第12話 オードリー・ヘプバーンの帽子

 七月に入った夕刻の空には、まだ蝉の声は響いてなかった。その日の天王寺さんはカットが珍しい白いTシャツに青いロングスカートを合わせ、つばの広い僕には見たことのないような形の帽子を被っていた。

「その帽子、新しいやつなん?」僕は言った。

「お母さんが貰ってきてん」

「なかなか似合ってるよ。オードリー・ヘプバーンみたいや」

「誰それ?」

「昔の外国の女優さん」


 僕らは公園の木陰を探して歩いた。ルーシーとミーちゃんはお互いに慣れてきたのか、互いの臭いを嗅ぎあった後は適当な草めがけて放尿したりしていた。

「先生、個性って何なん?」天王寺さんが聞いてきた。

「またいきなりやね。学校の道徳の時間にでも話したん?」

 天王寺さんはうなずいた。

「いまだに学校ってそういう話をしたがるんやね」

「先生の時もあったん?」

「あった。確かね、君と同じ六年生の時。鉛筆を持ってくるかシャーペンを持ってくるかっていう話をした記憶があるわ」

 話しながら僕の時代の鉛筆は天王寺さんの使う鉛筆より、とても原始的な鉛筆だったような気がした。


「そうなんや」

「それでどんな話をしたん?」

「個性的ってどういうことか考えようって」

「その会話の中には、どんな意見が出たんかな?」

「何かね、お母さんが買ってきた服を着てるんは、個性的やないって」

「つまりそれは、自分の着る服は自分で選んだ服を着ている人の方が個性的って事かな?」

「そうやと思う。お母さんが買ってきた服着てんのはダサいって」


「天王寺さんが着ている服は、いつも素敵な服やと思うよ。君によく似合ってる。今日の帽子も昔の女優さんみたいやで」

「せやけど、お母さんが買ってきた服やし、貰ってきた帽子やもん」

「自分で選んだ服の方が個性的か。天王寺さんはお母さんの買ってくれる服は嫌いか?」

 天王寺さんは首を振った。

「でもたまに、ちょっとだけ好きじゃないの、ちょっとだけある時ある」


「ほなそれは自分で選んでるやん。お母さんが買ってきてくれた服の中から、自分の好きな服を選んでる。それは天王寺さんが決めてるんやで。十分な個性を発揮しとるで」

「そんなんで、ええの?」

「ええと思うで。何度も言うけど、君の服は君にとても似合ってるよ。可愛らしい。僕が子供の頃はそんなええ服なかったで。先生が子供の頃はユニクロもなかったんやから」

「そうなんや」


「ユニクロどころか、僕のお母さんが作ってくれた服とかもあったで。今思えばそれって凄く個性的な服かもしれないね。だってお母さんの作ってくれた服って、ほんまに世界に一つやん」

「めっちゃええやん」天王寺さんはうらやましそうに言った。

「でも嫌やってんよ。僕はお母さんの作った服着るの嫌やってん。今思えば悪かったと思うけど、三宮のそごうに売ってそうなええ感じの服着たかってん」

「そうなんや」


「君はお母さんの事好きやろ?」

 僕の質問には少し時間がかかるようだった。

「好きです……」恥ずかしそうな顔をして、天王寺さんは小さな声を出した。

「ほなきっとそれでええんやと思うよ。個性的や」

「でもそういうのは、あんま学校では言えへん」

「そんなもんや。僕もほんまはお母さんの作った服好きやってん。でもそれが恥ずかしかってんよ」

「先生もそんな時あったんや!」天王寺さんは嬉しそうだった。

「あったよ。お母さんの事が好きなのが恥ずかしかってん。ほんでみんなで集まって、鉛筆とかシャーペンとかのしょーもない原始的な話をしててん」


 ルーシーとミーちゃんは夕暮れの木陰の草むらに座り込んでいた。そろそろ蝉が鳴き始めるだろう。

「君はかわいいし、服も自分で選んでしっかりと似合ってる。完璧や。学校行ったら無敵やろ?」

 天王寺さんは少し考えながら言った。

「かわいいだけでも、あかんときあるねん……」

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