第3話 戦々恐々共同生活
「……な……しな」
……ん? 何だ? 誰かの声がする。女の声のようだ。……は? 女……?
俺は一人暮らしだったはずだが……。
「更級。起きろと言うておるに」
その声でようやく、俺は現実を思い出した。ああ、そうだ。俺は、妙な死神と共同生活することになったんだっけ……。
この時点で既に大分トンデモ設定なのだが、事実なんだから仕方ない。今はこの状況を黙って受け入れるしかなかった。
「やっと起きたか。相当熟睡しておったようじゃのう」
「しょうがねーだろ、昨日は誰かさんのせいでガチガチに緊張して目が冴えちゃって、なかなか寝付けなかったんだよ」
「ふむ、それは難儀であったな。その誰かとやらには儂が後で文句を言うておいてやろう。では更級、早速じゃが、朝餉を頼むぞ」
「……」
なんだか朝からどっと疲れ、何か言い返す気力も失せてしまった。こいつには婉曲というものが通じないようだ。
「……へいへい」
俺は投げやりに返事して、とりあえず身支度をしに行った。
なんか今日は特に食欲がなく、軽く済ませたかったのだが、橘の手前、適当なものを出すわけにもいかないので、とりあえずトーストとチーズ入りオムレツにした。付け合わせはミニトマトとレタスだ。
「はい、どうぞ。できましたよ」
俺はそう言って、橘に朝食を持っていった。
「ほう、此度は『ぱん』か。なるほどのう。そういえばしばらく食しておらぬな」
「……米の方がよかったか?」
昨日の大鎌と、それを見たことによる恐怖が脳裏に焼きついており、俺は何かにつけて橘の機嫌を
「否。儂は味が良ければ何であれ構わぬ。麺でもよいぞ」
「いや、朝から麺は流石にちょっと重いような気が……」
俺は朝が弱い。低血圧なのだ。いくら料理に対しては仕事と同じくらい真摯に向き合いたいと思っているとはいえ、朝は眠くてなかなか起きられないのでやる気が出ないのである。だから常日頃から、朝はパンとヨーグルトとかでさっさと済ませてしまうことが多い。
「更級。食後に珈琲を飲みたいのじゃが」
小さな口でパンをかじりながら、橘が話しかけてきた。今は幼女の姿である。
「ああ、分かった。俺も飲もうと思ってたしな。ミルクと砂糖は入れるか?」
「結構じゃ。そのまま出せ」
「え、ブラックで?」
「左様じゃ」
不覚にもちょっと驚いた。まあ、いくら見た目だけとはいえ、幼女がコーヒーをブラックで飲むと言い出したら多少なりともびっくりするだろう。
ちなみに俺は、砂糖は入れないがミルクは入れる。カフェオレ派なのだ。ブラックでも飲めるっちゃ飲めるが、やはり俺にとっては少々苦い。
俺はインスタントコーヒーはあまり好きではないので、流石に豆を挽くところからはやらないが、粉をフィルターに入れて蒸らし、湯を注いで抽出するくらいの手間は惜しまない。とりあえずコーヒーをカップに
「……更級。この珈琲の銘柄は何じゃ?」
コーヒーを一口飲んだ橘が、不意に聞いてきたので、俺は思わず「ヒッ」と声を漏らした。
「え、銘柄……って、えっと、それは、……ブレンドだけど?」
「……」
え、何この間? もしかして、種類が気に入らないとか……? 俺、やらかしたのかな……?
「ふむ。そうか。これも決して悪くはないが、儂は『ぶるーまうんてん』が好みじゃのう」
「いや、ちょっと、ブルーマウンテンって……それ、すげー高いやつじゃないのか?」
「うん? ……ああ、そうであったか。知らなんだわ」
嘘だろ? それくらい知っててくれよ! まさか俺にそんな高級なやつを出せってのか? こっちの経済事情も考えてくれ! 毎日飲むんだからそんなもん買えるわけねーだろ!
「そんなのを買える金はうちにはありませんので、どうか勘弁してください!」
それ出さなきゃ殺すとか言わないよな? そんなのはいくらなんでも理不尽すぎる……!
「……うむ。無理に出せとは言わぬ。先程も言うたが、儂は美味なものであれば価格の高低は問わぬからのう。それに……この珈琲も、苦味と酸味の釣り合いがよく取れておるし、香りも良い。おそらくは汝の淹れ方が達者であるのも影響しておるのであろうな。一応の満足は得たぞ」
な、なんだ、良かった……。というかさりげなく褒められたよな俺。こいつ、意外といい奴なのか……?
ああ、もう嫌だ、こんな風に橘の顔色を窺いながら生きるのは。これからずっとこういう生活続けていかなきゃいけないのか? 考えただけで憂鬱だわマジで。
……ってか、まだ朝の8時なんですけど! 今日はこれからの方が長いんですけど! なんかもう一仕事終えた気分になってたよ! まあ俺自宅で仕事してるから、遅刻とかの心配はないんだけどね!
あー、寝たい。もう寝たい。締め切り1週間後に迫ってるけど、今はそんなこと考えたくもねーわ畜生。
「更級、馳走になったな。ところで昼餉は何じゃ?」
「ちょっと待ってくれよ! 少しは食後の満足感に浸ったらどうですか!? というかアンタ、食うことしか考えてねーのか!」
我ながらちょっと身の程知らずな発言だったと思う。口に出してしまってから、しまったと思ったが、もう遅い。覆水盆に返らず、だ。
「儂をただの食い意地の張った者とでも思うておるならば、見当違いも甚だしいぞ。口を慎め、
案の定、橘が鎌を振りかざしながらこちらにゆっくりと近づいてきたので、俺は黙って即座に土下座をした。
死神。
人を死へと導く存在。
輪廻転生を司る神。
彼(女)が俺をどう料理したいのか、俺はただ飯を提供するだけでいいのか、それはまだよく分からない。
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