第21話 ドッグ・キャバクラ「三十分五千円コース」

 八月十二日の早朝六時の公園で、僕らは待ち合わせをしていた。蝉の声が響く中、天王寺さんはミーちゃんと折り畳みの日傘をさしてやってきた。

「おはようさん天王寺さん。こちらは先生の奥さんです」僕は妻を紹介した。

「初めまして天王寺さん。わたしは山中初美です。ミーちゃんビション可愛いねえ。ルーちゃんとそっくりやん」

「天王寺芽衣子です……」天王寺さんは恥ずかしそうにしていた。


「ミーちゃん預かるけど、ご飯とか持ってきてくれた?」

「これをあげてください」そう言って天王寺さんは紙袋を差し出した。

「ありがとう。大丈夫やとは思うけど、何かあったら携帯に連絡する。まあ何もないと思うけどね」

 妻は「ミーちゃん可愛いですねー」と言って腰を屈めてミーちゃんの前足を持ち上げていた。ルーシーは妻の左肩に飛びかかっていた。

「天王寺さんのお母さんは?」

「お母さん、飛行機ぎりぎりまで仕事残ってるって」

「大変やけど仕方ないね。旅行楽しんできてね」

「あの……」天王寺さんは呟いた。

「どうしたん?」

「先生の奥さん、本当に綺麗です」


「いや何この子、ほんまの事言うやん! 正直やって聞いてたけどほんまやん! いやーほんまの事言えるって偉いよ天王寺さん。天王寺さんもほんま、聞いてた通りのおしゃれ美少女よ。ビションの美少女。いや、参るわこれ。あんためっちゃ幸せやん。お金取られるやつやでこんなん」妻は嬉しそうにまくしたてた。

「何浮かれとんねん。一応言うやろ、お世辞……」僕は天王寺さんに聞こえないよう妻に呟いた。

「ええやん。ほんまの事言ったんよね? 天王寺さんはほんまの事しか言わへんもんね。それでええねん。ほんまの事言える子は一番幸せになれるよこれから!」

 妻の勢いに押されたのか、天王寺さんは黙っていた。


「まあええ。それで飛行機の時間は大丈夫なんかな?」

「もうちょっとしたら、行く時間です」

「そうか。しかしうらやましいな。先生が小学生の頃は、飛行機なんか乗ったことがないわ」

「私も初めてです」

「ミーちゃん責任を持って預かるから、心配しないで行ってきてね」


 天王寺さんと別れた後も、妻はご機嫌な様子だった。僕はルーシーのリードを持ち、妻がミーちゃんのリードを持ち公園を歩いた。

「ちょっと歩いたらすぐ帰るで。これから暑くなる」

「解ってるわよ。ちょっとだけ。いやあの子最高やわ。あんたがはまるの解るわ。何回も言うけどお金取られるやつやでこれ」

「それはどういう意味?」

「完全にドッグ・キャバクラ」

「小学生相手にドッグ・キャバクラって」僕は呆れて言った。

「いーや。これは完全にドッグ・キャバクラ。あんな美少女と公園を一緒にお散歩なんて、東京やったら三十分五千円コースやわ。そして五年もしたらドッグ・銀座クラブ。一時間で二万五千円也。十年経ったらドッグ・不倫。人生捨てて逃避行」

「嫌な事言うなよ……」

「そうならないように言っただけ。多分今だけよ。天王寺さんも来年中学生でしょ。彼女の世界は今から大きくなるねんから。部活も始めるかもしれないし、恋愛もするかもしれないし、犬の散歩でおっさんと付き合う時間なんて無くなってくるわよ」

 確かに妻の言う通りだと思う。僕のこれからの世界は何も見えてこないが、天王寺さんの世界はいくらでも広がっていくだろう。

「そうなったらほんまに僕がミーちゃんの散歩に行ってあげよかな?」

「仕事をしてください。お願いします」妻は笑って言った。


「そういえば飛行機って言ってたな。どこ行くんやろね? 墓参りとは違うんちゃう?」僕は話題を変えた。

「そうやねえ。北海道やね。函館やろ……」妻はまた勝手な想像をしている。

「函館って僕らが去年、旅行行ったから勝手に言っとるだけやろ? 北海道やったらどう考えても札幌やん。新千歳空港やで」

「いや行けば解る。札幌の人やったら東京に出るけど、函館の人やったから、あえての神戸におるねん。函館と神戸は似てるから」

 確かに函館山の坂道は、神戸北野の坂道にそっくりだった。

「その発想は面白いけどね。坂道は南北逆やったけど。ていうか正確に言えばここは芦屋市やで?」

「ここは神戸市芦屋区でーす」妻はおどけて言った。

「そう思ってる人、ほんまにおるとは聞いた事はあるけど……」


「せやけどあなたが言ってた通り、ほんまにあの子ええ服着とったね?」少し落ち着いた妻は、思い出したかのように言った。

「せやろ。感心するねん。小学六年生でコーディネートしてるねんで。僕が小六の時は、アホなTシャツ着て短パンにビーサンやったわ」

「あんなええ服、どこで買ってるんやろうね? ちょっとええ服過ぎな感じもしたね……」

「前も言うたやん。芦屋大丸か阪急のガーデンズやないん? 後は子供服なんかはサイズが合わなくなるから、スマホのアプリで貰えるんやろ今は」

「あなたはおっさんやから解らへんのやろうけど、あれはかなり良い服やと思うよ? あんな服がスマホのアプリで出品されてたら取り合いになるよ」

「取り合いを制覇したわけや! お母さん凄いな……」

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