第22話 やったぜベイベー

 夕暮れの南芦屋浜総合公園は、遊具で遊ぶ子供やテントを張ってキャンピングを楽しんでいる夏休みの人たちで溢れていた。公園には若い緑の木々が立ち並び、遊歩道には細い川がゆるやかに流れて交差していた。南芦屋浜からは阪神高速湾岸線が北の頭上に高くそびえ、その後ろに芦屋川の河口があり六甲山がはるか遠くに感じられた。


 僕らは二頭のビションを連れて公園の中を歩いていた。七か月になるミーちゃんは、成犬のルーシーと同じぐらいの大きさになっていたので、知らない人が見たらまるで兄弟犬のように映るだろう。

「かわいいーあのワンちゃん達。もこもこや!」

「わたあめ二つ並んでるみたい」

「ホワイトモコモコや!」

「ビション二匹、凄いですねえ」

「ありがとうねー」妻はルーシー達への歓声を聞いて上機嫌な様子だった。


「悪趣味な散歩やね。わざわざ人の多いところに行ってダブル・ビションを見せつけてるんやろ?」

「そうよー。何か悪い? 天王寺さんいないねんから、これは私の嘘の散歩」

「どういう嘘の散歩?」

「そのまんまの嘘。ミーちゃんうちの子ちゃうけど、ダブル・ビション・オーナーの嘘。束の間のセレブ体験」

「成程ね。悪い嘘ではないな。ほな僕も参加します」

「ついでにあなたも嘘の仕事に行ってる人にしとこ! バリバリの銀行マン。束の間のお盆休みを満喫している企業戦士。普段は二十四時間働いてます。セレブ妻は大変」

「やっぱり君はおばさんや……」僕は言った。


 僕らは公園を南に歩き、南芦屋浜のビーチを眺めた。左右に伸びるビーチからは大阪湾の海が大きく広がって見え、何隻ものタンカーが浮かんでいるのが見えた。右手には六甲アイランドのコンテナ・クレーンが数多く並んび、左手の大阪側には遠くに咲洲庁舎のビルが霞んでいた。青い色を残す空には、巨大な夏の雲が浮かんでいた。

「ここの海は相変わらず広いね。この前の花火大会の日とは全然雰囲気が違うね……」

「ルーシーとミーちゃんは砂浜は駄目やで。夏の砂浜は夕方でもあっちっちやからね。芝生の上にいとこ」僕は水飲み場の水を与えながら、二頭の犬に語り掛けた。

「残念やね、ルーちゃん達。名犬ラッシーのシーンを再現できたのにね」

「名犬ラッシーに砂浜を走り回るシーンってあったっけ?」

「なんとなくよ。砂浜を走り回る犬って、いかにも映画とかに出てきそうなシーンやない?」

「確かにね。犬と砂浜を走り回る、少年の青春みたいな感じやね」


 僕らは砂浜手前にある公園のバーベキュー専用地を歩いた。あの花火の日、天王寺さんはここでバーベキューを楽しんでいたはずだった。

「ここからやったら、大阪はどのあたりまで見えるのかな?」

「あそこに見えるのが大阪南港の昔の貿易センタービルやね。関空までは見えると思うから、もう少し空気が澄んでたらあのあたりに、りんくうのゲートタワービルまでは見えるやろ」

 僕は芦屋から見える南側を指差した。大阪南部の山がかすかに白く浮かんでいた。

「対岸が見えるんやから広くても小さな海か。この前の函館の海岸通りから見た海は、怖いぐらいやったね。対岸が無いんやから」

「駅から湯の川温泉までのバスから見た海やね。北の太平洋は波も強そうやったね」

「本当の水平線ってなんか怖かったよね? 太平洋にひとりぼっちで漂流したら、どこを目指したらいいか分からなくなるわよきっと」

「そうやろうなあ……」僕は海を見ながら、もしかしたら今も天王寺さんが函館山ロープウェイからあの海を眺めているのではないかと考えた。天王寺さんは海に浮かぶ函館の夜景もとても似合うだろう。


「あなたが今何を考えているのか当ててみてもいい?」妻が尋ねてきた。

「ええやん。当ててみ」

「天王寺さんの事を考えてたでしょ?」

「やっすいクイズやね。誰でも当てれるで」

「やっぱり考えてたんや。あなた空返事やったもん。まあ別にええけど」妻は笑っていた。

「ほんまに函館なんかなって思っててん。函館やったら今日は函館山の夜景を見に行くのかなって」

「今頃ラッキーピエロでハンバーガー食べてるよきっと! うちらも今から六甲山の夜景を見に行かへん?」妻は言った。

「もちろん構わへんよ。今日は観光客多いやろうね」

「やったぜベイベー!」妻はあきらかにわざと言っていた。

「ほんまに君はおばさんや……」僕は笑って言った。

 僕らは二頭の犬達を連れて公園の駐車場へと戻って行った。僕らの背中の海からは、船の汽笛の音が長く響いていた。

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