第36話:接触




「トウヤ殿ですね、初めてこの地に来た時以来で御座いますが……、はじめまして、コウと申します。この度は此方の無理にあわせてお時間を割いて頂いたようで……」


 王女殿下より連絡を受け、トウヤのところに会いに行き挨拶をしたのだったが、


(……どうも反応が薄いな。大方、シェリルに見とれている、といったところか……?)


 正直なところ、ここにシェリルを連れてくる事は反対だったのだが……。僕だけでなくユイリまでも反対しシェリルの説得に当たっていたが、結局シェリルの意思を変える事が出来ず、一緒にここまで付いて来てしまった。

 どうしたものかと思っていると、目の前のトウヤが行動を起こし……、


「えっ……!?」


 一瞬の内にシェリルの前にまで移動したかと思うと、彼女の被っていたフードを下ろし、顎に手をかけて自分の方に引き寄せようとしていた。咄嗟の事に困惑していたシェリルだったが、自分が何をされているのか状況を察し、


「厭っ!!止めて下さいっ!!」


 そう拒絶してトウヤを振り払ったかと思うと、僕の後ろに隠れるシェリル。トウヤを見てみたところ、蒼かった瞳の片方が一瞬、紅に染まっているのがわかった。すぐに元の色へと戻ったが、もしかしたら何かしようとしていたのかもしれない……。


「……邪魔する気か?まさかお前、彼女の恋人、とか言い出さないよな?」


 再びシェリルに歩み寄ろうとするトウヤが彼女を庇う僕に対しすごんでみせる。……この男、思った以上にヤバい奴なのではないか?僕をここへ通した目的すらも忘れてシェリルに執着する様を見て、想像以上に厳しい話し合いになりそうだと嘆息しつつ、


「邪魔をするも何も……、僕に用があったんじゃないのですか?しかも彼女、嫌がっているではありませんか」

「そんな事は関係ねえ。お前は黙ってオレの問いに答えておけばいいんだよ……!」


 ……最初に会った時や演習先での様子を微塵も感じさせず、これが本性であるかのようなトウヤの態度に心の中で嘆息する。それを見て傍に居たユイリや、彼に付いていたベアトリーチェさんもそれぞれ動き出し、


「この方は滅んでしまった王国から逃れてこられた姫君です!私が彼と一緒にお目付け役として付けられておりましたので、ご足労頂いただけで……」

「トウヤ殿、いくら何でも失礼でしょう……!初対面の女性に対してそのような……!おまけに貴方がそちらの勇者様候補の方をお呼びしたんですよ……!」

「だから、んな事関係ねえって言ってんだろ!!てめえも女に守られて、恥ずかしいとは思わねえのかっ!!」


 僕の前に出たユイリを見て、一段と憤りを募らせるトウヤ。肩を掴んで彼を止めようとしていたベアトリーチェさんを振り払おうとしているところに、


「貴女は確か……、あの店に連れて来られていた……」

「ん?どういう事だ、エリス?」


 やはり演習で見た彼女はあの闇オークションでの……。彼女を購入し、シェリルを奪おうと僕を殺そうとしたあの成金みたいな貴族が破滅したって聞いていたが、どういう因果かはわからないけれどトウヤがそのまま引き継いだ、という事なのだろう。

 彼女から経緯を聞いたトウヤが、


「……って事は、奴隷にされて逆らえない彼女をてめえが連れまわしてんじゃねえのか!?そこのユイリさんだったか、彼女の事もてめえがシェリルさんを奴隷にしたから一緒に付き合わせてるんじゃ……!」

「いいえ、ご主人様見て……。彼女には奴隷である事を示す首輪がない。自由意思で行動出来ているのは間違いない筈……」


 どこか羨ましそうにシェリルを見ながら話すエリスさん。彼女は……奴隷のままなのか……。奴隷にしているのかと憤っていた割に自分は使うって……。そしてそのトウヤは……、


「……よく考えれば処女って事は手を出してねえって事か……」


 そんな事をぶつくさ言っているトウヤを見て、僕は本当にこの男に勇者の資質を移して大丈夫かと思う。正直に言って、本性を見せているであろう今のトウヤに勇者の力を渡したとしたら……、魔王が世界を支配する以上に仲間たちにとって不幸な事になるような気がしてならない。


 僕の後ろに隠れていたシェリルが、そのまま近くにいるのは僕にとっても不味いと思ったのか、気分がすぐれないので部屋の隅で待機していると申し出てくる。僕はそれを受けてユイリに彼女の傍に付いていて貰うように伝えるも、こんな態度を見せているトウヤに対し僕から離れても大丈夫か懸念に思っているようだったが、


「大丈夫よ、ユイリ。貴女はシェリル様に付いていてさしあげて……。彼には危害を加えさせないから……」

「……わかったわ、リーチェ……。コウをお願い……」


 任せてと言って何かあったらすぐ対処できるところに立ってくれたが、未だトウヤは彼女が距離を取った事にも気付かずにシェリルをどうたら言っているのを見て、勇者の力について話すのは様子を見た方がいいと思っていた時、漸く納得したらしいトウヤが話しかけてくる。


「おほん……、一先ず話はわかった。ん?彼女はどうした?」

「……調子が悪くなったみたいで、ユイリが付いていますよ。ところで、僕に話があるとの事でしたが……」


 わざとらしく咳ばらいをするトウヤに呆れつつも答えると、


「ああ、まずそれからだな。お前、どうしてオレに利権を譲ったんだ?そんなことしてお前にどんな利点があるっていうんだ?」

「……僕は巻き込まれてこの世界へと来た身です。いずれ元の世界に戻る僕が、利権やら何やらを持っていても仕方がないではありませんか?それならば、『勇者』としてこの世界を救おうとしている貴方の名で登録された方がいいと思っただけです」


 用意していた台詞を話すとトウヤは少し考えているようだった。


「……ふん、嘘はついてないようだな」


 真贋判別魔法ファクトフィクション……、か。嘘をついていたらここで終わりだったな……。意外と注意深いトウヤに対し、一段階警戒をあげつつも、


「以前に嘘をついてとんでもない状況に置かれた人を見たことがありましてね……。それ以来嘘はつかないようにしているんです」

「成程な、じゃあオレに権利を譲る事に他意はないというんだな?」

「……まぁ、御存じなら教えて頂きたい事はありますけどね。他人に自分の能力スキルを移す方法を探しているのですが……」


 そう話した僕の言葉にベアトリーチェさんが反応したような気配を覚える。……僕を勇者であると半ば確信する勘がいい人たちには、僕が何をしようとしているのかとわかってしまうかもしれないが、この状況では誤魔化しようがない。流石にトウヤとサシで話そうとしても、先程のトウヤの出方を伺う限りユイリたちが許さないだろうし……。許してくれたとしても、僕自身が彼にやられてしまう可能性も否定できない。いくら強くなってきたとしても、目の前の男には敵わないと思わせる何かを感じる。


 それならばと僕は必死に頭を働かせていた。自分にとってより良い状況へと持っていく為に……!


「何か譲りたい能力スキルでもあるってか?それこそ持っているだけでマイナスになりそうな能力スキルでもよ?だが生憎だな、そんなものは知らないし、そもそも他人に能力スキルを渡そうなんて考えた事もないな」

「……普通はそうでしょうね。ですが、いずれ僕が元の世界に帰る際に、自分の覚えていた能力スキルなんかを渡したいと思いまして……。どうせ元の世界に戻ったら使えなくなるのでしょうし」


 ……ギリギリ嘘ではない。その思いも確かにあるが……、一番の目的は勇者の資質毎移す事にある。ただ、本当にこの目の前の男に移してもいいのだろうか……?


「話を聞く限り、オレとお前の利害は一致してるって訳か……。だが、これだけは言っておくぜ?今後もお前、シェリルに手を出すんじゃないぞ?それも彼女だけじゃない……、この世界のいい女は、特に処女のコには絶対に手を出すな!」

「まぁ、元より彼女とは身分も立場も違いますし、いずれ自分の世界に帰る事もあって、手を出していい方だとは思っていませんでしたが……、その処女の子というのは……?」


 危うく手を出しそうになったという事は黙っておこう。発現した『鋼の意思アイアン・ウィル』が無かったらどうなっていたかわからないが……、むしろ我慢出来た自分を褒めてあげたい気分だ。

 そんな僕の内心を余所に、トウヤは話を続ける……。


「決まってるだろ?この世界ファーレルのいい女は全員纏めてオレのもんだって言ってるんだよ!それを邪魔しないというのなら……、お前を元の世界に帰してやってもいいんだぜ?」

「……一応、元の世界に戻る方法の目途はついているんです。ただ、シェリル様を口説くのは自由ですけれど、ちゃんと彼女の心に寄り添って下さいね……?先程お話にも出た通り、一度奴隷商人に捕まって男に恐怖心を持っていらっしゃいますから……。しっかりと心を掴んでくれるというのならば……」


 ポコンッ。僕がそう話した瞬間、そんな音が僕の中で響き、シェリルより通信魔法コンスポンデンスが飛んでくる。……恐る恐る内容を確認してみると、


<……その人に心を奪われるなど、そんな日は絶対に来ませんから……!>


 部屋の隅に待機しているシェリルの方を伺うと、ムッとしながら僕の事を睨んでいるようだった。苦笑しながら僕は謝罪する旨を彼女に返すと、トウヤは得意げに、


「それは問題ねえよ!オレに惚れない女、落とせねえ女なんていないんだぜ?この間だって、処女だったおっぱいちゃんを堕として、その肢体の味や具合を確かめてみたばかりだし、同じく巨乳でずっとつれなかった、このリーチェだってモノにする事が出来たんだからな!」


 そう言ってベアトリーチェさんの肩を抱き寄せながら笑っているトウヤだったが……、心なしか彼女の反応は気を許しているソレではないように感じるのは僕だけなのだろうか……?それにこの男は確か禁忌とされている『魅了』の力を持っているとの事だけど、耐性があって効かないシェリルを惚れさせるなんて絶対に出来ない気がするし、先程の様子からも嫌悪感しか抱いていなかったようだし……。


 それ以前にこの男にはシェリルを任せられるという思いが1ミリも湧いてこない。聞いていたら自分の欲望しか話していないし、想像以上に吐き気を催すタイプの人間のようだ。こんな奴に勇者の力を渡したら、魔王に支配される事よりも悲惨な状況になりかねない。

 トウヤの欲望のままにシェリルやユイリたちを苦しめ、不幸にしていくなんて事になるのならば……、まだ世界が滅びた方がマシなのではないのか……。


 早くも僕の希望が、勇者の力を移すという願いが暗礁に乗り上げている事に眩暈を覚えそうになるも、


「まぁ……それだけはお願いしますね。特にシェリル様のお心だけは気を配ってさしあげて下さい……。彼女の事を任せられる方がいれば、僕も安心できますから……」

「なあに、任せとけって!それよりお前、なんだって元の世界に戻りたいんだ?多分だがお前、オレとおんなじトコに居たんじゃないのか?」


 お前に言ってるんじゃないよと内心思いつつも、トウヤの言った通り、何処の世界にいたかという事については気になるところではあった。


「……地球の、21世紀の日本。ちょうど自国のオリンピックの事で中止か延期で揉めていましたが……、これでわかりますか?」

「ああ間違いない、オレもそこにいた。最も、あの世界でのオレは死んで、この世界の勇者として召喚されるべく生まれ変わったカタチになっているがな」

「ええ……?死んで、生まれ変わった……?」


 ……なんだそれ?どういう事なんだ?

 疑問に思っていた僕に応えるように、彼が話し出す。


「言葉通りの意味だ。元の世界でのオレは死んで、女神とかいう奴に会ったんだよ。確かソピアーとか言ったか……、神だとか名乗っている割に面倒くさがりで、融通が利かずやたらと脅してくる駄目な奴だったがな……」


 一度死んで転生したなどと、俄かに信じ堅い話だが……、神様云々に関してはこの地に来て以来、超常的な存在に会っており、神聖魔法といった奇跡も体験している為、有り得る事と納得する。

 ……仮にも神と呼ばれし存在をこき下ろすという罰当たりな事をして大丈夫なのかとは思うが……。


「勇者としての力を得るのも自分でやれとかいう、神とは思えない程のぐうたら振りだったが……、なんとか特殊な力を貰って、それでこの世界を救うべく使命を帯びて召喚に応じたって訳だ」

「……そうだったのですね。それで、その召喚に僕が巻き込まれてしまった、と……」

「そういう事じゃねえか?オレにとってはどうでもいいが……」


 ……本当にどうでもよさそうなトウヤに、お前が王女様の召喚に干渉したせいだろ、と真実を突き付けたくなるが……、グッと僕は我慢する。


 同じ世界、それも日本にいたというのは、事前に調べていた情報から判断して何となくわかってはいたが……、その日本人離れした容姿はそういう事だったのか……。勇者の使命云々は嘘だろうが、転生したという話は本当の話だろうな。わざわざそこで嘘をつく理由はないし……、それにしても女神ソピアーか。意図して彼をこの地に送り込もうと思っていたのかはわからないけど……。


 その神様にコンタクトをとる方法でもないかなと考えていると、トウヤの傍にいたベアトリーチェさんを見ておやっと思う。口を真一文字に結び、唇をかみしめて何かに耐えるような彼女の様子に、並々ならぬ思いを感じたからだ。だが、トウヤはそれに気付いていない様子で話を続けた。


「そんな訳だからよ、オレは前世でのあの地球での事になんの未練もないんだよ。だからあの世界に帰りたがっているお前を理解出来なくてな?もしかしてお前、マザコンだったりするのか?」

「マザコンではない、と思いますけどね……。1人暮らしして、ホームシックにもならずやってきた訳ですし。だけど、会いたくないと言ったら嘘になりますし、いきなりこの世界に召喚されて、別れも伝えられていないんです。急に失踪した形になって、恐らく心配をかけてしまっていますし、何より父は病を患って明日をも知れない状態でしたから……」


 ……そうだ、それが元の世界に戻りたい一番の理由なのだ。僕が誰にも言えずに行方不明になってしまっている事で、家族の人生を大きく狂わせてしまっているのではという不安……。


「そうやって感傷に浸る事自体、マザコンって事だと思うが……、いや、ファザコンか?まあいい、元の世界に帰る方法は多分あるぜ?使う事はないと思っていたから調べる気もおきなかったが……、お、あったあった」

「えっと、トウヤ殿……、一応ですね、元の世界に帰る目途はたって……」

「何だこれ、結構高えな……、こんなにするのかよ……。次元を超えるって事だからこの価値も頷けるってか。だが、お試し版ってのが使えるな。600秒……、ここと時間の単位が異なるようだから、地球の時間で10分間だけ向こうに帰る事が出来るぜ?当然、タダとはいかないがな。お前、男だし」

「え……?」


 何かを操作しているのかと思ったら……、そんな事を提案してくるトウヤ。

 かえ……れる……?10分間だけでも……、向こうの、世界に……?


「ほ、本当に、帰れるの……?」

「ああ、だがさっきも言ったがタダじゃないぜ?ま、そうだな……、この世界の価値で、大金貨100枚は貰わねえとな!」

「お、大金貨100枚って……!少しの時間、戻るだけでそんな……っ!」

「……わかった」


 金額を聞いて驚くベアトリーチェさんだったが、僕が了承した事にさらに驚いている様子だ。だけど、こういうのは金額の問題じゃない。大金貨100枚というのは大金ではあるが……、こういう時の為に僕は使わないで貯めていたお金がある。

 先日入手した白金貨の他にも、定期的にニックから入ってきているお金や、料理を伝えてくれたお礼だとサーシャさん達に渡されたものもある。勿論、ギルドの仕事をこなして入ってくる報酬や、王城ギルドに所属しているだけで何故か給料のように収入がある事から、大金貨100枚使ってもまだ余裕もある。


 僕が貨幣出納魔法コインバンキングより大金貨100枚を引き出すと、それをトウヤへと渡した。


「……意外と貯め込んでるな。もっと吹っ掛けてもよかったか……」

「今更値段を引き上げないで下さいよ……?それよりも、本当に戻れるんだね……?」

「くどいな、戻れるっつってんだろ?まあいい、金も貰ったしやってやるか……。因みに、こいつは一人一回限定のようだからな。今回試したらもう出来なくなるぜ?」

「……それなら少し待ってて下さい。準備して来るんで……」


 早くしろよ、というトウヤを尻目に、僕はそこから席を外して向こうに戻る準備をする。1度部屋を出ようとした時、部屋の隅に待機していたシェリルとユイリもやって来て、


「コウ様……」

「コウ、どうするつもりなの……?」

「……ちょっと元の世界に行ってやり残した事をやってくる。600秒で戻ってくるから……」


 心配そうなシェリル達にそう伝えると、思い出したようにちょっと協力して貰う。物品保管庫よりいくつかアイテムを取り出し……、自身に掛けていた重力魔法グラヴィティも調整して、トウヤの前まで戻ってくる。


「……もういいか?」

「待たせてゴメン……。もう、大丈夫だ」

「そうか、じゃあ……行ってきな……!」


 その言葉と同時に、僕の周りを何時ぞやの時の様な魔法陣が浮かび上がり、白く激しい光に包まれる。あの日、この世界へと呼ばれた時と同じ感覚……!そんな感覚に包まれながら、僕はこのファーレルを後にした……。











「コウ、様……」


 光が薄れていくと、そこにはもう彼の姿はなかった。元の世界に戻る……。一時的にでも、このファーレルより彼の存在が消えてしまうという事を受け入れられていない自分を必死で抑えながら、私は彼を待つことにしたのだ。


(たしか600秒……。コウ様はそうおっしゃっていた……。大丈夫、彼は帰ってくる……)


 何はともあれ、彼は戻ってくると約束している。それに、それは決して長い時間ではない。そう思い込もうとしている私に、


「心配ならこっちに来たらどうだ?ここに来たらアイツの様子がわかるぜ?」


 ニヤニヤしながらそのような事を言ってくる男に、憤りを覚えつつも彼の様子を見られるという話に少し心が反応してしまうものの、


「……お気遣いは無用です。すぐに戻られるという事ですし……」

「そう?ま、オレは別に構わないが……、ん?ああ、そういう事か……、こりゃあ戻らない事も考えられるなあ~?」


 何を言って……、と口に出そうとして、私はそっと自分の内に留めておく。目の前にいる男と会話する必要性を感じなかった。

 今までの男たちと同じような邪まな感情を、いえそれ以上に嫌な何かを感じさせる男と話もしたくない。こんな事になるのであれば、彼やユイリの言っていた通り、別室で待機していた方が良かったと後悔の念を覚える程だ。

 ……まさか会って自己紹介も交わす前からいきなり抱き寄せようとしてくるとは思いもしなかった為、このトウヤという人物とは同じ部屋に居たくもないくらい嫌悪感を抱いていた。


 どうせもう少し時間が経ったら彼が戻ってくる。そう思ってわざとらしくこちらを煽ってくる男を無視し続けていたのだけれど……、


(どうして……!?もう、600秒は経過している筈なのに……!)


 いくら待ち続けても彼が戻ってくる気配が感じられなかったのだ。もしかすると……本当に男の言うように戻ってこないのでは……。そんな考えが頭に過ぎるのを必死に振り払う。

 コウが嘘をつく訳がない。彼は私にすぐに戻ってくると言ったのだ。しかし、彼の言っていた時間が経過して、なお戻られない理由がわからない。もしや……!


「そんな怒ったような顔も可愛いな、お姫様。だが、オレはちゃんとアイツを向こうの世界へと返したぜ?それはこっちに来れば証明できる。強情を張るのはやめて、こっちに来なって。心配なんだろ?」


 もしやこの男が彼を元の世界に帰すと嘘をついて、別の世界に飛ばしたのではないかと思った私にそのような事を話す。それでもトウヤの言う事には頷けず、睨み続けていると、


(また……!この人、さっきも可笑しな力を使ってきたというのに、また妙な魔法をわたくしに……っ!)


 恐らくは魅了の力であろうその能力スキルを使ってきた事で、警戒していた私にまた新たな魔法を掛けようとしてきたようだ。自身の魔法耐性の高さによって、抵抗レジストする事が出来たが、この男は……!


「おや?オレの『強要魔法エクストーション』が効かないか……。素直になれるように魔法でこちらに来させてあげようと思ったけど……、これが魔法耐性って奴か」

「……失礼ではありませんか?初対面の女性に能力スキルや魔法を掛けようとしてくる殿方を信用できる訳ないでしょう?」

「オレとしたら親切心でやったのですがね。……心配なんだろう、アイツの事が……。女性を安心させようというオレの心をわかって欲しいものですが」


 ……なにが安心させようなのだろう。はっきり言って、この男の下に行くのは不安と 忌避感しかないというのに……。でも、コウが戻ってこないという事は変わらない。相変わらず、通信魔法コンスポンデンスを送ろうにも、このファーレルにいないせいなのか送る事が出来ないようになってしまっている。コウの気配が、この世界で全く感じられない状況が続いている事に、徐々に落ち着きを失ってきているという自覚もあった。

 だからなのだろう……、少しでも彼の情報を得たいという自分の心が、目の前の男の言葉に縋りつきたくなる私を感じてしまっていた……。


「……本当に、彼の様子がわかるのですね?」

「だから言っているだろう?ここに来たらわかるってよ?」


 取り乱しつつある私を、先程と同じように薄笑いを浮かべながら楽しそうに見ている男の下に行くのは抵抗を感じるものの……、他に選択肢も見当たらない。こちらに来るよう促しているトウヤの所へ向かう私に、ユイリが静かに付いて来てくれている事だけが唯一安心できる要素だった。

 

「いらっしゃい……。歓迎しますよ、お姫様?」

「……彼はどうなっているのです?早く見せて下さい」

「まあまあ、落ち着きなって……。ほら、これさ……」


 覚悟はしていたものの、トウヤの下に着くなり肩を抱き寄せられて、私は生理的嫌悪感に苛まれる。それを必死に我慢しながらトウヤの指定した空間を見ると、そこには確かに彼の姿が映し出されていたが……、


「これは……!?これではまるで……、静止画のようではありませんかっ!」

「それはオレに言われても困るな。オレは確かにアイツを元の世界に帰した。600秒で戻ってくるってのも説明に書いてあったから本当さ。ま、戻ってこないとしたら何かあったのかもしれないがね。因みに、これは最初からそうだったぞ?ところどころ場面は変わっているようだがな……」


 そう言うと男は私を強く引き寄せると、まるで自分の体を嗅ぐようにしてくる。


「っ!?……何をされてっ……!!」

「……いい匂いだ、香水とかのものではなく……エルフという種族特有の、それとも君本来の薫りなのかな?いいね、興奮してきたよ……!」


 本当に嗅いでいたという事実にゾワッとする。思わず振り解こうとするもトウヤはそれを許してくれず、私の金色の髪を手に取っていじり始めた。


「何をしているの!?嫌がっておられるでしょ!?」

「嫌よ嫌よも好きの内、ってね。君みたいなコがあんな奴を気に掛けるなんて勿体ない……。戻ってこない奴なんて忘れて、オレにしときなよ?いい思いさせてやるからさ?」


 そのような事を言いながら、髪を摘まんでは顔を寄せてくる破廉恥な男に、正直彼の画面を見ている余裕がなくなってしまう。

 貴方と彼を一緒にしないで……っ!そう叫びたくなる感情を必死に抑えて私は震えながら身を縮ませる。如何に自分が優れているかを話しているようだが、全く私の心に届いていない事もわかっていないようだ。


 ……そもそも、自分の欲望に身を任せている時点で、コウとは雲泥の差なのだ。私を邪まな目で見る男たちと同様に、自身の事しか考えていないトウヤに、彼は貴方なんかとは違うと訴えたくなる。

 コウは自分の事よりもまず、私の事を考えてくれる。それでいて、私の幸せを祈ってくれるのだ。決して自分自身を優先しようとしない。

 彼自身は自分の為と称し、自分の行動は打算によるものだと話してはいるが、そうだとしたら随分と変わった身勝手だと思う。何のかんのと言いつつ、コウは相手の事をきちんと考え、思いやるのだから……。

 唯一彼に不満があるとしたら……、それは私の幸せが彼と一緒にいる事だと恐らく察していてなお、私を誰か信頼のおける他の殿方に託そうとしている事だろうか。大切にしてくれているという彼からの想いや愛情は感じているのに、そうしようとしているのは彼が元の世界に帰ろうとし、そこに私を連れて行けない理由があるからだとは思うけれど……。


 だからこそ、こうしてコウが戻ってこない現実に、私は胸が締め付けられそうになる。同時に男に肩を抱き竦められながら好き勝手され、髪をいじり回されている事もあり、恐怖にどうにかなってしまいそうだ。やがて、髪を弄んでいた手を私の体、胸元へと伸ばされ……、


「なっ……!?」

「…………そこまでです」


 その声にハッと私は瞑っていた目を開けると、不快な男の下から解放され、私はユイリの所へと移動させられていた。これは、いつか彼女に教えて貰った事がある……、ユイリの『転身再起』……!


(ユイリッ……!)


 私はユイリに感謝し、ギュッと彼女の温もりを噛みしめながら、その身を寄せる。


「やるね、君……。どうやったのかは知らないけど……」

「……これ以上、シェリル様が怖がられるのを見てはいられません。そのような不敬、許されると思っているのですか?」


 そう毅然として対応するユイリに、


「許されるさ、オレは勇者だからね。さぁ、シェリルにはまだ用がある。大人しく彼女を……!?」

「……そこまでよ。それ以上、国賓でもあるシェリル様に何かしようとすると言うなら、王女殿下に対処して頂く事になるわよ。勇者だからと言って何でも許されるとは思わない事ね……」


 大体、まだ彼が勇者と決まった訳ではないと聞いていたのだけど……、当人は完全に勇者とのぼせ上っているようだ。この男の侍女となっていたベアトリーチェによって強く窘められ、


「……ああもう、わあーったよ!今日の所はもう手を出さねぇ!……これでいいんだろっ!?ったく……、このラッキースケベって能力スキル、ホントに機能してんのかよ……。彼女を抱き寄せた時に一瞬胸が当たっただけだぞ……」

「今日というより……、どうして嫌がっている女性に手を出そうと思うのよ!?シェリル様の様子をみたらわかるでしょ!?」

「だから、さっきも言ったろ!?嫌と言われて何もしなかったら、進展はねえんだよっ!オレが他の女に手を出そうとして、嫉妬してんじゃねえよ!」

「嫉妬って……っ!?いつ私が貴方に嫉妬なんかしたのよっ!?」


 ……彼女も随分と苦労されているようだ。同じく勇者候補としてこの地へやってきたといっても、こうも違うのか……。つくづく自分が出会った勇者がコウで良かったと思う。

 男とベアトリーチェが言い争う中、ユイリがそっと小声で私に話しかけてきた。


「姫……、彼は必ず戻ってくると言いました。その彼の事を、貴女が信じられなくてどうするのです……!彼が約束を破るような人物で無い事は……、貴女が一番御存じの筈です……!」

「ユイリ……。ごめんなさい、わたくしが間違っておりましたわ……。コウ様を感じられなくなって……、中々お戻りになられなくて、どうかしていたようです」


 その通りだ。彼は、戻ってくると話していた。ならばきっとここに戻ってくる。絶対に……!

 そう思いなおし、私は守ってくれているユイリの傍で祈り続ける……。彼を想うのならば、元の世界に戻れた事を喜ばないといけないと知りつつも、このままお別れというのだけは、どうしても認められないから……、許されないとしても願わずにはいられなかった……。


(お願い致します……、どうか、わたくしたちの下に戻って来て下さい……!コウ様……っ!!)











「ここは……」


 気が付くとそこは見知った場所の一角だった。それもその筈……、この場所は僕がファーレルへ呼ばれる直前にいた、自宅近くにあった路地裏に僕は立っていたのだ。


(……本当にこちらに戻ってこれたようだな。それにしても……)


 身体が……重い……!こちらに戻って来る前に重力魔法グラヴィティを軽めに調整してきた為、違和感があるものの歩く事は出来ているが……。僕に重力魔法グラヴィティを掛けられた人たちの気持ちがわかったような気がした。


「さて……、時間も限られている。とりあえず僕の家に……」


 違和感のある身体を引きずる様に、僕は自宅を目指す。こちらの世界でも重力魔法グラヴィティの効果が出ているという事は……。


(……駄目みたいだな、ステイタス画面は開けない。まぁ、当然といえば当然か)


 何のことはない、ここには向こうの世界の様に魔法空間といったものも無いからだろう。それでも事前に掛けていた魔法の効力を受け続けているのは、まるっきり干渉しない訳ではないという事なのだろうか……?

 自宅のアパートまで辿り着き、階段を上りながら僕は携帯端末スマートフォンを取り出すと、こちらに戻って来て急激に入ってきた不在着信や通知等を見て苦笑する。こちらの世界ではどれくらいの日数が経っているのであろうと自宅のドアを開き、相変わらずあまり生活感のない部屋に入ってまず時計を確かめてみた。


 ……部屋にある時計では、僕がいなくなってちょうど一週間程経っている。身に付けていたアナログのG-SHOCKと照らし合わせてみると、約20日以上のズレがあるという事がわかったが、思った程日にちが空いた訳ではない事に気付き、一先ずホッとする。


「うん?これは……、ああ、『翻訳のイヤリング』の効果という事か……」


 携帯端末スマートフォン上に表示された何気ない英単語が自分の中で変換された事に驚き、同時に向こうのアイテムもこちらの世界で作用するという事実に安堵した。それは、ファーレルから持ち込んだあるモノ・・・・も、恐らく効果を表してくれるだろうという事を意味してもいる。


「捜索願は出されたかな?といってもまだ1週間くらいしか経ってなさそうだし、事件性が無ければ部屋を探すって事はないと思うけど……」


 そもそもこの部屋を探しても手掛かりらしいものは何も得られないだろうなと思いつつ、僕は家族の下へと電話を掛ける……。何度目かのコールの末、相手が出た。


「お兄ちゃんっ!?お兄ちゃんなのっ!?」

「…………麻衣、か」


 切羽詰まった様子で矢継ぎ早に僕を呼ぶ妹に申し訳なさを覚えつつ、


「そうよ、麻衣よっ!お兄ちゃん、今まで何処に行っていたの!?会社も無断で休んで、あたしたちにも何も伝えずに居なくなって……っ!!お母さん、コウ兄さんよっ!!電話が掛かってきたわ!!」

「……ゴメン、それについては詳しく話している時間はないんだ。あと少ししたら、俺はまた向こうに戻されてしまうから……」


 ……自分に何が起きたかについて詳しい事は、王女殿下からレイア伝いに返却して頂いてから日記の方に記載しておいている。そろそろ充電が切れそうになっていて、どうしたものかと思っていたが……、まさかそれが役に立つ日が来るとは思わなかった。

 僕は妹に異世界に召喚された件について簡単に話す。……信じて貰えるとは思っていない。その為に、僕は携帯端末スマートフォンに書き込んでいたのだし、シェリル達と映った写真も撮っている。眼鏡は元より、体型等も大きく変わった僕をどう思うかという問題もあるが、その事についても書いた。


 ある程度の説明をしたのちに、僕は一番気になった事を聞いてみる。


「……詳しい事は後で俺の部屋に置いていくから、この携帯端末スマートフォンを見て確認してくれ。それより麻衣、母さんはそこにいるようだが……、親父はいないのか?」

「詳しい事って、正直お兄ちゃんが何を言っているのかわかんないんだけど……、お父さんは今病院よ。元から体調が悪そうだったんだけど、2日前に入院する事になって……。だからお兄ちゃん、一度こちらに戻って来て!ちゃんとお母さんたちに顔を……」

「……それは無理だ、もうそんなに時間がない。麻衣、お前はこれからすぐに俺の部屋に来て残しておく物を回収しろ!この携帯端末スマートフォンは元より、俺の使っていた眼鏡や証明する為の免許証、財布も置いていく。それと、向こうで手に入れた薬もある!これをすぐに親父に飲ませるんだっ!『この前2人で会話した件の病を癒す薬だから、大至急飲んでくれ』、そう伝えればわかる筈だっ!」

「え?ええっ?ちょ、お兄ちゃん!?」


 電話の向こうで戸惑っている妹を余所に、僕はファーレルから持ってきたものを次々と机に置いていく……。今言ったものに加え、スーヴェニアによって入手していた『霊薬エリクシール』も……。ユイリの話だと、この『霊薬エリクシール』はHPやMPを完全に回復させるのに加え、あらゆる状態異常も治療してしまう奇跡の薬であるという事だ。恐らくは父の患っている病すらも治してしまうだろう。

 さらには少しでも家族の足しになるような金塊や、異世界に行っている事を証明するための、この世界には無い魔法金属『ミスリル』をインゴット上にした物も机に置く。これだけあれば……充分であるだろう。


「……そろそろ時間だ。心配ばかりかけて悪いんだけど……」

「ちょっと待って、お兄ちゃんっ!……コウ兄さんっ!本当に……、本当に心配だったんだよ!?お父さんやお母さんは元より、ここにいないリョウ兄さんや……、勿論あたしだって……!お願いだからちゃんと話してっ!お母さんも、早く……っ!!」

「……こう――、本当に、貴方なの……?」


 母……さん……っ!久方ぶりに本名で名前を呼ばれ……、思わず言葉に詰まる。声を聞いただけで分かる……、少しやつれたようでいて、それでも変わる事のない、お母さんの声だ。

 グッと込み上げてくるものがあるものの……、僕は何とか我慢する。ここで感傷に浸る訳には訳にはいかないからだ。


「……ああ、俺だよ。こう――、だ、母さん……。心配かけて……、本当にゴメン……!」

「元気、だったの?貴方、全然連絡が取れないから……心配したんだよ……。怪我とかは、してないのかい……?」

「……うん、何とか元気でやってたよ。色々大変な事はあったけど、いい人たちばかりでね……」

「そうかい……、元気なら、それでいいよ……」


 もっと色々話したい事はある。妹である麻衣の言う通り、顔を見せて安心させたい気持ちだってあった。だけれども……、今の僕には、それが許されていない。無情にも制限時間が刻一刻と迫りつつあるからだ……!


「……母さん、俺はまだ帰れそうにない……。でもいつか……、まだわからないけれどいつの日か、必ずそっちに帰るから……。待っていて、父さんと一緒に……」

「…………わかったよ、こう――。体には、気を付けるんだよ……」

「お兄ちゃん……っ!」


 ……そろそろ時間のようだ。自分の周りにまた……、魔法陣のようなモノが浮かび上がってくる。縋るような声を出す妹に、僕は……、


「……時間だ。麻衣、母さんたちを頼む……。お前も大学に入ったばかりで、心配かけて本当にすまないが……、宜しく頼む……!」

「お兄ちゃん……。わかったよ、お母さんたちの事は、任せて……!」

「……有難う、この通話が切れたら……、俺のところに来て回収してくれ。元気でな……、それじゃあ……」

「……お兄ちゃんっ、あたし……!!」


 最後まで妹の声を聞く事は叶わず、僕は通話を切り、向こうへ持っていかないように他の物と一緒に携帯端末スマートフォンを置く。もう……、向こうでは必要ないものだろう。直接会えなかったが……、一番心残りだった家族に、自分の状況を伝える事が出来た。そして、恐らく父の事もこれで一先ず解決するに違いない……。


 ……母さんたちの声を聞き、僕は今一度、必ずこの世界に、家族の下に帰ってくるのだと決意を固める。次にこちらに戻ってくるとしたら……、それはファーレルでの事を解決した後になるのだろう。そしてその時こそ、きちんと母さんたちに顔を見せる……。仕事の事とか色々あるだろうが……、絶対に元の日常へと戻してみせる……!


 そう決意を新たにしていると、自分をファーレルの世界へ連れて行くべく、再び激しい光が僕を包み込み……、やがて何も見えなくなった……。











「――コウ様っ!!」


 ……愛しく、何処か切なさを含んだような彼女の声。視界が徐々に戻ってくると同時に、涙ぐんでいたシェリルの姿が浮かび上がってくる。


「……シェリル?」

「…………良かったです、こちらに、戻って来て下さって……っ」


 ……心配させてしまったか。僅か10分間でしか向こうにはいられなかったが……、それでも僕がこの世界から消えていたというのは事実。トウヤの目があるにも関わらず、シェリルがゆっくりと僕の胸に顔を押し付けてきて……声を押し殺しながら泣いている事に、僕は彼女に相当ショックを与えてしまったと反省する。


「……長かったわね。600秒なんてとっくに過ぎているわよ」

「長い……?でも僕は……」


 ちゃんと600秒しか……、そう言おうとして、僕はひとつの可能性に思い至る。このファーレルと向こうの世界の時間は大幅にズレていた。であるならば……、向こうの600秒は、此方ではかなりの時間が過ぎていたのではないかと……。


「……僕、どれくらい向こうに居た事になってる?」

「ざっと一刻は居たんじゃないかしら?正直、『すぐに』という時間には当たらないと思うわよ?……心配したんだから」


 私というよりも姫がね、そのようにつけ答えるユイリに苦笑しつつ、僕はシェリルに謝った。


「……ごめん、シェリル。心配かけさせて……」

「いいんです、ちゃんと帰って来て下さいましたから……」

「…………久々の帰還、どうだったと言いたいところだが……、もういいか?茶番はよ……」


 僕とシェリルに割り込むようにして、トウヤが面白くなさそうにこちらを見ながら話し掛けてくる。そこで気付いたのだろう、ハッとしたようにシェリルは僕から離れ、ユイリの下に移動すると、


「……随分、彼女と仲がいいようだな、だがさっきオレが言った事は覚えているんだろうな?」

「…………トウヤ殿」


 僕は一度きちんとお礼をするべく、彼へと頭を下げる。


「貴方のおかげで……、僕は家族に色々伝える事が出来た。……有難う御座います」

「……おう、まあ、わかってんならいいさ。だが……」


 改まって礼を言われてトウヤは少し気が削がれたようだったが、


「忘れんなよ……、特にそこのシェリルには、絶対に手を出すんじゃねえ。今はお前に傾倒しているようだが、いずれはオレのモノにするんだからなっ!」

「……わかってる。先程も言いましたけれど、あの世界へと帰る僕には……元よりその資格はありませんから」


 一度地球に戻ってみて、より一層その気持ちは強くなる。僕は、あの世界の住人だ。結局のところシェリルとは……生まれも育ちも、住む世界すらも異なっている。いくら愛情を感じても、いや自分が大切に想っているからこそ、彼女と一緒になる訳にはいかない。

 シェリルの想いに応えるという事は……即ち彼女を不幸にしてしまう事に繋がってしまうから……。


「ふん、ならいいが……、一応楔は打たせて貰うぜ……。お前、さっきの事を『誓える』か?」

「!?コウ様、彼は魔法を……っ!」

「……ああ、『誓える』よ」


 ……いいんだよ、シェリル。慌てたように注意を促してくるシェリルだったが、僕の答えはもう決まっている。母さんたちの声を聞いて……、向こうに戻る決意もより固まった。そして、シェリルは僕が手を出していい人じゃない。僕では彼女を、幸せにする事は出来ないのだから……。


「これでもうお前は……何っ!?」


 僕の前で何かが弾けるような音がする。その音と同時にトウヤが随分と驚いているようであった。……恐らく、そういう事なのだろう。


「何故だ、何故お前に制約魔法コンストレイントが掛からねえ!?」

「……一種の状態異常と判断したのかもね。僕にはある能力スキル、というか特性かな、そのせいで一切の状態異常には掛からないようですから」

「な……なんだと……!?そんなもの、どうしてお前が……っ!?」


 ……君が散々公表している勇者だからだよ。心の中で僕はそう答えると同時にホッとしたようなシェリルが視界に捉える。


(……彼女の気持ちは嬉しいし、僕もそれに応えたいけれど……)


 制約魔法コンストレイントを掛けられるまでもなく、僕はシェリルの想いに応える事は出来ない。あの世界に戻ると決めた以上、別離は必然であるし、そして仮に付いていきたいと言われたとしても、向こうで幸せに出来るとはとても思えないから……。


 そんな事を考えていると、トウヤが詰め寄って来ていた。


「お前、その能力スキル……!」

「……因みに、この能力スキルを強奪しようとしても出来ないと思うよ。多分、『譲渡』という形でないと移す事も出来ないんじゃないかな……?」


 流石は『勇者』の能力スキルといったところか……。ありとあらゆる異常を弾くって事は、この世界にとって『勇者』はそれだけ重要なポジションという事なのだろう。正直『譲渡』だって出来るかどうかはわからない。ファーレルで生まれた者たちにはなれない『勇者』……。本当は目の前の人物にそれを移せたならと思っていたんだけど……。


(……お世辞にも勇者に相応しい人物とは、思えないんだよな……)


 一時的にとはいえ向こうに帰してくれた事は感謝しているが、お金はたんまり請求されたし、彼の口ぶりでは相当ぼられている可能性もある。まぁ、お金の問題では無かったからそれはいいとして、シェリルがここまで拒絶している相手っていうのも珍しい気がする。僕の居ない時に何かあったのかと思わなくもないが、ユイリ達がいて可笑しな事が起こる訳もないだろう。


 僕は溜息をつきたくなるのを何とか堪えて、


「……だから、さっき自分の能力スキルを譲渡する方法を探しているって言ったんですよ。わかって貰えました?」

「そういう事か……。チッ……、それ、オレに寄こせよ。勇者であるオレに相応しい能力スキルだ」


 こっちの気も知らないでそう言ってくるトウヤに、僕は曖昧に答えるのに留めた。トウヤとの会話を聞き、ユイリ達が何か言いたげに僕を見ている事はわかっている。その中でもトウヤの付き人でもあるベアトリーチェさんは特に訴えかけるようにしている事が気になったが、


「僕が嘘をついているかどうかは魔法でわかっているんでしょう?魔法を掛けて縛らなければ、不安ですか?」

「当たり前だろ?いつ裏切られるとも限らない相手に、保険を掛けるのは当然の事だろうが」


 ……成程、ね。今の言葉を聞いてこのトウヤという人物の根っこが、今までに聞いていた人物像と照らし合わせる事でわかってきた気がする。彼は前世と言っていたが……、あまり人とは関りを持たずに過ごしてきたのだろうか。自分以外の人間を信用しておらず、それでいて他人から崇められたいといった欲求もある。伝わっていた兵法をさも自分で編み出したかのような言動といい、全ての女は自分のものだとでも言いたげな主観といい、今まで抑えられていた本能がこの世界に来て解放されたかのような……、そういった印象を覚えていた。


 正直言ってあまり付き合っていきたい人物とは到底思えなかったが、現状『勇者』の力を移すとしたら彼が唯一の人間であり、なんだかんだ言っても元の世界で家族に事情を説明させて貰った件もある。合わない人物と一緒にやっていく事は今までもあった事だし、様子を見る為にもある程度の交流は必要であるだろう。


 それならばとばかりに、僕はユイリが探ってくれていた情報を活用していく事にした。


「……トウヤ殿は新しい武器となるピストル銃やガンブレードでしたっけ?その開発、量産について難航していると伺いました。頑固な職人さんが、中々うんと言わないという事も……。もしよろしかったら自分がその調整役に入りましょうか?一応、拳銃やチェーンソーといった元の武器についてもわかってますし、トウヤ殿の思う通りに進めようと考えているのですけど……」

「……お前が?ハッ……出来るのかよ?あの頑固なじいさん達を説得するのは並大抵の事じゃないぜ?それに……、ガンブレードの問題は電気で使っていた物をどのように魔力素粒子マナで補うかってとこだ。お前なんかに何が出来ると……」

「無理に慣れない仕組みを取り入れるのは難しいのではないですか?この世界は電気の代わりに魔力素粒子マナによって動いている物も多いですが……、見たところ様々な『輝石』に魔力素粒子マナを反応させているように思えます。それならチェーンソーに使っているバッテリーを模倣した『輝石』を組み込んだ方がいいのでは?」


 先日トウヤが起動させていたガンブレードは、銃剣状にしたチェーンソーを電力が発生する輝石に無理やり魔力素粒子マナで干渉しているものだという事が、ユイリの資料によりわかった。そしてそれを解決する方法も、既に用意してある。


「……知った口を利くじゃないか。ならどうすればいいってんだ?」

「これを使えばいいんですよ……」


 そう言って僕は、この為に『輝石創造器』でそのバッテリーに模倣した電気の『輝石』を創り出していたのだ。そこそこ時間を掛けて生成したので、自分が想像する以上の物が出来たと自負している。何より電気をただ充電し貯めておくバッテリーと決定的に違う事は、この輝石は貯めるのでなく電気を生みだし続けるものであるという事か。


 僕の説明を聞き、トウヤもある程度納得してくれたらしい。だけど懸念もあるようで、訝しむように訊ねてくる。


「……フン、確かに試してみる価値はあるかもしれんな。だが、どうしてこんな事をする?お前が手伝ったって、ガンブレードを創り出したのはオレだ。お前には1ミリも利点は無い筈だぜ?」

「利点ならありますよ。誤った知識や、このファーレルを脅かすような技術が伝わるのを防ぐことも出来ます。元の世界の技術が、全ていいものであった訳ではないでしょう?排気ガスや産業廃棄物によって大気汚染が進み、原子力化したあの技術は、むやみやたらに手を出していいものでは無いと僕は思っています。トウヤ殿も荒廃した世界になんて住みたいと思わないでしょう?」


 この世界を気に入っているのは、僕も一緒ですから。そのように伝えるとトウヤは、


「まぁいい、使えるようなら使ってやるよ。だが、裏切ったら……わかってんな?」

「……僕もまだ死ぬ訳にはいかないしね。貴方が勇者に相応しいならばその手助けをする……。このファーレルの危機を救うべく、出来る限り力を尽くすよ」


 彼に従うように僕は礼を尽くすが……、心の中で続ける。だけどもし、トウヤが『勇者』の力を移行するに相応しくないと見極めたその時には……、どんな手段を使っても彼を止めてみせる。僕の大切な仲間たちの脅威となる芽は、曲り形にも勇者として召喚された自分の手で摘んでおく。そう決意を新たにする。


(最も、身勝手な彼と職人さんたちとの調整は骨が折れるだろうけれど……)


 要件が済んだとばかりに僕は挨拶をして、シェリル達と一緒に部屋を後にする。ちょっかいを掛けてきたトウヤを完全に拒絶し、彼を見ようともしなかったシェリルが部屋を出るなり、「もう、あの人とは出来るだけ付き合わないで下さい……!」と僕に訴えてきて、さらにはユイリまで「さっきの話はどういう事なの!?」と詰め寄ってくる始末。

 シェリル、ユイリともにトウヤとの接触に対して否定的な様子に、よくもまあここまで嫌われたものだと逆に感心するしかない。

 そんな彼女たちを何とか宥めつつ、僕は王城ギルドへと戻っていくのだった……。

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