第29話 岐路

「あれ? なんか引いてる?」


 羊男が首を傾げた。


「おかしいな。こういうノリがマッドサイエンティストっぽいと思ったんだけど」


「貴方もしかして。先生……?」


「え!」


 顔は面で隠れているというのに、なぜか男が嬉しそうな顔をしていることがわかった。


「僕のこと知ってるの?」


「聖グランフール高校の宇野という生徒を知っているわね? 貴方がヒューマログの上書きをした生徒よ」


 ヒューマログの上書き、という単語に皐月が驚いた表情を見せる。


「ログの上書きは僕がやったけど、その生徒は知らない。いちいち名前を覚えていないんだ、悪いんだけど」


 今度はしょぼん……と申し訳なさそうな顔をする。いや、しているように見える。


「私たちのことを拉致して、どうするつもり?」


「拉致?」


「してるじゃない」


 沙樹は縛られた自分の両足をぐいっと見せつける。


「そんなつもりはないよ。ちょっと話を聞きたかっただけなのに、そっちが襲ってきたんじゃないか。正当防衛だ」


「凶器を持ってたじゃない!」


 先生はあの時、ナイフとバーナーを持っていたのだ。


「違うよ。バーナーを持っていたのは窓を破るためなんだ」


「破るのもダメよ!」


「そうなの? それならごめんなさい」


 先生がぺこりと頭を下げた。

 なんだか調子が狂う。


「じゃあ拉致云々は今はいいわ。なぜ私たちをここに連れてきたの?」


「あのね、シエルの事を聞きたかったんだ」


「シエル?」


 ピクリと皐月のこめかみが痙攣した。


「弟が持って帰ってきたアンドロイドの名前です」


「そうそう。首だけアンドロイドのシエルちゃん。どこにいるの?」


 沙樹が返答する。


「知らないわ」


「どうして知らないのさ」


「持ち主の弥生さんがシエルと駆け落ちしたからよ」


「ええええ!!!!」


 ガビーン! という擬音が聞こえそうなほど大げさに後ずさる。


「そんな! まだ修理の途中なのに!」


「修理!? あんたが私の弟を誑かしたのね!」


 皐月が声を荒げる。


「僕は女の人が好きだよ?」


 この先生はちょっと馬鹿らしい、と沙樹は思った。


「僕ね、シエルちゃんの修理最後までやりたかったの。なのに、1ヶ月前くらいから全然お客さんと連絡取れなくなっちゃって……行方を聞こうって思って家に侵入したんだ」


「なら拉致しなくてもいいでしょ!」


「拉致なんてしてないよ?」


「もういい!!」


 先生と会話を成立させるのは難しそうだ。

 沙樹は男を興奮させないように、できるだけゆっくりした動作で体を起こし、体育座りの体勢になった。


「ねぇ、一緒に無限に行かない? 宇野の件で聞きたいことがあるのよ」


 とにかくこの男は、聖グランフール高校のログ上書き事件の重要参考人なのだ。絶対逮捕してやる。


「無限? 行かないよ。僕すっごく忙しいんだ。すぐにシエルちゃんを探さなきゃ」


 ずっと怯えていた皐月が、きつい声をだす。


「うちの弟にはもう構わないで!!」


「何言ってるの? 僕が探しているのはおとうとって奴じゃなくて、シエルだよ。早くしないと取り返しがつかないことになっちゃうから、急いでるんだ」


「取り返しがつかないってどういうこと?」


「取り返しがつかないっていうのは、取り返しがつかないっていう事だよ」


「……」


 一発殴ってやろうか。拳を握りしめるが、両手が縛られているのでできそうにない。


「シエルは爆弾だからね」


 爆弾? 不穏な単語が聞こえた気がする……


「爆発した後に見つけても意味ないんだ。流石の僕もカケラを全部集めてもう一度作るっていうのは無理だからさー」


「爆弾って、どういうこと?」


「爆弾は爆弾だよ」


 沙樹は自分の予感が当たっていない事を願いながら、男の見えない瞳を見つめた。


***


 角弥生と思われる人物を発見しました、という連絡が来たのは宮田たちが沙樹の血痕を見つけてから3時間後だった。


 皐月の家の隣人である噂話好きの主婦が、弥生が出ていったのは今から1ヶ月以上前だと宣言した。夜、出て行く弥生を偶然目撃したのだという。

 姉の皐月に「弟さんはどうしたの?」と質問してみたところ、皐月は「家出をしてしまって……こういう場合どこに相談すれば良いでしょうか?」と逆に質問されたという。


 隣人は無限に問い合わせすれば良いと伝えたが、その後は顔をあわせると逃げられるので話をしていないらしい。


 家出なのなら、最初野宿かどこかの避難施設にいた可能性があるとして各施設に問い合わせをしたところ、解答があった。そこから足取りを追って、現在弥生が働いている場所から、現住所を見つけ出したのだ。


 宮田と亘は「彼は13人のゆりあ事件の重要参考人だ」とアピールし、角弥生捕獲班の一員に加えてもらった。


「行くぞ、宮田」


 歩き出す亘を、宮田が引き留めた。


「……亘さん。本当に沙樹さんと角皐月をさらったのは弥生なんでしょうか?」


 亘は二の句が継げない。家出した弥生が帰ってきて、姉と沙樹をさらったというのはしっくりこない。まず理由がわからない。


 だが、怪しい動きをしている関係者は弥生しかいない。彼を追う以外情報がないのだ。


 犯人が皐月ではない場合、自分たちは全く見当違いの捜査をしていることになる。取り返しのつかない時間ロスだ。


「大丈夫ですよね。きっと」


 宮田は亘の返事を待たずに、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。




 宮田と亘が、弥生の家に向かっている途中……


 ドカン!と、大きな爆発音が鳴り響いた。

 行き交う人々が、音のした方を一斉に見た。


 ビルの隙間から、煙が上がっている。


「亘さん!」


「行くぞ!」


 到着すると、古いアパートの一室が燃えていた。


「亘さん、ここですよ。角弥生の住んでいるアパートです!」


 嫌な予感がして、野次馬をかき分け前に出る。

 

「ダメだ!」


 一番前にいた初老の男性が、宮田を止めた。


「人が死んでる」


「!」


 男性を押しのける。


(違う。彼女のはずがない!)


 宮田は、を見た。


「……」


 ビルから飛び降りたのだろう。頭から大量の血を流している。

 体はピクリとも動かない。


 もうすでに手遅れだ。



「なんで」


 宮田の額に、一筋の汗が流れた。

 

 

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