第6話 おじさんは普通の人?

 ミーちゃんと少女に出会って一か月が過ぎたころだった。

「変なことやねんけど、聞いていいですか……?」少女は突然聞いてきた。

「かまへんよ」

「おじさんは普通の人ですよね?」

「普通って聞かれると難しいな……。もしかしたら学校とかで言われる危ない人とか、犯罪とか悪いことをする人っていう意味なのかな?」そう思われているとしたら、何が原因だったのだろうと考えた。


「そんなんとはちゃうねんけど。ルーちゃんの事お母さんに話してたんやけど、ルーちゃん連れてんのどっちかっていうと若い男の人やって言ったら『若い男の人が毎日のように犬の散歩してるんは、あんま普通やない』って」

 この子に「まだ若い男の人」だと思われていた点は素直にうれしく感じたが、お母さんの言葉はいかにもだと僕は思った。

「成程ね。それはよく解る。お母さんは正しいことを言っとるよ」

「ほなやっぱり普通の人やないんですか?」

「そうやね、残念やけど。僕は子供はいないけど結婚はしとる。僕の家はね、いわゆるお母さんがお仕事をしてて、僕が例えば夜ご飯を作ったりお母さんを駅に迎えに行ったりしてるんよ。あとは犬の散歩をしたりしとる家なんよね」

「普通とは逆の家なん?」

「まあそんな感じで間違いやない。ほぼ正解やね。まあお仕事をしてへんダメな大人をしとるんよ。君のとこはどないなん?」

「うちはお母さんは忙しそうにしとる。お父さんは今おらへん」

 君のところもそこそこ普通ではないねと言いそうになったが、もちろんそれは言わずに黙っていた。悪いことを聞いてしまった。


「まあダメな大人やけれども、犬の散歩をしとるんよ。普通とはちょっと違うけど、多分学校で習う悪い人とかとは違うと思うよ。自分で言うのもなんやけど……」

「それは何となくそうやと思う。犬の散歩しとるし」

「でも犬の散歩してる人にも、もしかしたら悪い人もおるかもしれへんで」

「おじさんは大丈夫な気がする。ルーちゃんをめっちゃ可愛がっとる」

「そう言われるとありがたい」僕はルーシーに感謝した。


「ルーちゃんとミーちゃんのことやない話は初めてやね。そもそも君は今いくつなん?」

「小六です」

「小六で犬の散歩しとるんは偉いねえ。僕も小六の時に犬飼ってたけど、犬の散歩行くの嫌で、兄弟で誰が行くんか擦り付け合ってたわ」

「私には兄弟おらんから……」

「それはすまん」慌てて僕は言った。

「またいらんこと言うてしまったわ。ミーちゃんもごめんね」なぜかそう言うと僕は膝を折りミーちゃんのあごの下を撫でた。それを見たルーシーは僕の腕に飛びついてきた。


「ルーちゃん触ってもいいですか?」

「もちろんかまへんよ」

 近づいてきた彼女を見たルーシーは、正面から彼女の足へと飛びついていった。一度足へと飛びつき、そしてお腹へと二度飛びついた。

「すごい」

「ルーシーは筋肉ムキムキらしいからね。獣医さんに言われたよ」


「でもなんで仕事してへんの……?」

聞かれたくなかった質問を何気もなく突かれ、僕は心苦しかった。

「前はしていたんやけどね。一応ちゃんとした正社員で塾の先生しててん。数学とか。でも他の先生が集まらなくて教室を閉めることになってね。それで辞めてしまってん」

「そうなんや。ほな先生って呼んでええ?」

「それはやめてください。悪いけど今の僕は、君に教えてあげられるものは何も無いんよ。それよりも僕ら犬の名前しか知らんやん。君はなんていうの?」


「私は天王寺芽衣子です」

 一か月越しの自己紹介だった。

「天王寺さん。すごい良い名前やね!」

「たまに嫌。もっと普通の苗字が良かった……」

「僕は山中圭です。今は三十五歳です。ちなみに奥さんも同い年」

「ほな山中先生」

「それだけはやめて欲しいねん。現役の時もそうやったんやけど、それめっちゃ偉い人と被るんよ。いるんよ山中先生って」

「ほな先生ってよんでええ?」

「まあええけど。ほな君は天王寺さん」久しぶりに先生と呼ばれると嬉しかった。

「なんでさん付けなん?」

「現役で先生しとった時は、一応そうしとったんよ。でも公園で犬連れて先生って呼ばれるの、どうやろうか」

「なんかの嘘の先生になればええねん。習字とかそろばんとか」

「そういう事ね……」この子は言葉は少ないが、案外頭がいいのかもしれない。

「じゃあ次会う時までになんかの嘘の先生になっとくわ。あとお母さんにはよろしくね。ダメな大人らしいけど、犬の散歩が好きな人やったって」

「そう言うとく」

 天王寺さんはそのまま母に伝えるのだろうと僕は思った。


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