第13話 声が聞こえました。

 礼拝室。

 私たちは、前から三番目の列に座っている。


 その前方の舞台のような演壇に……白い司祭着を身につけた中年の司祭と、目を瞑ったままのアリシアがいる。


 司祭らしき人物は、アリシアの頭に手をかざした。

 すると、何かの模様が、彼女の胸の上部に現れてきている。

 薄紅色のあざ

 アリシアが着ているのは、大きく胸元が開いたドレスであるため、その痣がよく見える。


「あれが聖女の印?」

「そのようですが……恐らく、魔法を使って人工的に生じさせているように見えます。本物ほど大きくないですし……」

「証を見たことあるの?」

「はい。王家には、いくつかの文献が伝わっていますので」


 レナートが教えてくれた。

 擬似的に聖女の証を出現させ、聖女のような存在にアリシアを変化させる呪文なのだろうと。

 そんな魔法が存在するなんて。


 壇上の司祭は満足そうに頷くと、訪れた人々に向かい叫んだ。


「では、詠唱を始めて下さい!」


 すると、周囲の人々が口々に……何か呪文のような言葉を発し始めた。


「これ……何の言葉? 呪文なのだろう? ロッセ、分かりますか?」

「知らない。だけど…………知っている?」


 私の記憶には、このような呪文は存在しない。

 戸惑う私に何者かが頭の中でささやく。

 この声は——?


「ロッセ? 大丈夫ですか?」


 周囲の音が遠くなり、視界が暗くなる。

 レナートの声が……遠くに聞こえる。


 私の頭に再び、何者かの声が聞こえる。

 ——聖女に苦痛を与え、聖女の印を黒く染める儀式。

 ささやく声が、そう告げている。


 次第に視界が真っ暗になり。

 周囲の音も聞こえなくなり……気が遠く……。


「——ロッセ……」

「——ロッセ……」


 誰かの声が聞こえる。


 懐かしい声が聞こえる。


 その声が、妙に……愛しくて。



「ロッセ!」


 はっと気がつくと、目の前にレナートの顔があった。


「どうしました? 大丈夫ですか?」

「う……うん」


 どうやら、一瞬意識を失っていたみたい……。


「ロッセ、しっかり」

「…………う、うん」


 彼の手が私の肩に触れていた。

 その手のひらは、とても熱い。

 その熱さに、意識が急激に戻って、視界がはっきりとしてきた。


「ロッセ! しっかり。心配しましたよ」


 そう言ったレナートの目が、やや潤んでいる。


 どれくらいの時間が経ったのだろう?

 周囲は相変わらず、皆が何かの呪文を大合唱している。

 その声の渦が、私の耳を覆い尽くした。


 ああ、そうか。

 レナートは、さっき、この呪文は何かと私に質問していたんだ。


「これは……悪魔招喚……で……悪魔の……王を呼び出す……」


 レナートが驚く。


「なんだって!? ロッセ、貴女は一度知らないと言いました。しかし……まさか内なる声を聞いたのですか?」

「内なる声?」

「いえ、それは後にしましょう」


 少し引っかかるけど、レナートが何かに気付いたようだ。

 彼の視線を追い、壇上に目を向ける。

 そこには、さっきただ突っ立っていたアリシアの状況が変わっていた。


「アリシア?」


 縄のようなものは見えないが……アリシアが吊されたように両手を上に上げている。

 彼女の近くに、司祭がいて、鞭のようなものを手に持っている。


「どう見ても……アリシアをあの鞭で打とうとしているように見えますが。これが悪魔召喚?」

「やめさせないと……。これは聖女に苦痛を与え、聖女の印を黒く染める儀式……。


 なぜか、その儀式を私は知っている。

 どう考えてもロクでもないことなのだろう。

 だったら……。


 私は立ち上がり、アリシアの元に走り出した。

 レナートも後に続いてくれる。


 メイド服に着替えて良かった。

 スカートは長いけど、走れないほどでもない。

 私たちは、あっというまに壇上に辿り着く。


「お前……メイド風情が何を?」


 司祭の言葉を無視して、私はアリシアの元に走った。


「アリシア、しっかり!」


 彼女を捕らえているのは麻痺をさせる魔法のようだ。

 私の知っているものとは違うけど、この魔法のせいで、アリシアは吊されているように見えていたようだ。


「【魔法解除ディスペルマジック】!


 魔法を唱えると、ふっとアリシアの身体が傾く。

 意識までは戻らないようだ。

 彼女を抱きかかえる。


 バシン、と大きな音がする。

 音の方向を見ると、司祭が鞭を床にたたきつけ、近づいてきていた。


 同時に、今まで何かの呪文を唱えていた街の人々が……立ち上がり、私たちに向け抗議の声を上げた。

 何人かはこちらに向かって歩いてきている。


「お前らは……摂取しておらんな? しかも……妙な匂いがする」


 司祭がそうつぶやくと、何やら呪文の詠唱を始めた。

 この呪文も聞き覚えがないが……司祭の様子がおかしい。

 身体が膨らみ、次第に大きくなっている。

 口からは牙が生え、肌は黒く、背中に蝙蝠(こうもり)の羽が生え……大きく太ったトカゲのような身体に……。


「悪魔……それも……上級の……?」


 唖然とする私はそのままにして、今度はレナートが動いた。

 彼はアリシアに触れ、【瞬間移動テレポート】の魔法を唱える。

 すぐに、アリシアがふっと姿を消した。

 驚く私に、彼が説明をしてくれる。


「大丈夫。王城に移動させました」

「そう。どうして私たちは残ったの?」

「ここは、このままでは収まらないでしょう。私たちが逃げれば、悪魔がこの人達に何をするか」


 私たちに近づこうとしてきた人々は、突然の悪魔の出現に立ち止まっていた。

 先ほどまで熱に浮かれているような様子は少し落ち着いてきているようだ。


「みなさん、落ち着いて。今すぐここから逃げて下さい!」


 レナートが叫ぶと、一瞬の静寂のあと、わぁぁぁと叫びながら、皆が出口に向かって走り出した。

 少しパニックになっているけど……仕方ない。


「……許サンゾ」


 完全に悪魔の姿となった司祭は腕を上げ私に迫ってきていた。

 腕を振り上げ……その鋭い爪で私を引き裂くつもりだろう。


「きゃっ!」


 悪魔が腕を振り、私の腕をかすりそうになった瞬間、レナートが私の手を引いて、抱きかかえてくれた。

 危ない。

 悪魔は完全に、私たちをターゲットとしているようだ。


 レナートが、私に問いかける。


「ロッセも転移させるべきだったのかもしれませんが……私と一緒に戦ってくれますか?」

「うん、もちろん。約束したし」

「感謝します!」


 こうして、私たち——元勇者、元魔王——と、上級悪魔との戦いが始まった——。

 なんかカッコいい感じ。


「ロッセ……非常に申し上げにくいのですが……私は丸腰でして……なんとかなりませんか……?」

「えっ?」


 ごめん、カッコいいとか……取り消すわ……。

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