第14話 桜にまつわる四方山話

 驚くべきことに、今まで全くこの物語中の時系列や季節についての言及がなかったようだ。大変に説明不足であったことを、僭越せんえつながら作者に代わっておび申し上げる。

 ……さて、今は2020年5月の終わりである。俺と橘が初めて出会ったのは4月の半ば頃だったから、一緒に暮らし始めて、早いものでもう1ヶ月以上になるのだ。橘に対しての接し方もだんだん分かってきて、彼(女)は今のところ俺を殺すつもりはなさそうなので、ちょっと安心しているのである。だが油断は禁物だ。だって、なんか気に入らないことがあったらすぐ大鎌振りかざしてくるんだもんアイツ。まあでも、実際に危害を加えられたことはないんだけどな。


 で、もうとっくに花見の季節は過ぎたというのに、今日は突如として橘が桜のことを話題にしてきたのである。


「時に更級よ。汝は桜を好むか?」


 昼飯の炒飯を食べながら、橘が俺にそう話しかけてきた。


「……え? 桜? いや、まあ、それなりに好きだけど……。いきなりどうしたんだ? もう葉桜の季節だろうが」

「ふむ、そうか。この国には昔から桜を愛でる者が多い故、汝は如何かと思うて聞いてみたのじゃ。別段深い意味はない」

「……あ、そう……」


 またいつもの気まぐれか。俺がそう思っていると、橘は話を続けた。


「では桜のいかなるところを好んでおるのじゃ?」

「え? それは……やっぱり、花じゃないか? 月並みな表現かもしれないが、桜は散るからこそ美しい……っていうのはあると思うぞ。もちろん、咲いてるところも綺麗だと思うけどな。あとは咲き方か……。満開じゃなくて、五分咲きとか七分咲きとかの時も、それはそれで趣があっていいと思うし。……あ、そうだ。俺は夜桜もなかなかだと思うぞ」


 とりあえず、思ったことを言ってみた。日本人は一般的に桜が好きだとよく言われているが、まあ俺もそれには当てはまると思う。


「……世の中に 絶えて桜の なかりせば……」


 不意に橘が和歌を口にした。……これは確か、在原ありわらの業平なりひらの歌だったっけ? つられて俺も、なんとなく唱和する。


「……春の心は のどけからまし」


 国語の授業かなんかで習った覚えがある。ざっくりとした意味としては、もしこの世の中に桜がなかったなら、春は心穏やかに過ごせるんだけどなあ、みたいな感じか。……まあ、これは桜を愛でる気持ちの裏返しなんだろう。やっぱり昔の人も、咲いたと思ったら瞬く間に散るのは惜しいと考えていたようだ。まあでも、儚いものにこそ宿る美というものもあるんじゃないかな。


 そんなことを考えていると、橘が、


「汝もこの歌は存じておるのじゃな。それだけ有名であるということなのか?」


と言ったので、俺は、


「ああ、そうだな。いろんなところに引用されてると思うぞ」


と返した。


「ふむ、在原業平朝臣あそんか。直にうたことはないが、噂は度々聞いたぞ。儂は宮中に勤めておった故な」


 ……えっ? 今……なんておっしゃいましたか?


 訳が分からず、俺がぽかんと口を開けて橘を見つめていると、


「む? 如何した、更級? 儂が何か妙なことでも言うたか?」


と、橘が、全く心当たりがないという顔でこちらを見返してきた。


「いや、アンタ今、宮中に勤めてたって……」

「言うたぞ。それが如何したのじゃ? 儂は女官として、貴族の娘に伺候しこうしておった。勤めながら子も産んだのう」

「……」


 ……いきなり橘のなんかすごそうな過去が明らかになって、俺は仰天した。というか、なんてコメントしたらいいのか分からない。


「え、……アンタ、人間に仕えてたのか?」

「うむ、まあ左様じゃな。人の子がいかなる生活を営んでおるのか、ゆかしくての。物は試しと、人の子に身をやつして宮仕えをしたのじゃ。貴族の食しておるものを間近で見ばやと思うたのもあるがの」


 橘は時々古語を混ぜて話す傾向があるようだ。「ゆかし」とか「ばや」とか、今じゃ使わないよな。でもそれを指摘したらなんか怖いことをされるんじゃないかと思ったので、ビビリの俺は何も言わないことにした。

 ……それにしても、まさか人間の魂を刈る立場である死神が人間に仕えていたことがあるなんて、ちょっと信じがたい話だな。俺はてっきり、死神は人間を遥か高みから見下ろす存在だと思ってたんだが……。あ、でも、人間の家に住み着いてる時点で、死神は意外と身近な存在だっていうことなのか……。


 そして俺は、以前から少し気になっていたことを橘に尋ねてみた。


「なあ、アンタ、その「橘」って名前は、自分でつけたのか? それとも誰かにつけられたのか?」

「……む、汝、左様なことが気にかかるのか?」

「え、や、その、……お答えになりたくなければ別に結構ですが……」


 これ、俺、もしかして、橘を怒らせたのか……? な、なんか気に触ること言っちまったかな!?


 俺がものすごい勢いでビビり倒していると、橘が不意に口を開いた。


「否、さほど儂は気分を害してはおらぬぞ。左様なまでに怯えずともよかろう」


 ……あ、怖がってたのバレちゃったか。


「先程の問いに対するいらえじゃが、儂の名は自らつけたものじゃ。宮仕えをするにあたり、名が入り用になっての。たまたま儂の住んでおった場所の近くに生えておった植物の名をとったのじゃ」

「へえ、そうだったんだ……」


 初耳だった。センスがあるかないかは俺にはよく分からんが、ちゃんとした由来があったんだな。……で、俺は、ついでにもう一つ気になっていたことを聞いてみる。


「なあ、ところで、葛城さんが前誰かとスマホみたいなもので話してたよな? その時確かあの人、「ツルバミ」とか「エンジュ」とか言ってたような気がするんだが、それは……何なんだ? もしかしてアンタと何か関係があるのか?」


 「ツルバミ」も「エンジュ」も、植物の名前だから、それが誰かの名前なんだとしたら、その名前を持つのは橘の関係者かもしれないと思ったのだ。


「ああ、左様じゃ。それらはいずれも、儂の産んだ子らの名じゃからのう」

「……そ、そうだったのか……」

「汝ともいずれ会う時が来るやもしれぬな」

「ふーん……」


 橘の子どもか……やっぱり橘に似てんのかな? もしそうだったら大分やべえことになりそうなんだが。まさか、そいつらまで俺に飯を要求してくるなんてことはないだろうけど。……ないと信じてるけど。


「あのさ、橘。話戻すけど、アンタいつも桜をモチーフにしたものを身につけてるよな? それは何でなんだ?」


 そうなのだ。今、橘は幼女の姿だが、桜の花の形の飾りがついたピンみたいなもので前髪を留めている。青年の姿の時は耳飾りをつけており、若い女性の姿の時は髪をヘアゴムで縛っているが、どちらにも桜の花の形の飾りがついている。


 なんかすごい質問ばっかりしているように思うが、さらに俺は畳み掛ける。聞きたいことは割とたくさんあるのだ。何たって未知の存在だからな。とはいえ、一度にあれもこれも聞くのは少々非礼にあたるかもしれないと思ったので、俺は小出しにしていくことにした。……まあ、現時点で結構いっぱい質問してしまっているようにも思えるが。


「……何じゃ。まだ儂に問いたきことがあるのか」

「は、はあ……」

「ふん……まあ良い。かく言う儂も、桜を愛づる者故じゃ。淡い紅色の花弁は何ともおかしきものじゃ。……そうじゃな、例えるならば、ちょうど人の子の血を吸ったような色……」


 ここで言う「おかし」とは、「趣深い」という意味だろう。……っていうか、おいちょっと待て! なんか今アンタ物騒なこと言いませんでしたか!?


「えっ、まさか、それって、桜の木の下には死体が埋まっている……とかいうやつ!?」

「戯れ言じゃ。気に留めるな」

「いやアンタ、前に冗談は嫌いだって言ってたじゃん」

「む、汝、儂に口答えするのか?」

「……いえ、何でもありません……」


 あー怖い怖い。やっぱ危険だわこの人……いや、この死神。


「……そうじゃ、桜といえば、桜餅が食べとうなってきたのう。更級、汝、うて参れ」

「いや、だから今桜の季節じゃないから! 売ってないから!」

「何じゃと? ……ふむ。ならば仕方あるまい。柏餅でよいぞ」

「それも多分ギリギリ売ってねーよ! 季節物ですからね!」

「……ふむ、ならば……「しゅーくりーむ」でよい」

「いやなんで急に洋菓子!?」


 まあ、今回は橘も妥協してくれたようだ。それなら、俺もその恩に報いよう。……あれ? 俺、別に橘に何かいいことしてもらったわけじゃないよな? 何勝手に恩義感じちゃってんの?


 ……ところで、お菓子屋さんに行ったらシュークリームが売り切れていたのだが、俺は一体どうしたらいいんだろうか。

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