第27話 ルーシー・イン・ザ・スカイ
天王寺さんの母は白いベントレーに乗って去って行った。僕は白いベントレーが見えなくなってもその残像を眺めていた。
「天王寺さん。君はええとこの子やってんね……」
「別に。普通やと思う」
「さすがに今回は普通とはちゃうと思うけど? 天王寺さんとこの車、一回運転してみたいわ」
「今度お母さんに言うとくわ」
「いや嘘です。怖くてようそんなことできません。あの車めっちゃええやつやねんで?」
「普通やん……」
僕はもうそれ以上は言わなかった。その普通が普通でない事は、年を重ねれば分かるはずだ。
「お母さんドッグ・ヨガやるんやって?」
「らしいわ。家でミーちゃん持ち上げたり、腹の上に乗っけたりして遊んどる」
それは遊びではなく色々と研究してるのだろうと思ったが黙っていた。
「お父さん、外国にいるんやってな。ちょっと寂しいな」
「うん。でもこの前会ってきた」
「会ってきたっていつ?」僕は尋ねた。
「この前旅行行ってきたやん? ロンドン行ってん。内緒やったのにお母さん」
今さら北海道と思い込んでいた自分が馬鹿に思えた。妻にはものすごい文句があった。
「ロンドンか。涼しいわなロンドン。先生も十年以上前やけど行った事あるよ。でも初めての飛行機がロンドンやったら大変やったんちゃう? 十時間以上かかったやろ」
「大変やった。でも思ってたよりは席が広かった。寝るときな、ベッドになるねん」
恐らくはビジネスかファーストクラスだ。エコノミーしか乗ったことのない大人にとって、もはやこの子はひがみの対象でしかない。素直に羨ましかった。
「お父さんに先生とルーちゃんの話をしてん。ほな喜んで先生へのお土産買いに行こうって、ロンドンのデパート一緒に行ってん」
「だからネクタイね……」妻も笑うだろう。
「先生もそうやけど男の人はようかっこつけるわ。なんやルーシーはお空に浮かぶビションの白い雲やって言ってた」空を見上げながら天王寺さんは言った。
「せやで。男はかっこつけるねん。ミッシェルは芽衣子の可愛い白い恋人やろ?」
「なんで解ったん! お父さんもそんな感じの事言ってた!」天王寺さんは今までで一番の驚きの表情を見せた。
「男やから解るねん」昨日の天王寺さんを真似て言ってみた。
「男もすごいな」天王寺さんは驚きの表情を続けながら言った。
「しかしルーシーがモデル犬か。お母さんなんでダブル・ビションにしようと思ったんやろね?」
「なんか南芦屋浜の人に聞いてんて。ビションが二匹、ダブルのめっちゃかわいいのがおったって」
「それ多分ルーシーとミッシェルやで。君らがロンドン行っとるとき、先生の奥さんと南芦屋浜の公園に行ったんよ」
「なーんや。ほなそのまんまやな」
「そのまんまやね」
この子の言う通り、この世界はそのまんまなんだと思った。天王寺さんがシングルマザーの子供でも、ええとこの子供でも何も変わらない。僕らのドッグ・ライフはそのまんまだ。
「ほな公園歩いて帰ろか。まだ暑いで」
「ミーちゃん行くで!」
「ルーシーも行こか!」
二頭のビションフリーゼは白い雲のような頭を揺らして走り出した。
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