第31話 俺が姉貴で姉貴が俺で(前)

※今回は若干の下ネタを含みます。ご注意ください。


 


 ……もう朝か……。





 ……ん?


 俺は身体に強烈な違和感を感じた。何だ? 何つーかこう、胸の辺りがなんかそわそわする。


 その違和感を確認しようとした刹那、


「おはよー、透。よく眠れたー?」


と、耳元で、聞き慣れてはいるがこの時間帯には滅多に聞かない声がした。


 恐る恐る目を開けると、目の前に彰彦さんの顔があった。


「……は、はああああああああ!?」


 まあとりあえず俺は絶叫した。何だこれ、どういう状況!? 何で俺の隣で彰彦さんが寝てんの!? 意味分かんねーんだけど!! え、何、俺、昨日飲んだ? 飲んだっけ? いや飲んでねーよ! つーか飲んだとしてもこんな状況にはならねーわ!


 パニック状態に陥った俺に、


「透? どうかしたの? 僕の顔に何かついてる?」


と、彰彦さんが追い討ちをかけてきた。っていうか違う、俺は透じゃない慎哉だ!


 ……あれ? もしかしてこれって……。


 俺は一番あり得そうもない、考えたくもない可能性を考えてしまった。


「……あ、の、すいません、俺、慎哉、なんですけど……」

「……ん?」


 彰彦さんはキョトンとした顔になったあと、しげしげと俺を見つめた。


「え、君は透じゃないの?」

「あ、はい、まあ……」


 とかなんとか言ったところで信じてくれるわけねーよな、と俺が半ば諦めかけていた時、


「あ、そっか。じゃあもしかして、慎哉くん、透と入れ替わっちゃったのかもねー」


と、彰彦さんがのんびりとした調子で言った。……いや、もっと驚けよ! っていうか信じるのかよ! 普通もっと「は? 何言ってんのお前?」みたいな反応するだろ!


「えーと、……信じてくれるんですか?」

「うん、もちろん。漫画ではよくあることだしねー」

「いや、ここは漫画の世界じゃないですよ!?」


 漫画じゃなくて小説の世界ですからね、と口に出しかけたが、あまりそういうメタネタはぶちこまない方がいいんじゃないかと思ったので、俺は口をつぐんだ。というか、小説ならフィクションだから、あながちあり得ない話でもないのか……。いや待て、そんな理由で納得してんじゃねーよ俺。


「とりあえず、慎哉くんの家に行ってみようよ。透がいるかもしれないし」

「そ、そうですね……」


 まあそれが今考えうる最善の策だろう。俺はひとまずベッドから降りた。ベッドの近くに置かれた鏡に映った自分の姿を見て、俺は絶句した。


 ……姉貴じゃん。


 まんま姉貴じゃん。


 見慣れた顔が、見慣れない表情を浮かべてこちらを見返していた。









 いつもの習慣でトイレに入った俺は、用を足そうとしてある事実に気づいた。


 ……ない。


 何がとは言わないが。


 これは……とりあえずズボン下ろして座って用を足せばいいのか? できなくはない。だが、違和感バリバリである。


 なるべく下半身を見ないようにしながら、俺はなんとか用を足してトイレを出た。


 姉貴とは、小さい頃は一緒に風呂に入っていたが、それなりの年になってからは風呂も部屋も別になった。当たり前だが。……あ、でも、姉貴が俺の入浴中にいきなりドアを開けて、「慎哉。お前に電話だぞ」とか言ってきたことならある。……デリカシーのなさは昔から変わってないな、ホントに。


「慎哉くん、朝ごはんは僕が用意するから、とりあえず着替えて。そこに透が昨日選んでおいた服があるから」


 良かった、何着ようか考える手間が減った。


 かなり抵抗があったが、着替えないことには何も始まらないだろうと思ったので、俺はTシャツを手に取った。


 ……やっぱり姉貴は小せえな、何がとは言わねーけど。でも小さくてもあるもんはある。俺は突如好奇心に襲われてしまったが、勝手に触ったと知られたらあとでぶっ殺されかねないので、なんとか自制心を強く保った。


 朝飯を用意してもらい、席に着いて食べ始めた。なんか彰彦さんには申し訳ないと思いながら、ほうれん草のお浸しを口に運ぶ。……結構美味い。


 外食以外で人に飯作ってもらうのって何年振りだろうか、なんてことをぼんやり考えながら飯を食っていると、突如としてインターホンが鳴り、ドンドンというドアを激しくノックする音が鳴り響いた。


「はーい」


 間延びした声で返事をして、彰彦さんが玄関に向かった。


「おい、彰彦。慎哉はいるか?」


 ドスの効いた男の声がする。……やっぱりそうか。どうやら本当に俺は姉貴と入れ替わっちまったらしい。ドカドカという足音が、だんだんとこっちに近づいてくる。次の瞬間、ガチャという音がしてドアが勢いよく開けられた。


「よお、慎哉ぁ。これは一体どういうことなんだ?」


 ドアの向こうには、不快そうな表情を浮かべた「俺」が仁王立ちしていた。








 「稀にある現象じゃ。そう焦るでない。何らかのきっかけがあれば直ちに戻る」


 姉貴は、橘なら何かしら解決策を知ってるんじゃないかと思ったそうで、橘を連れてきていた。彰彦さんは彼(女)とは初対面だったわけだが、案外あっさりと死神の存在を受け入れていた。まあ、入れ替わり現象を普通に信じるぐらいだから、そういうのにも耐性があるのかもしれないな……。いずれにせよいい旦那を持ったな、姉貴は。


「いや、何らかのきっかけって何だよ! 早く元に戻してくれよ!」

「じゃから、そうはやるなと申しておるであろう。そうじゃな、古典的な方法としては互いに頭をぶつけるというものがあるが、試してみるか?」

「あ、はい。やります。おい慎哉、ちょっと頭貸せ」

「いや、そんなちょっとツラ貸せみたいに言うなよ! っつーか、冗談じゃねーぞ! そんな痛い思いするなんて俺はごめんだからな!」

「ゴチャゴチャうっせーんだよお前は。とりあえずやってみる価値はあるだろうが」


 とはいえ、流石にやっぱり頭は守りたかったので、なんとか姉貴をなだめすかして、かろうじて頭突きから逃れることはできた。だが、状況は依然として何も変わっていない。


「なあ橘、他に方法はないのかよ?」


 俺は助けを求め、縋るような目で橘を見た。だが、傍目から見たら俺は姉貴なのだ。「姉貴」の顔はさぞかし情けない表情を浮かべているのだろう。


「ふむ、そうじゃな。一晩経てば戻るやもしれぬぞ」


 橘の表情は全く変わらない。どうやら本当に微塵も動じていないらしい。


「一晩……って、あたし今日会議入ってるんだが。ったく、どうしてくれんだよ本当に。慎哉、お前責任とってあたしの代わりに出ろ」

「はあ!? アンタの代役なんてできるわけねーだろうが! 何考えてんだよ! つーかこうなったのは一ミリたりとも俺のせいじゃねーから!!」


 考えつくだけの反論を尽くしたところで、俺は大きな溜め息を一つついた。


「ともかく、ここでゴチャゴチャ言ってても何も変わらねえよな。とりあえず俺は予定入ってねーから、うちに戻らせてもらうよ」


 そう言って俺は自宅に帰ろうとした。すると姉貴が、


「おい、何言ってんだてめえ。自分だけ帰ろうなんてほざいてんじゃねえよ。幸い今日の会議はリモートだから、いつもより違和感抱かれにくいはずだ。心配すんな、あたしがサポートしてやるから」


と、俺の前に立ちはだかって低い声で言った。なんだろう、自分の声のはずなのに、なんかいつもよりすごい怖く聞こえる……。


「いや、でも」

「でももだってもねえよ。やれと言われたら黙ってやれ」

「……」


 今の俺は姉貴よりも上背で劣る。見た目でも声でも威圧され、俺はただ萎縮するしかなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の日常は空気を読まない死神様に侵食されつつあります 雨野愁也 @bright_moon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ