第45話 孤独(3)

エレベーターホールでは大西が待ち構えていた。

美咲は考え込みながら父の部屋を出て来た。

(『混沌の杖』…か。調べてみる価値はあるわね。

お父様とバーン先生の接点。

このあいだのクリスマスに調べさせた資料にあったこと。

それが『混沌の杖』だとしたら…)

再びエレベーターに乗り込んだ。

「_____大西。」

「はっ、」

「大至急調べてほしいことがあるの」

「はい、お嬢様」

「どんな手段を使っても、どんなにお金がかかっても構わないわ。全世界の本条院グループのネットワークを使って次のことを調べて頂戴」

「『混沌の杖』と呼ばれる組織の実態とお父様との関係。それと、____オッド先生と葛巻先生が『混沌の杖』にどう関わっていたのか…を」

「はい」

「期限は3日。よろしくて?」

「善処いたします」

大西は深々と頭を下げた。

そこまで言って美咲は初めてエレベーターの鏡面になった壁に映る自分の姿に目をやった。

顔も髪も服も埃だらけだった。

服は所々破けている上に血も付いていた。

臣人の血だった。

その血に、そっと触れて今日あった出来事を思い返した。

綾那と夏休みのひとときで楽しい時間になるはずだった。

自分の中では数少ない楽しみの一つ。

それが、命のやり取りにまで発展してしまった。

「ひどい格好……ね」

独り言をつぶやいた。

(綾……。こんな世界で、これからの私は生きていかなくてはならない。

嘘ばかりの世界で。駆け引きばかりの世界で。

そのこと知ったら、あなたはどうしますか?)

綾那の笑った顔が浮かんだ。

今日も心配して駆けつけてくれた彼女。

こんな自分でも彼女は来てくれる。

(私を叱ってくれる?それとも見限ってしまうのかしら?

それでも、

それでも私はあなたの友達でいたい)

「これは本当よ…」

美咲は寂しそうに鏡に映った自分に微笑んだ。



同じ頃。

赤い車がとあるマンションの前でとまった。

「送ってくるけん、ちぃっと待っとれ」

「あ、はい」

臣人はそう言い残すと運転席のドアを開け外に降り立ち、助手席に回ってドアを開け、榊の手を引いた。

差し出された手にはハンカチがきつく巻かれていた。

臣人のケガを綾那が見るに見かねて巻いたものだった。

出血は止まったものの、血まみれになったハンカチは見るからに痛々しかった。

乾いた血が変色し、どす黒くなっていた。

その手を気にする余裕も榊にはなく、憔悴しきった表情だった。

「すみません…」

足取りも覚束なく、危なげな彼女を臣人が支えながら建物の中に消えた。

外はもうすっかり暮れて暗くなっていた。

車の中には鳳龍独りが残された。

ぼんやりと外を眺めていた。

窓に映る自分の顔を見てから、景色の方へと視線を移した。

街の灯りとそれを空に映す明るさとが相まって昼間のようにも見えた。

この車にバーンは乗っていなかった。

正確には乗ってこなかった。

鳳龍はため息ともなんともつかないものを漏らすと目を閉じた。

今日一日の出来事をもう一度振り返ってみた。

(___まさか、こんな事になるなんて思ってもみなかったな)

長い長い一日だった。

あのあと綾那は美咲に付き添って行った。

おそらくは執事の大西が綾那を寮へ送ってから、美咲を本宅の方へと連れ帰ったのだろうと思った。

美咲も大きなケガはしていないものの、精神的にも肉体的にも疲労していることはわかっていた。

ここ2日間ほど休めば、回復するだろうと思った。

(手紙を届ければすむはずの仕事が、ここまで不測の事態を産むなんて。

今までにない展開だよな。

お師匠様はどうしてぼくを臣人さんやバーンさんの所へよこしたんだろう?

その事が今回のことを引き寄せたのか?

それとも?

『混沌の杖』ってなんだろう?何の関係もない美咲さんが巻き込まれた?

彼女自身か家族の問題で事が起こったのか?

…難しい判断だな…)

ふと目を開けて、窓の外に視線を向けた。

20階ほどもある大きなマンションだった。

街の灯りを受けてぼんやりと茶色の煉瓦のような外壁が見えた。

(____臣人さん…)


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