閑話 ぬいぐるみになってしまいました。——カリカ—— 後編

 カリカの部屋は、テーブルとベッド、洋服掛けがあるだけの、非常に質素な部屋だった。一言で表すなら灰色の部屋。

 前世の私の部屋よりずっと物が少なく、とても寂しく、すこし寒く感じる。女の子らしい感じはまったくしない。辛うじて、ワンピースやピンク色の服が何着か掛けられていることで、ようやく彼女の部屋だとわかる。

 テーブルの上には、棒に円形の板がついた何かの道具と、白いふわふわしたものが置いてあった。


「濡れちゃったね」


 するすると服を脱ぎ、体を拭くカリカ。一通り拭き終わると別の服を着て、ベッドに腰掛けた。

 私は机の上の道具が気になって、テーブルの上に行こうとする。テーブルの脚を伝って登ろうとするけど、不器用な手と足では叶わなかった。


「あら、これが気になるの?」


 カリカは私をテーブルの上に載せた。

コリノさんところにあったものとは違って、大きな輪っかはなくて、木製の小さな円盤の中心に木の棒が通してある、それをくるくると回して糸を紡ぐようだ。


「これはね、糸紡ぎといってこうやって使うの。この白いのは……」


 カリカは楽しそうに、私に説明してくれた。糸を紡ぎならがニコニコしている。

 音もなく、くるくる回る棒と円盤の動きは見ていて飽きない。


 しかし、カリカは少しずつ顔が曇り、瞳に涙を浮かべ始めた。


「はーあ。クビになっちゃった……明日からいったいどうやって……」


 それから、彼女は私に訴えるように事情を話してくれた。

 物言わぬぬいぐるみに淡々と話を続けるカリカ。誰かに、話を聞いて欲しかったのだろう。こうやって打ち明けられる対象がいなかったのだろう。

 私は、相づちをうちながら、彼女が紡ぐ自身の物語に耳を傾けた。


 カリカは、半年ほど前、彼女の魔力の話を聞きつけた魔法学園の関係者、ソインという教授に声を掛けられたのだそうだ。

 元々、両親とうまくいっていなかった彼女は、特に迷いも無く入学を決めたのだという。また、両親も特に反対しなかったし、カリカを送り出したのだ。


 カリカは、一人暮らしの準備ができるとすぐ家を出て、身一つで王都であるこの街にやってきたのだという。

 ソイン教授が紹介してくれた部屋を借り、入学するまでの生活費を得るため、彼が紹介してくれた仕立て屋で働き始める。


 しかし、カリカに近づいたり、たまたま触れたときに、染み出す魔力を不気味に感じた者が騒ぎ始めた。客としてやってきた者のうち、何人かからクレームとして上がることが続いたらしい。

 次第に、店主である女性にきつく当たられるようになり、もう来るなと言われてしまう。それは、私がさっき目撃した光景だ。


「悪魔にでも孕まされたんじゃないか」


 さっきの女性の声が私の頭の中にこだまする。そんな言葉に彼女はずっときづ付いてきたのだろう。

 王都に来る前にも、そういうことがあったのだという。

 多分、両親と疎遠になったのも、この体質のせいだと……。


 そう話してくれたカリカはばたんと、ベッドにうつ伏せになって倒れ込んだ。

 私にも向けられたことがある言葉。その結果私は……。思わずよしよし、と、彼女の頭を撫でる。こんなことで挫けたらいけないよ、と。魔法学園に入学さえすれば、あなたはきっと幸せになれる、と。


「ふふっ。私を慰めてくれるの?」


 そう言って顔を上げた彼女は、目を細めて私を見た。


 そういえば……。

 カリカはコリノさんところで働いたはずだけどどういうことだろう?

 うーむ。状況がいまいち食い違うけど……コリノさんのところに行ってみたら、何かわかるかも知れない。


「え? どうしたの?」


 私は、彼女の手を引き、部屋の入り口に向け引っ張る。


「ん……どこかに……連れて行って欲しいの?」


 なんと、カリカが私の気持ちを察してくれた。大げさに頷いて、それが正しいと伝える。


「今すぐ……? わかった。どうせ暇になっちゃったし……つきあうよ」


 ああ……なんていい子だろう。

 こんな得体の知れないぬいぐるみに付き合ってくれるなんて。

 ロッセーラという名前を忘れたことは許してあげよう。


 幸い、外に出たときは雨が上がっていた。ゆっくりと去っていく雲の隙間から太陽が顔を出し、私達を照らす。

 いくぶん明るい顔をしたカリカは私を抱えて、雨上がりの街を歩いて行く。



「ここは……?」


 しばらく歩いて、市場の通りのコリノさんのお店に辿り着いた。

 お店の見た目は、以前来たときと何も変わらない。

 地面に近い下層部は赤茶色の煉瓦が積み上げられ、その上は石造りになっている。煉瓦と同じ色に塗ってあって、色は同じなのに模様が下層部分とそれ以外で異なり、面白い。


「いらっしゃい」

「こんにちは。服? 仕立屋さん?」

「やあ、君はここは初めてかな? 今はちょっと品揃えが悪いが、まあゆっくり見て行ってくれ……ん? 一人かい?」


 まただ。さっきから感じる違和感。私の名を知らないカリカに、カリカを知らないコリノさん。まさか……時間がまき戻っている?

 カリカは、吸い寄せられるようにテーブルの上に置いてある、 糸紡ぎ機の方向に歩いて行く。


「おや、もしかして……それ使えるのか?」

「……はい」

「そうか……なぁ……よかったら、手伝ってもらえないか? 妻は、隣の国まで買い付けに出かけていて……人手が足りなくてさ。ご両親には私から説明するから……ダメかな?」


 え? コリノさんの奥さんって、もうそんなに、外国に行けるくらい回復したの?

 ううん、違う。やっぱり今は……カリカが私に合う前、そしてコリノさんの奥さんが眠り病になる前なのだろう。

 もっと言えば、私が記憶を取り戻す前。それは、つまり……今はグラズがいないことを示している。

 いったい、どうしたらいいのか……。相談できる相手がいない。

 しばらく待っていれば時間が経ってグラズが召喚されるのかもしれない。それまでのんびり過ごすのも……アリかな。


 などと考えていると……。次第に眠く……。

 そうか。なるほど。この体を動かしている魔力が付きかけているのだろう。魔力が尽きるとベア吉が動きを止めるように私も……。

 次第に暗くなっていく視界に駆け寄ってくるカリカが見えた。


「あれ? くまさん……どうしたの……?」


 加速していくように視界が暗くなっていき……そしてついに、意識が途切れたのであった。



「さま……ロッセーラさま……」


 誰かが呼んでいる。この声は、カリカだ……。


「はっ……」

「だ、大丈夫ですか?」

「う……うん。えっと……夢?」

「夢?」

「ううん……」


 おお! 私はビックリすると同時に、とても安堵した。なんとなんと、元の体に戻って来られたのだ。

 カリカが館に尋ねてきてくれて、コリノさんのお店に行った……その時に戻れたんだ。


 慌てて手足を見て、自分の顔や胸回りに手で触れる。すると、いつも通りの感覚に戻っている。決してぬいぐるみのような、柔らかくてふわふわな手触りではない。手足も細いし……間違い無く、ロッセーラの体だ。


「ロッセーラ様、どうしました……?」


 挙動不審な私の名を呼び、カリカが気遣ってくれる。

 ああ、全部元通りになった。良かった。本当に……良かった。


「ううん、大丈夫。何でも無いわ」


 そう答えると、カリカは頬を緩めてくれた。

 その時……ガチャリとドアが開く音がして、一人の中年の女性がお店に入ってくる。

 

「ほお……この店は流行っているようだね……あ、やっぱりいたね。カリカ」

「こ……こんにちは」

「なあ、元々アタシんところで働いていたんだ。また戻ってきてくれないかね?」


 ああ……あの時、カリカに酷いことを言ったオバさんだ。

 今さら、何を言っているのだろう? 彼女はコリノさんのこのお店で働いているのだ。


「え……どうしてですか?」

「いや、魔力を編み込む力があったなんて知らなくてね……。あれから売上も振るわないし……戻って来てもらえないかな」

「えっと……その……」


 オバさんは、カリカの手を掴んだ。


「ここの店主には私が話をしておくからさ」

「あの……いや……」


 カリカは、拒否の姿勢を示した。でも強く出られないようだ。

 私は、さっきにも増してイライラしてきていた。ばん! と机を叩くようにして手を置く。


「ねぇ……オバさん。今さら、何言ってんの? あんた、カリカにすごく酷いこと言ってなかった?」

「はあ? 誰だあんた……へぇ、貴族さんが何を……」

「ロッセーラさま?」


 私は、カリカの手を取り、オバさんから引き離す。


「カリカ……あなたは、ここで働いているのよね? このオバさんのところに戻りたい?」

「う……ううん。私は戻るつもりはありません」

「な……」


 そこに、言い合いに気付いたコリノさんも参戦してくる。


「カリカちゃんは、とても良質の糸を紡いでくださいます。お客さんにも好評です。ずっとここで働いて欲しいくらいですね」

「コリノさん……」


 再びカリカの頬が赤く染まる。褒められることに慣れてないその姿がとても可愛らしい。

 私は、口角を上げオバさんに言い放つ。


「そういうことなので、お引き取りください! というか、もう二度とカリカに会わないで! カリカも言ってあげなさい」

「は、はい……ロッセーラ様」


 カリカは女性の顔に目をやり、大きく息を吸うと、少し低い芯のある声で言った。


「私は、このお店で働きます。あなたのお店には戻りません!」


 カリカ、やればできるじゃない。

 若干、顔は笑っているのに目が笑っていなくて……すごい迫力だ。多分私よりも怖いかも。


「わ……わかった……わよ……」


 カリカに断れたのがよほど堪えたのか、肩を落とし、とぼとぼとその女性は去って行った。


「ふぅ……。あれだけ言っておけばもう来ないでしょ。カリカのおかげでスカッとしたわ」

「私なんて……そんな……。でもロッセーラさまがいてくれたから、頑張れました。ありがとうございます!」


 カリカは、私の手をぎゅっと握り返した。彼女の手はしっとりとしていて、とても熱かった。



「はぁ、もうちょっとしたら、あまりここに来られなくなるんだろ?」

「はい。ごめんなさい……でも、休日ならたまに顔を出します」


 どういうことだろう? コリノさんに事情を聞いてみよう。


「コリノさんどうして?」

「魔法学園に入学するから、だろ?」

「はい……!」


 なるほど。そうだ、あと一月ほどしたら入学だ。

 魔法学園は全寮制なので、カリカは今住んでいるところも引き払うという。


 私達は、服を何着か見て、お互いに服を選んだ。

 あれが似合う、これはどうか? などと時間を忘れて楽しんだ。時間がかかりすぎだと、マヤに怒られてしまったけど……とても楽しい時間を過ごした。


「あの……ロッセーラさま……。あのくまさんは……もしかして……ううん。なんでもありません」


 帰り際、カリカは何か言いたげだったけど、それ以上は聞いてこなかった。

 まあ、私もあんな不思議な出来事のことなんて、話しても信じてもらえないと思うし……。


 そういえば、あの後、ぬいぐるみはどうやって私の家に帰ったのか……。謎が深まるばかりであるけど……。

 まあいっか。こうやって、元に戻れたのだから。


 またいつか、もっと仲良くなったら、カリカに話してみてもいいかもしれない。

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