第9話 南天の、姉と弟

 レオくんと後輩の柿原ユウコを引き連れて、私はハンバーガーショップへやって来た。

 一昔前のアニメソングが掛かっている。懐かしい。でもどんなアニメのどんな曲だったかは思い出せない。


「私、この曲知ってます」


 柿原ユウコは得意げに言うと、その曲名とアニメ作品をすらすらと答える。まるで今まで準備していたように流暢で、私は目を見張った。アニメ作品の題名を聞くとああ、ロボットが出て来たっけと思い出す。今考えれば不思議なもので、あの頃のアニメではロボットが平気で宇宙に飛び出していた。やけに近未来をプッシュしていたっけ。


「宇宙の敵と戦うんだから、当然よね」


 現実に立ち戻って振り返ると、あの頃未来だと言われていた年代をもう十年も越してしまっている。それまでには残念ながら、宇宙からの敵も、巨大決戦兵器も出てこなかった。代わりに私たちの街では、忘れた頃に突然、街中に「バケモノ」が現れる。テレビの中で描かれていたような、正義が今現在営まれているかと言うと、そんなわけでもない。「獣人委員会」という正義の味方は予算で動いて、他人を怖がる「ノケモノ会議」は今もなお続いている。もしあの頃のアニメの登場人物が今の私たちを見たら、どう思うのだろうか。


 「ハンバーガーのビッグのセット二つ。ポテトはL。ドリンクもLでお願いします」


 柿原ユウコは私の奢りという言葉を信じてか、ハンバーガーショップで一番高いやつをセットで二つ注文した。レオくんは初めてのハンバーガーショップにまたも緊張してか、私のズボンの裾を掴んでいる。柿原ユウコがまだ怖いのかもしれない。彼女は私の知らない一面を持っている。小柄な体であえて大きなハンバーガーを食べようとすることも、私は知らなかった。でも先輩として見ると、なんとなく誇らしい。大きなハンバーガーを食べたらきっと、その分のエネルギーは彼女に蓄積される。そこからどんなことが生まれるのか。私は知らないからこそ嬉しいのだ。予測不可能なビック・バンだって起こしてくれるかもしれない。

 柿原ユウコは店員の『ご注文はお決まりですか』という言葉にちょっと口籠って、ちらっと後ろを振り返る。いや、視線はもっと下だから、レオくんを見ているのか。レオくんはその視線に怯えてびくりと震えた。百四十センチも背丈があるのに、これでは本当に子どもみたいだ。


 「お子様用セットひとつ追加で」


 そうして柿原ユウコは笑顔で注文し、子ども扱いされたレオくんは頬袋を膨らませる。


 「ぼくは『お子様』じゃないやい!」


 私は予感がした。何度も繰り返していると耐性がつくのだろうか。


 「こら!」


 私はまるでお母さんがわがままな子どもにするように、そのズボンの臀部、外れそうなボタンを叩く。ぽふんという音はしない。ライオンの尻尾も出てこない。そうか、こうすればいいのか。私は不可解への対処法を唐突に思いつき、実現したのだ。


 「痛い!」


 レオくんはいきなり尻を叩かれてご立腹だ。しかし少年よ。社会で生きるということは尻を叩かれることなのだ。シリウスさんならそう言って笑うに違いない。ついさっき会ったはずなのに、何故か彼の顔を思い出す。あの人はいい人だ、周りがどう思っていようとも、私だけはあの人の味方でいよう。あの人が重い本を何冊も運んでいたら、半分こして一緒に運んであげたい。


 柿原ユウコはぶっと吹き出したが、それでも笑い出すのを堪えた。そうしてこみ上げる笑いをなんとか飲み下す。笑うより、言いたいことがあるようなのだ。


 「先輩にこんなかわいい弟がいたなんて、驚きです」


 弟。その言葉を突きつけられて、私ははっとする。

 しかし事実なのだ。事実になってしまった。 ハナエが提出した住民登録の書類は間違いなく正式のものだ。私は今レオくんを、柊レオという全くの他人、いや超生命体を、南天獅子という名前で、弟に持っている。つまり、逆を言えば私はこの子の姉にあたる。お姉ちゃんなのだ。すっかり忘れていた。いや本能から、忘れようとしていたのかもしれない。


 「うわ、先輩顔赤いですよ。もしかしてそっち系の趣味、ありました?」

 「違うわい!」


 さっきレオくんが大声をあげたせいだろうか。その言葉が鼓膜に残っていて、その言葉遣いに惹かれてしまって、私は咄嗟に彼と同じような返答をする。吠えるようなその声はバーガーショップに響く。

 この子。レオくんはライオンの王子様。

 なら私は野生のメスライオンだろうか。

 ふと、無意識にピンと張り詰めた私の右手に、暖かい感触が添えられる。

 私ははっと気づいて、レオくんの方を見る。

 レオくんは何故か俯いて、それでも左手を私の方に差し出している。

 恥ずかしいけど言えないその意味を、私はちゃんと分かっていた。


 「ありがとうございます」


 私が彼の手を握ると、レオくんは呟くようにそう言った。

 ライオンのお姉ちゃんか。

 悪くはない、かもしれない。


 「悪いんだけど。今のこれ、写真に撮っていい?」


 柿原ユウコは携帯端末を取り出して、縦画面で写真を撮ろうとしていた。カウンターの後ろから、注文したビックサイズのバーガーのセットがまず一つ、運ばれてくる。

 「先輩に向かってタメ口はよくない」

 「私はレオくんに言ってるんですー。お姉ちゃんは黙っててくださいー。」


 レオくんは私の手を握り返すと、柿原ユウコを見る。


 「うわ、警戒心剥き出し。でもこれはこれで、かわいい!」


 シャッターを切る音、フラッシュの光。時代が変わっても変わらないその構造は、今はプライバシー保護のために使われている。

 伝わる体温が温かい。

 温かいのに、同じくらい恐ろしい。

 あまりに怖くて叫んでしまいそう。


 この手を永遠に離したくない。

 何故か私は写真を撮られる一瞬に、そう願っていた。

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