「ノケモノ会議」

遠影此方

第1話 名づけられた葉たち

 「しっかり大人になりなさい」

 

 母親の置き手紙は、仕送りの段ボールの上に、これ見よがしに貼り付けてあった。

 

 「余計なお世話よ」

 

 私は配達員の差し出した紙切れに自分の名前をサインする。

 南天カナコ。

 私の名前だ。

 そして、実印を押して、私は私を証明する。


 私たちは自律している。

 周囲に合わせて取るべき行動をとる。

 それは社会で生きていく上で基本的なことで社会に生きる人全てが保っていなければいけないコンセンサスだ。


 この世界にはルールがある。ルールの中で私たちは自由に暮らせる。他人の尊厳を傷つけない範囲で暮らせるように、あらかじめルールによって規定されている。


 ルールと言っても些細なことだ。

 生まれてから死ぬまで付き纏うけど、一昔前のSFみたいにがんじがらめなわけじゃない。

 朝起きて、食事をして、歯を磨く。高校の制服を着て、外に出かける。普通のことだ。

 わたしはこの生活に不満はない。


 学校に行く準備をする。小学校から大学まで統合された一貫の学校はこの日本国にたった一つしかない。この街では昔道路を走っていたらしい自動車も高速モビリティーもなくなった。騒音排気ガスゼロの空気は心地いい。通学鞄を持って道路に出るともうそれで通学は完了したようなものだ。学校まではまだ1キロメートルほどの距離があり、始業時間まであと30分ある。

 携帯端末を起動すると、道路との情報接続がなされ、目的地までのルートが表示される。

 到着は始業10分早めに設定した。

 道路は青いコンベアーで足を動かさずとも勝手に動き出す。20分で1キロだから時速3キロだ。頬を撫でる風が涼しい。

 この街の道路は自動で動くのが当たり前になっている。学校を中心にして伸びたコンベアーの往復路が家々の隙間を縫うように走り、この街の全生活と共にある。

 動くコンベアーの上をわざわざ走るのはエネルギーの無駄であり、通学中は携帯端末をちらちら眺めていられる。


 私がなぜこの街に来たのか。

 それはよく言えば、選ばれたからで、悪く言えば、貧乏くじを引かされたのだ。


 携帯端末には、今、私がいるコンベアー上に誰がいるのか、男女トイレの識別に使われるようなピクトグラムで表示されている。私以外に男が一人女が三人。普通は年齢などの情報はロックされているために閲覧できないが、フレンド登録すれば友達が近づいてくればその情報、名前や性別や年齢が端末上に映される。もちろんこれらも全て個人の公開設定に委ねられており、実際フレンド登録をしても性別と名前しか公開しない人もごまんといる。


 国民のうちで毎年、ランダムに数人から数十人が選出され、この実験都市に、秘密裏にそれぞれ家を充てがわれる。ニートも、大学教授も、億万長者も、学生も、年齢性別関係なく家に書類がやってきたら、深夜バスでこの街に連れてこられる。


 理由は一つ。『良識ある大人ではないから』だ。


 この街が日本国のどこなのか、私だけでなくこの街の全ての住人が知らない。


 『ルート合流地点です。速度変調はありません』


 携帯端末から音声がする。

 視線を端末から逸らし前を見るとわたしの青いコンベアーが途切れ黄色いコンベアーと合流しているのが見えた。そしてそのコンベアーに乗っているある人はわたしとフレンド登録をした仲だ。

 名前は泡草ハナエと言う。黒髪ショートヘアの私と違って、髪が長い。切れ長の目が印象的だ。

 私は青から黄色のコンベアーに乗り移る。

 ハナエは目の前で合流した私に驚きもせず、挨拶をする。


 「よう」

 「こんにちは」


 私もそれに応答する。

 本当は私は彼女と待ち合わせの約束をしていた。なのにその切れ長の目を見るとちょっと気さくな挨拶でもできなくなってしまう。ハナエの性格はとても温厚だ。私の勉強も見てくれるので面倒見もいい。悪口も大声も滅多に言わない。いいやつなんだ。でも私はその切れ長の目を何故か苦手に感じてしまう。どうしてもその目の奥を覗くことが怖い。何故かはわからない。


「昨日のことなんだ」


 ハナエはそんな私をいつものことと流して話し出す。私は相槌を返す。


「私が家でカエルを飼ってることはもう話したっけ。」

「うん。」

「そのカエルが無事卵を産んだことは話したっけ。」

「うん。」

「その卵が無事孵ったことは」

「聞いているよ。」


 ハナエは私の記憶がどれだけ彼女の認識と合っているかをまず確認してから話をする。そうした方が聞いている人が分かりやすいからだそうだ。私はそんな気遣いをする人間をハナエくらいしか知らない。


 ハナエはそれなら話せるなと言い、一呼吸した。


「おたまじゃくしって案外可愛いぞ。小さい生命がオレの作った箱庭でのびのびゆったり暮らしてる。気持ちがいいね。」


 ハナエはいい奴だが少し変わっている。弱いもの、小さいものを見るとそれを何不自由ない環境に置いてみて観察しようとするのだ。

 拾ったカエルをただ育てるだけではなく、繁殖させる。生き物ならばそれも観察対象らしいのだ。いつか彼女がコントロールできる範疇を超えないだろうか。私は彼女が捨て犬や捨て猫を拾わないか時々心配になる。


「私は自分でなんとかできる以上のことはやらないよ。そんなの拾った子にも悪いじゃないか。」


 ハナエは私の視線から感情を読み抜いたらしい。笑ってそう答えた。


「だからさ、カナコ。ちょっとあんたには悪いけど」


 ハナエはいきなりそんなことを言う。

 じっと見据えた鋭い目に映える虹彩はほの蒼くレンズ模様かはたまた小宇宙か。

 私はその蒼の奥にある黒い世界に吸い込まれるような気がする。


「お前の宿題はカエル飼育が完遂するまで見てやれない。これは私に課せられたミッションなんだ。」


 ハナエはそう言って私の目の奥を見やる。

 その時、ハナエの目の奥が私にも見える。


 ああ、これは折れそうにないな。

 強い意志を目の前にすると私はいつも後ずさってしまう。私の中にそこまで強い意志を感じられないから、もし意思と意思がぶつかった時に砕けるのは私の方なのだ。その事実にちょっとだけ戦慄してしまう。


「カナコ。もしかしてちょっと妥協した?」

 ハナエの視線は私をチクチク刺す。

 私はいたたまれなくなって視線を逸らした。


 『ルート合流地点です。速度変調はありません』


 その時私とハナエの携帯端末から音声が流れる。


 「私のルートはこの先学校まで一本道のはず」


 ハナエはすこし驚いている。

 無理もない。

 学校に向かうルーティンを何十何百と繰り返してきた私たちはいつ誰が合流するのかの大体の位置を経験で掴んでいた。これから先は誰とも合流せずに学校に到着する流れなのだ。

 昨日だって一昨日だって普段通りだった。

 つまり飛躍なしに考えれば、答えは一つだ。

 私たちの知らないルート合流者がやってくる。

 携帯端末を見ると何やら赤いルートが黄色いルートに合流している。

 赤。

 合流ルートの色は個々人で好きにカスタマイズして良いが、二つだけ「使ってはならない色」が存在する。

 黒色と赤色だ。

 黒色はこの街の警備団体が使う色であり、有事の際にしか出てこない。また黒色になったルートには安全性の観点から近づいてはいけない。

 次に赤色。

 この色は二つの意味合いを持ちどちらも危険なものと考えられている。

 一つはこの街特有の災害。巨大な「バケモノ」が襲来する時だ。「バケモノ」を中心にして街の一定区域が赤く染まるとルートも同じ色に染まり、立ち入り禁止になる。「バケモノ」とは何なのか。残念だけど情報統制が敷かれているために私にはわからない。でも街の中の「バケモノ」は赤いオオカミのアイコンで表示されるのでどこに居るのかはリアルタイムで監視できる。それと「バケモノ」はいつも街の縁あたりで出現するので、学校に通っていれば禁止区域に自分が巻き込まれることはない。

 ではもう一つ。この一本道に合流する赤いルートは何なのか。それはこの街の登録名簿リストに載っていない存在だ。この街に入るだけでも必ず関所で住民登録や旅行者登録が要る。それを掻い潜ってまで街にやってくることは不可能だ。


 「今日のニュースには『ノケモノリサーチ』は無かったはず」


 調べてみても最近一ヶ月の「ノケモノ」は0件だ

 ノケモノ。

 この街にある一つの浄化装置の結果であり暗部。「バケモノ」の元凶となる存在や危険物、犯罪者を「ノケモノ会議」に出席させて「ノケモノ」にする。「ノケモノ」となった存在はこの街の外へと排除される。排除された存在は「ケモノ」と呼ばれ、この街への再度侵入は不可能になる。

 数ヶ月前に一例がある。ある男子生徒が「ノケモノ」になったとインターネット上のウェブサイト「ノケモノリサーチ」に載っていた。どうやら暴力沙汰で「ノケモノ」認定されたらしい。「ノケモノ」は厳重に警備団体「獣人委員会」により監視されたのち、街の外部へと追放される。追放されないとどうなるか。「バケモノ」と呼ばれる怪物になる、とインターネットの噂では言われている。正体不明の怪物の、その正体を村八分した人間に押しつけて解釈するのは、理性的ではないと思う。 


 「バケモノ」の討伐とその解明、有事の際の保護活動などのため「獣人委員会」は作られた。予算に従って戦闘用無人ヘリコプターを飛ばし、出現した「バケモノ」の調査と殲滅を一手に引き受けている。「バケモノ」はミサイルで死ぬ。拳銃で撃たれれば死ぬのだ。しかし、「バケモノ」は死ぬと半径二キロメートル周囲に漆黒の内容物を撒き散らす。内容物は大気こそ汚染しない。しかし、その区域に何の対策もせずに一般人が足を踏み入れると、それだけで突然死してしまう。理由は分からない。猛毒なのかもしれないが、現代科学では解決のしようがない。獣人委員会の調査によると、黒い内容物は三ヶ月で消滅するらしい。科学的ではないが、どうやら経験則として明らからしいのだ。二年前は私のいるこの区域も「バケモノ」の襲撃に遭い汚染されたらしい。その明くる年に私はこの街にやってきたが、人々は普段通りの生活をすっかり取り戻していた。

 しかし、「バケモノ」が出現した区域の避難が完遂され人命が完璧に保護されても、生活や経済活動は三ヶ月の停止を余儀なくされる。少なくない打撃だ。「バケモノ」の出現原因が分からない以上、人々はその影に怯えるしかない。この街には黒色の建物はない。紛らわしいからと忌避されているのだ。

 しかしながら私たちは今その「ノケモノ」と対峙しようとしている。


「どうやって抜け出したんだ」


 ハナエの表情は硬い。

 携帯端末を取り出し道路操作画面を片手の親指で弄る。


『速度を時速10キロに上げます。急な変化にご注意ください。』


 ぐらりと揺れたと思ったら道路は今までの二倍以上の速さで流れ始める。

 よろめいた私の肩をハナエが掴む。


 わたしは道路の上で尻餅をつく。

 ふと興味が湧いて、流れる道路の後ろを振り返る。「ノケモノ」の姿なんて見たこともないのだ。興味がわかない方がおかしい。


「あ」

「ん」


 ハナエも振り返っていたらしく、私たちはばらばらに驚き同じ言葉を放っていた。

「ノケモノ」の情報を得て加速させた道路で逃げ出す私たちを見ていたのは、見るからに不審者ではなかったのだ。


「男の子だ」


 青と白の横縞服を着てズボンは茶色い。

 短い茶色の髪に茶色い瞳。

 胸には不釣り合いな金色のバッジをつけている。年は小学5、6年生くらいか。


 その子は私たちが怖がって逃げだしたことなど知らないのか、赤い道の縁に立ったままにっこりと笑いかけた。


「変な子。」

 私はふと呟いていた。ハナエはそんな私の声に驚き、こちらの顔を覗き込む。


「何、いきなり。」

「何でもない。新鮮な反応だなと」


 ハナエのその時の目はカエルを睨む蛇のようだった。

 怖い。

 いや、いい奴なんだ。

 だけどその視線が異様に鋭い。


『急速に接近する人物あり』


 携帯端末から声がする。

 でも急速に接近する人なんて一体どこにいるのだろう。

 私たちは危険を回避した。

 他の地点からまた別の合流者が来たのだろうか。

 しかしハナエはすぐにまたも振り返って道路の向こうをまっすぐ指し示した。


 さっきの茶髪の子どもが速度が変わった道路の上を難なく走っている。

 そしてここに向かってくるであろうことに私の理解はようやく追いついた。


 「正体が分からない以上、例え子どもでも容赦はできない。」


 ハナエは顔をしかめる。

 嫌な予感が私の首筋を伝う。

 ハナエは子供相手に「あれ」をやるというのか。

 ハナエの携帯端末を見ると既に画面は道路画面を映していない。赤い背景にオオカミを正面から見たレリーフが端末いっぱいに表示されている。

 ハナエの指先とあの子どもとの距離はもう数十メートルから数メートルにまで縮んでいる。


「南天!ジャッジ!!」


 ハナエが私にある符号を叫ぶ。

 ハナエの指先はあと数歩で子どもの額に届くだろう。

 ハナエだけであれをやるのか。

 私もそれに加担するのか。

 というかあれを私は一度だってやったことはないのだ。

 だが、それを深く考えるほどの猶予はなかった。

 指先を子どもに向け、符号を叫ぶ。

 ハナエの指が子どもの髪に触れた。


 「『ノケモノ会議』執り行います!!」


 ハナエの携帯端末の液晶。その赤い画面が、端末の枠を越えて、物理的境界を超えて視界の中を広がってゆく。あの少年はその赤い幕に隠されて見えなくなり、赤い膜は私の視界にある空を、街を、地上のありとあらゆる事物を侵食して削り取ってゆく。ただ目の前に狼の白い頭蓋骨のようなレリーフが広がる。

 人間個人が持つ現実は精々人間一人の視界に限定される。そのちっぽけな現実は私の不用意な宣言で赤く塗り潰されたのだ。ハナエの姿ももうどこにもない。白い頭蓋骨が私の目の前に拡大しつつ迫ってくる。


 「心配しなくていい、カナコ。それは仮面に過ぎない。この世界も拡張現実のまやかしだ。私たちの常識、その範囲内だよ」


 ハナエの声がどこからか聞こえてくる。


 「私たちは今から個を捨て、街のために動く群体の『ヒト』になる。『ノケモノ』を見つけ出し裁くために」


 狼のレリーフ、その眼に該当する空隙に私の視界は狭まってゆく。ついに視界の広さを取り戻した時には、私はその仮面と同一になっていた。体は動かない。舌先さえ自由にできない。私の全身が凍りついたような錯覚を覚える。目の前に広がる景色に驚いたわけではなく、見えない拘束が私を縛っているのだ。


 「ノケモノ会議」は仮想現実の中で行われる。見渡す限り赤い異空間に、九つの議席が宙に浮かぶ。議席は金色に装飾されている。

 視界が開けると、どうやら私はその一つに座っているらしかった。私の視線はただ足元に広がる世界を見下ろしている。高そうな赤い絨毯が敷かれている。絨毯の上で揺らめく被毛はまるで炎の揺らめきのようで、その上に呆然と立つ少年の足元から赤く燃え上がっている。少年の周囲は金色の真円が広がっているその周囲を業火のように取り囲んでいるのだ。浮遊している私たちには及ぶことのない炎。少年はその状況にほんの少しも狼狽えず、空中に浮遊する議席を見据えている。


 ヒト「ここはこの街のどこかにある。でもどこにもない空間だ。」


 ヒト「ヒトとケモノの間を判別する世界」


 ヒト「ここに参加した者はヒトであろうとケモノであろうと逃れることはできない」


 ヒト「それがこの街のルール、決まりなのよ」


 子ども「えっと、つまりメタな世界ってことですか」


 ヒト「やけに物分かりがいい」


 ヒト「物分かりがいいという次元の問題じゃないでしょ。なんでこのヘンテコ世界で平常心を保ってるのよ。」


 ヒト「子どもは適応力が高いと言うからのう。」


 ヒト「適応力の問題でもないと思います。」


 七人官一周しました。

 会議が始まります。


 議題 この子はヒト?ケモノ?ノケモノ?


 子ども「この部屋はどこもかしこも真っ赤ですね。そして皆さん白いお面をつけてらっしゃる」


 ヒト「その年で敬語が言えるのか!」


 ヒト「驚くことじゃないわ。一般常識よ。」


 ヒト「ヒトが懐柔されるわけにはいきませんよ。」


 ヒト「おお、すまんすまん。それで君、名前は何と?」


 子ども「柊です。」


 ヒト「柊。それは名字かね。柊くん。」


 柊「はい。それはぼくの名字です。」


 ヒト「名前は何でいうの」


 柊「柊、レオです。」


 ヒト「レオ。獣。獅子。ライオン。男の子らしい。」


 ヒト「そこを分析するんですか。」


 ヒト「まぁ違うだろうね。」


 柊レオ「皆さんのお名前は何というのですか」


 ヒト「私の名前は」


 ヒト「いや、この場ではヒトはヒトの名前を言ってはいけない。そういう決まりなんだ。」


 ヒト「すみません。」


 ヒト「危ないわね。次はないわよ。」


 ヒト「わしの名前はな」


 ヒト「もう!言ったそばから!」


 柊レオ「ここはどんな場所なのですか。」


 ヒト「ここは『ノケモノ会議』の会場で、裁判所であり、処刑台だよ。」


 ヒト「裁判所?それに処刑台?」


 ヒト「きみは知らないままヒトになったのか」


 ヒト「ほい切り替えて。さっさと決めて終わらせるぞい」


 柊レオ「決めるって何をですか。」


 ヒト「お前の処遇じゃ。」


 ヒト「ヒトか、ケモノか、ノケモノか。ヒトである我々が決めるのだ。」


 柊レオ「ヒト、ケモノ、ノケモノ。」


 ヒト「柊くんや、お前は住民登録したかのう。」


 柊レオ「何ですか?それ。」


 ヒト「いーやいや。ルートが赤くなってたんでしょ。だったらもう決まってるじゃないの。ノケモノよノケモノ。」


 ヒト「子どもをノケモノにするのかい」


 ヒト「じゃあ聞くけど、この子がバケモノにならない理由があるのかしら」


 ヒト「ノケモノもバケモノもよくわからないもんじゃな」


 ヒト「ノケモノがバケモノに」


 ヒト「きみはすこし黙ってるといい」


 ヒト「しかし反対意見は無さそうだ。」


 柊レオ「ノケモノになるとどうなるんですか」


 ヒト「森に追放される」


 ヒト「檻に入れられる」


 ヒト「獣に喰われる」


 ヒト「街に入れなくなる」


 ヒト「爪弾き者にされる」


 ヒト「愛されなくなる」


 ヒト「ヒトでなくなる」


 柊レオ「ぼくはヒトではないのですか。」


 ヒト「ヒトは我々よ。あなたは柊レオ。今はまだヒトでもなくケモノでもなくノケモノでもない。」


 柊レオ「ぼくはケモノではないのですか。」


 ヒト「ケモノは森に住み、もはやヒトとの関わりを絶ったノケモノのことだ。お前は柊レオ。それ以上でもそれ以下でもない。」


 柊レオ「ぼくはノケモノなのでしょうか。」


 ヒト「消去法で言うとそうなる。でも、きみは柊レオ。ひいらぎれおだ。六文字だ。」


 柊レオ「では、ぼくは誰なのでしょうか。」


 ヒト「誰でもないあなたはあなたよ。柊レオくん。」


 柊レオ「柊レオとは誰なのでしょうか。」


 ヒト「柊レオはきみではないのかい。きみではないのならば、柊レオとは誰なのか。」


 ヒト「きみはきみを知っている。私たちはそれを知っている。でも教えない。」


 ヒト「ヒトはケチなのさ。」


 ヒト「ケモノは欲張りじゃ。」


 ヒト「ノケモノは救いようがないわね。」


 ヒト「さて、きみは毛深いのかい。」


 柊レオ「毛深いとはどういうことですか。教えてください。今度はこっちから聞きます。あなた方ヒトとは何なのですか。」


 ヒト「毛深い。」

 ヒト「毛深い。」

 ヒト「毛深い。」

 ヒト「毛深い。」

 ヒト「毛深いのう。」

 ヒト「毛深い。」

 ヒト「えっ…えっと…」


 柊レオ「ねぇ。毛深いってなんですか。」


 ヒト「早くしろ!」

 ヒト「けっ、毛深い!」

 ヒト「柊レオ。処遇を言い渡す。きみは「ノケモノ」だ。森に帰るがいい。」


 柊レオ「やはりそうですか。邪悪の根源はヒトなのですね。」


 ヒト「お集まりの皆々様、決議を以って厳正な判断とします!この街の平和のままに!」



 柊レオ 毛深い認定により

「ノケモノ」とする


「ノケモノ」にする。

 その宣告と同時に彼の周囲を覆っていた金色の円は赤い炎に侵食されてゆく。彼は何故か私の方向をじっと見つめている。問い質すようにも、懇願するようにも見えるその眼は、これから排除される存在にしてはあまりに純朴に映る。金色の真円が完全に消え失せると、絨毯の上で燃え盛る炎は柊レオの体を包み込む。仮想現実なのだと分かってはいるが、私はその光景に中世の火刑を思い起こさずにはいられなかった。赤い炎のヴェールの中で、少年はまだ私を見ている。その茶色の眼光は何かを訴えている。私は耐えられなくなって目を逸らす。彼は全くの他人なのだ。住民登録もしていないただの子どもなのだ。正式な手続きさえ踏んでいればこのようなことにはならなかった。これは彼の過失なのだ。私が一体何の後ろめたさを持つべきだというのか。


「貴方もまた『毛深い』のですね」


 柊レオは誰に向けてか、そのように呟く。私が視線を戻した頃には、その姿はもう残っておらず、見下ろした先には絨毯の中で仮想の炎が燃えているだけだった。


「起きて。カナコ。会議は終わった。閉会したんだ。」

 閉会。

 その言葉を聞いてゆっくりと意識は戻ってくる。

 目の前にいたはずの子どもの姿はどこへともなく消えている。

 黄色いコンベアーはゆっくりとした速度で動いている。

「ハナエさん。私はあの会議で何をしたんですか。」

「よくあることだ。もうすぐ始業だ。遅れてはいけない。」

 私は倒れていたのか。

 ハナエに助け起こされる。

 コンベアーの上に立つ。


 ヒト、ケモノ、ノケモノ。

 そしてバケモノ。

 この街はハイテクによって作られた世界のはずだ。

 あの空間は何だったのか。

 朦朧とした頭の中では何一つ整理がつかない。


「ハナエさん。毛深いって何ですか。」

「毛深いってのはノケモノだよ。」

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