第47話 彼女の名

 メルは宮田が生まれる前から我が家の中心だった。


 宮田の母は宮田が幼い頃になくなり、官僚の父親は忙しくて宮田を育てる時間はなかった。


 宮田は物心ついた頃からメルに育てられた。父は仕事で家にいない事も多かったが、休みの日は出来るだけ家族との時間を大切にしてくれた。


 母は居なかったが、寂しくはなかった。


「メルは僕とお父さんどっちが好き?」


 宮田はよくこの質問を口に出した。メルは決まって「どちらも大好きです」と答えた。宮田はその答えを当然のように予想していたし、それ外の言葉を聞くつもりはなかった。


「僕もメルとお父さん、どっちも一番大好きだよ」


「ありがとうございます。嬉しいです」



 メルは宮田を外に連れて行った。昔から身体が弱く、ゲームばかりしていた宮田をメルなりに心配したのかもしれない。


「優一さん、ほら。乗り物空きましたよ。ブランコ乗りますか?」


「いいよ。前後に揺れて何が面白いんだ」


「またそういう事言う。楽しいじゃないですか。前後に揺れるの」


 メルは外で遊ぶのが好きだった。ピアノを弾くのは苦手だった。


「優一さんはピアノが上手いですね」


 練習をしていると、メルはいつも羨ましそうに宮田を見てきた。


「上手くないよ。まぁ、サッカーよりは上手いかな」


 時々、音を小さくしてメルがピアノの練習をしているのを宮田は知っていた。

 宮田が「楽しいから一緒に弾こう」と言うのを待っているのだ。

 メルは寂しがりやで、よく宮田のマネをしたがる。




 宮田が8歳の時、不気味の谷条約が締結された。


 数年前から、アンドロイドの立場が危うくなっているとは感じていた。数日前にはアンドロイドとばかり喋る息子を危ぶみ、彼の留守中にアンドロイドを捨てた父親が火をつけられ燃やされる事件が発生した。

 過激派が、アンドロイドだと思って人間を殴り殺す事件、アンドロイドと結婚するんだと叫んで投身自殺した事件……アンドロイド関連のものを挙げ列ねればキリがない。


父は幼い宮田にそれらの血生臭い事件は見せないようにとメルに言いつけていたが、幼い宮田はその頃から少々小狡かった。近所のお兄さんと仲良くなり、メルがいない場所で散々情報を貰っていたのだ。


 なぜそんな事をしていたのかと言うと、宮田はただ「メルを守りたい」と思っていたからである。

 

 アンドロイドが世間からどう見られているのかを知っていれば、いざメルに危険が迫った時に守る術も思いつくだろうと考えた。


 近所のお兄さんが一度、宮田を迎えに来たメルを家の外で待たせていたことがある。それを見た宮田は憤慨した。


「人間が訪ねてきたら家に入れてお茶まで出すのに、どうしてメルは中に入れないの? 可哀想な事しないでよ」


「お前バカだねぇ。可哀想もなにも、アンドロイドに心なんてないんだよ」


 お兄さんは頭のいい大学に通う学生だった。


「いいか。今世の中で起こっているアンドロイドに関する事件は、全て人間の妄想が引き起こしているんだ」


 お兄さんはデバイスでそれらの事件を表示させながら、ため息をついた。


「アンドロイドは全てプログラムで動いている。設定されたことしかやらないし、できない。なのに自分は愛されているだの、向こうも自分のことを愛しているだのと思い込んでしまうんだ」


「メルは僕のことが好きだよ」


「そう設定されているからな」


 お兄さんはつまらなそうに答えた。



 当然のように、メルも破棄処分しなければならなくなった。

 宮田は何日も泣きわめき、父にすがった。

 メルと一緒にいたい。メルを捨てないで、と。


「旦那様、私は優一さんのそばを離れません」


 メルは、泣く宮田を抱きかかえて宣言した。


「こっちだって、メルを捨てたくはない。でも、条例で決まったんだ」


 父は真面目な人だった。官僚という立場もあるだろう。他の人が我慢しているのに、自分が我慢しないのはズルだと思っていた。


「私は絶対、優一さんと離れません」


 あの時期のアンドロイドは、自己主張はちゃんとした。誰の言葉を優先すべきかはプログラミングされていたはずなので、メルの場合は一番の優先順位が”宮田優一”になっていたのだろう。そんな事実を知らない宮田は、単純に嬉しかった。


 結局父が折れた。いや、本当は折れたをした。


 父は泣きわめく息子を哀れに思った。そして真剣に考えた。結果、プログラミングを変更する事にした。


 一番の優先事項を優一ではなく、父親に。


 メルは息子のために手に入れたアンドロイドだ。幼くして母を亡くした息子に寂しい思いをさせないために購入した。だからこそ、メルの第一優先はいつも優一に設定していた。だが、このままではメルは自分から処分施設に行くとは言わないだろう。優一が望んでいないからだ。


***


 優一がある朝目覚めると、メルがちょうど部屋のドアを開けたところだった。


「おはようございます。優一さん」


「おはよう、メル」


「優一さん。私、やはり出て行く事にしました」


「……え?」


「私がいると、旦那様や優一さんにも迷惑がかかりますので」


「なんで? だって、僕のそばにずっといるって言ってたじゃん!」


 メルはしゃがみこみ、宮田の両肩に手を置いた。


「ごめんなさい。でも安心してください」


 メルが笑った。


「私には心がありません。壊されても悲しくはないし、痛くもないのです」


 それは……僕と離れても寂しくないって事? 悲しくないって事?


「メル」


 宮田は震える声で聞いた


「メルは僕とお父さんどっちが好き?」


「旦那様です」


 メルが答えた。


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