第20話 茶番


「はーい。じゃあ授業はここまで。みなさんお疲れ様ー」


 ヒラヒラと手を振り宮田が出て行こうとすると……


「先生。少し質問よろしいでしょうか?」


「ん? オッケーオッケー。オールオッケー」


 ニカッと八重歯を見せて笑う宮田を、ぽっと頬を染めながら見つめる未知瑠。

 豊かな胸を教壇の上に乗せて、その膨らみを強調する。若干無理な姿勢を保ちながら、上目遣いで


「ここなんですが」


 と宮田に顔を寄せた。


 その様子を見ていた沙樹は、あんぐりと口を開ける。


(もしや、モテてんの?)


 確かに他の教師と比べたら若いしスタイルはいいかもだけど……あんなふざけた大人私はごめんだわ。


 沙樹は宮田の指示を受けて、現在探り込みをやめて普通にスクールライフを楽しんでいる。転校初日に日下部の名前を出して物凄く警戒されてしまったので、これ以上聞き込みを続けても意味がないと判断されてしまったのだ。仲の良い友達はできたし、体育の授業とかは楽しいけど、一体自分は何のためにここにいるのかと不安になってくる。


「ありがとうございました宮田先生。感謝いたします」


 未知瑠がぺこりと頭を下げると、その耳に宮田がそっと口を近づけた。


「え」


 未知瑠の体がびくんと疼く。


「……だからね。よろしく」


 宮田は何かを囁くと、笑顔に戻って教室をしれっと出て行った。


(まじか)


 沙樹はあんぐりと口を開ける。


***


「女子高生に手を出すのはアウト! アウトです!」


 無限の入り口、帰ってきた宮田を沙樹が仁王立ちで出迎えた。


「人聞き悪いなぁ。僕は今教師だよ? 手なんか出してませんって」


「嘘つき! 私見たんだからね! 宮田さんが未知瑠ちゃんに甘い言葉を囁くのを!」


「沙樹さん、想像力が旺盛すぎるんじゃないんですか〜?」


「だって、なんか囁いてたじゃん!」


「まぁ……」


 宮田は両手を顔の前で合わせ、頭を下げる。


「ごめんなさい。見逃して」


 カァッと沙樹の頭に血が登った。


「最低! 控えめに言って死ね!」


「なーんちゃって」


 あははと笑った宮田が、沙樹の耳に口を近づける。


「え?」


 耳に軽く息がかかる。


「口元に、なんかついてるよ」


「!!」


 ビクンと体が震える。

 即座に宮田から体を話すと、袖口で口をゴシゴシとこすった。


「と、取れた!?」


「こういうことよ」


「は?」


「だから、未知瑠ちゃんに言った言葉」


「……死ね!」


 真っ赤な顔でカバンを宮田の脳天めがけて叩き落とす。


「いた!」


「そうならそう言えばいいじゃないですか!」


 怒った勢いのまま、沙樹は行ってしまった。

 あまりの痛さに宮田の目に涙がにじむ。


***


 喫茶ロマンスでコーヒーを飲んでいると、胸元ががっつり開いたニットにタイトなロングスカートを履いた未知瑠が入ってきた。

 髪を巻いて、肉感的に唇には桜色の口紅をつけている。


「先生」


 豊かな胸を揺らし髪をかき上げながら、宮田の向かいに腰を下ろした。


「どうも。今日は随分と、その」


「何か?」


 みちるは組んだ腕の上に胸をのせる。


「いや、ははは何でもー」


 こうも若い肉体を惜しげも無く自慢させられると若干クラクラする。


 沙樹に言った言葉は嘘だった。

 宮田はあの時、みちるの耳元に口を近づけ「明後日の午後3時、喫茶ロマンスで」と囁いた。


 もちろんやましい気持ちは少ししかなく、捜査の為だ。だが沙樹に下心はないと説明した所で信じてもらえなさそうだったので、嘘をついた。


「嬉しいです。先生に誘っていただけるなんて、夢みたい」


「いやぁ、今日はごめんね。僕のおごりだから、何でも好きなもの飲んでよ」


「ありがとうございます」


 未知瑠は悪戯っぽく笑い


「でもいいんですか? 生徒とデートしているところなんか、誰かに見られちゃったら大変ですよ?」


「大丈夫。この喫茶店全然客来ないから」


 デートと言う文言はあえて無視した。

 みちるの前に、ドン!と水が置かれる。


「きゃ!」


 跳ねた水滴が胸元にかかった未知瑠が店員を睨む、と


「あら? 子供?」


「子供じゃない!」


 ガルル……と宮田と未知瑠を威嚇しているのは、早苗だ。


「早苗さん、御機嫌斜めっぽいですね。どうかしました?」


「お前、さ、最低だな」


「え?」


「ふ、二股はダメなんだぞ! しかも若い子ばっかり!」


 真っ赤な顔をしながらキッチンに走って行ってしまう。


「ふ、二股って……本当ですか! 先生!」


「いや! 違う違うよ!」


 バシャっと宮田の顔面に水がかかる。

 未知瑠がコップの水をかけたのだ。


 ポタポタと、宮田の髪から雫が落ちる。


「私とのこと、遊びだったんですね」


 涙に頬を濡らした未知瑠が、立ち上がり去っていこうとするその手をとり


「!」


 ドン! と壁に押し付ける。


「せ、先生」


 奇しくも壁ドンをしてしまった宮田は、この後どうすればいいのかわからず固まった。


「き、今日は帰さない、ぜ」


「そ、そんな」


 未知瑠が顔を真っ赤にして宮田を見つめる。ふと、未知瑠のカバンについている、ガリガリに痩せた絶妙に可愛くない猫のマスコットが目に入った。


(もしやこの子、趣味嗜好が結構変わってらっしゃる?)


 宮田は、何とも切ない思いで髪から滴る水を手で拭った。


 


 時を少し飛ばして、


「うちのクラスでですか?」


「そうそう」


 ログの上書きについて情報を得るためには、絶対的な味方を作る。この方法が手っ取り早いと踏んだ。

 未知瑠のログにも上書きされた痕がある。自分に少しでも好意を持っているならば、気に入られようとして口が軽くなるのは心理的にあり得る。


「何のお話か、私にはわかりかねます」


「嘘はやめよ。僕には分かってるからね」


「さっきから抽象的なお話ばかりで、要点を得ませんね」


 流石に簡単には口を割らないか……

 宮田はぐっとみちるの手を握る。


「せ、先生。人に見られたら」


「消したい、ログがある」


「!」


 みちるの動きが止まった。じっと宮田の手を見る。


「本当に、あの事を知ってるんですか?」


「1年の中で、ログの上書きができる奴がいるはずだ。その人に会わせてくれ」


「……できません」


「お願いだ。等々力が言った事は誰にもバラさない。約束する。信じてくれ」


 精一杯シリアスに見えるよう、喋り方や表情に気を配る。


「……先生も、見られたら困るログがあるんですか?」


「そうだ。数日前、日下部の捜査で亘という名の調査官が来たよね? 僕、ログの閲覧許可を求められたんだ。その時は拒否したんだけど、周りの先生から変な目で見られてしまった。今度あいつが来たら、拒否できない」


「それはそうですよ。拒否するという事は疚しいことがあるという事ですから」


「だから、出来ればすぐにログを上書きしたい」


「先生、何をしたんですか?」


「それは言えないよ。誰にも言えない秘密なんだ」


 未知瑠は考え込む。揺れているのは表情でわかった。

 新米の教師に教えて良いものか、逡巡しているのだろう。


 静寂を破り、口を開く。


「……すみません。私はお力になれません」


 結果は拒否だ。


「いや、そんなこと言わないでよ!」


 宮田はなおも食い下がる。

 未知瑠の手をとり、行かせまいと自分側にグイッと引き寄せた。


「お願いだ。僕を助けてくれ」


「先生! 私を愛しているのなら、行かせてください」


 愛してはいなかったが、その安いドラマみたいなセリフにびっくりして思わず手を離してしまう。


「……ありがとう」


 みちるはそう言うと、逃げるように喫茶店を出て行った。

 これ以上食い下がっても口を割らせるのは難しそうだ。


(っていうか、両思いだと思われちゃった? やばくない?)



「二股はダメなんだぞ! 自分も相手も不幸になっちゃうんだぞ!」


 早苗はそう言いながらも、置いてきぼりを食らった宮田がよほど哀れだったのか、コーヒーを一杯奢ってくれた。


(しくじった……)


 宮田は苦々しい思いでコーヒーを飲んだ。これで自分も警戒されてしまったかもしれない。


 その数日後「交流会に参加してほしい」と言う謎の誘いメールが届いた。

 宮田ではなく、沙樹あてに。

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