第20話 キンキンに冷えたビアガーデン

「バーベキューの肉、めっちゃ美味しいわ。あなたも取ってき」牛肉のグリルを食べている妻が言った。

 僕らは芦屋のビア・ガーデンに来て、大きなパラソルの下にあるソファに並んで腰かけていた。夕闇の屋上庭園にはライブクッキング・エリアに炭火で焼かれる様々な肉の香りが広がっていた。僕は生ビールのジョッキを傾けて、勢い良く三分の一ほどを飲み干した。

「肉ももちろん食べるけど、最初はサラダとか食べたいやん?」

「あのねえ。こういうところに来たら、とりあえず単価の高いものから攻めるのが鉄則よ。あなたもご飯とかカレーとか絶対取ったらいかんで。すぐに食べられなくなるよ!」

「好きに食べさせてください。まあさすがに白飯はビールに合わないから取らないけど」


「私また肉取ってくるわ。あなたはどうするの?」

「とりあえず生ビール飲んどく。やっぱり缶ビールとは違うね」

 妻は立ち上がりバーベキューエリアに向かって行った。僕は妻が分けてくれた牛肉のグリルを口にしたが、やはり家庭のステーキや焼き肉では出せない味と香りだと思った。

「炭火はすごいね……」僕は一人呟いた。

「じゃーん。ビーフ、ポーク、チキンの肉フルコンボです。あなたも好きなの取ってええからね」妻は取り皿を見せつけてきた。

「ではありがたくチキンを頂きます」

僕は皿からチキンを受け取った。チキングリルは独特のスパイスの香りが漂っており、食欲を刺激される香りだった。


「でもこの建物ほんまにオシャレやね。来たかいがあるわ」

 芦屋のビア・ガーデンは戦前のレンガ造りの重厚感漂う建物を、現代風にリノベーションした造りになっていた。リノベーションしたとはいえ階段の角度や窓の大きさなど、建物の端々に当時の空気を残していた。

「そうは言うけど、僕が子供の頃はここはNTTの建物やったんやけどね。昔は電話の交換の取次ぎをここでしていたんやろう。電話線のプラグを差し替えたりとか。『となりのトトロ』の電話のシーンであったやん」

「なんでそんな建物をこんな立派に造ったんやろうね?」

「芦屋は電話の普及率が高かったからやろうけど、モダニズムの時代があったんやろうね。東京駅もレンガ造りで凄いし、神戸の海岸通りとかも石のビルディング多いやん。日本にもレンガと石の時代があったんよ」

「うちらが結婚式挙げた北野ホテルもレンガ造りやったもんね」

「あそこも建物自体はそんなに古くはないらしいけど、雰囲気良くできてたよね」


 僕は二杯目のビールをもらい、妻はソフトドリンクを受け取っていた。

「しかしなんか悪いね。君はビールが飲めないのにビアガーデンって。損した気分にならへんか?」

「だから単価の高いメニューを取ってるの。あなたはキンキンに冷えたビールで元を取るのよ。それにこれはこの前のリスグラ記念のお返し。あなたの仕込んだネタは最高やったよ。私にステーキを食べさせて、ティッシュ箱を目の前に置いたやん。笑いをこらえるのに必死やってんから」

「ありがとう。気に入っていただけたのなら幸いです」僕は笑いながら言った。

 二杯目のビールを飲みながら、天王寺さんの旅行とミーちゃんを預かる話をした。

「そんなんええに決まってるやん。ルーちゃんだけでもお金かかるし、多頭飼いなんて絶対無理やと思ってたけど、夢のダブル・ビションやん。やったぜベイベー」妻ははしゃいでいた。

「ほな構わないって言っといて大丈夫やね?」

「問題ナッシング!」親指を立て妻は言った。

「相変わらず古いセリフやわ。君はほんまにおばさんやね」

「あなたはおっさんでーす。ほんで天王寺さんとこはどこに行くん?」

「それ内緒やって言われたんよ。でもまあ、今度会う時にまた聞いとくよ」

「いやいやいや、やめとき。自分から言わへんって事は、あんま言いたくない旅行なんかもしれへんやん。おもいっきしお盆期間やし、実家の墓参りやで。シングルマザーしとるから実家に帰るのも、そんなに楽しいもんやないんかもしれへんで? 嫌って言ってたんでしょ天王寺さん。田舎の噂はすぐに広まるし、肩身が狭くなる帰郷なんよ。想像しただけでも怖いわ」妻は苦い顔をしていた。


「それテレビドラマとかではよくあるけど、ほんまなんかな?」

「あなたは生まれも育ちも芦屋やから解らへんねんって。私の田舎もひどいよ。だれが離婚したとか、誰が病気したとか、どこどこの子供が大学に落ちたとか、そんなんみんな知っとるもん。もう一瞬でさーってバイオハザード」

 バイオハザードと言われると、少し恐怖感が解った気がした。

「それは怖いな。ウイルス性の噂か……」

「うちらは子供おらへんからええけど、ママ友とかの世界もそんな感じらしいで。私の友達のなっちゃんとこも、親同士が旦那の職業とか年収とかみんな知ってて、なんかあったらすぐにバイオハザード」妻は腕を伸ばし、左右に振った。バイオハザードを表現したいようだった。


「もしかしたら天王寺さんとこのお母さんも大変なんかもな?」

「絶対大変やねんて。せやからあんたが言うように、ええ感じの服着せてあげてんねんて。ちょっとでもみなりを良くしてないと、下手こいたら娘がいじめられるかもしれへんからって、必死で守ってあげてるんよ」

「大変やな……」本当に難しい世の中だと思った。

「あなたは無職やから、言うたら無菌ルームにおるんよ。せやからお気楽に犬の散歩行ってられるのよ」

「解りました。聞かないでいときます。ミーちゃん預かる時、君も休みやねんから天王寺さんに会ってみる?」

「会う会う会う。最高や。ビションの美少女」


「しかし天王寺さんも野球が好きやねんね。お母さんが中森君のファンやって言ってたから、お母さんの影響かな?」妻のネタをスルーして僕は言った。

「それももちろんだと思うけど、この辺りの子供はみんな野球好きなんじゃないかな? 簡単に甲子園に行けるもん。阪神間の娯楽の王様甲子園。テレビでも子供のアップをよく映すよね」

「でも芦屋高校を甲子園に連れて行ってくれるってのは、さすがに無理やろうね。おかしな話、もし天王寺さんが豪速球を投げられたとしても、女の子は出られないし。マネージャーとしての努力で強豪チームが作れるとは思えないな」

「分からないわよ? 天王寺さんには秘策があるのかもしれない……」妻はにやにやしながら言った。

「どんな秘策なんかな? 面白そうやんその話」僕は聞いてみた。

「まず目を見張るような美少女。そして白いフワフワの犬を飼っている。これは野球漫画の定番コースよ」

「またマンガから入るんかい。ほな天王寺さんの家の隣に、豪速球を投げるエース候補の双子の幼馴染がいたりとかするんや」

「それは古い方よ。今は同級生の兄弟バッテリー。その前は野球愛好会を部に立ち上げるマネージャー」

「全くそれは秘策ではないですね。現実そんな同級生がいても、どっかのスカウトが引っ張っていくよ」

「そこを美少女が引き留めるのよ。『何々君! 私を芦屋高校で甲子園に連れて行って!』って感じで。あー天王寺さんに会うのが楽しみになってきた。どんな子なんやろ。ビションの美少女」

 妻のネタを僕は再びスルーした。

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