第10話 誘拐(1)

「バーンっ!」

と、閉じかけていた扉が勢いよく開いた。

息を急ききって臣人が音楽室へとなだれ込んできた。

調理室と音楽室は同じ校舎の同じ階にあるのだ。

椅子に座ろうとしていたバーンとそれを勧めていた榊の姿が飛び込んできた。

「………?」

「おっと。こりゃ、お取り込み中だったかいな?」

臣人はニヤニヤとしながら様々な憶測を想像した。

「冗談はさて置き、探したでぇ」

そんなことをしに来たのではない。

本来の目的を思い出し、表情が一変した。

いつもおちゃらけモードの臣人がマジな顔をしている。

ただ事ではないと悟ったバーンは聞き返した。

「……どうした?」

「緊急事態や」

「?」

一度、深呼吸をした。

「本条院が誘拐されたらしい」

「!?」

(…誘拐だと?)

臣人の言葉に二人とも一瞬言葉を失った。

にわかには信じられがたい状況であった。

「どういう事ですか?」

一際甲高い声で榊が臣人に詰め寄った。

「どうもこうも。まだ、わいも事情がよく飲み込めてへんさかい」

両手を前に出し、まあまあとなだめるような仕草をして見せた。

「誰からの…?」

「わいの携帯に直接、劔地からやけど」

手に持っていた携帯を彼らの方に見せた。

直電を受けて、大急ぎで走ってきたのだろう。

調理室と音楽室は同じ4階にある。

そう、目と鼻の先なのだ。

「…………」

「あいつの方がパニクってて、事情がようわからへん」

「場所は?」

「今日は外出日やさかい。二人で買い物に出て、街なかのSTC shop にいたらしいでぇ」

「…………」

バーンは考え込んだ。

美咲は有名企業グループの跡取り娘。

金目当ての誘拐なら考えられなくもないのだ。

「もっと…情報が……欲しいな」

「どないする?」

「劔地は?」

「まだ、その場所におると思うが」

「他には……誰か?」

「ああ、大西はんがいるらしでぇ」

現場に行って情報を集めた方がいいと判断した。

彼らは霊能者だ。

不思議な力を持っている。

そこに残っている思念を追って、居所を突き止めるという普通人にはできない方法も切り札としては残されている。

「…行くか」

「ほな、わいの車で」

二人は足早に音楽室を出ていこうとした。

それに置いて行かれまいと榊も意思表示した。

「わ、私も行きます!」

「榊先生は止めた方がええんやないか?何が起こるかわからへんでぇ。こないだぁのこともあるし」

「でも、生徒の身の安全が不明なのを知っていて、手をこまねいているわけにはいきません」

「そやけど、」

「…………」

「一緒に行きます」

声を荒げるわけでもなく、しかしきっぱりと言いきった。

「言いだしたら聞かない……な」

独り言のようにバーンが呟いた。

誰かの面影を榊に重ねていた。

彼女も自分の思ったことは即行動に移すタイプだった。

「え?」

思わず聞き返してしまったが、答えが返ってくるわけではなかった。

臣人はため息をついた。

榊がこんなことを言い出すとは思ってもみなかった。

ちょっと國充に言われていた件を心配し始めた。

心のどこかで何かが引っかかっていた。

『「銀の舟」が動き出しておる。もっとも、今は「混沌の杖」というらしいがの。』

(まさかとは思うが、用心に越したことはあらへんからな。

特に、バーンには…)

「臣人、携帯」

急に声をかけられた気がした。

そうではなかったのだが、いきなり現実に戻された感が強かった。

臣人は持っていた携帯をすぐバーンに放った。

「ん。何、すんや?」

受け取って開くと電話帳の履歴からボタンを押した。

「テルミに電話……」

「?」

「保険をかける訳じゃないけど…一応な」

「?」

プルルルル。プルルルル。

コール音が2,3度聞こえた。

受話器の向こう側が出ないのを確認しバーンは小声で言った。

「………アニス」

その名を聞いて臣人は『なるほど』と思った。

バーンは魔術師だ。

何か術を成そうとするなら使い魔が先駆けをするのは当たり前といえば当たり前だ。

「そういうことかいな。ま、連れて行けば役には立つわなぁ」

臣人の言葉が言い終わるか終わらないうちに榊は目を疑った。

いつのまにか黒い子猫がバーンの肩の上に乗っていた。

深紅の瞳で榊の方を見ていた。

「!」

(一体どこから来たの?)

目をぱちくりさせる榊の目の前を臣人の手が行ったり来たりしていた。

「榊せんせ~大丈夫でっか?」

(アニスのヤツ。榊先生に魅了チャームを使ったな。)

「はい?」

惚けた顔で臣人の顔を見ていた。

紅潮している頬がなんとも艶めかしい。

大きく開いたシャツの胸元から大きく深い谷間が見えた。

ちょっと生唾ものだ。

「こんなんで驚いとったら、いくら意気込んどってもわいらには付いてこれへんでぇ」

「葛巻先生ぇ?」

「思い直してここで待っとったらどうでっしゃろ?」

危険なことも起こるかもしれない。

臣人としては彼女をここに残していきたかった。

それはバーンも同じだった。

「…………」

榊は意識が身体から抜けてしまったような感覚に陥った。

頭を数度振り、気を取り直した。

「いいえ!そんなことありません!行きます!」

どうやら決心は変わらなかったらしい。

アニスは「みゃあ」と鳴くと尻尾を振るとバーンの頬にすり寄った。

大きな手をアニスに差しのべると頭を撫でた。

「…行こう」

そう言うとバーンは音楽室を後にした。

「ちぃと気は進まんが、仕方ないかぁ」

臣人もあとを追った。

「私が行ったら迷惑ですかっ」

不満げに榊も彼らに続いた。

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