第13話 たまには真面目に仕事をさせろ

 このところ全然仕事がはかどらない。というのはまあ死神たちの相手をして(させられて)いるからというのが他ならぬ理由だ。ああどうしよう、締め切り迫ってるのに。担当の人に怒られる……。

 ……と思っていると、突然俺のスマホの着信音が鳴った。なんか嫌な予感がすると思ったら、案の定、当の編集者からの電話であった。全く気が進まなかったが、まあ仕方ない。俺は渋々画面を指で軽くなぞった。


「……はい」

「おはようございます、雪代先生。何の用事かお分かりですよね?」


 電話の向こうから、聞き慣れた凛とした声が聞こえてきた。


「ああ、もう少しだけ待ってください! お願いします、あと1日だけ……!」

「その台詞はもう聞き飽きました。そんな嘆願が通用すると思っていらっしゃるんですか? 随分とおめでたい人ですね」

「い、いえ……無理な話だとは分かっているんですよ。でも今回急な用事がいろいろ入ってしまって……」

「何を言われても駄目なものは駄目です。あなた何年作家活動なさってるんですか? それでもプロですか?」

「うう……」


 この編集さんはとても手厳しい人で、同業者仲間では「彼女の怒りを買ったら、精神面に再起不能寸前のダメージを食らう」ということで有名であることから、鬼編集の異名をとっているくらいだ。だが、編集者としての技量は確かで、彼女の目に留まった作品は必ず売れると言っても過言ではない、という噂があるほどである。そんな人にそれなりの評価をしてもらったんだから、俺の書いている物は客観的に見て悪いものではないんだろうけど……。


「はあ……分かりました。もう結構です。もうあなたには仕事を頼みません。連載は打ち切りということでよろしいですね?」

「あああ、待ってください! すみませんでした! 必ず明日までには仕上げて送りますので、今しばらくお待ちください! 僕から生きる希望を奪わないでください……!」


 なんかすごく面倒臭いへタレみたいな言い方になってしまったが、俺の生きるかてが文筆活動であるのは事実だ。俺から小説を取ったら何が残るっていうんだ? ……あ、でも、俺まだ30歳前だし、まあ普通に再就職できるかな……。 いやそれで本当にいいのか俺。


「……全く大げさな人ですね。そんな言い方しなくたっていいじゃありませんか。こちらは何も、あなたを辞めさせたい訳ではないんです。あなたの作品は載せるに値すると思っていますので。では、よろしくお願いします。くれぐれも遅れないでくださいね」

「……は、はい……頑張らせていただきます……」


 そして電話は切れた。


 俺の担当である下野しものさんとは、俺が小説家としてデビューした時からの付き合いである。とある賞を取ったはいいが、さてこれからどうしようと思い悩んでいた当時学生だった俺を、作家の道へと導いてくれた大恩ある人である。だから、彼女の言うことには基本的に俺は絶対服従なのであるが、なにぶん俺は遅筆であるため、多大なる迷惑をかけているのだ。そこに関しては非常に申し訳ないと思っている。誰か筆が速く進むようになる秘訣でもあれば教えてほしい。急募である。


 ……はあ。早く書かねえとな。アイデアはあるんだ。だけどうまく形にできないというか。あとは、なんか書いてる途中でやっぱこうしようとか、いやそれともこうしようとか、ちょっと筋書きが変わっちゃうことがあるんだよなぁ……。それと、登場人物のキャラがぶれるという事態は避けたいから、一箇所でも台詞をいじると、辻褄を合わせるために他のところも変えなくちゃならなくなることがあるんだよな。あとは風景描写か……。誰かが書いてたけど、志賀直哉や井伏鱒二とかは見たまま描写する力というか観察眼を持っているって話だったな。でも大体の人はものを見たあと、何回も推敲して文章を書いていくっていうことだったんだが……。……あ、そうだ。確か大江健三郎だったな。


 俺は志賀直哉とか芥川龍之介を理想としている。まあ両者には作風や考え方、境遇など、いろいろと違いはあるのだが、両方とも優れた作家であったことには間違いはないだろう。いつか俺も彼らのように、誰かの心を動かす作品を書けたらいいな。そう思って、偉大なる先人の遺した作品を読んだり研究したりしているのだが、まあ俺はまだまだ若輩者だから先は長い。それでも、不断に努力を続けて行きたいと思う。はあ……別に知名度を上げたいわけじゃないけど、もし願いが叶うのならば、芥川賞が欲しいな。憧れの作家である彼の名を冠した賞を取ることができるなんて、俺にとっては夢のまた夢だろうけど、純文学作家にとっては一つの目標でもあるだろうし。


 ……あ、なんか某太宰治みたいになってしまった。まあ、俺は審査員に長い手紙を送ったりはしないけど。というかそんなツテもないし。でも彼は結局賞は取れなかったけど、これだけ後世に名を残す大作家になってるってことは、作家として広く認知されるためには受賞は必須ってわけではないんだろうな。……太宰が実際に卓越した才能の持ち主だったことが大きく影響しているんだろうけど。


 ってそんなこと考えてる場合じゃない! 早く書き進めないと……。

 俺はもたれかかっていた椅子から身体を起こし、キーボードを叩き始めた。まあ、細かいところは書きながらでも修正できるだろう。



 数時間パソコンと格闘したのち、とりあえず書き終わった。もうちょっと見直してから送ろうと思っていると、橘に話しかけられた。


「更級、そろそろ夕餉の支度をせねばならぬ頃ではないのか?」

「……えっ? もうそんな時間!?」


 時計を見ると、夜の6時だった。やばい、ホントだ。早く準備しないと……! あっ、でも今日何作るか決めてねえ!


「……橘、アンタ今日は何が食べたいんだ? まあ、ものにもよるけど、今日はアンタの希望を聞くよ」


 いつもはあまりリクエストは聞かないのだが、こうなったら仕方ない。必ずしも期待に添えるわけじゃないことを伝えた上で、一応聞いてみることにした。


「む? 何じゃ? 儂の好みを聞くとでも言うのか? ……ふむ、なかなか殊勝な心がけじゃな、人の子よ。常にそうであればなお良いのじゃがな。そうじゃのう……では、その心配りに免じて、手間のかからぬものにしてやろう。「ころっけ」はどうじゃ」

「いや、それ、素朴に見えるかもしれないけど結構時間かかるんだからな! じゃがいも潰したり玉ねぎ刻んだり……あと揚げるまでにも卵とかパン粉つけるっていう手順があるんだよ! 早く食べたければ違うものにしてくれ!」


 全く、自分で料理しない奴はそういうところをよく分かってないんだよな……。いや、それを責めるつもりは全然ないんだけど。……まあ、俺に気を遣ってくれたのはありがたいと思ってるよ。


「ふむ、なるほどのう。では、そうじゃな……「ろーるきゃべつ」でもよいぞ」

「だからそれも時間かかるんですよね結構! あなどれないんだよな意外と! というかアンタ、簡単そうに見えて実は手間のかかるものばっかり選んでくるな! それはそれですごいわ!」


 ……あー、どうしよう。結局決まらねえし。じゃあ、もう親子丼とかでいいかな。


 翌日朝一番で、下野さんから、原稿がまだ到着していないというお叱りの電話を受けることになってしまったのはまた別の話。

 ……橘に短時間でできる料理は何かと聞かれ、さらにその料理名を調理に要する時間とともに一覧表にしろ、とか言われててんてこ舞いだったために送り忘れたというだけのことなのだが。


 

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