第1話

「だぁーかぁーらぁー! そんな話、嘘に決まってるって! あの残忍な吸血鬼と会って無事で帰れる奴なんかいる訳ないもん!」


 何度目かの始まりの話をし終えたところで少年たちの一人が声を荒げた。

 それは小さな集落の隅々まで響き渡るような大声だったが、咎めるような人物は一人としていない。彼が大騒ぎするのなんて今に始まったことではないからだ。

 大きな滝の裏にぽっかりと空いた薄暗い洞窟の中に作られた集落の中では皆が顔見知りであり、皆が家族なのだ。子どもたちは幼い頃からこの集落で育ち、娯楽と呼べるものがほとんどない状態で過ごしてきた。

 よって、“始まりの話” 然り、文明が発展していた頃に記された書物然り、もう覚えてしまうくらいには繰り返し読まれていた訳で。つまりは少年――ルマンの叫び声が集落に響くのもここの住人にとってはもう慣れっこなのであった。


「落ち着けって、ルマン。こんなのお伽話みたいなものだろ?」

「でも実際に、吸血鬼は外にいるじゃないか!」

「でもほら、700年以上も前の話なのよ…?」


 リュゼとピウスが窘めるものの、ルマンの空色の瞳は不服の意を唱え、頬はぷっくりと膨らんでいる。仮にここで二人がルマンの考えに同調すれば「思ってもないことを言うなーっ!」と、余計に怒られてしまうことは目に見えていた。

 焼いた餅のように膨らんだルマンの頬を人差し指でつんつんと突く少女が一人。少女のアーモンド形の瞳はまっすぐと彼の瞳を見据えるとにっこりと細まった。


「だからそれは、男性が教会に逃げ込むことが出来たからだって言っているでしょ? 吸血鬼は招かれなければ家の中に入ることも出来ないんだから」

「でも! 教会に駆け込むまでに絶対絶対追い付かれたはずだよ!」

「用水路。昔、その街で教会に行くまでには多くの用水路が通っていたみたいだよ」

「吸血鬼って流水が渡れないんだっけ?」


 ルマンの問いかけに頷いたウィリーはそれだけでは飽き足らず、なおも他の情報を得意げにつらつらと並べていく。吸血鬼の苦手なものを皮切りに、彼らの特徴だとか、昔の人間たちの街についてだとか、それこそ、この集落の長である彼女しか知らないような情報を。


 当時6歳だったウィリーの提案によって、吸血鬼の侵攻で100人にも満たなくなってしまった村人たちをまとめ上げ、吸血鬼が弱点とする流水――つまりは滝を利用し、その裏の洞窟へと居を構えるようになってから8年が経った。

 彼女は集落の長の座に就任してからというもの、その才能を惜しげなく使い吸血鬼の集落への侵入を一度として許していない。

 その瑠璃色の瞳はすべてを見通し、その小柄な身体には今までに読んだすべての本の知識・今までに体験したすべての事象の経験が刻まれている。彼女さえいればひょっとすると人類は今までの文明を取り戻せるのではないかと、そんな錯覚すら覚えた。


「さっすが私のウィリーね! 頼りにしてるわ!」


 ピウスがそう言ってウィリーに抱き着くや否や、遠くで発砲音が聞こえた。遠くとはいっても、集落の外の音は大滝の流水音でほぼ聞こえない。つまり――


「異常事態だ。ウィリー、ピウス、そこを動くな」


 ウィリーの兄であるフォルティの言葉に一同は息をのむ。ピウスはウィリーがいつでも逃げられるよう抱きしめた手を離し、リュゼ、ルマン、そしてフォルティの三人はそれぞれ自分の得物を手に取った。

 一体何が起きているのか。周りの音に、空気に、空間の振動に感覚を研ぎ澄ませ、銃声の聞こえた辺りをじっと見つめる。


 住民同士の喧嘩?

 ならば武器の使用は禁じてある。


 狩ってきた動物がまだ生きていた?

 集落に入る前に気付くはずだし、銃を使う必要もない。


 まさか、と脳裏を過った不安はどうやら的中していたようだ。

 それはよく見知った村人の一人だったけれど、彼を以前の自分たちの仲間だとは断言し難い。猛り狂う彼の耳は尖っていて、叫び声をあげて大きく開かれた口からは鋭い牙が覗いているのが分かる。身に纏うどす黒い瘴気はもう彼がこの世のものではないことを示していた。


「……吸血鬼だ」


 集落の長がぽつりと言う。

 小さな小さなその声は、しかし重くずっしりと子どもたちの心の底に沈んでいった。

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