第30話 傷痕(3)
「自分の意志で、自分にできることする……」
何かが吹っ切れた。
そんな表情だった。
臣人も初めて見る顔だった。
こんなバーンは見たことがなかった。
「そう…思う」
こう言うと一度、眼を閉じた。
そして、意を決したように彼の名を呼んだ。
「臣人」
「!」
「手伝ってくれるか…?」
臣人はニヤッと笑った。
「あったりまえやろ!何、スカしたこと抜かしてるや!!」
そう来なくっちゃという顔をしていた。
今までのバーンは罪悪感に嘖まれながら術を使っていたはずだ。
彼の不思議な『力』が不幸を招くと信じていた。
彼の魅了眼の『力』がラシスを殺してしまったと思い込んでいた。
そのバーンが自らの意志で初めて『力』を使おうとしている。
「そういうことなら全面!バックアップや。やりたいようにやれやぁっ!」
心なしかバーンが微笑んだように見えた。
随分長い間一緒にいるはずの臣人もドキッとするほどのいい表情だった。
そんな顔に見とれている暇もなく、ハタと置かれていた状況を思い出した。
自分の背後にただならぬ気配を感じ、身を翻した。
何かが急スピードで彼らに向かって突進してきた。
ブン…っと空気が振動する音が聞こえた。
それにいち早く臣人が気づき、衝突する寸前に紙一重で避けてみせた。
武術をやるだけあって素早い反応である。
「礼、言う前に、前見ぃ!ボケッ」
恥ずかしさを大声で隠して見せた。
バーンはありがとうの言葉を飲み込んだ。
穏やかだった彼の表情が一変した。
緊張感がみなぎる本業モードになった。
コンタクトレンズをつけたままの右眼、魅了眼が異様に光り輝き始めていた。
「二重に…結界を張る」
「応さっ!」
臣人は数歩下がって、即座に『息吹』の動作を始めた。
両手を胸の前で合わせ、丹田に意識を集中させる。
身体中の気が巡り、回ってくるのがわかった。
バーンも左手で何かの印形を空に描き始めていた。
「榊先生の身体から離し、招霊したら、俺とお前の結界のあいだに閉じ込める…」
「OK。あとは、いつも通りでええな?」
「すまない…。外の結界を……頼む」
「おぉ。気にせんでやれ。こっちは任せとけや」
バーンは深呼吸をひとつした。
左手を前に出すと人差し指と中指の二本を立て、手の甲を外側に向けた状態で魔法陣を周囲に巡らせた。
「Ol Sonuf Vaorsagi Goho Iada Balata. …Lexarph, …Comanan,.. Tabitom. Zodakara, eka; zodakare oz zodamram. Odo kikleqaa, piape piaomoel od vaoan….」
呪文を口にするのと同時に、辺りは金色の光に包まれた。
それとほぼ時を同じくして、臣人も真言を唱え始めた。
「ノウマク・サバラ・タタギャティビャク・サラバ・ボッケイビャク・サラバタ・タラタ・センダ・マカロシャダ・ケン・ギャイギャキ・サラバ・ビキンナン・ウンタラタ・カンマン…」
その言葉に導かれるように紅蓮の炎が臣人の背後から現れた。
すべての穢れを焼き尽くし、浄化する不動明王の炎だ。
炎の結界が渦を巻くようにバーン達を覆っていった。
その炎と金色の結界に挟まれるように何かがそこにあった。
嫌な空気をまとった何かが彼らのそばにいた。
彼らの様子をうかがっている何かの気配がした。
赤い炎に照らし出される邪悪な影。
そこにあるはずのない影が炎に映し出されていた。
バーンも臣人もその影を睨み続けていた。
臣人は横目でチラッとすました顔でバーンの肩に座っている黒猫をみた。
「こらぁ!アニス、ちっとは手伝わんかいっ!」
「なんでご主人様でもないのに、私に命令するんですか」
さも不服そうにアニスが臣人を睨んだ。
「くぅぅ~この期に及んでぇかわいくないなぁ」
バーンは榊を抱いたまま彼女の名を呼んだ。
「…アニス」
「はい!」
姿勢が正されるように背筋がピンとした。
アニスはその影を深紅の瞳でじっと見据えた。
「………」
バーンは臣人の言うとおりフォローしろと無言で指示した。
アニスはバーンの命令には絶対服従なので、臣人に言われた時とはうって変わって、嬉しそうに報告を始めた。
「状況報告。相手は5年ほど前に事故で他界した男性の霊と識別されます。その後、浮遊霊となって未練があったこの女性に自分がつけた傷を通して取り憑いたものと思われます」
「事故死したんやら、普通は地縛霊やろ~ぉが」
「変な横やりを入れないでいただけます?私はご主人様に報告しているんですから。もう~」
「いちいちつっかからんでもええやろ!」
「外野ぁ~、うるさいですよ」
「で、その浮遊霊化したヤツの名前は?」
臣人の問いにアニスが口を開こうとしたその瞬間、バーンが呟いた。
「櫛田
びっくりして深紅の瞳がさらに大きく見開いた。
「マスター!どうしてそれを!?」
「当時25歳…。T音大4年生……」
彼の右眼はそれを見抜いていた。
当時、榊が見たであろう彼の姿がはっきりと右眼に映っていた。
(見えてるんやな。バーン。
この元凶がはっきりと)
「バーン、」
その声の方を彼は見た。
臣人の顔がやる気になっていた。
「ほなら、いっちょ、気合い入れてやりまっか!」
こくっと確かにうなずいた。
それを見て臣人もうなずいた。
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