第二章 王子の危機

第1話 王子からデートに誘われました。

 今日は殿下が我が家にやってくると伝えられている。

 うーん。とりあえず、お茶でもしながら話して……お帰り頂こう。諸々の準備はメイドさんたちがなんとかしてくれる。マヤに任せておけば、間違いない。

 そう思っていたんだけど……。



「今から一緒に行きたいところがあるのだが……準備できるか?」


 初めて我が家にやってきたヴァレリオ殿下は、悪びれもせずにいきなりこんなことを言い出した。


「もちろんでございます、殿下」


 父上が勝手に了承してしまったので、館の中は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

 又の機会に、という私の提案はあっさり却下された。そして、またもや付いて来ると言い始めた父上を宥めるのに私は無駄な体力を使う羽目になったのだ。



 外出用の服に着替え、髪を整え……。あー、貴族って面倒くさいな。

 記憶が戻る前は、こういうことも割と平気だったはずだけど、今はダルくてしょうがない。


 殆どはマヤがやってくれるので、私は座っているだけでよいのだけど。

 テキパキとメイドに指示を出すマヤは凜々しくて、頼もしい。私より二つ歳上だけどすごく優秀だと思う。彼女は魔法は使えないけど、補って余りある能力を見せつけてくれる。


「すごく楽しそうね」

「ええ、もちろん! 第三王子ヴァレリオ様と外出。これはきっとデートですよ」

「デート……ねぇ」


 あまり親しくなって婚約してしまうと……乙女ゲームの通り婚約破棄されるルートが見えてくる。婚約者がいるのに魅力的な主人公に惹かれていくのであれば、婚約などしなければいいのに。

 それにしても……ヴァレリオ殿下と初めて会った時の違和感は、いったいなんだったのだろう?



「お嬢様、準備ができましたよ! 私もお供します!」


 弾んだ声が聞こえて、我に戻った。マヤが付いてくれるのは安心ではある。

 まあ、この前の、レナートと指切りしたとき助けを求めてもスルーされたのを少しだけ根に持ってはいるけど。



「おお、待った甲斐があった……素敵だ、ロッセーラ」

「どうも……ありがとう」


 着替え、髪を整え外出用に飾った私を見て、ヴァレリオ殿下の口角が上がったような気がする。やっぱり兄弟なのか、レナートの仕草に似ている。複雑な心境もあるけど、嬉しかった。



 馬車には、王子の従者と、マヤが一緒に乗った。

 壮麗な装飾を施された白を基調とした馬車が滑らかに走り出す。さすが王家の馬車だ。振動がほとんどなく、乗り心地がいい。

 静かに流れる景色を横目に、私は気になっていたことを質問した。


「それで……今日はどうされましたか?」

「そりゃもちろん、兄に吠え面をかかせるための作戦会議に決まってるだろ」

「だろって……それで……外出ですか?」

「ああ。せっかくだから、俺の気に入っている所で話そうと思ってね。それで、あの後、兄とどんな話をしたんだ?」


 まさか元魔王と元勇者の話、なんて言うわけにはいかない。言っても信じてもらえないと思うし、頭がおかしくなったと思われそうだ。

 とりあえず話して良さそうな話題だけにしとくか。


「あの、指切りってご存じですか?」

「知らん。なんだ、その物騒な言葉は?」

「あのですね、誰かと約束するときの儀式なのです」

「魔法か? 【強制ギアス】の魔法のような」

「いえいえ、そんな怖いものじゃなくて、お互いの約束の気持ちを確認するものです」

「ほう、何を約束したんだ……?」


 げっ……。そうだ、しまった……。元魔王、勇者であることを秘密にする約束だった。あまりの間抜けさにぽかぽかと自分の頭を叩きたくなる。

 せっかくマヤが綺麗に髪の毛を整えてくれたのだから、そんなことできないけど……。


「えっ。えっと……秘密です。あることを秘密にすることを約束したのです」

「フッ。アイツのことだ、秘密と言っても、きっとクソ真面目でつまらん事なんだろう?」

「あ……いえ……その……あはは」


 愛想笑いをして……誤魔化した。誤魔化せたかな……?

 すると、彼はそれ以上聞いてこなかった。しかも、少し表情が柔らかくなって私を見つめている。馬車内の空気もふわっと少し和らぐ。


「そうだな、秘密を守ることは、とても大事なことだ。秘密にすると決めたのなら、他人に話すことはない。そうだ、何か俺と約束事ができたら、その儀式とやらを教えてくれ」

「……はい。喜んで」


 ほっとして、答えると、ヴァレリオ殿下はずっと黙って私の顔を見つめ続けた。

 視線が熱いし、恥ずかしい。あまりジロジロ見られる経験がなかったし、間も持たないな。


 助けを求めようと、ちらりとマヤに視線を移した。幸い、彼女は私の視線に気付いてくれた。しかし……例によって彼女は、笑顔で私に向けて拳を握りしめウインクをしただけだった……。



 しばらくして、外を流れる景色が次第にゆっくりに流れるようになり、やがて馬車が止まる。


「お、着いたようだな」

「ここは……」


 コンサートホール?

 そういえば、乙女ゲームの中でヴァレリオは楽器を演奏していた。確か管楽器だったと思う。彼は音楽好きの設定だったから、こういうデートになるのに違和感はない。

 今まで私達を照らしていた太陽がその建物に隠された。日陰に入ったため、馬車内の空気が少し冷えるのを感じる。


 私達はその巨大な建物に入っていった。広いロビーを抜け、二階席に案内される。そこは区切られた部屋のようになっていて、数脚の椅子があった。

 ここから見える景色は圧巻の一言だ。一階席の観客が黒い波のように並んでいる。いったい何席あるのか見当も付かない。一階席の奥の方にはステージが見え、そこにはピアノが置いてある。

 頭上を見上げると三角形の屋根が遙か遠くにあり、霞むくらい広大な空間がそこにあった。


 この景色は初めて見るわけではない。乙女ゲームで彼のルートに入ると、ここに来て、彼の演奏を聴くのだ。しかし、小さな画面と違って目の前の光景は私を重々しく圧倒してくる。



「ロッセーラはここで待っていてくれ。用事を済ませてくる」


 そう言って、ヴァレリオ殿下は従者と共に去って行った。

 二人きりになるとマヤがニコニコしながら話しかけてくる。


「この席、最高級の特別観客VIP席ですよ! まさかこんな所に来られるとは……」

「マヤはこういうコンサート好きだったわね。私はこういうの眠くなってくるのよねぇ」

「お嬢様。くれぐれも眠くなって、よだれなど垂らさないように気を付けてくださいね」

「う。うん……がんばる」

「あ、あの方……ヴァレリオ殿下じゃないですか?」


 彼女は興奮しているのか、手すりから身を乗り出して一階席の方を見つめている。

 視線の先を追うと、確かにヴァレリオ殿下がいる。彼が近づくと、声をかけられた人や、その周囲の人たちが一斉に席を立つ様子が面白い。


「知り合いが多いのかな」


 私がつぶやいた時、突然ステージの方からピアノの音が聞こえてきた。曲の演奏というより、適当に弾いているように聞こえる。その様子に、マヤは首をかしげた。


「あれ? 変ですね」

「どしたの? 演奏始まった?」

「いえ、何か始めるにしても、一階席に殿下がいらっしゃるのに勝手に弾き始めるなど……それに曲でも何でもない……」


 その時、ダン! とピアノが奏でる不思議な響きが聞こえた後、ピアノを弾いていた男が立ち上がり……彼の周囲から煙が立ちこめていった。

 あれは……?


 しんと静まりかえるホール内。ヴァレリオ殿下も含め、皆がステージを注目している。


 煙がゆっくり散っていき、男がいたいた位置には……一人の子供が現れた。いや、違う! 子供の背丈、はげ頭にツノが生え、羽を生やした灰色の魔物……前世で、部下の悪魔が召喚していた使い魔インプだ。


「キャー!」

「うおおおおお!」


 女性の叫び声が聞こえると、一階席にいた人々が一斉に立ち上がり、走り出す。その様子はあたかも黒い波が意思を持って蠢いているように見えた。ドドドドという足音が室内にこだまする。

 ヴァレリオ殿下の方に目をやると、従者の判断が早かったのか、既に出口の近くに移動していた。さすがだ。

 死角に入ったため見えなくなってしまったけど、恐らく人々が出口に殺到する前に、殿下たちはホールの外に出られるだろう。


 しかし、何かすごく嫌な予感がする。ヴァレリオの身に何かありそうな。そうだ……彼に会ったときの違和感が頭に浮かぶ。彼は……ここで……。


「私達も、出よう!」


 私はマヤにそう声をかけ、スカートの裾をつまんで走り出した。

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