第2話
「ウィリー、命令を」
フォルティが妹の――いや、首長の前に跪き、その指示を仰ぐ。
兄と妹としてではなく、集落の長とその側近として。
肉親としてではなく、もっと大きな組織の一つの歯車として。
ウィリーもそれに応え、自分と同じ色をした瞳を真剣に見据える。
「皆の安全を最優先に。可能なら、吸血鬼は生きたまま捕えなさい」
「は」
短く返事をして彼は騒ぎの中心へ向かう。リュゼとルマンはそれに続き、ピウスは小さな首長の元に残って警護に当たった。
吸血鬼となってしまった青年は集落の外に狩りに出ていた者だ。
食糧を調達すべく何人かと連れ立って狩りに向かい、戻ってきた一行が持って帰ったのは猪一頭、鹿三頭、そして彼の亡骸だった。哀れまだ天寿を全うしていない青年は落石事故によって命を落としたのだと、フォルティたちはそう聞いていた。そして落石事故にしては外傷が少ないことに違和感を覚えたのもつい昨日のことだ。
「尖った耳に鋭い牙。そして身体組織の変化最中にのみ現れる特有のこの瘴気。吸血鬼化の途中か」
長い鉤爪をナイフで受け流しながらフォルティは呟く。もしも集落の人間が吸血鬼化してしまったらその時は介錯してやってくれと妹に与えられた知識だ。
人間は吸血鬼に殺されると死ぬ。当たり前のことだがその後が違う。
一度死ねば生き返らないはずのその肉体は生者として、いや、確かに死者として蘇る。命無き死体は人間を遥かに凌ぐ身体能力を手に入れ、人間を殺すべく蘇る。その際に丸二日程度の仮死状態――人間から吸血鬼へと変貌を遂げる時間が続く。息もなく昏々と眠り続けるか、吸血鬼と人間の狭間で意思もなく周りのものをすべて殺すか。集落の青年はまさにその後者の状態にあった。
「ホンモノの吸血鬼よりは弱いんでしょ? だったらボクたち三人にかかれば完封もヨユーだよ!」
「油断は禁物だ、ルマン。殺されればお前も吸血鬼だぞ~」
どこか不真面目に、けれど確かに生と死の隣り合わせだという自覚を持って一人と三人は刃を交える。吸血鬼となりつつある青年の鉤爪は鋭く、けれどナイフの当て方によって簡単に崩れてしまうほど脆く、不安定で不確定で未熟だった。
リュゼが受け止め、ルマンが翻弄し、フォルティが斬り込む。
抜群の連係プレーを見せる三人になり損ないの吸血鬼はいつしか気力を使い果たしてしまった。
結果はフォルティたちの勝利だった。
圧勝とまではいかないが、集落でもトップレベルの戦闘技術を誇る三人に対し変化途中の意思も力も持たない吸血鬼一人。いくら人外の力を手に入れようと、それが安定していなければ意味はない。
すっかり大人しくなった吸血鬼の手足を銀の枷で拘束し、フォルティはウィリーの元へ戻る。
「お前の言った通り吸血鬼は殺さず捕えた。あとはどうすればいい?」
「じゃあフォルティは彼をあたしの私室へ運んで。それから、彼と共に狩りに出た人たちに話を聞いてみて。落石事故の話はきっと嘘だから」
「御意」
フォルティによって吸血鬼擬きは銀の枷に繋がれたままウィリーの部屋へと運ばれた。吸血鬼の苦手とする銀を用いることで彼の弱体化を図ろうという魂胆らしいが、先ほどの戦闘とも呼べない一方的は捕獲作戦によって随分と消耗している様子が見て取れた。
部屋の主が研究室として使用しているウィリーの私室へと半吸血鬼を運び込む。小さな勉強机の上には彼女がまとめている調査途中の資料やペンが散らばり、大きな本棚には吸血鬼のことを記した様々な貴重な書物が並んでいる。
「枷で動きを封じているとはいえ、まったく危険がないわけではない。努々注意を怠るな」
「分かってる。ピウスはここにいて、あたしを手伝って。フォルティ、話を聞き終わったら集落の被害状況を確認してあたしに知らせて。必要があれば外へ素材や食料を取りに行かなきゃいけないから」
いつもの通り兄が短く返事をするのを確認し、妹は部屋の扉を閉める。
一体何を調べるつもりなのかフォルティには皆目見当もつかないが、そこは稀代の天才である妹と医者の卵である幼馴染に任せるとして命じられた令を全うしなければならない。
数刻後、吸血鬼化した青年と共に狩りに出ていた大人たちに話を聞けば、どうやら彼は落石事故による落命などではなく、吸血鬼に殺されたらしいことが分かった。
彼を殺したのは鮮やかな翡翠の色をしたフォルティたちとほぼ同世代の少年だったという。と言っても、自分たちは彼が殺されたところを見た訳ではないのだと弁明されたが。
何人かでその姿を見た時には何の変哲もないただの旅人だと思ったけれど、ただの旅人風情が恐ろしい吸血鬼の闊歩するこの世界を無事に渡り歩けるはずがない。渡り歩こうとするはずがない。
16歳やそこらの少年が自分の身の丈以上もある大槍を何故持ち歩いているというのだ。何故髪に隠れた顔の右側に異形の瞳を持っているのか。そう言って少年の元へと行った仲間が亡骸となって帰ってくるなど、誰が予想しようものか。
少年は吸血鬼だったのだ。
人間が吸血鬼に喧嘩を売って、一対一で勝てる訳がない。多対一ですら怪しいのに。
集落の外とはいえ近くに吸血鬼がいるという事実は、この集落が絶対的に安全で安全であり世界が吸血鬼に侵攻されても自分たちは生き残れるのだという主観的観測を揺さぶった。
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