第5話 死神の少年(後)

 とりあえず出来上がったので、俺は料理を食卓に運んだ。


「はい、どうぞ。ごゆっくり」


 出されたものを見て、真紀は眉根を寄せ、首をかしげた。


「うわ、何だこれ? カレーか……? いや、ちょっと違うなぁ……」

「ん? 知らないのか? ハッシュドビーフっていうんだが」

「……は、はっしゅ……?」


 どうやら真紀は、ハッシュドビーフを知らなかったらしい。そんなにマイナーな料理でもないと思うんだがなあ、と俺は少し意外に思った。


「怪しいもんじゃねえよ。物は試しだ、とりあえず食ってみろ」

「……」

「更級がわざわざ汝のために骨を折ったのじゃ。その働きに報いよ」

「……はい……」


 やはり真紀は橘には逆らえないらしい。そのまま軽く手を合わせ、恐る恐るスプーンを口に運んだ。


「……美味い」


 真紀はぼそりと呟き、それから夢中でかきこみ始めた。


「おい、そんなにがっつくなって。詰まるぞ?」

「仕方なかろう。汝の作る飯が美味なのは確かなのじゃから」

「いやあ、そんなに褒められると照れますねえ」

「儂はただ事実を述べたまでじゃ。褒めてなどおらぬ」

「え、そうなのか……?」


 死んだ人間が死神やってんのか……ふーん。もし死んだ時の姿そのままなんだったら、真紀は、十三とか十四とか、それぐらいで死んだってことになるのか? それになんか、こいつはいつも不機嫌そうな感じがするな。目つき悪いし……。俺の知るところじゃないが、いろいろあったんだろうな……。


 無言でガツガツ食っている真紀を見ながら、俺はそんなことを思った。だが、俺も他人様ひとさまの事情をあれこれ詮索するような野暮な奴ではない。とりあえず、こいつのしたいようにさせておいてやろうと思った。










 食後、ちょっと外の空気を吸いたくなり、窓を開けると、先客がいた。


 真紀だった。


「……まあまあいい眺めだな」


 俺に気づいて、真紀は聞こえるか聞こえないかくらいの音量でボソッとこぼした。


「……そ、そうか?」


 俺の家から見える景色は、格別素晴らしいものではない。普通の都会の街並みだ。こいつなりの精一杯のお世辞だったのかもしれないな、と俺は思った。


「……なあ、おっさん」


 その時、真紀が話しかけてきた。だからおっさんじゃねーっつーのに。


「おっさんじゃねえ、お兄さんと呼べ」

「……また飯食わせてもらってもいいか?」

「……え、ああ……いいけど」


 いや、ガン無視かよ。ちょっと傷ついたんだぞ俺? 自分としてはまだまだ若いつもりなんだけどなあ……。


「……そうか。じゃ、また来るよ」

「……おう」


 また来るということは、俺が飯を作ってやる相手が一人増えたということ、すなわち面倒が増えたということなんだろうと気づいたが、まあ、毎日じゃないならそれも悪くないか、とも思った。相手はまだ子どもだし。


「……なあ」

「ん?」


 俺はその時、ふと気になったことを尋ねたくなり、真紀を呼び止めた。


「何だよ」

「いや、その……お前って、もう死んでるんだよな……?」

「……ああ、そうだけど」

「死んでから死神になったのか?」

「……ああ。橘さんに誘われてな」

「へえ、あいつにねえ……。でも、何で死神になったんだ? 強制じゃないんだろ?」

「…………」


 真紀は急に黙り込んだ。……やっべ、俺なんか聞いちゃダメなこと聞いちゃった?


「……あ、えっと、答えたくなかったら別にいいんだけどさ……」

「……ためだ」

「あ?」


 真紀の声があまりに小さくて聞き取れなかったので、俺は聞き返した。


「人間に復讐するためだ」

「……!」


 いきなり全く予想外のことを言われて、俺はその場に凍りついた。復讐、だって……?


「……もういいだろ。オレは帰る。じゃあな」


 真紀はそれだけ言うと、さっとベランダから飛び降りた。


「いや、待て、ここ二階……」


 しかし彼は猫のように綺麗に着地し、立ち上がるとそのまま走り去って見えなくなった。


「……人間業じゃねえな」


 俺はそう呟いて、とりあえず家の中に入った。










 部屋に入ると、橘が声をかけてきた。


「葵は素直ではないが、性根の腐ったやからではない。無作法なところも多々あるとは思うが、儂が責任を持ってしつけておく故、どうか悪く思わないでほしいのじゃ」

「はあ……分かったよ」


 意外だった。真紀に対してそんな思いを持っていたとはな……。上司として、部下にはそれなりに目をかけているってことなのか?


「あいつ、また来るって言ってたけど……」

「そうか。では、また汝の飯でもてなしてやってくれ」

「……あ、また俺に飯を作れと……」

「今更何を言うておるのじゃ。当たり前であろう? ……そうじゃ、そういえば今日の夕餉は何じゃ?」

「え、さっき食ったばっかりだろうが」


 また飯の話かよ……。もしかして加齢性健忘なのか?


「ああ、そうであったな。……では、食後の甘味としようか」

「いや、どんだけ食い意地張ってるんだよ……まさか、俺に菓子まで作れと言うんじゃないだろうな?」

「……? 違うのか?」

「いや、だってさっき俺料理したし……」


 その時、橘が物凄い形相でこちらを睨みつけてきたので、俺は「彼女」の命令に従わざるを得なかった。


 真紀のことはやはり気になる。もし機会があれば、橘にあいつのことを聞いてみようかと考えたが、そうは言っても幼くして命を落としていることからして、何かしら深刻な事情を抱えているんじゃないかと思った。だとしたら、俺みたいな赤の他人が、軽率に首を突っ込んでいいことではないような気がする。


 ……いずれにせよ、まだ出会ったばかりだ。もう少し様子を見よう。


 俺はデザートのカスタードプリンを運びながらそう思った。

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