第4話 死神の少年(前)

 そうして橘に料理を作り(作らされ)続け、数日が過ぎたある日のことである。


 外出先から帰ると、部屋のドアに見知らぬ少年が寄りかかっていた。その子は学ランを着ており、割と小柄で中学生と思しき容貌をしていたが、金髪だったため、不良のような雰囲気をかもし出していた。俺は完全なるインドア派なので、もし喧嘩を売られでもしたら勝てるわけがないと思ったが、かといって放置するわけにもいかないので、声をかけることにした。


「……ねえ、ちょっと、君……」


 俺がそう言った瞬間、彼は驚いたのか、びくりと肩を震わせると、こちらを見上げた。彼は黄色い目をしていた。そして目が合うと、いきなり飛びすさって、何か棒のようなものを俺に突きつけてきた。


「何だよ、なんか用でもあんのかテメェ!」


 ……彼が手にしていたのは、何と短刀であった。切っ先がギラギラと光っている。うわ、マジか。やべーなこれ、多分レプリカじゃねぇよ本物だよ。どうすんだ俺、こんなとこで死にたくなんかねえぞ……?


「あ、いや、その……」

「どけよおっさん。邪魔なんだよ。どかねえなら刺すぞ」


 いやいや、何ですかこの超展開は。あり得ねえだろ普通。何で家に帰ろうとしただけで刺し殺されそうになってんの俺? 理不尽が過ぎるだろう、流石に。


「いや、そこ、俺の部屋なんで……」


 俺がビビり倒しながら蚊の鳴くような声でそう言うと、少年は険しかった表情をほんの少しだけ緩めた。……ように見えた。気のせいかもしれないが。


「……ああ? 何だ、そうだったのか。じゃあ早くそう言えよ。ほら」


 そう言って少年はドアの前を空けてくれた。


「……ああ、どうも……。ところで君、何者?」

「あ? アンタに名乗る義務はねえだろ」

「うちに何か用なのか……?」

「……もしかして、アンタ、サラシナ、とかいう人?」


 急に名前を呼ばれて多少なりとも驚いたが、部屋に突然知らない幼女がいた時や、ちょっと声をかけただけなのにいきなり短刀を突きつけられた時よりはマシだった。


「そうだけど……」

「……」


 少年は無言で俺をジロジロ見回し始めた。そして一言、ボソッと呟いた。


「……なんだ、ただのでかいボサッとしたおっさんじゃねえか。橘さんが認めたって言うから、どんな奴かと思ったら……」

「え、何、君、橘の知り合い?」


 いや、俺まだ二十八だから。おっさんじゃねえから。あとボサッとしたって何だ。まあ、確かにあんまり綺麗じゃないかもしれないけどさ。……と言い返したくなった。が、ひとまずそれは置いておいて、彼が口にした「橘」という言葉に俺は反応した。


「は? アンタ、何軽々しく呼び捨てにしてんだよ。そんなんでよく無事でいられたな」

「……へ?」

「あの人を怒らせたら、本当にどうなるか分かんねーんだから……」


 どうやらこの少年は、橘のことを本気で恐れているらしい。話しているうちに、だんだんと顔が蒼白になってきて、ガタガタ震え始めた。


「というか、君、どこの誰?」

「……オレは……」


 その時、突然目の前に何かが落ちてきて、俺たちは反射的にそちらに視線を向けた。


「帰ったぞ。更級、夕餉の支度をせぬか。……む? 汝は……」


 落ちてきたと思ったのは橘その人であった(いや、人ではないのだが)。今回は黒いスーツの男性の姿をしている。「彼」は、屋根の上を渡ってアパートまで来て、廊下に着地したようだ。


「……橘さん……」


 少年が橘に呼びかけた。声が震えていた。まるで小動物が肉食獣を目の前にして発する、降参や服従を表す鳴き声のように情けない声だ。


「汝、何用じゃ。今日の『のるま』は達成したのか?」

「……」


 少年は何も言わない。ただ黙ってうつむいている。……何があったんだか知らないが、この子の橘への恐れやおびえは伝わってくる。


「あの、この子は、どういう……」

「……立ち話も野暮じゃから、中に入るとするか」

「……はい」


 そう言って二人は連れ立って部屋の中に入っていった。……っておい! ここは俺の家だぞ! 入る時はちゃんと主人の許可を取れ!

 ……なんて言っても、どうせ橘はそんなのお構いなしなんだろうな。









 「そう言えば、紹介がまだであったの。此奴こやつは儂の弟子……じゃな。ほれ、自己紹介をせぬか、あおい


 部屋に入ると、開口一番、橘はそう言った。


「……オレは、葵……葵真紀まき。死神だ。……橘さんの部下だ」


 少年は素直に自己紹介をした。


「はあ、真紀くん……か。……君、男の子?」

「ああ? 当たり前だろ! 確かに女みてーな名前かもしんねえけどさ! ふざけんじゃねえよ! 大体オレは、この名前が気に入らねーんだよ! だからオレのことは苗字で呼べクソ野郎!」


 俺の指摘したことがかんに障ったのか、少年は急に声を荒らげた。確かにちょっと配慮が足りなかったとは思うが、何もそこまで言わなくたっていいじゃねーか!


「ちょ、おま……何つー口の利き方だよ? 一応初対面の相手だろうが!」

「うるせーな! 言うこと聞かないなら刺すぞ!」

「……葵」


 不意に橘が口を開いた。いつの間に姿を変えていたのか、その声は幼女のものだったが、それに似つかわしくなく、その声にはある種の迫力とか凄みとか、そういうものがあった。真紀はその瞬間口をつぐみ、恐る恐る橘の方を見た。その顔には恐怖の色がはっきりと浮かんでいた。


「対象でもない人の子を殺めるでないぞ。脅しも禁止じゃ。何度も言うたであろう?」


 橘がギロリと真紀をにらんだ。その目には恐ろしく冷たい光が宿っており、俺まで背筋が凍る思いだった。……ああ、やっぱり死神なんだな、と思った。というか、アンタは俺のこと大鎌で脅しただろうが。


「……は、はい……」


 真紀はすっかりしょげ返って、おとなしくなった。


「……っていうか、死神って言ったよな?死神って何人もいるもんなのか?」

「当たり前であろう。儂一人で膨大な数の魂を刈り切れるわけがあるまい。『さんたくろーす』とやらが複数存在するのと同じ理屈じゃ」


 ……ん? 今サンタクロースっつったか?まさかこいつ、サンタの存在を信じてるのか……? 俺だって小学生の頃に正体分かったのに。


「とはいえ、儂と此奴とは少々異なるのじゃ。儂は生まれながらの死神じゃが、此奴は元人間じゃからのう」

「……え? 何? 死神には種類があるのか?」

「うむ。先天的・後天的の違いがある。元人間の者は一度死んでおるのじゃ。ちなみに此奴は、儂に魂を刈られておる。じゃが、儂は此奴の素質を見込んで死神としたのじゃ。……ところで、更級。夕餉はまだか? 何か食して一息つきたいところじゃ」


 いや、話題の転換雑過ぎやしないか? という突っ込みをどうにか飲み込むことには成功し、俺は少しだけ安心した。


 それにしても、元人間ねえ……。じゃあ真紀は既に死んでるってことなのか。どう見てもまだ子どもなのになあ……。


「え、いきなりですか……はいはい、分かりましたよ。どうせ拒否権はないんだろ?」

「ふん、理解しておるではないか」


 俺はひとまず、いつものように、そそくさとキッチンに引っ込んだ。その時、橘に声をかけられた。


「ああ、此奴の分も頼むぞ」

「な、オレは別にいらないって……」

「つべこべ言わずに黙って食せ。これも学びの一環じゃ」

「……はい」


 うわ、マジかよ。流石に俺を入れて三人分は骨が折れるな……とはいえ、逆らうわけにもいかないしなあ……。……しょうがねえな。今日は真紀のもてなしも兼ねて、ちょっと手の込んだものにしてみようか。そうすれば橘も機嫌を損ねはしないだろうからな。


 俺はとりあえず冷蔵庫や戸棚を見て在庫を確認し、作るものを決めた。

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