閑話 ぬいぐるみになってしまいました。——カリカ—— 前編

 短い胴に短い足。綿がちょっとはみ出した腕。ご丁寧にフェルト生地の服に、ロッセーラと私の名前が刺繍までされている。

 この胴体には見覚えがある。熊を模ったぬいぐるみ、ベア吉だ。


 何を言っているのか誰に話しても信じてもらえないだろうけど……私はベア吉になっていた。

 自分でも何を言っているのか分からない。

 前世の記憶を取り戻し、「元魔王だろ」とレナートに言われたあの日以上の衝撃が私を襲っている。


 どうしてこうなった? ここはどこ? 私はロッセーラ・フォン・クリスティーニ。決してベア吉ではない。


 周りを見渡すと、ここはどうやら、領地内の市場のようだ。前に行った魔術ギルドや、コリノさんの仕立屋がある通り。

 知っている景色に、少しだけ安堵する。

 時間はお昼を過ぎくらいだと思う。勘だけど。やや雲が出ていて雨が降りそうだ。


「お前は、まったく……気持ち悪い!」


 ふと、女性の声が聞こえた方を見ると、シルバーブロンドの可愛らしい少女が小太りの年配の女性に叱られている。

 ……カリカ?

 なんという幸運だろう。さっきまで彼女と一緒だったのだ。でも、その時の可愛らしいワンピースではなく、地味なブラウスを着ているのが少し不思議。

 それはともかく、彼女に事情を話して我が家まで連れて行ってもらおう。そして、グラズに相談すれば何か分かるかも……。

 でも、カリカに声を荒げるあの女性は誰?


 私は、カリカに近づいていく。

 道を歩く私に通行人達が奇異の目で見つめてくる。魔法か何かなのだろうと、それぞれが思っているようだ。幸い、衛兵など呼ばれそうな雰囲気ではない。

 周囲の反応を我関せずという態度で無視し、さらに近づく。すると蚊の鳴くような弱々しい声のカリカと、ヒートアップする女性の怒号が聞こえてきた。


「もうしわけありません」

「はぁ……あんたなんか雇うんじゃなかったよ。まったく……悪魔の子でも孕んでいるんじゃないのかい? クビだよ、クビ。給料も無し」


 なんてことを言うのだろう? いくらなんでも暴言が過ぎる。


「そ……そんな……売上だって増えているのに」

「ふん、それが自分のおかげだと思ってるのかい? とにかく、もう来なくていいよ。帰んな」

「……はい」


 カリカはもうそれ以上、女性に食い下がることなく、何もかも諦めたような顔で走り出した。

 何があったのか……? 私は、短い足を目一杯動かし彼女を追いかける。


 走っても走っても息が切れることがないこの体はすごい。食事も取る必要なさそうだし、もういっそこのままで……って、まあダメだけどね……やっぱり自分の体に戻りたい。

 だいたい、どうしてこんなことになったんだっけ?

 思い出そうとするけど、どのように記憶を遡っても納得ができない。



 カリカが屋敷にやってきた。

 早速魔法について私が教えようということになった。だけど、カリカは魔術書を持っていないということだった。

 どんな初心者でも、いや、初心者ほど呪文を覚えるのには、まずは魔術書を用意するべきだと私は思っている。なので、まずはそれを買うという目的でカリカと魔術ギルドに出かけた。


 ギルドに付くと、売店には人がおらず、仕方なく事務所まで行って話を聞くと……なんとあのギルドのお婆さんが眠り病にかかってしまったらしく、ギルドの販売部門はお休みだということだった。

 仕方なく帰路につくのだけど、途中で見覚えのある仕立屋の建物が見えた。せっかく市場に来たことだし、カリカと一緒にその仕立て屋に行くことにしたのだった。

 特に理由は無く、単純にカリカと一緒に服を見たいと思ったからだ。


「こんにちは、コリノさん」

「おお……これは……ロッセーラ様。先日はありがとうございました。あれから順調に妻も回復しましたし、手伝ってくれる子も増えまして。なんとお礼を言ったらいいか……」

「いえいえ、お気にならさず」

「本当に、ありがとうございます……あら、そちらの方は……」


 コリノさんがカリカに気付いた。私は彼女を紹介しようとしたのだけど……。


「おや、カリカちゃん……ロッセーラ様と知り合いだったのか?」

「こんにちは、コリノさん。はい、先日知り合いまして……」


 なんと、カリカはコリノさんの仕立屋で働いていたのだ。

 私の話を織り交ぜながら盛り上がってる二人をよそに店内を見渡すと、たくさんの服と、何かの道具が机の上に置いてあった。

 木の輪っかがあって、支柱に支えられてくるくる回るようになっている。その少し離れたところに木の棒がある。

 どういうわけか、その道具から目が離せなくなった。


「ロッセーラ様、それが気になりますか?」


 カリカが道具のことを教えてくれた。

 糸紡ぎ機といって、綿などを糸にする道具なのだそうだ。


「カリカちゃんはね、魔力を糸に込めることができるから、すごく丈夫なものができるのさ。すごく助かってるよ」


 コリノさんが、自分のことのように胸を張ると、カリカは頬を紅く染めた。

 照れている。……可愛い……。

 と思っていたら……世界がぐるぐる回って……。暗くなって……。



 気がついたら、ベア吉になっていたのだ。

 落ち着こう。とりあえず深呼吸をしよう。すーはーすーはーしよう。そう思って息をしようとするけど、できなかった。呼吸をしていないし、声も出せない。

 確かにぬいぐるみだと息をする必要は無いよね……。そう考えると妙に落ち着いてくる。

 なってしまったのはしょうがない。元に戻る方法を見つけなければ。


 しばらくカリカが走り去った方向にむけて駆けていくと、街を横切る川の橋の上でぽつんと立っている少女を見つけた。

 声を出せないので、気付いてもらうには……彼女の目に訴えるしかない。


「…………? ふふっ」


 カリカは目の端で激しく動いて荒ぶっている私に気付き、視線を向けてくれた。その上、少し笑ってくれた。よほどおかしな踊りだったのかも知れない。だけど、気付いて欲しくて、手足や顔を激しく動かした甲斐があってよかった。

 彼女の頬に涙の痕がうっすら見える。さっきまで泣いていたのだろう。でも、あまりの私のおかしな動きに涙が止まってしまったようだ。


「えっと……くまさん? のぬいぐるみ……?」

「…………!」


 そうだよ! 気付いてくれて嬉しい! と言おうとするのだけど……ダメだ。やっぱり声が出ない。


「あ、ろ、ロッセーラ……さん?」


 カリカは、私の服の刺繍に視線を向けていた。

 おかしい。妙なよそよそしさを感じる。まさか……彼女は私のことを知らないか、忘れている?

 そりゃ見た目はこんな姿になってしまったけど……名前くらいは覚えておいて欲しかった……と思っていたら、ぽつりと、カリカの額に水滴が落ちた。

 ぽつり……ぽつり……。


「雨……私は帰るけど、ロッセーラ……くまさんはこれからどうするの?」


 私は手振りで「ついていく」と伝えようとするのだけど……カリカは少しだけ首をかしげる。めげずに、ずっと説明しようとしていると、急にうん、と頷くと、その大きな胸に私を抱え、走り出した。

 想いは通じた……のかな?


 私はカリカの住んでいる部屋に一緒に帰ることになった。

 彼女のことを少し知ることができそうだし、そもそも知り合いというか、友達の家に初めて行くことに、非常にわくわくしていた。

 カリカのことだ。きっと、可愛らしい部屋なのだろう。私はそう思っていた。

 しかし……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る