第2話 出会い(後)

 ……とはいえ、俺はプロの料理人ではない。そんなに手の込んだものが作れるわけがなかった。しかし、伊達に何年も一人暮らしをしているわけでもない。多少は腕に自信があった。少なくとも一般の人に出せるくらいのものは作れるはずだ。


 俺は取りあえず炊飯器のスイッチを入れた(勿論、中に米と水は入っている)。冷蔵庫の中を覗くと、人参、ピーマン、豚肉、椎茸、もやし、……。


 ……よし、肉野菜炒めでも作るか。


 メニューは思いの外、簡単に決まった。少々庶民的すぎる気もするが、人の事情も考えず勝手に押しかけてきたんだから、何を作るかぐらい好きに決めさせてほしい。


 味噌汁の調理と同時進行で野菜を切っていく。人参は短冊切りにして、ピーマンは中の種を取って細く切る。椎茸は石突きを取って……とやっていると、橘が側にやって来た。


「ふむ、なかなか器用じゃの」

「まあ、長いこと一人暮らししてるからな。これぐらいはどうってことねーよ」

「長いとは、如何程の年月じゃ?」

「うーん……大学2年の時からだから、もう十年くらいになるのかな」


 自分で言ってて、もうそんなに経つのかと少なからず驚いた。


「ほう、十年か。随分と短いのう。それくらいならば、儂にとっては汝らの感覚で言えばつい数分前の出来事のようじゃ」

「いや、昨日のことですらねえのかよ……。アンタ、いったい何年生きてるんだ?」

「うむ、正確には覚えておらぬが、おそらく千歳ちとせ以上にはなろうの」

「……マジでか……」


 随分とご長寿なことで。とてもそんなふうには見えないけどな。だってどう見ても幼女だし。……あ、でも、妖怪とかなら見た目幼くてもすげえ長生きしてるケースもあるもんな。妖怪じゃなくて死神らしいけど。


「ところで汝、髪が邪魔ではないのか? 切れば良いものを」


 橘は唐突に、俺の髪のことを話題にした。俺の髪は、肩にかかるぐらいの長さだ。まあ、長髪と言って差し支えないだろう。料理などの作業をするときは、俺はいつも緩く縛っている。


「あー……まあ、そうなんだが、めんどくさくてさ。自分で切ったら絶対変な風になるし、なかなか元に戻らないだろ? かといって理容室に行く金もねえしな」

「成程、汝は物臭であるのじゃな。その割に調理は自らするのか? 『いんすたんと食品』や『れとると』食品に頼らずに」

「ああ、俺、料理は手を抜きたくなくてな。まあ、趣味……というかこだわりってやつか? それに、そういう即席の食い物には化学調味料とかがいっぱい入ってるって言うだろ? ……ってか、俺は別にそんなに怠慢な奴じゃねえぞ?」


 橘とそんな他愛もない話をしながら、ふと思った。


 ……あれ? ……俺、なんか人外っぽい存在と普通に喋ってねえか? 俺はコミュ障でこそないが、そんなに初対面の相手と会話する能力に長けているわけでもなかったと思うんだが……。まして相手が人外……それも自称ではあるが死神ともなれば、もっとビビってしかるべきじゃねえのか……?









 そうこうしているうちに、料理は出来上がった。


「ほら、出来たぞ。冷めないうちに食べてくれ」

「ほう、これはなかなか食欲をそそる色彩じゃの。では、頂くとするか」


 橘はごく短時間合掌をすると、おもむろに箸を取って炊きたての白米を口に運んだ。


「……」


 橘は無言で咀嚼そしゃくしている。やがて嚥下えんげすると、無言のままおかずに手をつけた。


 部屋に橘の噛む音だけが響く。


 ……なんでこんなに緊張するんだ。入試の時とか、賞に初めて応募した時だってここまでじゃなかったぞ?


「えっと……お味の方は?」


 つい痺れを切らして聞いてしまった。ああ、不味いとか言われたらどうしよう。俺、殺されるのかな……?


「……うむ。実に美味であるぞ。米の炊き加減が丁度良い。それが証拠に米が立っておる。素材に味が染み渡っておるな。儂は満足じゃ。流石じゃな、更級」

「……へあっ?」


 驚いて妙な声を出してしまった。全くもって予想外の反応だったからだ。俺は力が抜けてへなへなとその場に座り込んだ。……それにしても、なんというか食レポ陳腐だな! 千年も生きてるっていうから、さぞかし豊富な語彙で評価していただけるのかと思ったんですけどね!


「……じ、じゃあ、ご満足いただけたってことで……?」

「じゃから、今し方そう言うたであろう」


 心が安堵で満たされ、俺は大きく息を吐いた。


「……えーと、それじゃあ、その、……お帰りいただけますかね?」


 俺は遠慮がちに、橘の顔色を窺いながら言った。


「ん? 何を言うておるのじゃ? 儂はこれより、ここに住まわせてもらうぞ。少々散らかってはおるが、悪くはない部屋じゃからのう。そして、汝は儂に飯を作り続けるのじゃ」










 一瞬の沈黙が流れた。そして、


「……は、はあああああああああ⁉︎」


 静まり返った部屋に、俺の絶叫がこだました。


「いやちょっと待て! 聞いてねーよそんな話!」

「まあ、言うておらんかったからのう」

「一人分で精一杯なのに二人も養えるか! っていうか俺一人暮らしだから、部屋に俺じゃない奴が……しかも幼女が出入りしてたら見た人が怪しむだろ!」

「案ずるな。儂は死神じゃぞ? 人の子の目を欺くことくらい造作もないことじゃ」

「そういう問題じゃねーよ! そもそもこんなアラサーの男が血縁関係のない幼女と同居とか絵面……というか字面的にアウトだろうが!」


 もしバレたら俺が周りからどんな目で見られることになるかぐらい分かってるよな? ロリコンのド変態扱いされるに決まってんだろ!


「ふむ……汝はこの姿では不服と見える。ならば……」


 橘がそう言ったかと思うと、にわかに彼女の姿は黒い霧のようなものへと変わった。


「…………」


 俺はあっけにとられて、阿呆みたいに口をポカンと開けたまま、その霧みたいなものが、左耳に桜の花の形をしたイヤリングを付け、黒いスーツを着た若い男性の姿になっていくのを黙って見ていることしかできなかった。霧のようなものが完全に消えると、橘は地に降り立ち、口を開いた。


「男の姿となることも可能じゃぞ。儂はあらゆるものに変化できる故」


 その声は先程の幼女のものとは全く異なる、青年のものへと変わっていた。なんというかこう、いわゆる「イケボ」というやつだろうか。若くて張りのある声だ。

 ……ということは、橘には性別がないってことになるのか? それとも両性具有……? いやちょっと違うか……。


「え……ええええええ!? マ……マジか……。って違う、そういう問題でもねーよ! 何も解決してねーだろーが!」


 とりあえず今突っ込めるところに全力で突っ込んだが、なんかもうこれ以上何を言っても無駄なような気がしてきた。……ふっ、所詮俺みたいな普通の人間風情が太刀打ちできるような相手ではなさそうだ。俺は半ば諦めモードに入った。


「ではこれよりよろしく頼むぞ、更級」

「ああ……。一応確認なんだが、……アンタ、本当に居座る気ですか?」

「今更何を言うておる。当たり前であろう? ……ああ、明日みょうにちの朝餉は何じゃ?」

「もう朝飯の話かよ!? ちなみにまだ考えてません!!」


 そんなこんなで、俺はこの謎の死神と奇妙な同居生活を送る羽目になったのであった。

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