第13話 婚約が決まりました。

 私にも我慢の限界がある。

 問い詰めよう。徹底的に問い詰めよう。私に婚約の話があったのではないか。私との事件に関する話が途中だったのではないか。その暑苦しい筋肉をしまえ……と。

 立ち上がり、肩をいからせ、三人の男共に対して歩き出す。


「お、お嬢様……!」


 数歩、歩いたところで後ろから、がしっと両腕を羽交い締めにされた。頭と背中に、柔らかくて温かい感触がある。


「マヤ、止めないで」

「いーえ、止めます。今はとても大切な時期なのです!」


 マヤの真剣な声が響く。

 さっきの部屋でのやりとりと立場が逆転している。さっき私は全力でマヤを止めようとしていたのだけど……。そう考えると、落ち着いてきた。

 客観視って大事だな。うん。


 無駄な体力を使って疲れた私は、先ほどまでお茶を飲んでいたテーブルの席に戻る。

 冷めたお茶のように心も冷たくなった頃、温かい陽気につられ、私はうとうとし始めていた……。




 私の目の前に今より少し成長した姿でヴァレリオ殿下が立っている。


 おそらくここは魔法学園なのだろう。どうも建物の中の風景に見覚えがある。

 彼は私を見据え、強く太い声で話し始める。


「ロッセーラ。すまない……俺は……君と一緒には行けない……ここで、お別れだ」


 ヴァレリオ殿下が悪役令嬢に婚約破棄を告げるシーンは、乙女ゲームで描かれていない。でももし、描かれるとしたら、彼はこんな風に伝えてくるのだろう。

 今までと同じ、まっすぐな眼差しで。


「えっ…………うん。分かった……」


 そのまま、私は言葉を受け止める。

 涙は流さない。すがったりもしない。カッコ悪いし運命は変えられない。

 これは乙女ゲームではなく、これから私の未来に起こること。


 そのとき、私はどんな顔をしているのだろう?




「……さま……ロッセーラ…………様……」


 体が揺すられているのに気づき、目を開ける。


「うぇ?」


 どうやら、私は余りに暇を持て余し、テーブルに突っ伏して寝ていたようだ。


「ロッセーラ様、ヴァレリオ殿下が……」


 すごく悲しい夢を見たような気がするけど、どんな内容だったのか思い出せない。

 マヤの声にハッとして、顔を上げると、不意に手を引っ張られた。

 私は、そのまま寝ぼけまなこで立ち上がる。酷い顔をしていなければいいけど……大丈夫かな。


 手を引いていたのは、ヴァレリオ殿下だった。どういうわけか、少し幼く見える。


「ロッセーラ……すまない……。こういう所、直さないとな」


 そう言って殿下は頭をかき、もう片方の手で私の手を握る。

 彼は、私を放って剣の稽古をしていたことを謝ってきた。ああ、そんなこと……気にしていないわと、伝える。別に嘘でもなんでも無く、今の素直な気持ちだ。


「俺のこと見捨てないでくれるか?」

「そ……そんな、見捨てるなんて……するわけありません」


 気がつくと、うちのメイド達、両親、そしてヴァレリオ殿下やレナートの従者達が私達を取り囲むように並んでいる。彼らの殆どは、私達を見つめていてうっとりとしている。

 メイドの一部は目に涙を浮かべているようだ。

 いったい何が起きているんだ? いや、この風景……見覚えがある……。


「ロッセーラ。今日は婚約の件で正式な挨拶に来たんだ。俺との婚約を、受けてくれるか?」


 彼は、いつものまっすぐな眼差しで私を見つめている。

 このシーンは、悪役令嬢ロッセーラの回想シーンだったはずだ。

 場所とか周りの様子とか微妙に違うような気がするけど、ヴァレリオ殿下が婚約を告げるシーン。

 ここで、ロッセーラが「はい」と答えると彼は跪き、彼女の手の甲にキスをするのだ。


「……はい」


 ここで婚約してもいいものか……何か心に引っかかるものがあるけど、ゲームの記憶をなぞるように、口が勝手に動いた。動いてしまった……。


「よかった……」


 ヴァレリオ殿下は、こぼれるような笑みを浮かべ、跪いた。そして私の手を取り、その甲に軽く口で触れた。

 温かく柔らかいものが手の甲に当たる。

 乙女ゲームやおとぎ話などで見たことがある風景。いざ自分がされる立場になると、不思議と心が躍るものがある。まるで、お姫様になったみたいだ。

 私を取り囲む世界がバラ色に染まっていく。


 パチパチパチ……。


 周りにいた人達が拍手をしている。先ほど涙を瞳に浮かべていたメイドは、ハンカチで目頭を拭っているようだ。大げさだなぁ。


「おめでとう! ロッセーラ!」


 父上や母上が祝ってくれる。

 レナートも近づいてきて、笑顔を作ってくれている。


「ロッセ、おめでとう。少し心配もしたけど……ヴァレリオをよろしくな」

「う、うん……」

「ん? 泣いているのか?」


 えっ?

 私は空いている方の手で、頬に触れた。少し冷たくひんやりと濡れている。

 ハンカチはどこだっけ? と思っていると、私の頬をヴァレリオ殿下が拭ってくれた。

 

「ロッセーラ、ありがとう。これからよろしくな」

「あ……うん…………はい」

「涙に濡れる姿も……いとしいものだ」


 彼の指の温もりは、優しくて、夢のようで、とても儚げに感じる。これは夢で、いつかその幸せな世界から目が覚めるような。

 現実に気づき、絶望をする未来。

 私は、そんな不安を振り切るように、ヴァレリオ殿下を見つめた。


 彼の笑顔は、どこまでもまっすぐだった。




 こうして、私はヴァレリオ殿下の婚約相手になった。この後、私は魔法学園に入学する。

 残念ながら、乙女ゲームと同じ展開になっていて、バッドエンドへのストーリーからは完全には逃れることはできなかった。

 でも、進展が異なっている部分もある。ヴァレリオ殿下の片目は失明していないし、現時点で既に乙女ゲームの主人公カリカとの繋がりが生じている。

 レナートとは微妙な関係ではあるけど、協力関係にある。

 ひょっとしたら婚約破棄はともかく、バッドエンドは避けられるのではないか?

 全ては、魔法学園に入学してからが勝負だ。結果はどうなるのか、まだまだ分からない。

 でも、きっと……全てが上手くいく。

 王子二人の笑顔を見ていると、不思議とそんな気持ちになった。



 ——そして……時は流れ、ついに、魔法学園入学の日がやってきたのだった……。

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