第20話 血の祭り(その3)

 警察での検屍を終えた杉戸松五郎、若林、そして源太郎の遺体は、夜半過ぎになってようやく、杉戸組へと戻って来た。

 しかしその扱いはぞんざいであった。

 戸板に寝かされ粗末なムシロを掛けられ、トラックの荷台に乗っけられて、戻って来たのだ。

 同行してきた初老の警官は、杉戸組の玄関先で、検屍結果を早口で読み上げた。

 苛立ちとビクつきが一緒になったようなその態度からは、早くこの役目を終えたいのがありありと見て取れる。

「杉戸松五郎と若林勘二両名は、杉戸源太郎により、その所持する短刀によって刺殺されたものと推定される。また、杉戸源太郎は杉戸松五郎により、その所持する短刀によって、刺殺されたものと推定される。死因はいずれもその傷による失血死である。以上。なお運搬費用は、トラック使用料、ならびにその他手間賃を後ほど別途請求するものである。戸板、ムシロは無料で下げ渡すものである。では、これにて」

「そんなバカな」声を上げたのは平之助だった。「そんな結果はあり得ない。もう一度調べてくれ」

 だが警官は平之助の言葉は無視して、さっさと玄関先に止めたトラックに乗り込み、エンジンを掛ける。

 平之助はそのドアに取り縋って叫ぶ。

「僕は見たんだ。舟を漕いでいた船頭が犯人だ。そいつを捕まえてくれ。いや、そのウラにはきっと、竜宮寺大助や、村長や、そう、警察署長だって…」

「うるさい、黙れ」顔見知りのその初老の警官は、怒鳴って平之助を遮ると、急に小声になって囁く。「話をこれ以上ややこしくするな。あまり騒ぐと、平之助、おまえをしょっぴくぞ」

 警官は急にアクセルを踏んで、平之助を振り落とすように、タイヤを軋ませて猛スピードで、杉戸組の表門から去って行った。

 地べたに叩きつけられた平之助の顔に、タイヤが巻き上げた庭の貝殻の白砂が、パチパチと当たった。

 雪華が平之助を助け起こそうとした。

 平之助はその手を振り払い、キッと雪華の顔を睨み据えつつ立ち上がると、足音荒く、玄関の内へ消えた。

 雪華の漕ぐ小舟で浦益へと戻ってから、平之助は雪華とまったく口を利こうとしない。

 そればかりか、今のようにその態度には反感が露わになっていた。

 無理もない。雪華は溜息をつく。

 三人の無残な遺体を前にしての雪華のあの態度と言葉は、通常の神経を持った者なら、反発と怒りを覚えるのが当然だ。

 雪華自身だって、それが他人の行ないであり発言であるなら、当然そう思ったに違いない。

 だが…。

 あの場面では、あの判断が正しかったと、雪華は信じているし、その後のことの展開は、雪華の読みの正しさを証明してもいる。

 いや、正確には雪華はお父っつぁん…花澄無常の生前の教えを、忠実に守ったのだ。

 ヤバい状況だと思ったら、一刻も早く立ち去れ、算段は後で考えろ。

 それが裏稼業で生きるマモノの、生き延びるためのすべだ…。

(お父っつぁん。お父っつぁんの教えは、確かに生き延びるには賢い知恵だけど、他人ひとの心はいっぱい傷付けるようだね…)

 雪華は心の奥で思い、心の奥で溜息をつく。

 雪華はくるりと踵を返し、杉戸組の玄関の内に戻りつつも、も一つ心の奥で溜息をつく。

 この後さらに、自分にとってつらい展開がやって来ることが予想出来たからだ。

 杉戸組の表門の前には、漁民たちが大勢集まっていて、お悔やみとも野次馬ともつかぬ顔をして、広い庭の向こうの玄関の奥の、煌々と灯りの点いた大広間の様子を見つめている。

 その大広間の畳の上に、戸板から布団へと移し変えられたばかりの松五郎と若林の遺体が並べられていた。

 源太郎の遺体はムシロを掛けられたまま、三和土たたきに置かれてある。

 屍になってなお源太郎の扱いは惨めであった。

 松五郎の枕元に、かねが全身を震わせて座り込んでいる。

 しかし、泣いてはいない。

 涙も出ないほどに打ちのめされて、一挙に十も二十も齢を取ってしまったように、やつれ切っている。

 居並ぶ杉戸組の連中も同じように泣いておらず、ただ呆然と、重苦しく沈黙して、座り込んでいる。

 雪華が松五郎の足元の方に座ると、かねが顔を上げて、そちらを見据えた。

 しばらくじっとかねは雪華を見つめる。  

 雪華はいたたまれなかったが、耐えて座ったまま、松五郎のすっかり土気色になった足を見つめている。

「みんな」絞り出すような震え声でかねは話し出したが、まなざしは雪華に据えられたままだ。「こんなことになっちまって、私は口惜くやしいよ。悲しいより、口惜しいよ。この人が身体を悪くしなきゃ、こんなことにゃならなかった。いや、この人がさせなかったろうに…。でもね、あの村役場から帰って来た日の夜、この人は私にだけ云ったんだ。なぜ今回のこの件を受け入れたか。いや、受け入れざるを得なかったかってね…」

 雪華は顔を上げてかねを見た。

 二人のまなざしが松五郎の屍の上でぶつかり合った。

「雪ちゃん」かねは声を震わせつつも口調は静かに云った。「この人はあんたのことで署長の船村に脅されたんだ。この件を呑まなければ、あんたをマモノの子供を収容する所に送り込むってね…」

 突然、かねはワッと松五郎の屍に取り縋って泣き伏した。そして叫んだ。

「雪ちゃん、あんたが最初ッからうちになんか来ないで、その収容所とやらに行っちまってれば、こんなことにはならなかったんだよ」

 雪華の身体がギクリと震えた。

 何か言われると思っていたが、こんな言葉は予想していなかった。

 それだけにこの言葉は雪華の心の最も奥深くまで、グサリと突き刺さった。

「姐さん」とっぱずれの辰がオロオロ半泣き顔で云う。「そんな云い方なすっちゃあ…」

 するとかねが、不意に泣きやみ顔を上げる。

「平之助は?」かねは叫ぶ。「平之助はどこだい?」

 居並ぶ杉戸組の連中も、雪華も、顔を上げて辺りを見回すが、確かにそこに平之助の姿はない。

 雪華は顔色を変えて立ち上がっていた。

 ハッとしてかねが叫ぶ。

長押なげし長脇差ながどす!」

 とっぱずれの辰が立って大広間から奥へ続く襖を勢い良く開けた。

 その上の長押に、松五郎は一本の長脇差を常に隠し持っていた。

 突然の出入りで討ち込まれた時の、用心のためだった。

 松五郎の若い頃にはたびたび出番のあったその長脇差も、もう長い間使われずそこに置かれてあったが、松五郎はそれでも時折取り出して手入れを怠らなかった。

 だから今でも充分に切れる刀なのだった。

 伸び上がって長押の中を手探りしていた辰が皆に向かって首を横に振った。

 かねが「ひいっ」と悲鳴とも、嗚咽ともつかぬ声を上げた。

 と、突如とっぱずれの辰が大声を出す。

「あっ、お嬢、どこへ…」

 身を翻した雪華が玄関から外へ、履物も履かずに飛び出して行った。

 誰もそれを止める間もなく、ただ呆然と見送るばかりであった。



 今夜の川面は、思ったよりも風が強く、小舟は思うようには前に進まず、平之助の苛立ちは募った。

 目の前に目標とする、白い気障な大型ヨットクルーザーが見えているだけに、余計苛立つのだった。

 それでもどうにか、ようやっと、平之助はその目標の際まで来ることが出来た。

 しかし近付き過ぎてぶつかって音を立ててはマズいので、その加減がまた難しい。

 どうにか上手くこの気障なヨットの甲板に上がる所はないものか、探しつつ、その甲板の上に人の姿が見えないかにも注意する。

 自分が驚くほど冷静だと、平之助は思った。

 さっきまでの苛立ちが、嘘のように静まった。

 明鏡止水とはこのことだ…。

 平之助は自分がそんなことをいつの間にかブツブツ呟いているのに気付いていない。

 自分が冷静だと思うのは、この小舟で漕ぎ出す前に、いざという時のために船着き場に偶然あった鉤付きロープをちゃんと積んできたことからもわかる。

 大丈夫、おまえは充分落ち着いている。

 復讐は、短時間に成し遂げられるだろう…。

 平之助は自分がブツブツ呟いていることに、相変わらず気付いていない。

 だが、ロープは不要だった。

 ヨットの側面から、仕舞い忘れたのだろう、縄ばしご状のタラップが、下がったまんまなのだった。

 神か仏か知らないが、これは自分に味方してくれている…。

 平之助はブツブツ独りごちながら、そのタラップから甲板へと上がる。

 腰には松五郎愛用の長脇差を差している。

 無銘の刀だが、松五郎の魂が籠っている。

 今は、その束が船の側面に当たって音を立てないか注意する。

 同時に風が強くてタラップが揺れるから、自分が振り落とされないようにも注意する。

 ようやく、音も立てずに、平之助は甲板の上に立つことが出来た。

 思わず今昇って来たタラップを見下ろした。

 あまりタラップが揺れなかった訳がわかった。

 タラップの下に鉄のおもりがぶら下がっているのだ。

 なあんだ、そういう訳か…。

 突然平之助の喉元に、冷たいものが当たった。

 同時に背中に硬いものが突き付けられた。

 平之助の頭の中はたちまち純白の思考停止に陥った。

 だがそれは、甲板の上に一斉に照明が灯されたからかも知れない。

「こちらへご訪問される時には、先にアポイントメントを取って頂いた方が有り難いですな」背後で柔らかい男の声が云う。「私も、結構忙しい身でしてね」

 平之助は背中を拳銃で小突かれ、振り向かされた。

 自分の意思などない操り人形だ。

 いつの間にか、腰の長脇差もスッと鞘ごと抜かれた。

 平之助の目の先に、白のベレー帽とルバシカ姿の竜宮寺大助が、金縁眼鏡を光らせて、その奥の目を細めて、薄笑いを浮かべて立っている。

 その背後の両脇に立つのは城東会の工藤と、警察署長の船村だ。

 その船村の陰に隠れるように、キンカン頭の村長坂田が立っているのだったが、平之助の長脇差が奪われたと見るや、前に出て来た。

 そして坂田はエラそうに、平之助を指さして胸を張って云う。

「平之助君。キミそんな物騒な格好で無断で人の船に乗り込んだら犯罪だよ。わかっておるのかね。亡くなったお父さんが聞いたら、嘆き悲しむことだろうね」

 長脇差は船村の手に渡された。

 船村はそれを抜いて刀身を改めている。

「平之助君、こりゃ駄目だな」船村は云う。「こりゃホンモノの刀だ。凶器準備、不法侵入…。もうすでに犯罪は成り立ってしまっている。気の毒だが逮捕せねばならん」

 船村はその抜き身を隣の工藤に渡す。

 工藤は仏頂面でその抜き身を一振りする。

「フン、こりゃ松五郎の奴の長脇差だ。こいつのせいでウチの組の奴が何人殺られたことか」工藤は不機嫌を露わに云う。「畜生、こんなもん」

 そう云って工藤は抜き身を水面へと放り捨てようとした。

 思わず平之助は「アッ」と叫び、同時に竜宮寺大助が「待て」と工藤を制する。

「さて、みなさん」竜宮寺大助は背後の連中に云う。「我々の事業は急を要する。なのにこんなつまらんことで裁判沙汰を起こして、時間を取られるのは勿体ない。だから、どうでしょう…」

 竜宮寺大助は工藤から抜き身を受け取り、ニヤリと気味悪く笑った。

 船村も工藤も坂田も、一様に納得したようにうなずく。

 竜宮寺大助は平之助の方を見据えた。

「残念ですね、平之助さん」竜宮寺大助は淡々と軽やかに云う。「あなたはこうして一人でここに乗り込んで来るくらいに胆の座った人だ。あのお調子者でイカレポンチなあなたのお兄さんとは大違いです。ちゃんと話し合えれば、あなたは多いに有能な人材として活用出来たことでしょうに…」

「兄さんの…」ようやく平之助の心に感情の波が戻って来た。「源太郎兄さんの悪口を云うな」

 平之助は背後の奴を振り払おうとした。

 すると、平之助の首筋にスッと冷たいものが迸り、血がタラリと流れるのを感じた。

 そしてその血が、何か二股に分かれた冷たく柔らかく、かつしっとりと湿ったものに舐められているのを感じた。

 耳元にフッフッと鼻息がかかる。

「それ以上動くと、死にますよ」竜宮寺大助が愉快そうに微笑む。「あなたの後ろの男はヘビ吉といいましてね。人を殺めるのが商売なんですが、最近彼は機嫌が悪い。と云うのも、彼の兄はヒヒ蔵と云ってやっぱり同じ商売をやっていた、ヒヒのようなつらをした男でしたが、こいつが気の毒に、首なし死体で見つかりましてね。ところが、その首が、いまだ見つからないんですよ」

 平之助は再び動けなくなっている。

 ヘビ吉は平之助の首筋の血を舐め取りつつ、左手の拳銃は平之助の背のちょうど心臓の真上に押し当て、かつ右手の匕首あいくちを首筋から平之助の股間へと移した。

 平之助の尻にヘビ吉は自分の股間をべったりと押しつけている。

 ヘビ吉の勃起を、平之助は己の尻の肉に感じている。

「さてと」竜宮寺大助はフウッと一息ついて云った。「平之助さんの処置ですがね。ここは正当防衛ってことでどうでしょう。人を傷つけたので、やむなく平之助さんを倒さざるを得なかった…。船村さん、それでいいですか」

「ええ、まあ」船村は困惑顔でうなずく。「しかし彼はまだ誰も傷つけてないが…」

 竜宮寺大助は微笑んだ。

「それで、相談なんですがね、坂田さん、ちょっと」

「ハイハイ」

 また船村の後ろに隠れ気味だったキンカン頭が、呼ばれて嬉しそうに前にしゃしゃり出て来た。

 竜宮寺大助はその方に振り向くとやにわに手にした抜き身を一閃させた。

 キンカン頭の首は嬉しそうな表情のまま甲板上に転がって、その小太りの身体の首の斬り口からは噴火の如く盛大に血が噴き上がった。

 竜宮寺大助は素早く後退ったので大丈夫だったが、唖然として口あんぐりの工藤と船村は盛大な血のシャワーを浴びている。

「後の村長には助役の村岡を当てれば充分だ」

 竜宮寺大助は顔をしかめながらそううそぶき、抜き身を一振りして刃の血を払う。

 そして改めて、平之助にその切っ先を向けた。

「と云う訳で、悪いが君には死んでもらう」

 その時だった。

 平之助たちの背後に何かが打ち上がった。

 それは川面から打ち上がったようで、夜空高くまで上がってクルクルクルッと三回転して、そのまま急降下して、タン! と平之助と竜宮寺大助の間に軽やかに、しかし確実に降り立った。

 雪華だった。

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