第45話 恋慕


 智子はひどく泣いていた。

 僕は慰めるために近づく。だが「あっちに行け」と言われてしまった。少し寂しい。でも悲しいのは智子の方だ。僕が落ち込むのはおかしいと思った。


「どうしたの?」


「うるさい。出て行け」


 僕は智子の部屋を出て、ドアの前に腰を下ろした。自分の膝を抱え、待つ。

 智子がまた自分を呼んでくれるのを。

 また一緒に遊んでくれるのを。


 どのくらいの時間が経っただろう。目を開けると、廊下は暗くなっていた。

 ドアが開き、智子が出てくる。


 智子は僕がドアの前にいる事に気付き眉をひそめた。


「ずっとそこにいたの?」


「うん」


「……いいわ、立ちなさい」


 僕は立ち上がった。智子の泣きはらした顔を見下ろす。


「しゃがんで」


 僕はしゃがんだ。膝をつき、智子を見上げる。


「私に嘘をついたでしょう」


「ついてない」


 バシッと智子が僕の頬を叩いた。もちろん痛くはない。でも、なんだか凄くショックだった。


「清太郎さんのセリフを再生しなさい」


 僕はいつものようにあの言葉を再生する。三人で海に行った時の言葉だ。


 ”……もちろん好きだよ”


 智子が僕の胸ぐらを掴む。


「海が言ったのよ! 清太郎さんは私の事が好きだって!」


 清太郎は智子の事が嫌い? 好き? その問いに答えた時の音声だった。

 智子に聞かせればいつも喜んで僕に抱きついてくれる。

 それが嬉しくてなんども再生した。


「清太郎は、智子が好きだよ」


 そう言ってたんだから。


「……ばか!」


 また智子に殴られる。どうしてそんなに怒るんだろうか。


「清太郎さんにはね、婚約者がいるの。若いだけが取り柄の女よ。清太郎さんが学生時代から付き合っていたんですって」


 智子が再び泣き始めた。僕はそばに寄ってその涙を袖でゴシゴシ拭う。


「泣かないで」


「うるさい。ほっといて。消えろ!」


 僕の身体を突き飛ばした智子は、また部屋に入っていった。

 




 それから、7、8年の時がすぎた。

 智子からボールを取ってこいと言われることも、ショッピングや旅行に連れてってもらうこともなくなった。

 僕はボディーガードを辞めさせられた。今智子の身を守っているのは、箱型のロボットだ。喋らないし必要な時以外は起動しない。


 僕は喋りすぎたかな。もうしないから、側にいさせてほしいな。


 僕は日々を大きな倉庫の中で過ごした。いつか智子が迎えに来てくれるんじゃないかと、毎日毎日そのドアが開かれるのを待っていた。


 そして、その願いが通じた。

 

「海。出てきなさい」


 智子が僕を呼んだ。

 走って側に寄る。智子は少し歳を取っていたが、相変わらず可愛かった。


「あんたにやって欲しい事があるの」


 僕は頷いた。今度こそ、智子の為に頑張ろう。


 智子はあの後、様々な手を使って清太郎を手に入れようとしていた。

 お金や地位をチラつかせ、脅迫まがいの事もした。だが、清太郎は首を縦にはふらなかった。そしてとうとう、彼は結婚する事を智子に告げたのだ。


「ねぇ。海」


 もう智子は泣いてはいなかった。表情が読み取れない。

 智子は悲しい? それとも嬉しい?


「あのね」


 智子が僕に向かって言った。


「ゆりなを殺して」


***


 僕は深夜、友梨奈が寝静まった事を確認すると、中に入って彼女を殺した。

 あの女が大切にしているネックレスを持ってこいと言われていたので、それをポッケに入れて外に出た。


「見せてちょうだい」


 家に帰ると、そのネックレスを智子に見せた。

 首を一瞬でへし折ったから生きている可能性はないと告げると、智子は笑った。


「ありがとう海。友梨奈を殺してくれて」


 そう言って智子は僕に抱きついた。


 智子はネックレスを宝箱に入れようとして、辞めた。彼女は何か楽しい事や嬉しい事があると、思い出の一部をお菓子の空箱に入れて保管する癖があった。


 昔、まだ僕の家が倉庫じゃなかった時、智子はその箱を開けながら僕に色んな思い出話を聞かせてくれた。


「入れないの?」


 ネックレスは智子の机の上に置かれた。


「えぇ。これは後で使うから」


 智子の目は沈んでいた。僕はちゃんとやれただろうか。智子の為に。

 それだけが心配だった。




 三日後、倉庫に人の良さそうなおばさんがやってきた。黄龍に勤める使用人だ。


「海さん、こちらに」


 僕は自動運転の車の荷台に入れられて運ばれた。どこにいるのかは位置情報でわかったが、なぜ連れてこられたのかはわからなかった。


「ごめんなさいね」


 おばさんは僕に向かって銃を構えた。それはアンドロイドの動きを止めるものではなく、殺すものだという事がわかった。


「……お可哀想に」


 おばさんが泣き始めた。お嬢様はなんて酷い。あんな事を仕出かしてまで好きな人を手に入れてどうなさるおつもりか。貴方への対応もあんまりだ。


 色々な事を言われたが、僕には意味がわからなかった。智子は別に悪い事はしていない。欲しいものを欲しただけだ。


 おばさんは僕を人里離れた納屋に置いていった。外に出てはダメだと言われた。


「ここにいたら、智子が迎えに来る?」


 そう聞いたが、答えてもらえなかった。


***



 それから、幾年もの時がすぎた。

 おばさんが時々やってきて僕の話し相手になってくれた。


「清太郎様が、不気味の谷条約を締結されました。いいですか海さん。人前に出てはいけません。出たとしても、アンドロイドだと悟られないように」


 清太郎は友梨奈を失い少し頭がおかしくなったらしい。僕は可哀想だな、と思った。


 おばさんはそれから数年後に来なくなった。


 人が少なかったこの場所も徐々に開発が進んだが、納屋はギリギリ壊される事もなく順調に朽ちていった。


 毎日智子を待つ。あの扉が開いて、僕に抱きついて「帰るわよ」と言ってくれる、その日を。


***


 巨大な空中ディスプレイを見た。智子が映っていた。

 随分歳を取ったが、僕にはすぐにわかる。


 メンテナンスを受けていない僕の耳はいつもガーガー音がなっている。言葉が聞き取りにくい。


「……が、……海……よろしく……お願いします」


 智子が僕の名前を呼んだ。

 脳内で智子の声が再生される。


 ”ゆり⭐︎◇△あを殺せ”


 智子が僕に話しかけてくれた。

 そうだ。僕の任務は”ゆり⭐︎◇△あ”を殺す事だった。


 僕は自分の頭の中の情報をアップデートしてデータを調べた。一番活発に動いているアプリから、名前を検索する。


 ゆりあ。


 あれ? ちょっと違う気もするけど。まぁいいか。


 人がいっぱいいて誰を殺すのかわからなかった。智子に聞きに帰る事は出来ない。そんな事をすれば、智子に使えないやつだと思われてしまう。


 とりあえず片っ端から片付けよう。セキュリティが甘くて住所がすぐにわかる、殺しやすい人がいい。


 僕は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

 このお願いが終われば、またきっと智子に会える。


 そう思った。


***


海は智子の前で歩みを止めた。

 最後に会ったのは40年以上前だ。あの頃は豊かだった黒く綺麗な髪が、今は真っ白になっている。顔にはシワが目立ち、カサカサしていた。


 だが


(昔のままだ)


 そう思った。

 変わったことも多いけれど、澄んだ声や瞳の美しさは変わらない。


 海は口を開いた。


(ただいま)


 やっと帰ってきたよ。


 昔のように抱きしめて欲しい。


 そう思って手を伸ばした。


「……た」


 銃声が響く。


 閃光が貫き、身体から急速に力が失われる。

 目の前が暗くなる。


(嫌だな……)


 海は思った。


(折角また、会えたのに)


***


 宮田は崩れ落ちるアンドロイドの後ろ姿を呆然と見つめる。

 智子とアンドロイドの間にボディーガードが立ちふさがった。


「智子様、大丈夫ですか」


「えぇ。早く片付けてちょうだい」


 智子はアンドロイドを一瞥して屋内に入っていこうとする。


「待ってくださいよ」


 宮田が智子を睨む。


「どうしてこんな事を?」


「どうして? あのアンドロイドが私を殺そうとしたからです」


 智子は虫を見るような目でアンドロイドを指差した。


「ただ手を伸ばしただけだろ。何も壊す事はなかった」


 ボディーガードを眼圧で制しながら、亘が智子に一歩近く。


「智子さん。あんたは怖かった。そうだろ? このアンドロイドから自分の犯罪の証拠が出るのが」


 智子は哀れなものを見るような目で宮田と亘を順に見つめると、突然興味を失ったようにため息をついた。


「何を言っているのかわかりませんね。もし私が犯罪者だと仰るのなら、それ相応の証拠を持ってきてください」


 去っていくその背中に何か言葉をぶつけるべきだ。このチャンスを逃せば、もう黄龍智子の罪は証明できない。


 だが、


 何もできなかった。


 壊れたアンドロイドの残骸が、宮田の足元に転がった。


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