第15話 突撃型料理教室、急遽開講

 「では、本日はよろしくお願いしますね、更級さん」


 俺は今、葛城さんと自宅のキッチンに立っている。葛城さんは青いチェックのエプロンを身につけ、赤いバンダナを頭に巻いており、完全に格好が調理実習のそれである。手も綺麗に洗われており、やる気十分といった感じだ。だが、下に着ているのがいつもの執事みたいな服なので、それに強烈な違和感を感じざるを得ない。だから、「高校生か!」という突っ込みがしづらい。で、一方の俺も同様にエプロンをつけ、長めの髪を一つにまとめている。

 ……なんでこんなことになっているのかというと、話は30分前にさかのぼる。



「更級さん。以前お約束していただきました通り、俺に料理を教えてください」


 橘の留守中、1週間ぶりに俺の家を訪れた葛城さんが、突然こんなことを言い出したのである。


「……え? や、確かにそんな話はした覚えがありますけど、約束……しましたっけ?」

「えっ……俺の中ではしたつもりだったのですが。認識の違いですかね?」

「……多分そうだと思います」

「……そうですか。必要だと思われるものは全て持参したのですが……」


 葛城さんは急にしゅんとして、残念そうに目を伏せた。そして、どこからかエプロン、バンダナ、ノート、鉛筆、消しゴム、蛍光ペンを取り出し、机の上に並べた。……いや、アンタ用意周到すぎるだろ! 完全に意識高い生徒じゃねーか! 家庭科の授業でも受けに来たんですかアンタは!

 

 「すみません……てっきりご承知だと思いまして。ご迷惑でしたよね……申し訳ありませんでした」


 葛城さんはそう言うと、深々とお辞儀をして、俺の方に向き直った。その顔は悲しみに沈んでいるように見えた。……え!? 待って待って、そんなにショック受けなくてもよくないですか!? なんか俺がいじめたみたいな感じになってるじゃん! 勘弁してよ!


 俺は慌てて、なんとか葛城さんを慰めようとした。


「い、いえ、全然迷惑なんかじゃないですよ! というか、そちらがそのつもりなら、今からお教えしましょうか? 素人風情の俺なんかで良ければですけど……。どうせ今日は暇ですし」


 俺の執筆ペースからすると、本当は次回の原稿をそろそろ書き始めたほうがいいのだが、葛城さんがすごく哀れに思えてしまって、なかなかそうも言えなかった。


「ほ……本当ですか!? ああ、ありがとうございます! これで橘様にも喜んでいただけるはず……!」


 葛城さんは途端に満面の笑みを浮かべた。……すごい綺麗な顔してんなこの人。俺はそんなどうでもいいような感想を抱いた。というか、なんか知らねーけど、この人が俺に過剰な期待を抱いているのは間違いなさそうだ。はー、期待されるの昔から苦手なんだよな俺……。


「あの、ホントにあんまり期待しないでくださいね? マジで俺、なんか普通の家庭料理みたいなのしかできませんから!」

「それで十分ですよ。俺は卵もうまく焼けませんから。あと、炊飯器の使い方もよく分からなくて……」


 何だって? ちょっと今のは聞き捨てならないな。あれって単純に米と水入れてスイッチ押すだけだろ?


「……それはちょっといけませんね」

「でしょう? まあ、料理は常に妻に任せきりだったので。炊飯器もないような時代でしたし」


 ……妻? ここにきて突然!? あ、生前のことかな……? 触れていいもんなのか分からなかったが、俺はちょっと興味を持った。……というか、葛城さんって現代の人じゃなかったのか?


「え、葛城さん、ご結婚なさってたんですか!?」

「……ええ、まあ。……昔のことです」


 葛城さんは遠い目をしていた。


 ……と、次の瞬間、彼は俺の方を向いて、


「ともあれ、俺が今奉仕しているのは橘様です。あのお方に喜んでいただくためならば、どんなことでもするつもりです。……では、今支度してまいりますので、しばしお待ちを」


と言い、トイレに入った。……いや、別に着替えるんじゃないし、そこまでしなくても。というか俺たち男同士だから、ここでやっても全然問題ないような気がするんだが……。あと、俺アンタにトイレの位置教えましたっけ?



 ……というわけで、冒頭のシーンに戻るのである。


「早速ですが、何の作り方を教えていただけるのですか? 先生」

「いや、先生呼びはやめていただけますか? なんか気恥ずかしいので」


 実は、小説家という仕事柄、「先生」と呼ばれることは多々あるのだが、俺はどうしても慣れない。俺なんかそんな大したもんじゃないし、というように自分を卑下しているところがあるのだと思う。まあ実際俺は取るに足らない人間だろうけど。


「では、更級さん」

「あー、はい。じゃあ今日はオーソドックスに、ポークカレーにしたいと思います」

「ほう……ライスカレーですか。俺の好物です」

「あ、そうなんですか……」


 ……そういや、橘も前にライスカレーって言ってたな。調べてみたら、高度経済成長期の頃ぐらいまではそう呼んでたらしいことが分かった。じゃあ、この人は少なくとも昭和前期までには生まれてたのか?


「それで、まずは何をすればよいのですか?」

「えーっと、とりあえず米を炊きましょうか。炊く前の下準備は俺がやるんで、葛城さんはちょっと待っててください」


 俺はそう言うと、炊飯器の中の釜に米を入れようとした。すると葛城さんが、


「いえ、俺にさせてください。初歩的なこととて侮ってはいけません。こういうことは自ら手を動かさねば身につきませんから」


と言って俺を制した。精悍せいかん緋色ひいろ双眸そうぼうが、熱のこもった視線を俺に向けてくる。……いや、これくらいは別に見てるだけでもいいんじゃねーの? と思ったが、彼があまりに熱心なので俺は折れた。


「……分かりました。ではまず、米を計って、釜に入れてください。それから水を入れて……」

「米を水につけて洗うんですね?」

「まあそうなんですけど、俺は米を研ぐって言い方をしますね」

「研ぐ……えっと、何か道具を使うんですか? 砥石とか……」

「いや……あの、包丁を研ぐのとは違いますよ?」


 ……そこからかよ。これは前途多難な予感がするぞ……。


 で、葛城さんは不器用な手つきで米を計量カップに入れた。あろうことかそのまま釜に入れようとしたので、すり切ってから入れてくれるように頼んだ。……米を研ぐ彼は実に頼りなかった。まあ予想のつくことではあったが、研ぎ終わった後の水を捨てる時に米を大量にこぼした。仕方ないので米を追加したが。

 米を水につけている間に材料を切ろうと、俺は冷蔵庫から野菜と肉を取り出した。すると葛城さんが、


「次は野菜を切るんですね。えっと、玉ねぎは切ると涙が出るといいますから……」


と言ったかと思うと、どこからともなく溶接マスクを取り出した。


「いや、そこまでする必要ありませんから! というかどっから出してきたんですかそれ!」

「おや……そうでしたか。ではこれはしまっておきましょう」


 葛城さんはそう言って、マスクを宙に投げた。すると次の瞬間、マスクが跡形もなく消えた。


「……」


 いきなり目の前で超常現象を見せられて、俺が呆気にとられているのをよそに、葛城さんは手を洗ってこちらに向き直った。


「では、俺に切らせてくださいね」


 そう言うと彼は、包丁を取り、まずは人参を切り始めた。


「ストップ! ストーップ!!」


 俺は慌てて止めた。葛城さんが、包丁をグーで握って持っている上、平手で人参を押さえつけて切っているからだ。なんかもう力任せにやっているという感じである。


「え? 何か問題でも?」


 葛城さんはこちらを向き、首を傾げた。その手には包丁がガッチリと握られており、刃先は俺に向けられている。……待って、危ないって! なんか刺されそうですごい怖いんですけど! とりあえずその物騒なもん置いてくれませんかね!?


「いや、問題ありまくりですよ。まず、包丁を握る手つきは……」


 俺は包丁の握り方と、食材は猫の手で押さえるということを教えた。


「……猫の手、ですか? 少々不衛生なような気がするのですが」

「いや、本物の猫に押さえてもらうわけじゃないですから!」

「そうですか……しかし俺の手に肉球はついていませんが」

「だからそうじゃないですってば! 手を丸めて押さえるって意味です!」


 ……ここまでやってきて、まだ米も炊き始めてないし、野菜も切り終わってない。これは相当やばいな……。葛城さん、全然料理やってこなかったんだな。というかこの人、天然なんだろうか?


 俺が早くも疲れを感じ始め、これからのことを憂慮していた時、インターホンが鳴った。


「えぇ……? なんだよ、こんな時に……」


 俺はとりあえず応対しようと、玄関に出た。疲れもあって、なんか特に警戒せずドアを開けた。


「お久しぶりでーす、更級さん! お元気でしたかー?」


 そこに立っていたのは、人の良さそうな笑顔を浮かべた藤宮さんだった。


 ……なんでこう、疲れてる時に、よりによってこんなテンション高い人が訪ねてくるんだよ。


 しかし、そんな俺の嘆きは彼に伝わることはなかった。


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