第35話 羽根(1)

榊を見ていたバーンが視線を上げた。

二人で話しているあいだも目の前にいる邪悪な影はなんとかして彼女を手に入れようともがいていた。

叫びとも悲鳴ともつかない恐ろしい声が途絶えることがなかった。

「オッド先生?」

そんななか決心したように彼の顔を見た。

「どうしたらいいの?」

バーンは厳しい眼をして話し始めた。

「本当に君が解放されたいのなら…君自身がそれを決め、願わなければならない」

「決める?」

静かにうなずいた。

「このまま再び彼を取り込み、一生、彼に怯えながら暮らすか?それとも……」

バーンが再び榊の目を見た。

彼に見つめられると不思議な気分になった。

あんなに恐ろしいと思っていた統の存在がそうではなく感じられた。

これも彼の魅了眼なのだろうか。

彼の金色の瞳に吸い込まれそうだ。

「彼のために、天界の門…を開かせるか?」

バーンは二つの方法を考えていた。

榊にも言ったが力尽くで彼を引き剥がし、力で吹き飛ばしてしまう方法。

これは時間がかかるが彼は再び彼女のもとに戻ってくる可能性が高い。

もうひとつが天界の門を開かせ、浄化するという方法。

これは宿業カルマの道をも断ち切ろうとするものだ。

(天界の門?それって天国のことなのかしら?

死んでるんだから当たり前か…)

「彼は……」

「ん?」

「苦しむ?」

「…………」

今の彼女はバーンの知っている榊ではないような気がした。

部活の厳しい指導で見せるあの表情ではなかった。

本当に儚げで、今にもまた泣き出しそうな潤んだ目で彼を見ていた。

だが真実は告げねばならない。

真実は曲げることはできない。

「自分の欲望のためにを傷つけた報いは…受けなければならない」

「報い……」

また一段と榊の声のトーンが落ちた。

「ああ。」

バーンは静かに眼を閉じた。

「それから、どうなるの?」

小さな声で聞き返した。

バーンは彼女にもなるべくわかる言葉を選んで説明しようとした。

「天界の門をくぐることができれば、彼は浄化される。欲望も…記憶も…人格も…何もない真っ新な状態になり、すべてを消去される。…そして、また、スタート地点に立てる」

「…………」

「こんな、」

ここまで話してから、バーンは再び黙り込んだ。

彼女は現実主義者だった。

そこを思い出して心配した。

「こんな話……信じられる……かい?」

榊は唇を噛みしめた。

「わからない」

「…………」

「本当かどうか…わからない」

自分が思ったことを素直に口にしていた。

否定的ではなく、自分の心でよく考えていた。

「でも、嘘ではないと思う。オッド先生が嘘を言うはずないですから」

「…………」

(本当にそう思っているのか…?)

そんなことを思いながらまじまじと榊の顔を見た。

この間とは違って彼女の目は疑惑には満ちていなかった。

彼の言っていることを事実として受け入れていいものかと迷っている気持ちが半分。

しかし、もう半分は彼が言うことならばおそらくは事実なのだろうと思っているのだと知った。

「ありがとう…」

「え?」

榊は驚いて目を見開いた。

なぜ彼が礼を言うのか予測できなかった。

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