1章 ヒューマログ

第1話 新参者

(ここが、あの”無限”の中か……)


 あまりに広さに呆然としてしまう。

 ぐるりと一周、周りを見渡してみても、塀は見えなかった。敷地内には木々と花が咲き誇り、道にはゴミひとつ落ちていない。

 中央に40階建てのビル(本社)があり、その周りを囲むように点々と家が建っている。


(本社に近いほど、地位が高い調査官が住んでるんだよな、確か。俺の部屋はどこなんだろう?)


 さっきから心の中が騒がしい彼の名前は、牧修(まきおさむ)。

 本日付で無限課・データ班に配属になった新人の調査官である。


「あ! すみません」


 キョロキョロしていたら、管理システムを操作していた老人とぶつかってしまった。ペコペコと頭を下げて、額の汗を拭う。


(ぼけっとすんなよ俺! 気合い入れなきゃ、厳しい調査官の世界でやっていけないぞ!)


 調査官は、親が子供にやらせたいナンバーワンの職業だが、実際にその職業に就くのは、メチャクチャ難しい。

 生まれた時からエリート教育を受けた牧でさえ、合格は奇跡と言われた。だが無限課は入る事より、所属し続ける事の方がもっともっと難しい。


 毎年全国から集められた優秀な新入社員達は、半年で8割が辞めてしまう。仕事の多忙さ、理想と現実のギャップ、危険度の高さ……理由は数えられない程あるのだろうが、新入生は皆「自分だけは絶対に耐え抜いてみせる」と根拠のない自信を持っている。元々エリート揃いなのでプライドもが高いのだ。


 それは、牧もしかり。


(俺は絶対に辞めないぞ。この国の平和のために尽力するんだ!)


 調査官とは、昔で言う警察官の事である。

 

「あ! 牧くんだー。ねぇねぇ、きみ、牧くんでしょー」


 薄茶色い髪が鳥の巣のように爆発している青年が、”ごめーん。待ったぁ?”と駆け寄る彼女よろしく、牧の側にやってきた。


「えっと?」


「僕は宮田。宮田優一です。あ、これ君のIDね」


 牧の腕に巻きついているリストバンド型の端末”ワークアーム”が光る。 

 調査官・牧修、の文字が空中に浮かんだ。


 俺、本当に調査官になったんだ……。


「あ、めっちゃ感動してんじゃーん!」


 涙目の牧を、宮田が速攻でちゃかす。滑舌が悪く、まるで子供のような舌ったらずな喋り方だ。


「は、初めまして。私は本日無限課・データ班に配属になりました、牧修と申します。若輩者ですが、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い致します!」


直角に腰を折る牧を、宮田は笑っていなした。


「はいはい。頑張ってねぇ」


「……」


「じゃあ、僕が中案内するから、ついて来てねぇ」


「はい。承知しました」


 ヒョロ長い手足をブラブラさせながら、散歩をするように歩く宮田の後ろを、牧が居心地悪そうについていく。


「ここがトレーニングルーム。24時間誰でも入れるよ。しかもプールもあるよ。そんでこっちは食堂。好き勝手食べていいけど、食べ過ぎると次の月に給料減っててビックリしたりするよ」


 緊張感に欠けた宮田の話し方に、朝から力が入りっぱなしだった牧の体が、ふっと楽になる。


(しゃべりやすい人だな……)


「宮田さんは、無限の案内係なんですか?」


「違うよぉ。僕、本当はこんな事したくないの。だって面倒なんだもん。説明なんてしなくても、後でマニュアル見れば済む話じゃんって思う」


「まぁ、そうですよね」


「でもさ、伝統なんだって。口で説明した方が、新人さんも打ち解けやすいからって言われてさぁ、渋々」


「私は有り難いです。本当は、朝から何も食ベられないくらい緊張してて……宮田さんみたいな方と最初に話せてよかった」


「え! そんな褒めても何も出ないぞ! よし、あとで千円をあげよう!」


ははっと笑う宮田の口に、八重歯がのぞいた。


「この敷地には、無限に勤める調査官が全員住んでらっしゃるんですよね?」


「そうそう。あと、調査官の家族とか、敷地内にある施設で働いている人も、みーんないるよ」


「凄いですよね。まるで一つの街みたいだ」


「正直、外に出なくてもこの中だけで十分生きていけるよ。僕はもう外に住むのは考えられないなぁ。未解決事件がなくなったって、殺人はなくならないもんね。安全が一番だよ」


 そう、現代では未解決事件は発生しない。


 ヒューマログを開発されたあの日から、ずっと。

 

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