第37話 三者


「沙樹さんって好きな人いるんですか?」


 お泊まり会(もとい警護)初日、お風呂上がりの詩季が体育座りでホットココアの入ったマグカップを持ちながら尋ねた。


「えーっと」


 沙樹は自分のジャージ姿を見て内心ため息をつく。


(女子力、完全に負けてる)


 詩季のルームウェアはピンクと白のストライプ。長めの上着にショートパンツを履き、猫の手の模様が入ったロングソックスを履いている。


(かわいい)


 スッピンにも関わらず、可愛さが薄れないとは、これいかに。


(私が襲わないように気をつけなくちゃ)


 自分の身よりも、詩季の身が危うい。


「いないよ、仕事仕事で遊ぶ暇もないもん」


「えー、残念。一緒に恋話したかったのに」


 脳裏に一瞬、宮田の顔が浮かんだ。


「あ!」


 詩季が沙樹に顔を近づける。


「え!」


「今恋する女の顔になりましたよー。沙樹さん、やっぱりいるんですね、好きな人」


「い、いない! いない、けど」


 しょうがなく白状する。


「今度一緒に、遊ぶ予定の人は、いる」


「素敵です!」


「好きとかじゃないんだけどね!」


 頼りなくて弱くて性格も別に良くはないけど

 でも


(私のこと、何度も助けに来てくれたんだよねぇ)


 宇野に襲われそうになった時、亘の制止を振り切って一人駆けつけてくれた。


(すぐ倒されてたけど)


 皐月と一緒に爆発事故に巻き込まれた時も、酷く取り乱して心配していたと、父から聞いた。


(まぁ、その後先生を取り逃がした事で嫌味言われたけど)


 考えれば考えるほど、好きになる要素がない気がしてくる。


「まぁ、嫌いではないかな」


「沙樹さん。その人と一緒にいて楽しいですか?」


「え? う、うん。まぁね」


「だったらそれで十分好きって事ですよ」


「え? いや、だから好きとかじゃ!」


「例えば、美味しいものを作ったり食べたりした時、私は好きな人の顔を思い出します。あの人に食べさせたいなぁって」


 詩季が幸せそうに笑った。


「沙樹さんはどうですか?」


「私は」


 すぐに浮かんだ。父と、もう一人。


「私、あの人のこと好きだったのかな」


 不意に口をついて出た言葉に慌てる。

 顔が真っ赤になった。


「ふふふ。気付いちゃいましたね」


「そ、そっちはどうなのよ!」


「え? 私ですか。私は……」


 マグカップに残っているココアを、じっと見つめる。


「好きな人はいますけど、ちょっと望みが薄いですねぇ」


「え! 嘘でしょ。そんなに可愛いのに」


「相手は男の人なんで、しかも普通に女子が好きって言う」


「あ、そうなんだ。でも、大丈夫だよ。ユリアちゃん可愛いし、それに優しいもん」


 何か言葉をかけたかったが、出てきたセリフがとても薄っぺらくて嫌になる。

 

「ありがとうございます。嬉しい。沙樹さん、お互い頑張りましょうね」


 天使のような笑顔に見つめられ、違う扉を開きそうになってしまった。



***


「先生、どうです?」


 喫茶ロマンスにある固定電話で、宮田は先生と電話をしていた。先生が急に思いついた発明に時間を使いたいとか言う理由で会うことを拒否されてしまったのだ。じゃあワークアームで連絡を、と思ってはみたが、指名手配中の罪人と連絡を取っているログを残すのもまずい。


 色々考えて、旧式の電話がある喫茶ロマンスで通話をする事になった。この電話ならば通話記録が残ったとしても、宮田の関与まではわからないはずだ。


『目と耳のパーツが古いんだ。A10Tを元にした改造アンドロイドだと思うー』


「出回っているタイプではないと?」


『うん。量産型のアンドロイドでこの型はないよ。ずいぶんイケメンだよねぇ。金かけてるよー』


「誰が作ったのかわかります?」


『あのねぇ、この前も言ったと思うけど。アンドロイドってのは個人で作れるもんじゃないの。僕みたいな天才技術者でも、一から作るのは無理。このパーツが出回っている時代なら、その技術があるのは黄龍財閥しかいない』


「黄龍清太郎が作ったと?」


『僕あいつきらーい。なんか偉そうだしさぁ。金のために黄龍の娘と結婚してさー。あー嫌だ嫌だ』


「いや、好き嫌いじゃなくて。この櫻井詩季を襲ったアンドロイドを誰が作ったのか知りたいんです」


『僕じゃないよ?』


「知ってる!」


 これは疲れる、と思いながら黄龍財閥が絡んでくるのは面倒だと内心舌打ちした。


***


 亘はテレポーテーションのある駅から30分バスに乗り、緑豊かな長野の奥地に来ていた。


「なんだか懐かしいな」


 亘の死んだ父親の故郷が長野だった。よく家族で車に乗って、祖父母の家を訪れたものだ。

 あれから色々なものが変わったが、この鮮やかな緑と綺麗な水は今も変わりない。


 宮田から貰った地図を手に山道を進む。普段から足腰を鍛えている亘にとってはこれくらいの坂道はなんて事はなかった。


 目的地は”ゆりあ”の家。

 リアルトークに登録していて住所が確定出来るゆりあは全国に37人見つかった。各調査官がそれぞれのゆりあを訪ねて何か不審な人物を見なかったかと聞いて回っている。亘に割り振られたのが、この長野にいるはずの”ゆりあ”だった。


「ここか」


 坂道を延々と20分登り続けた先に、そのお店はあった。

 最初は寒さに震えていた亘の全身から汗が噴き出す。


「いらっしゃい」


 亘より年上だろう。白髪を綺麗にワックスで整えた上品な老人が、家の前にある花に水をやっていた。


「どうも」


 店の前に”今村染物店”と言う木彫りの看板が出ていた。


「お一人ですか」


「はい。まだ営業前ですかね?」


「いえいえ。大丈夫ですよ。うちは気楽な店ですから。お客が来たら、そこからが営業時間です」


「そりゃいい」


 中は区切られておらず、大きな柱が何本か立っている大きなワンルームだ。

 手ぬぐいやバッグ、ハンカチ等が感覚を開けながら置かれている。


「あの坂道は疲れたでしょう。こちらで休んで下さい」


 上等な木で作られた椅子に腰を下ろすと、マスターである今村は冷たい水を出してきた。


 汗をぬぐい、水を一気に飲み干す。うまかった。


 部屋は適度に暖房が効いている。上着と沙樹から貰った赤いマフラーを外し、椅子にかけた。


 今村がマフラーを見ている事に気づき

「年甲斐もなく派手な色で」と亘は照れ笑いする。


「いえいえ。素敵ですよ。私もそう言うビビットな色っていうんですか。一つ入れてみたいんですけど、どうも上手くできなくて」


「これは娘がくれたんですよ。だからまぁ、嫌々つけとります」


「お嬢さんが、それは羨ましい」


 柔和な笑顔で今村が微笑んだ。

 人をホッとさせる魅力を持っている。


 普段は犯人が5分で泣き出す眼光鋭い亘も、思わず下がり眉になるほどだ。


「今村さんにも娘さんがいらっしゃいますよね」


「え?」


 今村がおどいた顔をする。


「ゆりあさん、という」


 亘は宮田に教わった通りに自分のIDを表示させる。無限課・調査官、亘夢路。

 

「……調査官さんでしかた。あの事件の事で?」


「そうです。実は進展がありまして、お嬢さんに会わせてくれませんか」


 もしかしたら犯人がここに来る可能性がある。リアルトークの中にある個人情報に紐づく情報を削除し、可能であれば友人宅に避難するよう説得するつもりだ。


「何か、行き違いがあるようです」


 今村は先ほどと変わらない穏やかな声色で答えた。


「私の娘は40年以上前に亡くなりました」


「……え?」


「それに、娘の名前はゆりあではありません。友梨奈と言います」


 今村は側にある棚に目を向けた。真ん中に写真が飾ってある。

 麦わら帽子を被ってひまわりのように笑う、とても綺麗な女性が写っていた。


 

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