第13話 ぼくはたった一人の王子様
テレビ記者の向けるマイクに対して、レオくんはこう言い放った。ライオンの尻尾は彼の意思を代弁するかのようにぴんと立ち上がり、その顔つきは少年なのに雄々しい。
「『バケモノ』はぼくがなんとかします。ぼくにはそれができる。その力が僕だけにある。だからぼくには使命があるのです。『獣人委員会』の方々は敵に銃弾を打つよりも、住民の保護を徹底してください。」
「すごいね。ほんとにヒーローみたいだ。」
私が隣に座るレオくんに声をかけると、彼はふふんと鼻を鳴らした。レオくんはその大記者会見の後、私の家まで一直線に帰ってきた。おかげで大名行列みたいに付いてきたテレビ記者が、私にもマイクを向けてくる。私は何も答えられなかった。ただ愛想笑いを向けるだけだった。
柿原ユウコはポテトチップスを私の家のテーブルに置いて、むしゃむしゃ食べている。そのままニュースに耳を傾けている。
「でもレオくん。いいの?こんなでっかいこと言っちゃって。きみがピンチになったら、誰もきみを助けてくれないかもしれないんだよ?」
柿原ユウコは、ポテトチップスを一枚、袋の中でとびきり大きい一枚をレオくんに渡す。
「いいんです。これは僕の仕事ですから。」
その手でポテトを受け取ると、ライオンの尻尾が揺れる。
レオくんはもうどこに行くにもその尻尾を丸出しにしている。隠す必要がなくなったのだ。ライオンバッジも胸元にいつも付けている。最近はしきりにチカチカと点滅して光るようになった。一体どんな仕組みで光るのだろう。仕組みなんて本当にあるのだろうか。
私は深く考えない。
目の前に起こりつつあることがあまりにも眩しくて、目を瞑っていなければここにいることさえできないような、そんな気がする。
「バケモノ」退治は沢山の費用がかかるこの街の大事業だった。それを一手に引き受けて、さらにもっと効率的な手段で解決してくれる存在が、偶然この街にやってきた。
いや、多分二度目だ。ライオン紋の王子様はこの街に何故か戻ってきてくれた。
レオくんは『ライオン紋の王子様』の絵本に夢中だ。だってそれは先代の王子様がどうやって戦ったかの記録なのだ。彼にとっての教科書と言える。
昔は顔立ちの整った青年だったらしい。
絵本にもそう描かれている。
ライオンの尻尾は何故か描かれていない。
みんなの信頼を一手に受けて、ライオン紋の王子様は悪と戦う。敵は何故か星座がモチーフだった。その体には外骨格のように白い線が広がり、所々で星を示すかのように節くれだったようなふくらみがある。敵がどこからやってきたのかはわからない。いきなり地上に現れ出てきたのだ。ライオン紋の王子様がどこから来たのか。それは分かっている。まだ人々の呼ぶ名前のなかった王子様は、最初の『バケモノ』退治を終えると、天空の星々を指差して、ゾディアークのうちの一つ。獅子座から私は遣わされたと宣言した。
獅子。ライオン。百獣の王。
世界を救うにふさわしいその威容は、彼をカリスマめいた存在にした。
「あ、いけない。」
レオくんは絵本を読みながらあるページを私に見せてくる。ライオン紋の王子様は「バケモノ」が出ないうちに、人々に王宮を作らせて、その中で普段は優雅に過ごしていたのだ。レオくんはそれが許せないらしい。
「どうしていけないの。世界を救っているんだから、これくらいのことはして貰わなきゃ。」
「これじゃ王宮を建ててもらうために戦ったようなものです。かっこよくない。ぼくはもっとかっこいいライオンになるつもりです」
「どんなライオンになるの」
私は興味本位に尋ねた。レオくんの尻尾は私の質問に対して、それまでぴんと張っていたのにちょっと萎れて、でもまたすぐにぴんと張り直した。びっくり、はてな、びっくり。いじらしくも考えているのだ。
「ぼくは星を見つけて、それを掴みにきました。それを見つけて掴んでから考えます」
「星?」
テレビを見ていたユウコが振り返り、私は目を丸くする。彼はたまに脈絡のない発言をする。彼の中での秘密の論理が弾き出した答えであることは間違い無いのだが、彼はその論理の全てを明かしてはくれない。星。地球を含む、宇宙の間に散らばっている天体。この地上から見れば砂粒みたいで、でも本当は人間の手なんかより遥かに大きいものばかり。彼がライオン紋の王子様でも、こればかりは無理だろう。でも彼は頑張るだろう。宇宙空間の中でも、片手でダメなら両手で、両手でダメなら全身で捕まえようとするだろう。もしかしたらもっとすごいことをしてくれるかもしれない。私はぷっと笑いを堪えきれずに吹き出す。
「どうして笑うんですか!」
「だって、おかしいんだもの」
ライオンの尻尾をぶんぶん振って、レオくんはご立腹だ。自分の夢を実現不可能だと笑われたように感じたのだろう。彼はどうして怒るのか。それは他人に否定されたからじゃなく、自分だけは否定せずに信じていたいからだ。夢を、そしてそれを叶えられる自分自身の存在を。
「先輩。王子様を怒らせちゃだめです」
「ぼくは怒ってなんかないですよ」
「尻尾をぶんぶん振っていても?」
「からかわないでください。これは一種の高ぶりです。ぼくにはどうしようもないものです。」
動物的な衝動をこのライオンの尻尾は代弁しているのだろうか。ユウコはオレンジジュースの入ったガラスのコップをレオくんに手渡す。ストローがちゃんと挿してある。彼が飲みやすいようにと配慮されているためか。しかし、レオくんはそのストローをオレンジジュースから抜き取り、テーブルの上に置いた。
「ありがとうございます。でもぼくには、ストローは要りません。言ってくれれば自分でジュースもコップも、取りに行きますよ」
「おお。流石だね」
ユウコはまるで予期していたようにその言葉を返した。
レオくんはオレンジジュースをコップに口をつけて飲もうとする。でも流れてくるジュースは彼の空けた口には多すぎて、全て飲み込むことができない。口の端から水滴が流れて、彼の胸元へと流れていく。オレンジ色の流れ星。彼はシャツに染み込む冷たい感触に驚いたのか、びくりと体を震わせる。
「もう、溢さないの」
「ごめんなさい」
私はそう声をかける。
レオくんはそう恥ずかしそうに答えて、笑ってみせる。
「次は、もっとちゃんとやります」
ジュースひとつ飲むにしても、彼は全力らしい。誰かさんが彼のこの姿を見たら、同胞だと笑うに違いない。私はティッシュペーパーを一枚取り出して、彼の頬を拭く。シャツの染みは小さくて、すぐにも乾いてしまいそう。
「レオくん。君、もしかして」
ユウコが弾かれたように声を上げる。
「何でもないですよ。ユウコさん」
レオくんはその時ばかりは、強い声で返した。ユウコを見つめる目が、何故か鋭い。
彼が最初のインタビューを受けてから三日が経って、私たちはそれでも普段の生活を続けている。「バケモノ」は一日一度は必ず現れるようになった。昔は、二ヶ月に一度あるかないかだったのに、どうしてだろう。まるで、レオくんに倒して欲しがっているみたいに、ボコボコ出てくる。レオくんはその度に、笑顔で仕事に出かけていく。そして一瞬で「バケモノ」を倒すのだ。
ライオン紋の王子様がやってきてから、世界は変わってしまった。
連日のように現れる「バケモノ」に街の人々は恐怖する一方で、レオくんの到着と戦闘を心待ちにしているのだ。獣人委員会の統制力はますます下がり、予算はますます減少しつつある。戦闘機がいなくても、ライオン紋の王子様がいれば良い。人々の声は一つだった。レオくんはその声を決して誇らずにただ責任のように受け止めていた。
ふと思う。もしかしたらこれがこの世界の本当の姿であり、私たちはそれを見ない振りをし続けていただけなんじゃないか。変わってしまったのではなく、元に戻ったのではないかと。レオくんがやってきて、「バケモノ」と闘うことで、世界はようやく調和を取り戻したような気がするのだ。
彼がいて良かった。私はこの異常事態にも安心していた。
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