第28話 あの子の嘘はかわいい嘘
「あり得へん勘違いやわ。もう完全に『生まれてくる家間違えたー!』やで。最高やわ」妻は笑い続けていた。
「何を笑って言っとるねん。勝手な想像して勘違いしてたんはほぼ君やろ? シングルマザーや田舎のバイオハザードな噂とか。函館なんか全くかすりもしてへんやん、ロンドンやで。ええとこの子供が、普通にええ服着てただけやん。ええ帽子もスマホのアプリやなくて、どっかホット・ヨガのつながりで貰ってきたんやろ」
「それもあなたの勝手な想像です。まあそんな気がするけど」
「君はテレビドラマの見過ぎやで……」網走刑務所を想像したことは黙っていた。
「でも考えたらそんなに間違えてないわよ? 天王寺さんは悩める十代の一人っ子。お父さんが家にいなくてお母さんも仕事で忙しく、毎日家で一人寂しくしていた。それで犬が家に来た。ここまではほぼ正解。計算したら九割は正解やね?」
「僕の気分的には一割ぐらいしか正解していません」
「あなたは天王寺さんのお父さんになりたかったのよ」
「そういう訳ではないと思うけど……」
「やっぱり、動揺してるでしょあなた。あなたは天王寺さんが好きでしょ? 天王寺さんに会ってから、あなたは天王寺さんのことばっかり話してた」
「確かにそうやけど……」
「あなたは嘘の散歩に行ってたんでしょ? 天王寺さんのお父さんじゃないけど、天王寺さんのお父さんみたいな人になっていた。大好きな天王寺さんに先生って呼ばれて、嘘のお父さんになっていた。それがあなたの嘘の散歩」
僕は何も言い返せなかった。
「でも天王寺さんには本当のお父さんがいましたー! 嘘のお父さん残念」
「まあこれで良かったやん? 思ってたよりは幸せな家庭やったって事やろ?」
「私は嫌やった!」妻は突然言った。
「どうしたん?」
「私は嫌やった! あなたが天王寺さんに会うの少し嫌やった。あなたが楽しそうにしているからええかと思ったけど、やっぱりちょっと嫌やった」
「すまん……」僕は謝った。
「もっと嫌やったんは、もしかしたらあなたが天王寺さんの本当のお父さんになりたくなるかもしれないのが嫌やった。私、天王寺さんに会った時思ってん。この子は可愛すぎるって。この子のお母さんは絶対美人やって。もしあなたが天王寺さんのお母さんに出会ったら、本当の天王寺さんのお父さんになりたくなるって。それが一番怖かった」
「考えすぎやろ、そこまで頭が回らんわ」
「私は一番初めに思った。シングルマザーの子供って聞いた時、一番初めにそれを考えた。あなたがネクタイ貰った時も凄い怖くなって嫌やった!」
「すまんかった……」僕は自分の楽天に謝るしかなかった。
「こんなん、天王寺さんに本当のお父さんがおるって解ったから言えるねんで? 解ってなかったら怖くて言えへんかった。最初に言いたかったけど、言えへんかった。私は嫌やった。あなたが天王寺さんに会うのは嫌やった。小学生相手に嫉妬する自分が嫌やった。他の女にあなたを取られるのが嫌やった!」
いつの間にか妻は泣いていた。僕は黙っていた。何を言えばいいのか解らなかった。僕が楽しそうに天王寺さんと会った話をしていた時、妻はどんな気分で聞いていたのだろう。妻のしていた勝手な想像には、本音を覆い隠そうとする深い意味があったのだろう。僕は自分の聞きたいことしか聞いてなかった。
「ごめん。言わへんつもりやったけど、言っちゃった……」涙を拭いた妻は言った。
「すまんかった。天王寺さんとはもう会わへんようにするよ」
「そんな事はないよ。これからも会いに行き。天王寺さんもあなたを必要としているに決まってるもん」
「それはどういうことかな?」僕は尋ねた。
「だって天王寺さんは、あえてあなたに言わなかったんじゃないかな? お父さんは今はいませんじゃなくて、お父さんはロンドンにいますって言えば良かったのに。内緒の旅行に行きますもそうじゃなくて、お父さんに会いにロンドンに行きますって言えば良かったやん?」
「確かにそこは僕もおかしいなとは思っててん。もともと言葉少なめに話す子供やから、そんなもんかなって勝手に解釈してたけど……」
「だからあえて言わなかったんよきっと。言ってしまったら本当になるから、あえて言わない嘘。言わない嘘」
「じゃあなんでそんな言わない嘘をついたのかな?」
「あなたを必要としたからよ。言わばお父さんの代用品。天王寺さんだってお父さんはロンドンでお母さんはホット・ヨガ教室で忙しくて、寂しかったのは間違いないでしょ? あなたは公園の犬友達で、先生と呼ばれるお父さんの代用品。あなたがその気になるように、そう仕向けてあえて言わない嘘をついたんよ」
「あの子は本当に頭がいい……」僕は心底思った。
「間違いないよ。あの子の嘘はかわいい嘘。だからあとちょっとだけ、少なくとも天王寺さんが小学生でいるうちは会ってあげたらいいと思う。お父さんだってEUからの離脱でロンドンから帰ってくるかもしれないし、中学生になったら部活や恋愛で、てんてこまいよきっと」
「君は優しいな。僕にも天王寺さんにも……」
「何を今さら。こんなん普通です!」
そう言って妻は笑った。妻の笑顔は本当に綺麗だと僕は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます