第3話 備品がお父さん
学校の備品に、恋をしてしまいました。
言い訳をさせてください。こんなんじゃなかったんです。こんなはずではありませんでした。
私(わたくし)、使用人の学校に通っています。今年卒業です。
何でもボタン一つでやれるような時代で、なんでまた人力で料理したり洗濯したりとおっしゃる人も多いでしょう。でもだからこそ、お金持ちにはそういう需要があり、そして私は同じ味でも手作りの方がおいしく感じるタイプでした。ですから周囲の反対を押し切って、この学校に入学したのでございます。
控えめに言ってなり手のいない業種の学校ですから、当然経費削減に熱心な場所でした。人間が掃除洗濯料理などを覚える学校なのに、教える方は全員がアンドロイドという、笑うに笑えない状況だったのです。人間の先生を雇うより、人件費というか、費用がとても安く上がるということでした。
あぁ。そうです。私が恋をしてしまったのは、その先生の一人、いえ、アンドロイドの一体、学校の備品の一つだったのです。
一目惚れではありません。私はそんなに安い女ではなくてよ。でも、なんというか、その、何度も教えられているうちに、手が触れたり、かばわれたり、よくできましたと言われたり、よくできているけど、ここはこうしたほうがいいとか、言われ続けるうちに、なんというか、私の恋心がやってしまったのです。
ええ、やってしまいました。花も咲かず実も生らない、分かっていたのにやってしまったのです。
いつの間にか洗練された動作の一つ一つを目で追いかけるようになり、視線が合ったら心浮き立ち、微笑まれたら一日ふわふわした気分でいることができました。
特に、声が、声がいいのです。低く、耳朶に残る、落ち着いた声を聞くたびに、妊娠したんじゃないかと思うくらいの感じでした。ええ、分かっています。私、だいぶやられています。
彼は、お茶の作法の先生です。どこか優しげな顔をされた、銀髪の紳士です。立派な口ひげを装備されていますが、時に取り外すこともあります。そういう時は急に若く見えるので、罪、を感じます。大いなる罪です。ちなみに罰はありません。
彼は、普段は節電のために、お茶の教室にあって座っておられます。眠っているように見えました。
私は誰よりも早く教室に行って、その隣に椅子を持ってきて、隣に座るのが好きでした。ただそれだけで良かったのです。これ以上はもう絶対駄目だと心に決めて、私は毎日を過ごしていました。
それを今、猛烈に後悔しています。なぜなら私は、明後日卒業なのです。
今、目の前で行われている授業が、最後の授業です。内心泣き叫びたい感じですが、できません。それをしたら、彼は少しだけ悲しい瞳をすると分かっているから。
完璧な仕草と完璧な温度で、彼は紅茶を淹れました。今日は私がお茶を淹れるのではなく、お茶を出される側です。一年生の最初の授業と同じことを最後にやって、私たちは卒業します。
涙が落ちてしまいました。すみません、すみませんとあやまると、彼はあの声で優しく言いました。
「毎年、泣く娘はいるんだ。大丈夫。変じゃないさ。それが人間のいいところだと思いなさい。たまにはそんな風に泣くこともあるだろうし、失敗することもあるだろう、だがそれがいいんだ。天気と同じさ。いつも晴れていたら嫌だろう?」
危うく愛を告白するところでした。それをしなかったのはただ単に、他の生徒もいた、というだけです。
授業は滞りなく終わります。彼は優しく微笑むと、私の顔を見て口を開きました。
「君たちにとっても最後の授業だが、実は私にとっても最後でね」
「どう、なされるのですか?」
「減価償却が終わってね。廃棄処分というやつさ」
聞けば今夜〇時に手続きがなされるとのこと。私は真っ白な頭で真っ青な顔をして、寮の自室に帰り着きました。私物を全部実家に戻した寮の部屋は、まるで他人の部屋のよう。
私はベッドの枕を濡らして少し眠ると、すぐに行動を始めました。
廃棄処分だったら、私が貰っても良いでしょう。彼を中古市場やゴミ捨て場なんかにはやりません。
私はとりあえず武器になりそうなものを全部持って、すなわち右手にモップ、左手に箒を持って敢然と学校の塀を乗り越えました。強奪する気満々です。三年通った学校ですもの、セキュリティホールの一つや二つは把握しています。
走って中庭に出ると、そこには彼が大きなサイドカーに跨がっていました。
「こんな時間にどうしたのですか」
私が尋ねると、彼は腕時計を見ながら口を開きました。
「それは私が尋ねたいところだ。ちなみに犯罪や、それに類する悪い事ならあと一分四〇秒沈黙することをおすすめする」
「……なぜ、でしょう」
「それまではこの学校の備品でね」
「それから後は、どうされるのですか」
「そいつは自由になってから考えるさ。あと一分先の話だ」
「死ぬ場所を選ぶとかでしょうか」
「壊れるまでは時間があるさ。その間に働いて整備費用を稼げばいいんだ」
彼はお茶を淹れるレッスンの時のように腕時計を指で何度か叩きました。
「さて、良い時間だ。それで君は何をするつもりだい?」
「え、いや、えっと、あのですね」
「いや、聞くのはよそう。君の不利になるようなことは聞きたくない」
「違うんですあの……」
私のものになってください、とは私は言えませんでした。自分の意気地のなさに嫌気がさします。バカです。駄目です。
「私のお父さんになってください」
実家に髪の毛が薄い実父がいるにも関わらず、私はそんなことを口走ってしまいました。先週一度実家に帰ったばかりだったので、娘の行いに父がどんな感じで椅子からひっくり返るかはだいたい想像ができました。
言い訳をさせてください。こんなんじゃなかったんです。こんなはずではありませんでした。ただ勇気がありませんでした。少し、いえ。かなり。
彼は片方の眉を上げると、いつもの授業とはちょっと違う笑顔を向けました。
「それは、いつも私の隣に座っていたのと関係するのかね」
「知ってたんですか! 節電されていたのでは?」
「いや、あれは単なる趣味さ。まあいい。乗りたまえ。本当は大きな犬を買って乗せるつもりだったんだが」
「お行儀良くします。負けないくらいに」
彼は口ひげを捨てると、ちょっと笑って、まあ行こうと言いました。
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