第19話 私を甲子園に連れて行って
八月に入った公園は夕方でもセミの鳴き声であふれていた。天王寺さんは相変わらず品の良さそうな服装をして、白い折り畳み型の日傘をさしていた。
「ミーちゃん、日傘大丈夫なん?」
「折り畳みのやつやったら棒が短いから、あんま怖がらへんこと発見してん」
「あーそういうことか。ほな僕も日傘さそかな。もうすぐ夜やっていうのに暑くてかなわへん」
「男の人もした方がいいってお母さんが言ってた」
「うちの奥さんも言ってたよ。紫外線は敵やって。女の戦いやってさ」
僕らは公園の芝生の上を歩いた。公園の中は木々の木陰や緑の芝のおかげか、公園の外よりかは涼しく感じられた。
「花火大会はどないやった天王寺さん?」僕は聞いてみた。
「凄かった。最後のアラジンのところめっちゃ良かった」
「あれは凄かったね。僕も見てたよ」
「先生は奥さんと見に行ったんよね?」
「そうやで。二人で歩いて行ってん。僕の奥さんも天王寺さんと一緒で、浴衣着て行ったんよ」
「先生の奥さんにも会ってみたいな……」
「それやったら今度連れてくるわ。先生の奥さんも夏休みがあるから」
西日は六甲山の後ろに隠れていたが、夕闇まではまだ時間がありそうだった。ルーシーとミーちゃんは伸びきった夏の草むらに飛び込んでは放尿していた。
「先生に頼みたいことがあるんやけどええかな?」
「ええよ。何でも言うてみ」
「今度お母さんと旅行に行くことになってん」
「ええやん。夏休みやもんね。最高の気分転換になるよ。どこに行くのかな?」
「それは内緒です……」天王寺さんは僕の顔を見て微笑んだ。
「内緒か。残念やな。まあ女の子には秘密が似合うよね」
「その間、ミーちゃん預かってくれたら嬉しいねんけど?」
「僕は全然かまへんけど、一応うちの奥さんにも聞いてみるから」
「解った」
「ちなみに日程は?」
「八月の十二日から十六日の四泊五日」
「了解。その日取りやったら大丈夫やと思う」
「ミーちゃん時間やったら十六泊十七日」
「犬時間やと半月いないことになるんやね。そう考えちゃうと旅行も行きにくくなるよね? 先生のとこもルーシーおるから旅行行きにくいねん」
「私も嫌。でもお母さんが先生のとこに預けたら、ルーちゃんもおるからミーちゃんそんなに寂しくないやろって」
「そういう事ね。それやったらなおさら、我が家で面倒を見させてもらいたいです。まあ任せといて」
「ありがとう」天王寺さんは微笑んだ。
あたりは夏の夕暮れの風が吹いていた。空は赤く色づき始め、断続的に続く薄い雲が浮かんでいた。
「そういえば甲子園大会、明日からやね。天王寺さんは見に行くのかな?」僕は聞いてみた。
「見に行く! お母さん、中森君のファンやねん」
「明石商業やね。今回はどこまで行くんやろうねえ。でも天王寺さん、夏の甲子園は暑さ対策をしっかりしとかないとあかんよ」
「考えとる。帽子とタオルとクリーム。あとな、ハンディ扇風機買ってもらってん」
「あの流行っとるやつやね。最近の女子高生とかは、みんなあれ持ってるよね」
「あの扇風機に凍ったペットボトルと甲子園の氷を合わせるねん」
「それは素晴らしい……。それなら是非とも中森君の勇姿を楽しんできてな」
「分かった。そんでな、終わったらキッザニアに行くねん!」
「それは甲子園の王道コースやな。ボールパークを満喫やね」天王寺さんの母も大変だろうと思った。確かに子供はお金がかかる。
「楽しみやわ」天王寺さんは笑っていた。
「天王寺さんにちょっと自慢話してもええかな?」夏の甲子園の話になると、どうしても人に話したくなる話題が僕にはあった。
「うん。聞きたい」この子の素直な笑顔が有難かった。
「先生の母校な、夏の甲子園で優勝したことあるねん」
「ほんまに! 凄いやん! 先生どこの高校行ってたん?」さすがの天王寺さんも驚いた様子だった。
「芦屋高校やで。四十三号線とこの高校」
「ほんまにほんまに! あそこの芦屋高校が甲子園で優勝したん! 嘘やないんよね。出るだけでも凄いのに。先生応援行ったん?」天王寺さんが珍しくまくし立てた。
「残念やねんけどね、応援は行ってないねん。実はそれは七十年ぐらい前の話なんよ。でも優勝したのはほんまやで。学校にトロフィーみたいなんや優勝旗も置いてあったし、甲子園球場のレリーフにもちゃんと名前が書かれてるよ」
「そうなんや。でもすごい!」
「その頃は中森君みたいなエースがいたらしいよ。でも今は絶対に無理やろうな。兵庫県は有力校が多いからね。まあ人生で一回ぐらいは甲子園で母校の応援がしたかったな」
「ほなな、私が芦屋高校に入って野球部を強くしたげる。私が先生を甲子園に連れて行ってあげる!」
「それは本当に楽しみやね。五年後ぐらいに期待してるよ」そのセリフは男の子が女の子に言う決まり文句だと思ったが、もちろん僕は言わなかった。
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