界にも彼女を連れていく……という事になる」

「それは……そういう事になんだろうな……」


 そうだ、間違いなくそういう事になる。そして、そうなってしまえば……!


「レンは僕と模擬戦をして……、何度も『重力魔法グラヴィティ』を喰らっているからわかると思うけど……、僕の世界に来たら、シェリルは常に『重力魔法グラヴィティ』を受けている状態と同じになる」

「はぁ!?どういう事だ!?」


 ……どういう事も何も……。僕は僅かに残っていた麦酒エールを一気に煽るようにして飲み干すと、


「……この魔法を覚えようと思ったのは、そもそも元の世界の重力に合わせる事を目的としていたんだ。ファーレルの重力に慣れすぎて、元の世界に戻った時に支障が出ると困るからね。僕が常時自分に『重力魔法グラヴィティ』を掛け続けているのは、鍛えると同時にそういう意味もあるんだ。だから、一つの問題として、まず重力の問題が挙げられるって訳さ」

「一つの問題って事は……まだあんのかよ?」


 レンの言葉に頷き、僕はさらに話を続ける。


「二つ目に向こうの世界では魔法や能力スキル……、そしてステイタス画面という概念そのものが存在しない事だ。一度、向こうに戻ってみた時に、それらが使えない事は確認した。その時点で自分に掛かっている魔法や魔法工芸品アーティファクトは効果があったから、抜け道のようなものはあるのかもしれないけれど……。少なくとも向こうの世界で病に掛かったり、怪我をしたりしたら……、治るかどうかはわからない。場合によっては、死んでしまう事も……ある」

「と、とはいってもよ……、こっちでも死んじまう事だってあんだぜ!?それこそ聖職者に見せるまでに死んじまったり、誰でも治して貰うって訳にも当然いかねえ……」

「それはわかってる……。でも、逆に考えれば、治す手段はあるという事でしょう?僕の世界では違う……。最善を尽くしても、治せない事がある……。僕の兄や、幼馴染、友人のようにね……」


 それを聞いて、レンは二の句が継げなくなったようだ……。でも、僕がシェリルを連れて行けない理由はまだある……。


「三つ目の問題は、彼女が『エルフ族』という事さ……。ああ、彼女の美しさもある意味当てはまるかな……?」

「はぁ……?どういう意味だ?」


 意味が分からないという顔をしているレンだったが、


「……僕の世界では人間以外の異種族は存在しないんだ。だから……もし向こうの世界で彼女を見たら、間違いなく国家権力で拘束される事になるだろう。保護という名目で……最悪実験動物モルモットとして扱われるだろうね……。そしてあの美しさだ。性奴隷のように扱われる可能性もある。表の権力者だけでなく、裏の住人にも狙われて……、それを防ごうにも、向こうの世界の僕は何の力も持たないただの一般市民だ。抵抗する事は難しい……」

「お……おいおい!仮にも勇者……みたいな力を持ってるお前が何弱気になってんだよ!そんなん、コウが守ってやれば……」

「……さっきも言ったろう?向こうでは、何の力も持たない一般市民なんだよ、僕は。此方でいくら強くなったとしても、向こうでは魔法はおろか能力スキルだって満足に使えない……。それなのにどうして彼女を守れるといえる?一緒になりたいからと付いて来てくれるシェリルを守ることも出来ずに、別離させられてから後悔しても遅いんだぞ……!?」


 僕の剣幕にレンは驚いたようで、ぐむっと黙り込んでしまった。他にも細かな理由はまだあるけれど、大体は話したか……。


「だからこそ……、僕は彼女と結ばれる訳にはいかない。そりゃあ、僕だって辛いさ……。彼女のような女性に想われるなんて事は、今後の人生において……、いや、来世も含めても無いだろうからね……」


 ……シェリルのような女性が他にもいると思える程、僕はおめでたくはない。まして、そんな人が自分に好意を持ってくれるなど……。

 でも、大切な人だからこそ、決断しなければならない。シェリルを不幸にするくらいだったら、僕は……!


「だから、シェリルが僕以外に選んだ人がいるのなら……、諦めるつもりでいるよ。願わくばそれがグランやレンじゃない事を祈るしかないけど……」

「何だぁ、俺たちじゃ駄目だってのか?」

「会ったばかりの頃ならまだしも……、グランは既に結婚したし、君に想いを寄せている人に悪いから……」


 僕は基本的に、『ハーレム』というのは受け入れられない。シェリルに出会ってから、さらにそのように思うようになったと思う。

 ……もし、僕がシェリルと恋人同士になったとして……、彼女が『逆ハーレム』として自分以外にも付き合う相手がいるという事を僕が受け入れられるものだろうかと考えてみたが……、到底それを受け入れられるとは思えなかった。

 そして、自分が受け入れられない事を自身が実行しようというのは、馬鹿げた話である。


「……意味がわかんねえな。俺に想いを寄せる人ってのもわかんねえが……、結婚してるから駄目だっていう事がさらにわからねえ。仮にシェリルさんがグランに惚れたとして……、その場合はグラン達が望めば結婚する事は出来るんだぜ?なんたってグランは大公家だ……。跡取りの事もあるし、オリビアさんだってグランが他にも奥さんを迎える事はわかっている筈だがな……」

「……この世界は重婚が認められているんだね。でも、そうだとしても関係ないよ。僕は彼女と一緒にいるからわかる。もし、彼女と一緒になったら、他の人は目に入らなくなると思う……。それが彼女の元々持つ能力スキルなのかどうかはわからないけど、そうなってしまっては他の女性が不憫だからさ……」


 先程会ったばかりだけど、オリビアさんがグランを心から愛している様子はわかったし、またサーシャさんのレンに対する想いも本物だ。だから理想は特定の相手がいない……、言ってしまえばシェリルの婚約者が見つかれば解決するだろうけれど……。因みに、シェリルの婚約者についてはニックにも何か情報があれば教えて欲しいと探して貰ってもいる。

 

 ……本音を言えばレンやグランなら彼女を任せるのに何の不足も無いし……、これを言ってしまうと本末転倒だが、何でここまで自分を慕ってくれるシェリルを他の男に託さなければならないんだと思ってはいる。思ってはいるけれど……、でも、この件に関しては覆す訳にはいかない。

 僕の話を聞き、大分酔いから醒めた様子のレンが呟くような声で、


「……お前の話はわあーったよ。だがよ、これだけは覚えておけよ?シェリルさん、もうお前と離れられねえくらい本気になってるからな?それによ……、一応シェリルさんに見惚れた男として、彼女を泣かせる事があれば……お前でも許さねえぞ」

「……心しとくよ、有難う、レン。心配してくれてるんだね」

「ケッ……、俺が心配してんのはシェリルさんだ。お前じゃねえよ……」

「そういう事にしとくよ。でもなぁ……、レンはもう少し自分の事も考えた方がいいと思うんだけど……。君の言葉じゃないけど、彼女を悲しませたら僕も許さないからね?」

「さっきも言ってたが……どういう意味だ!?俺を揶揄ってんのか!?」


 ……なんでシェリルの事はわかるのに、自分に寄せられた好意には気付かないんだろう……。サーシャさんの事、どうやって誤魔化すかなと思っていたところに、


「お前ら、折角カジノに来たってのに何時まで呑んでんだよ……」

「ヒョウ!ちょうどいい、聞いてくれよ……!コウのヤツ、生意気にも俺を揶揄ってきやがんだよっ!自分の事を考えろ……、じゃないと彼女が悲しむ……、なんて言いやがるんだぜ!?」

「……以前、伏せておくよう言ったがの……、ワシも流石にそれもどうかと思ってきたわい。いっその事、此方で話してしまおうかと思わなくもないのう……」

「まあまあ……、ここまで彼女の為に伏せてきた訳ですから」


 レンがそんな事を宣いながらヒョウさんに対して絡み出すのを見て、ハリードさんがそう考えを改めようかとぼやくのを僕は苦笑しながら宥める。


「お主らは何時まで呑んでおる?折角、カジノに来ていながら何もしないので御座るか?」

「僕としては前に来て中断させられたスロットでリベンジしたいところなんだけど……、彼が離してくれなくてさ」

「ああん?なんだぁ……、そりゃあ、俺がまるでお前に絡んでるみてえな言い方じゃねえか……!?いつ、俺がお前を離さなかった!?ちょっと俺の酒の相手をさせてただけだぞ!?」

「……それ、彼を拘束してましたと言っているようなものですよ、レン」


 ペさんにポルナーレさんも戻ってきながら話に加わってきた。集まってきたヒョウさん達を見やりつつ、新たにお酒を注ごうとしたバーテンダーさんにもう大丈夫と伝え、代金をテーブルに置きながら、


「ヒョウさん達、もういいんですか?僕らの事は気にせずに楽しんできて貰って構いませんよ?」

「……それがな、俺らはもう遊ぶ金はねえんだよ」


 そう肩を竦めながらヒョウさんは答えると、


「新たにカジノに追加された、トランプのポーカーだったか……?全然駄目だ、まるで勝てる気がしねえ……」

「相手と直接対峙する種目ですから、もう少し何とかなるかと思ったんですけどね……」


 苦笑しながら相槌を打つポルナーレさんにハリードさん達も合わせている。……この間加わったばかりのトランプゲームがもうカジノに採用された事にも驚いたけれど、それ以上に驚いたのは……、


「ポーカーで全員遊ぶ分のチップを使い切ってしまったという事ですか……?ルールってテキサスホールデム……じゃなかった、参加しているプレイヤーで競い合うゲームでしょ?それで、見事に全員負けてしまったという訳ですか……?」

「……いや、拙者たちが負けたのは相手ディーラーと1対1で勝負するタイプのもので御座る。もう少し勝敗も偏ると思っておったが、何とも……」

「ワシも熱くなってしもうたが……、気が付けばチップが無くなっとったというのが実情じゃな」


 ふうん……?まぁ、僕の知る限りのポーカーのルールや対戦方法は伝えていた訳だけど、ディーラーとの直接対決の手法を採用している訳か……。でも、そのルールだと完全に運任せになって、元の世界における、今の海外のカジノではあまり採用されていない筈……。それを敢えて採用しているのは余程勝てる自信があるのか……、まさか王国が主導する国営カジノでイカサマが行われている事はないだろうけれど……。


「フン、なら俺が行ってお前らの負け分ごと回収してきてやらぁ。行くぜ、コウ!お前がアレを伝えた時はギッタンギッタンに負けたが……、俺の真の力をみせてやるぜ……!」


 ……それは思いっきり負けフラグだよ、と僕は溜息を吐くと、今日はスロットは出来そうにないなと諦めつつ、一人突っ走るレンを追うようにヒョウさん達と一緒に付いて行くのだった……。











「いやー、コウのお陰で助かったよ。いくら何でも負けが込みすぎちまったからなぁ」

「まさか、あの一発勝負で……。恐れ入りました」

「……見ての通り、まぐれだよ。もう一度やってくれと言われても出来る事じゃない」


 レン達と共にカジノを後にして、僕は先程の事を思い出す……。


 ……結局、僕とレンはヒョウ達が負けたというポーカーのテーブルに行き、レンがディーラーにコテンパンにされたところで自分が対戦する事となった。相手は表情を読み取らせないよう僕の知るところの完璧なポーカーフェイスを駆使して、あまり浸透されていない筈のトランプをちゃんと使いこなしていた様子であり、勝負が長引けば不利になるとみた僕は短期決戦を選ぶことにしたのだ。


 最初にレンを含めたヒョウ達の負け分を回収できるところまでのチップを賭けられるかを確認し、出来るのならば現状の、カジノホールデムポーカーでの一発勝負で決着をつけたいと提案した僕。そして大金を賭ける事になるので、お互いイカサマ防止の為にもデックのカットの際に、間に一度だけ自分にもシャッフルさせて貰いたいと伝えるとディーラーも勝負を受けてくれた。

 デックを渡された際に、万が一にもディーラーがトランプの操作をしているという事も考慮してショットガンシャッフルを披露。驚くディーラーにトランプを返却して勝負が始まったが……、運の要素が多様に作用するこのポーカーで、より良い結果が起こりやすくなるという『幸運の女神の寵愛』の能力スキルでも発動したのか、結果は自分の圧勝であった。


 最も、僕としても勝ちすぎないように、あくまで仲間たちの負け分の回収のみを目的とした為にカジノ側からもそう目くじらはたてられなかった。むしろ、ショットガンシャッフルを使った為に、カードの扱いに慣れているのかとか、ディーラーに興味はないかと何故かスカウトをされる始末。

 ……カジノに対しイカサマを使って大金をせしめようとして出入り禁止となった何処かの自称勇者殿とは雲泥の差であった。どうして、行くところ行くところでトウヤのそんな顛末を聞かされるのだろう……。本当に、意味がわからない……。


 恐らく彼は自分の欲望に従い、他人の事など考えもしないのだろう。僕は両親より、大切な事は感謝と恩返しであり、他人を思いやる心を忘れるなと言い聞かせられてきた。自分が生きていられるのは、決して自分だけの力じゃない。様々な人に助けられて、こうして今の自分があるのだと……。


 トウヤも少しでいいから自分の事だけでなく、他人を思いやってくれたら……と、あんまり期待できそうにもない事を考えていたら、ヒョウさん達から声を掛けられている事に気付き、ハッとして僕は思考の海に沈んでいた意識をこちらへと戻す。


「折角だからこの後よ、娼館にでも行くか!お前らも来いよ!回収してくれた礼だ、ここは俺らで持つからよ!」

「また、貴方は……。先日も行ったばかりでしょうに……」


 しょう、かん……、商館の事か……?でも、もう『朱厭』の刻になり、こんな時間に商館が開いているのか……?


「コウ殿は娼館に行かれた事はおありで御座るか?」

「この国の商館って……、てっきり僕は商人ギルドがその役目を担っていると思ってましたけど……」

「ああ、勘違いしてんな。コイツらが言ってるのは娼館・・……、目の覚めるような娼婦たちがいる娼館の事だ」


 娼館……!?思わずレンを見るとニヤッとした笑みを浮かべながら肩を組んでくると、


「なんだ?我らが勇者殿も、そういった事はあんまりご存知でないのかな?」

「レ、レン……!揶揄わないでくれ!僕だって、それがどういうものなのかはわかっているさ!」

「これ、レンよ……。全く、仕方のないヤツじゃわい……。コウ殿、娼館というのはじゃな……」


 呆れたような様子でレンを窘めながら、ハリードさんは僕に娼館について説明してくれた。


 娼館は僕の想像していた通り、風俗のお店という事であっているようだ。それもキャバクラやスナックというより、いわゆるソープランド……。ハリードさんの説明では冒険者や職人たちが仕事の終わりに利用するという事が多いようで、王国では表立って認めてはいないものの、ある種暗黙の了解で成り立っているお店であり、女性も利用できるよう『娼夫』という職業も存在しているようである。


 ……何となく感じていた事だったが、このファーレルは僕のいた世界以上に情欲に対して過敏なのかもしれない。先程レンから聞いた通り、重婚が男女ともに認められているというのも、自身の跡継ぎを残すという欲求が強いからなのだろうか……。それも、より良い異性を求め、少しでも優れた血を残す為といった目的もあるようだが……。

 ……シェリルに惹かれる者が多いのも、容姿端麗な本人の美貌にというだけでなく……、彼女の才色兼備な優秀さ故に引き寄せられる人もいるのかもしれない……。娼館の役目は、その強い欲求を手軽に解消する為の施設であるらしく、そういう意味で王国も残しているのだろう。


 此方の世界でもこういった施設があるんだと半ば感心しながらも、流れに任せて彼らと行ってみたいと思う気持ちもあるが、気掛かりな事もあった。果たして王国預かりとなっている僕が、明らかに王国の管理外でありそうな娼館を利用してもいいのかなと躊躇する思いもあったのだ。


「……僕も行って、いいのかな?」

「問題ねえさ、お前だって少しは羽根を伸ばしてもいいと思うぜ。冒険者時代もよく利用してたし、この国の人間なら普通の事だしな」


 レンに小声で聞いてみたところに、帰ってきた返事がこれである。そりゃあ僕も毎日シェリルと一緒に居て……、彼女の前でその、何というか……、羽目を外すような行為をする訳にはいかないから、この世界に来て以来ずっとご無沙汰だったのだ。いや、元の世界に居た時も、最近仕事が忙しすぎてそれどころじゃなかったから、どれくらいぶりになるんだろうか……。

 ……流石に、娼館に行くくらいは……許されるよね?行ったら成り行きに任せる事になるだろうが……、まあ、行き摺りの人とだったらそんなに深く考えなくてもいいし……。


「それなら……いいか。それじゃ……!」

「…………いい訳ないでしょ」


 一体いつの間に!?何処からともなく掛けられた声に驚き、振り返ってみると、なんとユイリが呆れたような表情で立っていたではないか!?


「ユ、ユイリ!?どうしてここに!?」

「……念の為、私の影を貴方に付けていたのよ。護衛はレンで十分だとは思っていたけどね。それよりも貴方、娼館に行こうとしていたわね?それ、問題ないと本気で思っていたの?」


 急なユイリの出現に驚いたのはレン達も一緒のようであったが……、この状況はあまり歓迎できるものではない。別に悪い事をしに行こうという訳ではないけど……、そういった事はユイリ達には内緒にしておきたかった事もあって、後ろめたさもあったのは事実。

 何とか弁明しようと僕は彼女に対し、


「え、ええと……、後ろめたい事をするつもりはなかったよ?王国でも暗黙の了解で認めているって話だし……。そ、そうだよね?」

「あ、ああ……、そうだな!俺も今まで利用しても何にも言われた事も無かったしよ、コイツを連れて行っても問題はねえ筈だよな!」


 僕とレンの弁明に対し、彼女は腕を組みながら何処か冷ややかな様子で聞いていたところ、ヒョウさん達にチラッと視線を向けて、


「……貴方達は確かレンから彼の事について事情は知っているのだったわね。だったらわかると思うけれど……、万に一つも彼を危険に晒す訳にはいかないの。娼館は、王国の管理下に置かれていない施設であって、ほぼ密室にてサービスが行われる場所よ。もしかしたら、魔族が刺客として彼を害そうと送り込んでいるかもしれない……。その可能性を否定できない以上、そんなところに彼を行かせる事は出来ないわ」


 ……僕が懸念していた事をはっきりと告げられ、レンは暫し沈黙していたが、


「だ、だがよ……!コウだって男だぞ!?こっちの世界に来て、全く発散出来てねえんじゃねえのか!?」

「え!?そ、それは……」

「コイツの居た世界ではどうだったかは知らねえが、こっちはいつどうなるかもわからねえ、命がけの世界だ。もしかしたら、明日はこんな風に話す事も出来ねえかもしれねえ!だから、俺達は不安な要素を残さねえよう、常に万全の体制を維持する必要がある……。今のコイツの状態が万全だと、誰が言い切れる!?話を聞く限り、コイツはずっとご無沙汰してるみてえだし、何ならユイリ、お前が相手してやるって言うのか?」


 レンの方でも思うところがあったようで、僕に代わってユイリに対しぶちまけるように言葉をぶつけてゆく。……正直、他人に自分が溜まっている云々言われるのはかなり複雑な気分だが……、彼の言う事も一理ある。唯でさえ、手を出さないと決めているシェリルを前に、大分慣れてきたとはいえ、色々と理性や精神を消耗させられていっているのは事実である。

 彼の言葉を黙って聞いていたユイリだったが……、その彼女から思いもよらぬ一言が飛び出してきた。


「……そうね。だったらレン、貴方の言うように、私がコウのお相手をしましょうか?」


 ………………は?今、ユイリは何て言った……?一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「な、何を言って……!相手って、どういう意味かわかってるの……!?」

「何を驚いているの?元々、私は貴方が望めばそういった事にも応じる任務になっているの。レンも言っていた通り、情欲を溜め込ませて、いざ戦闘の場で支障があっても困るし、その辺りは私も貴方の様子を見極めていたのよ。因みに、あんまり言いたくはないけれど……リーチェだって、あの男と関係を持っているわ。最も、彼女は任務として割り切っているし、今回はそれを利用して例の『忘却思草』を使用するみたいだけど……」


 動揺している僕に何でもないように続けるユイリだったが……。ちょ、ちょっと待ってくれ、考えが、追いつかない……!それはレン達も同じのようで、彼らもユイリの発言にフリーズしているみたいだった。

 ……今までシェリルは兎も角、ユイリの事をそのような目で見た事は無かったけれど、彼女だってとても魅力的な女性なのだ。自分と同じような黒系統で、そのポニーテールをほどけば流れるような長髪になるだろうし、元の世界でいう大和撫子を思わせる……、そんなユイリからの言葉に、僕は戸惑いを隠せなかった。


 同僚だと思っていた女性からのまさかの言葉を聞いて、僕だけでなくレン達も娼館に行くような気分では無くなってしまったのだろう。彼らは皆一様に消沈してしまっており、レンからは、


「……今日はもうお開きにしようぜ……。じゃあ、コウ、ユイリも……、また明日な。お前がいればソイツのお守はもういいだろ?」

「ちょっ!レン、こんな状況で帰ろうとしないでよ!」

「悪いが俺もお邪魔虫になるつもりはねえよ……、じゃあな」


 僕の引き止めもむなしく、そう言ってレンはさっさと帰ってしまった……。さらに、そんな彼に続きように、


「……ならばワシらもお暇させて貰うかのう」

「……ですね、それではユイリ様、自分たちもこれで……」

「ハリードさん、ポルナーレさんも……!それはないでしょ……!」

「……済まぬ、コウ殿」

「悪く思うなよ、コウ。健闘を祈るぜ」


 ヒョウさん達もそれぞれ引き上げてしまい……、僕は取り残されてしまう。ユイリはひとつ溜息を吐き、


「……それで、どうするの?」

「どうするって……!そんな事する訳ないだろう!まして……、シェリルになんて言えばいいんだよっ!彼女は基本、ずっと僕といるのに……っ!」

「そうね……、だから姫も責任を感じていらっしゃるみたいよ。貴方がこんな行動に及んだのは、ご自身のせいだって……。まぁ、私もシェリル様が貴方についていらっしゃったから、こういう事を伝えるのも控えるようにしていたんだけど……」


 それは、そうだろう……。僕とユイリが関係を持って、シェリルが黙っているとは思えない。まさか、ユイリがこんな事を言ってくるなんてと思っていたのだが……。

 ……………………待てよ、今、ユイリは『姫も責任を感じていらっしゃる・・・・・・・・・・・・・・』なんて、話していなかったか……!?


「ち、ちょっと待って……!ま、まさか……、まさかとは思うけど、シェリルは……この事を、知って……!」

「……私はただ、娼館に行こうとしてるのって声に出しただけ……。そうしたら姫がその事について聞いてこられたから……。経緯をお伝えしただけよ」

「それ、完全に把握してるやつだよね!?一番知られちゃいけない彼女に……!」


 いくら僕がシェリルと恋人というか、彼氏彼女の関係でないからといって、自分が好き勝手にやってもいいとは思っていない。シェリルは明確に自分に対して好意を伝えてきており、僕もその想いを拒絶している訳ではないのだ。……自分が元の世界に帰る以上、その想いに応えられないだけであり、そうでなければ彼女と一緒になりたいと本気で思っているのだから……!

 それなのに、彼女の想いに返答もせずに、自分ではなく他の女とそんな関係を結ぼうとしていたら……!僕はさぁーっと背筋が寒くなる思いがしていた。


「……後ろめたく思ってるのなら、娼館に行くなんて言わなければよかったのに……。姫のお気持ちを知っていながら、今回の件は流石に擁護出来ないわよ?」

「グッ!?そ、それは……ってこうしちゃいられない……!」


 とりあえず、今僕がしなければならないのは、いち早くシェリルに釈明する事だ。こういうのは時間を置けばおくほど、ややこしい事になる。とはいっても、何て言い訳……、いや、釈明すればいいんだ……?

 シェリルの待っているであろう清涼亭へと駆け出しながら、僕は必死で考え続ける。そんな僕の様子を見て、溜息を吐くユイリの並走する姿を視界に捉えるも、最早気にする余裕もない。その場のノリで娼館に行く事を決めてしまった数刻前の自分を後悔しながら、ユイリと共に、清涼亭へと向かうのだった……。











「た、ただいまー……っ!?」

「……お帰りなさいませ、コウ様」


 清涼亭の自分とシェリルに与えられた部屋の前で暫く入室を躊躇していたが……、やがて観念してそーっと扉を開ける。小声で帰宅を告げた僕だったが、入り口で正座して出迎えてくれていたシェリルの姿を目にして、早々に出鼻を挫かれてしまった。


「シ、シェリル……、あの、誤解のないよう伝えておきたいんだけど……」

「……申し訳御座いませんでした」


 何とか誤解だと彼女に伝えようとしたところで、シェリルより何故か謝罪されてしまう。……完全に彼女のペースだ。主導権は……シェリルにある。僕はもう、成り行きに従うしかない。


「……わたくしのせいで、コウ様に随分辛い思いをさせてしまっていたみたいで……。その事に気付かずに、貴方に甘えて、本日まで過ごしてしまっておりました事、深くお詫び申し上げますわ」

「いや、だからねシェリル。それは君が悪いとかじゃなくて……」

「ですから……」


 僕の言葉を封じるようにシェリルがそう呟くと……、彼女はそっと羽織っていたローブを脱ぎ捨てて……!


「ちょっ!?シェリル、何をして……っ!」

「……ですから、今後はそのような事・・・・・・も含めて、わたくしがお相手させて頂きますから」


 ……羽織っていたローブの下には何時もの普段着ではなく……、彼女を初めて見た際に身に付けていた、あのアラビア衣装を思わせる非常に扇情的な装束を纏っていた。おまけに頬を朱に染め、恥ずかしがっている様子がまた、一層シェリルを艶やかに魅せているというか……!


「シ、シ、シ、シェリル!?一体どうして!?何でそんな恰好をっ!?それにお相手って……!?」

「……本日、コウ様が娼館に行かれようとされた事はユイリより伺いました。コウ様がそう思われた事は、先程も申しました通り、わたくしがご一緒させて頂いているせいでもありますわ。ですが……、この国での勇者様に対するスタンスは兎も角として、わたくし個人としましても、貴方が見知らぬ女性とそのような事をされるのはあまり見過ごせるものではないんです……っ!」


 そんなところに行かれるくらいなら、わたくしを抱いて下さい……っ!そう言われた瞬間、弾かれたように僕はシェリルを抱きしめていた。鋼の意思アイアン・ウィル越しからも色々と我慢が出来なくなりそうになるものの、手を出してしまったら全て終わってしまう気がしている。土下座するか迷ったが……、まずは彼女に伝えておかないといけない。


「……決して君を抱きたくない訳じゃない。むしろ魅力的すぎて、正直自分の理性が何時まで持つのかわからないくらいで……、それが君の望みならと本能に任せたくなりたいくらいだ。だけど……そうすると僕は誰かを裏切ってしまう事になる。君か……若しくはあの世界で僕を待っている家族たちを……」


 シェリルに恥をかかせないように、正直に彼女の魅力と自分の想いを伝えると同時に、それが出来ない訳を告白する。彼女のいい匂いと豊満な胸の感触におかしくなりそうになるが……それを必死に抑え込むようにして話を続けた。


「ですが、わたくしは貴方に我慢などして欲しくはないのです。少しでもコウ様を万全な状態を保って頂きたいのですわ。わたくしのせいで、貴方を溜め込ませる事になるなど……、わたくしは望みません……っ!」

「シェリルのせいなんかじゃない、僕が悪いんだ……。君にそんな思いをさせてしまって、本当にゴメン……。今後、そんな場所には絶対に行かないから……。君を傷つけてまで、行こうとも思わないしさ……」


 少しでも僕の思いが伝わる様に、言葉を選びつつ彼女へと謝罪する。心頭滅却し、理性を総動員させて、自分に歯止めをかけながら、シェリルの頭を撫でる。


「……私も迂闊でした。コウも本気で娼館に行きたいと思っていた訳でもないようですから、姫もその辺りで……」

「ですが……っ!コウ様に我慢を強いているのは事実です!とはいうものの……、わたくしはもう、彼と離れるなどという選択も出来ませんっ!コウ様が嫌がっておられるというのならば……、話は別、ですけれども……」


 ……ここで嫌がってます、なんて事は言えない。というよりも、心から彼女を嫌がっていなければ、そんな選択肢は選べないかのようだ。……シェリルの事を本当に考えるのであれば、ここは拒絶しなければならないのかもしれないけれど……。


 その後、僕は只管にシェリルに謝罪を繰り返し……、戦場で不覚をとるような事はないよう心掛ける事と、二度と娼館なんかには行かない事、そして本当にどうにもならなくなった際には、君に相談すると伝えたところで、漸く今日のところは、と彼女は矛を収めてくれた。それを苦笑した様子で見届けたユイリはまた明日、と部屋を出ていくのであったが……、彼女が出ていった後も、貴方が望むならわたくしは何でも致しますわと、さらに爆弾を投下され、危うく理性が崩壊しそうになったが……、辛うじて暴走を抑える事に成功する。


 そして……本日を境に、時折シェリルが誰にアドバイスでも受けているのかわからないが、此方が驚くような格好で誘惑するかのように自分に接してくるようになるのだが……、この時の僕はまだ知らなかった……。



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